第88話 私たちの現実世界は偽りの世界だったのか

 ……なぜだ。

 なぜ何も起きない。


 家に帰ってスタンプを確認すると、ちゃんと五つ集まっている。

 そしてその下に送信ボタンが表示されていたので、やっぱりこれがやるべきことだったんだと確信をもってボタンを押した。


 しかし送信されてからすでに一時間以上経つがまったく反応がない。

 いったい何だったんだこのスタンプ集めは。

 そして私はこれからどうすればいいんだ。


 このまま学生生活を楽しんでいればいいのか?

 詠ちゃんの言ってた、雪ちゃんの件は一応解決したと思っていいはず。

 だとするとユーノさんの言う夢魔との決着の方だろうか。


 そういえばクイーンオブナイトメア襲撃はどうなったのかな。

 怖いけど一度見に行ってみるか。

 あそこに行くのはかなり気分悪いけど。




 次の日の放課後。

 私は帰宅したあと、あの会社にむかうための準備をする。

 その途中、間違えてお仕事モードの支度をしていて、心に刻まれた社畜魂に軽く吐き気がした。


 お出かけ用の準備に切り替え、さらに一応夢魔の弱点かもしれないラブエナジーMAXもかばんに入れておく。

 家を出る時間は少し遅めにすることにした。


 どうせあのブラックは日付変わってもやってるだろうし。

 逆に8時くらいで電気が消えていたら、夢魔に襲われて壊滅したということが確定となる。


 家の鍵をしめ道路に出たところで、なぜか雫さんとばったり会った。


「苺ちゃん、こんな時間にお出かけするの?」

「はい、ちょっと会社まで……」

「か、会社?」


 言ってからしまったと思った。

 相手が雫さんだったから、元の世界で休日出勤するときのノリで会話してしまった。


「えっとですね、気になる会社がブラックかどうか確かめようと思いまして」

「ああそっか、夜遅くまで電気ついてたら危ないってことだね」

「そうです」


 まあこんな時間くらいならまだブラックとは言わないかもしれないが。


「どこの会社なの? 私も知ってるとこ?」

「前に雫さんが見てた、すべての人に夢をお届けする会社です」


 自分で口にするだけでブラック臭がするな。


「ああ、あの怪しい会社だね」

「え、あの時の雫さん、素敵って言ってましたけど」

「そうだっけ?」


 雫さんがとぼけたように首を傾げる。

 かわいいな、ごちそうさまです。


「ねえ私も一緒に行っていい?」

「え、なんでですか……」


 今の会話のどこに雫さんが行きたくなる要素があったのだろうか。

 怖いもの見たさか?


「こんな夜遅くに女の子一人は危ないよ」

「女の子二人だってあまり変わらないと思いますけど」


「一人よりはいいでしょ」

「そうですかね」


 むしろ雫さんみたいなかわいい人が出歩くと危険な気がする。

 私みたいなちびっこはあまり危険はないだろう。


「苺ちゃんみたいな小学生に間違われる子は危ないよ、この地域はロリコンさんが多いらしいし」


 それどこ情報ですか。


「はあ……、わかりました、一緒に行きましょう。でも絶対楽しくないですよ?」

「大丈夫だよ、苺ちゃんとお話してるだけで楽しいから」

「うっ」


 雫さん、そんな笑顔でそんなこと言うの反則ですよ。

 昨日の件で吹っ切れちゃったのかな。




 社畜時代と同じルートで会社にむかう。

 やはり何度通っても気分が悪い。

 電車から降りて道を歩きながら、この時間に帰れる人はまだマシだなと思う。


 そしてすぐに会社の前までたどり着くと、驚くことに電気がすべて消えていた。

 そんなバカな……。


「電気消えてるね」

「そ、そうですね」


 何が起きてる。

 これは絶対におかしい。

 やはり夢魔に襲われてしまったのか。


 でも私たちは襲撃日より後も働いてたから関係ないはず。

 だとすると、この会社がブラックじゃなくなった?

 そんなわけがない。


 ちょっと中に入れないだろうか。

 私は玄関の扉前まで近づく。


「え? 苺ちゃん、中に入るの?」

「いえ、セキュリティがしっかりしてるので無理だとは思うんですけど……」


 それに玄関はカードキーがないと開かないようになっている。

 さすがに強行突破はできないか。

 しかしそこで妙なことに気づく。


「あれ? 開いてる……?」


 扉のロックが解除されている上に、セキュリティシステムも止まっている。

 そして扉はわずかに開いていた。


「入れますね、これ」


 私は人が通れるくらいまで扉を開く。

 不気味だ、これは何かあったと考えていいだろう。

 少し中に入って様子を見てみる。


「苺ちゃん大丈夫なの?」


 そうだ、ここから先は危険かもしれない。

 雫さんを巻き込むわけにはいかないな。


「雫さん、何があるかわからないので先に帰っててください」

「そんな危険なら一緒に帰ろうよ」

「私には確認しなければいけないことがあるんです」


 雪ちゃんを助けても、スタンプを集めても、何も起こらなかった。

 残る可能性をひとつずつ調べていくしかない。


「だったら私も一緒に行く」

「いやいや危険かもしれないですし」


「それならなおさらだよ、苺ちゃんに何かあったら私……、死んじゃうから」

 怖っ! 私には雫さんの方が怖いよ!

「仕方ないですね、私から離れないでくださいね」


「うん、わかった」




 真っ暗な建物の中をスマホライトで照らしながら歩く。


「なんだか私たち、悪いことしてるよね」

「いいんですよ、こんな会社に気を遣わなくても」

「苺ちゃん、この会社と何かあったの?」


 これからあるんですよ。

 私だけじゃなくて雫さんもね。

 まあこの世界では絶対に阻止しますけど。


 さてどこから調べたものか。

 まずは私たちが働いていたフロアをのぞいてみるか。

 通いなれていた自分の仕事場のドアの前まで進む。


「うう、ちょっと気持ち悪い……」


 まるで体の中で胃腸をつかまれたように痛くて苦しい。

 さすがにここまで来ると反応してしまうんだな。

 しかもこの時期の私の体はまだこれを経験してないんだから、完全に精神的なものだ。


 私は覚悟を決めて中へと入る。

 そこで見たものは衝撃的なものだった。

 私たちが使っていたそのフロアが、なんともぬけの殻だったのだ。


 そんなバカな、いったいどうしたっていうのか。

 現実世界ではあの時期まで使ってたんだから、必要なくなったなんてことはないだろう。


 だとしたら夢魔がやったってことか?

 でもここを襲ったとして、きれいに片づけていく理由は何だ?


 なにか都合の悪いものでも見つかったのだろうか。

 これでは私たちも何も見つけられない。

 どうしようか……。


 そうだ、この前に詠ちゃんと話をした、あのフロアはどうなんだろう。

 もしかしたら何か残ってるかもしれない。

 とりあえず一度行ってみよう。


 私は雫さんとともに詠ちゃんのフロアへとむかってみる。

 扉を開くと、ここも完全に空っぽになっていた。

 あの短期間でいったい何がどうなっているんだ。


 しばらく呆然と立ち尽くしていると、いきなり目の前の空間に黒い球体のようなものが現れる。


「な、なにこれ……」


 雫さんが恐怖から私の腕に抱きついてくる。

 球体はいきなり黒い霧を噴射して、私たちを飲み込んでいく。


「きゃっ」

「雫さん!」


 私は雫さんをかばうように抱き寄せる。

 しかし霧は部屋中を覆いつくし、辺りは何も見えなくなる。

 だんだん平衡感覚がなくなり、ついに少しの間意識が飛んだ。


 それからしばらく経った後、次第と意識がはっきりとしてきて目を開く。

 驚いたことに私たちはいつの間にか強大な橋の上にいた。


 自動車用の道路であることから、同じ世界ではあると思う。

 しかし車は一切走っていないし、辺りは真っ暗だった。


 ただ夜の暗さとは全然違う。

 空は不気味な色をしていて、オーロラのカーテンのようなものまで見える。


「なにここ……」


 私の腕の中で目を覚ました雫さんが不安そうな声を出す。

 立ち上がって、恐る恐る道の端の方まで進み、下を覗き込む。

 そこには見たこともない大きさの渦潮がいくつも発生していた。


 怖い。

 なんで私たちはこんなところにいるんだ?

 会社の中にいたはずなのに、どうやってここまでやってきたのか。


 これも夢だったりするのか。

 もうどこからが夢だったのか。

 全然わからない。


「苺ちゃん、あまり私から離れないで……」


 雫さんが追いかけてきて、私の腕に再び抱きつく。

 不安なのだろうが、それは私も同じ。

 雫さんのおかげで私も少し冷静でいられた。


 しかしいきなりこんなところに放り出されても、どうしたらいいのかわからない。

 なにか理由があって連れてこられているのか、どうやったら帰れるのか。

 何もわからない。


 とりあえずどっちかへ進んでみるしかないか。

 そう思って橋の先に視線をやると、なにか空間のブレのようなものを見つけた。

 まるで蜃気楼のようにゆらゆらしている。


「あれはいったい……」

 私が小さくつぶやいた時、すぐ近くで誰かの声が聞こえた。

「あれはね、この世界の端っこなんだよ」

「!?」


 いきなり私たち以外の声が聞こえて心臓がびくっとなる。

 振りむくと、そこにいたのは私の母、ユーナさんだった。

 こちらの世界だと夜見結奈さんか。


 というか、なんでこっちの世界にいるんだ。

 この時期でもすでに亡くなっているだろうに。


「結奈さん? どうして……」


 雫さんが幽霊でも見たような表情で結奈さんを見つめている。

 そりゃそうだ、とっくに死んだはずの人が目の前にいるんだから。


「ひさしぶりだね雫ちゃん」

「あ、はい……」


 さらっと流しちゃったよこの人。

 とりあえず話を進めてしまうか。


「えっと、世界の端っこっていうのはどういうことですか」

「そうだね、行ってみる? そこにこの世界の真実の姿があるよ」


「真実……?」

「雫ちゃんはどうする? けっこうすごいものを見ることになるけど」


「……苺ちゃんが行くなら私も行きます」

「そっか」


 私としても雫さんをひとりにしておきたくないし、正直ひとりで背負いたくないから助かった。


「それじゃあ行こうか」


 結奈さんはさっと先頭を歩いて行ってしまう。

 私たちもその後ろについて歩き出す。


 その時そっと雫さんが私の手を握ってきた。

 当たり前だけど不安なんだ。


 私は夢の世界ですこし非現実的なことを体験している分、まだましだと思う。

 これまで雫さんにお世話になってきた分、こういうときくらいは私が頑張らないと。


 私は握られた手を強く握り返し、雫さんに笑顔をむける。

 それを見て雫さんも少しだけ笑顔を見せてくれた。


 蜃気楼のようになっている場所の前までやってくると、そこは目の前の景色が揺れているという不思議な空間だった。

 まるで見えない壁でもあるみたいに、ここから先は別の場所であると思わされる。

 手で触れたりするのだろうか。


 そう思ったけど、結奈さんはそのまま歩き続けて壁を越えていく。

 壁を通過した部分から見えなくなっていき、まるで消えてしまったかのようだった。


 目の前に写る壁のむこうは偽物だということか。

 私たちも覚悟を決めて、壁のむこうへと足を踏み入れた。

 そして目の前に広がる光景に愕然とする。


 壁のむこうにあったのは、何もない空間だった。

 私たちの前に少し足場があるだけで、そこには檻のような柵があり、そのむこうはさっきまで空にあったような不気味な空間になっている。


 空も大地もわからないような、そんな空間だ。

 そこを海底の街やこの世界の神社で襲ってきたような、黒い霧のようなものが無数に漂っている。


 やつらは私たちに気づいたのか、何体かがこちらにむかって突っ込んできた。

 そして柵に触れた瞬間、霧散して消えていった。

 柵は結界のような役割を果たしているのだろう。


 しかし私には檻にしか見えなかった。

 檻や鳥かご、そんな印象だ。


 私たちはこいつらから守られるために、檻の中に閉じ込められているんだ。

 檻の中の小さな世界が、私たちの暮らしていける世界になっているんだろう。

 だったら外の世界はどこへ行ってしまったのか。


 日本以外の国は?

 いや日本すらもどれだけ残っているのかわからない。


 この橋のむこうは、恐らく本来淡路島があった場所だろう。

 その橋すらも途中までしか存在していない。


 いつの間にこんな世界になっていたのか。

 これが本当に現実だというのだろうか。

 私たちの現実世界は偽りの世界だったのか。


 社畜だとか、夢の世界の楽園だとか、そんな話まるでちっぽけだ。

 もう世界は滅んでいるじゃないか。


「結奈さん、これを知っている人はどれくらいいるんですか」

「そんなに多くはないよ、昔に夢魔と戦って、実際に目の前で世界が変わる瞬間を見ていた者たちだけ」


「ユーノさんや雪ちゃんは」

「ユーノちゃんは戦いに参加してたから知ってるよ。雪ちゃんは多分知らされてないね」


「雪ちゃんが戦っているのは、こいつらと同じものじゃないんですか」

「夢魔というのは同じ、でも中にいるのは元々人の側についてくれた夢魔たちだよ。ただやっぱり時間が経ちすぎると当時のことを知らない子もいるからね」


 夢魔にだっていい子も悪い子もいる。

 それは人と同じ。

 ただそれだけのことか。


「私たちをここに連れてきたのは結奈さんですか」

「そうだよ」


「これを見せて、私たちにどうしろと」

「何もないよ、ただ知っておいてほしかったんだ、ちょっと踏み込み過ぎてしまっていたから」


 おそらくこの状態になってからかなりの期間が過ぎているんだろう。

 檻の中にいる限り、今のところ特に問題もなく暮らせていける。

 私も何も知らなければそのまま一生を終えることになったのだろうか。


 でも知ってしまった。

 ユーノさんに出会い、夢の世界へ行き、夢魔に襲われ、そして時間すらも超えた。

 私はただの一般人にはなれそうにないな。


「でも雫さんを巻き込む必要はなかったんじゃないですか?」

「苺ちゃん……」


 私の手を握る雫さんの力が強くなる。


「雫ちゃんや桃ちゃんは無関係じゃないんだよ、雫ちゃんたちとユーノちゃんの関係は、私と苺ちゃんの関係とほぼ同じだから」

「え?」


 つまりユーノさんと雫さんたちは親子?


「私たちは少し複雑なんだよ。親子じゃないけどそれに近い存在なんだ」


 どういうことだ、結奈さんは私のお母さんじゃなかったのか。


「ユーノちゃんがこの世界にいたころの名前は桜結乃、そういうことだよ」


 どういうことだよ、わかんないよ。

 桜って言うと、雫さんたちと苗字は一緒だけど、それで親子じゃないんでしょ?


「まあそれはいいじゃない」

「よくないですけど、まあいいです」


「ふふふ、そう深く考えない方が幸せだよきっと。それに雫ちゃんを連れてきたのは別の理由の方が大きいから」

「別の理由?」


「苺ちゃんがひとりで抱えないように、先に巻き込んでおいたんだよ」

「うう、なんてことを」


 私が頼りないせいで雫さんを巻き込んでしまったというのか。

 でも確かに雫さんの存在は大きい。


 ただ一緒に知ってくれているというだけで、今も少し心に余裕がある。

 なので結奈さんを責めることなんてできはしない。


「ちょっと悔しいですけど、すこし感謝はしています。ひとりだったらもしかしたら受け止めきれなかったかもしれません」

「うん、それでいいんだよ。ひとりでダメな時は大好きな人に頼っちゃえばいいんだから」

「そうですね」


 そうだよ、こんなの私一人で抱えきれるような案件でもない。

 それより間接的に大好きといわれて照れているのか、さっきから雫さんの爪が私の手に食い込んですごく痛い。


「それじゃあ帰る前にもう一つだけ話をしておくね」

「ここまで来たらもう全部聞いちゃいますよ」


「あはは、そんなに構えなくてもいいよ。これはね世界がこんなことになった後からずっと続けてきた『楽園創造計画』についてだよ」


 なんかすごいの出てきたぞ。


「苺ちゃんは少し知ってると思うけど、結乃ちゃんが進めている夢の世界のことだと思っていいよ」

「世界を作る計画ってことですか」


「そう、この世界もいつまで持つかわからない。しのいでる間に私たちの住む世界を新しく作り上げて移住しちゃおうっていう夢のような計画」

「スケールでかいですね」

「びっくりだね……」


 少し明るい話だったからか、かなりぶっ飛んだ内容なのにやっと雫さんが会話に入ってきた。


「今のところ成果はあれだけど、私も結乃ちゃんも詠ちゃんもいろいろ頑張ってるんだよ」

「そうですね」


「そしてお互いに足を引っ張っているような気もする」

「ダメじゃないですか」


 もしかして詠ちゃん、結乃さんの世界で邪魔してたんじゃないだろうね。


「でもね、みんなと仲良くできてる苺ちゃんがまとめてくれたらうまくいくんじゃないかってちょっと期待してるんだ」

「さりげなく重いこと押しつけないでくださいよ」


 思いっきり世界の運命を背負っちゃってるじゃないか。

 嫌だわ、そういうの。


「あはは、大丈夫だよ、気にしなくていいから。きっといつの間にか巻き込まれてなんとかしてくれるって信じてるから」

「全然大丈夫じゃないですね!」


「あはは」

「笑って誤魔化さないでよお母さん!」


「あはは」


 くっ、お母さんと呼んでみてもまるで効果なしか。

 そもそもお母さんじゃなかったのか……。


「それじゃあ元の世界、元の時間に帰ろうか」

「え、元の時間って……」


「え~い!」

「って、話聞いて~!」

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