第92話 だって実験台……
さて、ここまで来たのはいいけど、そういえば鍵は開いているのかな。
うっかりしていたけど、試しに入り口を開いてみると鍵は掛かっていなかった。
ひょっとして中に誰かいるのだろうか。
「とりあえず入りましょうか」
「え、いいの? この前の会社の時といい、なんか悪いことしてるみたいなんだけど」
「大丈夫ですよ、ここは結乃さんの使ってた家なので」
「……それでも勝手に入っていいのかな」
「結乃さんも私の家に不法侵入してきたのでいいんですよ」
「え……」
雫さんは知らないかもしれないが、あの人は私の家の鍵を何らかの手段で開けて入ってきたからなぁ。
あれは本気でびっくりしたよ……。
私たちは中に入り、とりあえずリビングへ。
そこにあるベッドを見て、ここが海底の街にあったあの場所だと確信する。
「なんでこんなところにベッドが」
「広い家ですからね、きっと一人だとここだけで生活できちゃうんでしょう」
「そういうものなのかな。それより苺ちゃんはここに来たことあるの? なんだか詳しいみたいだけど」
「はい、話せば長くなるんですけど、一度結乃さんと一緒に来たことがあります」
「ふ~ん、そうなんだ」
雫さんは少し頬を膨らませながらつまらなさそうに言った。
嫉妬してくれてるのだろうか、ちょっとかわいい。
それよりこれからどうすればいいんだろう。
完成しましたとか言って連れてこられけど、いきなり放置されても困るよね。
罰としてここはしばらく借りさせてもらうとして、連れてきた目的くらいは教えてくれないと何もできないよ。
何かしてほしいことがあるのだろうか、それともとりあえず楽園を作ったからここで暮らせばいいということだろうか。
私はベッドに腰かけながら少し考える。
その隣に雫さんも腰を下ろす。
ベッドの上でふたり並ぶとちょっとドキドキしてしまう。
そして雫さんの手が私の手に重なる。
少しびっくりして雫さんの方を見ると、少し顔を赤くしながら私とは逆の方に視線をそらしていた。
自分から手を握っておいて照れているのか。
かわいいな、これはもしかして誘われているのかもしれないな。
私も雫さんも結構ヘタレなところあるからなぁ。
ここは私が心を狼にして一歩踏み出すべきか。
「雫さん……」
「え、苺ちゃん……」
ちょっと大胆なことをしようと思ったのだが、急にヘタレてしまい、結局頭を雫さんの肩に預ける程度になってしまった。
これも相手を大事に思っているからこそだと言い訳させて欲しい。
私は目を閉じ、雫さんの温もりを感じていると、雫さんはそっと私の肩に手を回して抱き寄せてくれた。
おおっ、ついに雫さんとひとつになったぞ。
他の人とはこういうことも、これ以上のこともあったけど、なんだかんだ雫さんとはあまりないんだよね。
これもあのキスしてもらう件があったから進展できたことかもしれない。
私たちはずっと一緒に過ごしてきたから、距離が近すぎて今さら関係を変えるのが怖いということもあった。
でもこうしてみると、やっぱり幸せなんだよね。
しばらくそのままの状態でいると、突然この建物の入り口が開く音がした。
急なことに驚いてお互い固まったままになってしまう。
まともに動けないまま、誰かがバタバタとこちらにむかってくるのが聞こえる。
そして。
「一番乗り~!」
リビングに突撃してきたのは、なんと桃ちゃんだった。
「ってあれ? 苺さんとお姉ちゃん?」
「も、桃ちゃん」
桃ちゃんは、横並びで密着する私たちを見てしばらく固まった後、急に顔を真っ赤にして慌て出す。
「あ、ごめんなさい、ごゆっくりどうぞ~」
そう言って部屋を立ち去ろうとする。
「ちょっと待って桃ちゃん、あなたきっと誤解してるから」
雫さんは立ち上がり、必死に桃ちゃんを引き留める。
「いいんだよお姉ちゃん、そういうことできないんだと思ってたけど頑張ったんだね」
「待って待って、まだ何もしてないから」
「わかってる、私があと五分でも遅かったらきっとふたりは……」
桃ちゃんは自分で言ってて、さらに顔が赤くなっていく。
この子も耐性ないんだよね……。
「みなさんこんにちわ~」
さらに後ろから今度は雪ちゃんがリビングへと入ってきた。
やはりふたりは一緒に来たのだろうか。
というかなんでふたりがここに?
この雰囲気からして、こっちの世界のふたりではなく、現実のふたりで間違いなさそうだけど。
「みなさんおそろいですね」
私が疑問に思っていると、最後に結乃さんがやってきた。
ふたりを連れてきたのもやっぱり結乃さんだったか。
おそろいですねって、私たちたまたまここに来ただけなんですけど?
「まあまあ苺さん、細かいことは気にせず」
「心読まれた!」
結乃さんってたまにこういうことあるから恐ろしいよね。
「さてさっそくですが、みなさんに集まってもらったのは、この楽園がいったん完成したということで、みなさんにしばらくの間ここで生活してもらおうということになりました」
「なりましたって……。というか私たちはいいとして、桃ちゃんたちはこの話知らないんじゃ」
私と雫さんは結界のむこう側を見せてもらったけど、このふたり、特に桃ちゃんなんかはほぼ無関係なんじゃないかな。
そう思っていたら、桃ちゃんから意外な答えが返ってきた。
「結界のむこう側のこと? それなら知ってますよ、檻のことでしょ?」
「え、桃ちゃんどうしてそれを」
「それはまあ、雪の親友やってたら自然と。むしろふたりがこのことを知ってるのがびっくりだよ」
この桃ちゃんの言い方だと、私たちよりも先に知ってた感じかな。
でも雪ちゃんは、桃ちゃんも雫さんもこのこと知らないって言ってたような……。
私は雪ちゃんの方をちらっと見てみると、誤魔化すように笑った。
「えへへ、そういえば昔に見せてたの忘れてました。まさかちゃんと覚えてたなんて」
「そんなに前から知ってたんですか」
私たちよりもベテランじゃないですか。
なんだかんだ一度巻き込まれると、どんどん逃げられなくなっていくものなのかもしれない。
「それで結乃さん、ここで生活って何をすればいいんですか? ただ生活してればいいんですか? それに住むところとかは……」
「ふっふっふ、それは今から説明しますよ。」
結乃さんから長い説明が始まった。
まるでゲーム開始時のチュートリアルみたいだ。
とりあえず舞台はこの夢の世界すべてで、自由に移動していいらしい。
つまり、始まりの街や自由の街なんかも行っていいということだ。
そういえばあの時のモモちゃんとかはどうなってるんだろう。
まさかいないとは思うけど、せっかく仲良くなれたのにこれはこれで悲しい。
他には名前に漢字表記が使われているとか、通貨がユーロからオリジナルの仮想通貨『ユーノ』に変わっているらしい。
前来た時に使っていたカードの機能はスマホ型の端末にすべて入っているとのこと。
確認すると、確かに私の名前は『ヨミ・イチゴ』から『夜見苺』へと変更されている。
そして私が残していったこの世界での資産はすべて『ユーノ』に振り替えられていた。
名前が似ているところが詐欺通貨みたいな気もしてしまう。
漢字表記はユーノと結乃が区別できるようにするためなのかもしれない。
この世界は夢の世界であり、そしてデータの世界でもあるので、基本的にお金はすべてデジタル。
それは前からそうだったけど、現金を見ることは決してない世界だ。
後は私たち全員に一軒ずつ住む家をもらえるとのこと。
初めはそんなに大きくないらしいけど、どんどん増設もできるみたいでなかなか贅沢な話だと思う。
それにログアウトすればいつでも現実に戻れるし、なんだかゲームみたいで楽しそうだ。
「家までもらっちゃっていいんですか」
「いいんですよ、だって実験台……ゲフンゲフン」
「え、どうしたんですか結乃さん、なんか今変な言葉が聞こえた気がしますけど」
「いえなんでもないですよ、みなさんにはベータテストのようなことをしてもらうわけですから、特典だと思ってください」
実験台とベータテスト、物は言いようだよね……。
「というかテストって、完成したんじゃなかったんですか」
「完成したなんて言ってませんよ、一応完成と言ったんです」
一応ってそういう意味だったのか。
「これからここが人の住む本物の世界になっていかないといけないんですから、何かあったら私に相談してくださいね」
そういえばそうか、実はかなり大事なことを頼まれているんだなこれ。
……うん? ということはまさか。
「はい、結乃さん!」
「何でしょう」
「もしかしてこの世界は、結婚したり子どもができたりするんでしょうか」
「そうですね、できますよ。そうしないとだめですからね」
「そ、そんな要素があったらこのゲームはR-18になってしまいますよ」
「いえ、別にゲームではありませんから、それに……」
そこでいったん言葉を区切り、結乃さんは私の耳元に顔を近づけ、でもしっかりとみんなに聞こえるように言う。
「この世界ではそういう行為は必要ないんですよ、愛し合うふたりが願えば、こどもは世界樹が授けてくれます」
「なんですと」
「この仕組みのおかげでなんと女の子同士でもこどもを授かることができます」
「なな、なんと」
さらにここで結乃さんは囁くように声を小さくし、私だけに聞こえるように言う。
「しかも清い身のまま、何人もの相手とこどもを授かることができるわけです」
「な、なんだってー!」
そんなどっかのハーレム主人公みたいなことができちゃうのか。
……いや別にやらないけどね。
自分のこどもが欲しいわけじゃないし、代わりにミュウちゃんを愛でるし。
あ、思い出したらミュウちゃんに会いたくなってきちゃったな。
まさかいないなんてことないよね?
それにしてもここに現実世界の残ってる人たち全部連れてくるなんて本当にできるのだろうか。
実際にどれくらいの人が残ってるのかわからないけど、代わりの世界にするならもっと現実世界に寄せる必要があるんじゃないかな。
これだとゲームが好きな人は楽しいだろうけど、ただの日常を望む人には非日常すぎると思う。
まさか記憶の改ざんとかするつもりだろうか。
この人たちならできるだろうし、必要ならやりかねない気がする。
それでも、ただ世界がなくなるよりはいいのだろうか。
私はなんだか嫌だな。
他人の作った道を歩かされている気がして嫌だ。
でも記憶を改ざんされてしまえばそれすら気付かないんだよね。
それでいいのかな……。
あの結界のむこう側を見てしまった者としては、納得するしかない気もするけど。
あんな風になってしまった世界では、いったい何が正解で、なにが幸せなんだろう。
私はこの世界のことが好きだし、みんなもいてくれるならきっと幸せになれるだろう。
でもあの世界にだって、何も知らずに生きてる人たちはいる。
少し前まで私も知らなかったんだし。
小さな、閉じ込められた世界かもしれない。
でもあれが現実世界なんだよね。
あそこにだって家族や友人との幸せな時間を過ごしている人たちがいる。
私は少しダメだったけど、幸せな人たちは確かにいるんだ。
それを無理やりここに連れてきていいものだろうか。
いっそ何も知らずに、最後の時を迎えてしまうのも幸せなんじゃないか。
どうなんだろう、私は変な考え方なのかな……。
私はここで満足なはずなのに、なんでこんなにも心のどこかで引っかかるんだろう。
失いかけて、ようやく大切なものに気づいてしまったような、そんな気持ちだ。
今、自分のことを置いておいて、世界のみんなの気持ちを考えたつもりだったけど何か違うな。
もしかしたら私はあの世界のことがそんなに嫌いじゃなかったのだろうか。
どうなんだろう、自分のことなのによくわからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます