第12話 伊沙佐良神社
「桃鳥さま。本当に奴等は現れますかね」
周りがガヤガヤとうるさい。ずずっとすする音があちらこちらから消えてくる。だし汁の匂いが風に運ばれてくる。
「ん?来るでしょ」
桃鳥は、さも当然のように言って、うまそうに蕎麦をすすった。
「しかし、首領はなかなかのくせ者。このまま逃げる、というのも充分に考えられると思うのですが」
箸を持ったまま小典は言った。
「いや。奴は必ず現れるわ」
桃鳥は断言した。
「あの男は、現れざるを得ないわ」
「現れざるを得ない?それは…」
「ふふん。まあ、おいおいわかるでしょ」
「ああっ!ちょっと!」
桃鳥が小典の蕎麦をごっそりと持って行ったのだ。
「あら?いらないのかと思って」
桃鳥は意地悪く笑った。
「食べますよ!」
小典は、できる限り蕎麦を取り戻した。
「それにしても……ゴホッゴホッ」
食べながら話したため蕎麦でむせた。
「ゴホッ!……どうして、浜永さまと山野さまを捕り方の頭にしたのですか?」
むせて苦しい息の下から小典は聞いた。
与力の浜永孫三郎と山野彦次郎は、例の評定の時もそうだが、あからさまに桃鳥そのものに不平を抱いている。それなのに、なぜ捕り方の頭に推挙したのだろうか。
落ち着いてから喋りなさいよ、と呆れた顔で桃鳥は言ったが、答えた。
「それは、浜永どのは取り逃がすからよ」
「は?」
「浜永どのが頭。山野どのが福頭。彼らでは今度の相手には敵わないわ」
絶句した。
「なればどうして……」
「簡単なことよ。彼らにも少しは頭を冷やしていただこうと思って」
「…しかし、それでは賊どもを取り逃がしてしまうのでは」
「そうでしょうね」
桃鳥はこともなげに言った。
「もともと、浜永どのが向かっている先にいる奴らは、戦うより逃げるつもりよ。でも、それでいいのよ。口惜しいけど、向こうのほうが逃げることにかけては、一枚上手。なれば、こちらが無駄に戦って命を落とすよりはいいのよ。それに、卯之助がついているわ。よしなにしてくれるでしょう」
そうなのだ。案内人には卯之助をはじめ腕っこきの目明しがついている。めったなことはおこらないであろう。
「うーん」
しかし、小典としては納得できなかった。むしろ一網打尽にすればそれで終わりではないか。
「ふふん。どうやら不服そうね」
桃鳥は、どこか可笑しそうに言った。
「今回の目的は、首領の片地帯刀を捕縛さえすればよしとしましょう。その他の子分はおいおい捕まえられるわ」
そういうと、桃鳥は席を立った。
「え?あ?もう行きますか?まだ蕎麦を食べてない…ちょっと、待って…」
小典を置いていき、桃鳥は早くも店を出ていた。
チントンシャンで賽を振れ
チントンシャンで賽を振れ
出た目の分だけ進むがよい
進めばそこは極楽か
はたまたそこは地獄かえ
足元書いてる文言に
全ての運を委ねっしょ
おはなが朗々と唄っていた。
チントンシャンで賽を振れ
チントンシャンで賽を振れ
出た目の分だけ進むがよい
進めばそこは極楽か
はたまたそこは地獄かえ
賽の眼だけが知っている
唄に合わせて手拍子と歓声が混じる。
おはなの操る人形が生きているように双六の上を歩く。
「肥え溜めにはまって一回休み」
人形が止まった個所の文言をおはなが読む。周りにいた見物人たちはドッと笑った。加えて、おはなの操る人形ががっくりとうなだれる。
「ぼくの勝ちだ!」
少年がもろ手を挙げて喜んだ。
少年の人形は、上りの一つ手前に立っている。つまり、賽を振りさえすれば勝てるのだ。
「坊の勝ちだね」
おはなは、そうだね、とうなずいて小さな壺から飴玉を三つ少年の掌に載せた。おはなとの双六勝負に勝てば、飴玉を三つもらえるのだ。少年は嬉しそうにそれらを目の前に掲げてから、ありがとう、と元気よく言って離れていった。
ここは、内藤新宿にある伊佐沙良神社の境内だ。
広い境内には祭りばやしと人々の楽しそうな嬌声が混じって、祭り特有の楽しげな気で満ちていた。
おはなの屋台は、左側奥のやや外れて場所に立っていた。
商いを始めるや否やすぐに人だかりと楽し気な女子供の笑い声であふれた。
数えきれないほどの双六勝負を行ったのち、おはなは、しばらく休憩する旨を取り囲んでいる人々に言った。人々は、不服そうに声を上げたが、おはなが申し訳ないねと謝ると次第に離れていった。
「貴様か」
全てのお客がいなくなった時だ。声が聞こえた。どこか嗤いを含んでいる嫌な声だ。聞き覚えがある。いや、忘れるはずなどなかった。
おはなは声のしたほうを見る。右手前方に茫洋と立っているように見える男がいた。痩せ型でひょろりとした印象。着ているものは縦じまの着流しだ。寒風の中、どこか場違いにさえ見える。
「この片地帯刀に用があるそうだな」
男は、動かない。笠を目深にかぶっているため、鼻から下しか見えないが、嗤いの形に歪んだ口は、おはなの肌を泡立たせるには十二分であった。
「我が子分どもを退けたのは、貴様たちがはじめてだ。いったい何者だ?」
片地帯刀は続ける。
「御公儀…ではなさそうだ。おぬしのそばについてる奴らの技にばらつきがある。かといって、お主たちが主張しているように滅びた忍び集団、荒海組の生き残りというのは、ちと、眉唾物ではあるが…」
荒海組とは、平安の昔、気鬱に陥った時の帝を慰めようと清涼殿の北側に集められた芸能集団を祖とする忍び集団である。
彼らの芸を大いに気に入った帝によって、清涼殿の北側にある荒海が描かれた障子にちなんで、手ずから荒海組と名付けたという。以後、帝の忍び集団として、影から朝廷を支えていたといわれている。だが、戦国の世に滅び去ったと言われていた。
「…どちらにしても、俺はかまわん。盗賊家業にもちょうど飽きてきた頃だ。間抜けな役人どもでは俺様を満足させてくれなんだ」
男――片地帯刀がゆっくりと近づいてくる。
「罠だと知っていて、わざわざ出向いてきたのだ。貴様らならきっと満足させてもらえるのだろう?なぁ?」
片地帯刀が近づいてくるにつれ鼻歌のようなものが耳に聞こえ始めた。
――いけない
おはなは、慌てて傀儡幻法の呪文を唱え始めた。己の耳に相手の術を聞かせないためだ。そしてこれは相手の術を封じ込めるのだ。片地は、幻術を使う。老爺とふたりで初めて片地帯刀を見た時もそうであった。
ほう、と片地帯刀の表情が変化した。
「我が幻術を封じたか」
嗤いが大きく広がる。
「少しは楽しまさせてくれそうだ」
片地帯刀は両腕を大きく広げた。
鳥のように上下に羽ばたくように腕を振り始めた。
「なれば、こちらはどうだ」
訝るおはなの耳に微かに笛のような高音が聞こえ始めた。
同時に、鼻にも刺激臭がし始めた。
おはなの体の中から警告を告げる感覚が沸き上がる。
――急いで決着をつけなければ
おはなは、己の術に集中する。手で傀儡を操る。
「傀儡か?どこかで見覚えがあると思っていたが、いつぞやの祭りで出会った爺…」
「わたしの恩人よ」
「やはりあの爺か。覚えてるぞ。おいぼれの割にはこざかしい術を使いやがった。そして、あの時、逃げ出した女もいたな」
「恩人の仇も取らせてもらうわ!」
おはなの傀儡が大きく動いた。傀儡の腕が何倍にも大きく伸びて片地を襲う。手にはいつの間にか刀が握られていた。
「あっ!」
驚きの声を上げたのは、おはなの方であった。片地の手にも刀が握られていた。しかも、がっちりと傀儡の刀を受けていた。
「これは驚きだ。この片地帯刀がいつの間にか幻術にかかっていたらしい」
しかし、と言葉をつなぐ。
「こうでなくては。わざわざ出向いてきた意味がない」
片地帯刀は楽しげだ。
「次は俺の番だな」
片地帯刀が、広げていた両手を大きく上下に手を振った。
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