領主と女中の夏のバカンス(急)4

 * * *

「貴女と一緒だから楽しみにしてたのにっ、……ロアの馬鹿!」


 ロアの胸はひどく疼いた。

 彼女を怒らせ、悲しませたことに対する痛みもある。

 けれどそれ以上に、彼女が愛おしくて苦しかった。


 こんなにも我慢したのに、そんなことを言って、彼女は心をかき乱す。

 楽しみにしていたのはロアだって同じだ。

 きっと、マリアが思うよりずっとずっとずっと、ロアはこの旅行を楽しみにしていた。

 何のために、夏が終わってしまう前にと、必死に仕事を片付けてここまで来たのか。


 ロアも、本当は分かっている。

 身体がおかしいのは、薬のせいだけじゃない。

 旅先なら、普段できないこととか、言えない言葉を言えるんじゃないか。そんな思いがどこかにあった。

 このバカンスを楽しみにしすぎて、タガが外れてしまったのだ。


 だから、触れてはいけない。

 触れたらどうにかしてしまう。

 今まで積み上げたものが崩れてしまいそうで。

 そう決めたのに、反射的にマリアの腕をロアは掴んで止めていた。


 振り返る彼女の瞳は、涙で光っている。

 しかし同時に、引き留められたことに対する安堵のようなものもその瞳からは感じられた。


 ロアはこの時点で、歯止めをかけるのを諦めた。

 ――本当はこんな形じゃなくて、もっと素敵な状況であればよかったのに。


 微かな後悔を飲み込み、無茶苦茶にしたくなる衝動のまま、ロアは彼女の腕をぐっと引き寄せる。

 そしてその唇を、自らのそれで塞いだ。


「――……、!?」


 驚くマリアの腰を、ロアはさらに強く引き寄せた。

 衣服という障壁がない分、その抱擁はとても生々しく、マリアの顔は一気に火照る。


 さらに、タイミングよく薄い壁の先――更衣室のほうから第三者のかしましい話し声が聞こえてきた。

 もしかすると更衣室から、彼女らがシャワールームに向かってくるかもしれない。

 マリアは慌てて、身をよじらせて唇を離す。


「……あ、のっ、ちょ、っと」


 マリアの視線は後方に泳ぐ。


「誰かに見られたら………!」


 背後で全開になっているカーテンが気になるのだろう。

 しかし


「ん、」


 ロアは再度、追いかけるようにその唇を吸う。

 同時に片手を伸ばし、開いていたカーテンを完全に閉めた。

 退路を断たれたというその事実に、マリアは反射的に身を強張らせる。

 かつてない状況と、立て続けのキスに、困惑の表情でマリアはロアを見上げる。

 けれどロアの眼はあくまで真摯だった。

 紅い瞳が情熱的に、しかし湿り気を帯びてマリアの瞳を覗き込む。


「……これでいい?」


 その真っ直ぐすぎる熱い視線に、マリアは思わず目を逸らす。


「……そういう問題では……」

「嫌なら噛んで。やめるから」


 ロアは短くそう言って、マリアの返答を待たずに彼女を壁に押し付ける。そして再び唇を食んだ。

 唇を揉まれ、微かに開いた口からロアの熱い舌がするりと忍び込んでくる。


「……!」


 身を固くしたマリアに合わせるように、最初は少し遠慮がちに。

 そして徐々に、ロアは舌を強く絡ませてくる。

 シャワーの音とはまた別の、初めて聞く水音が、互いの耳に直に響いていた。

 少し淫靡にも聞こえるその音に、羞恥心からマリアは腕に力を込めようとしたが、まったくと言って良いほど力が入らない。

 熱に浮かされているようだった。


「は……、ん、…………ふ」


 マリアが甘い息を零す度、ロアは嬉しげに目を細めた。そしてその声を逃さぬよう、何度も唇を塞ぐ。


 回数を重ねるごとに、口づけは深くなっていく。

 満足に息も出来ないのに、口内を弄られることへの動揺はいつの間にか甘い刺激に変わり、マリアの頭の中は真っ白に塗りつぶされていく。

 マリアの身体から力が抜けるのを見計らって、ロアはどこか恍惚とした視線のまま、彼女の首もとに唇を滑らせた。

 一瞬、肌にチクリと痛みが走って、マリアは我に返る。牙を立てられたときの痛みではない。

 ロアはわざと、マリアの肌に痕をつけたのだ。


「……そこ、隠せないのに」


 耐えず滴るシャワーの音で、マリアの小さな反抗の声はかき消されたようにも思えたが、ロアの耳にはちゃんと届いていたようで


「ごめんね。わざとなんだ」


 そう言って彼女はいたずらに笑う。

 どうして、とマリアが瞳で問うと


「……今日のマリアはとっても可愛いから。誰にも取られないように」


 そんな恥ずかしい台詞をこぼして、ロアはその痕を舌で愛撫する。

 いつもより、その舌の運びも艶めかしい。

 優しいのに、いやらしくて。舌を這わされた箇所の肌がとても熱い。

 そのせいで、触れられていない箇所が、身体全てがまるで「触れてほしい」とでも言うように疼いてくる。

 なんとも言えぬもどかしさを感じながら、マリアは声を絞り出す。


「……、今日のロア、どこか変ですよ」


 すると、ロアは少し寂しげに笑った。


「これが私の本性だよ」


 その表情と、言葉を聞いて、マリアは自身の言葉を少し悔いた。


「いつもと違うって、君が思うなら、薬のせいにしてほしいんだ。先生に匂い消しの内服薬を作ってもらったんだけど、それを飲んでからちょっとおかしくて」


 マリアは僅かに眉をひそめる。


「……ずるいです、ロアは。いつもそう」


 そうやって、いつも逃げ道を、選択肢をマリアに与えるのだ。

 マリアはきゅっとロアの胸に当てた拳を握る。


「貴女の本心には、私も本心で向き合います。……だから逃げ道を作らないで」


 その言葉を聞いて、ロアは少しだけ目を丸くした。

 マリアの腰に添えられたロアの手が、少しだけ強張ったのがマリアには分かった。


「……君に触れたかったんだ。ずっと。ずっと前から。

 君が好きだと自覚した時から、きっと。

 こんな風にキスがしたかった。

 私の頭の中は、君のことでいっぱいで、自分でも整理できないくらいぐちゃぐちゃで。

 ……こんな私だけど、それでもマリアは許してくれる?」


 ロアは緊張しているのだろう、瞳が微かに揺れている。

 そんなロアの問いに、マリアは小さくため息をつく。

 ここまでしておいて、どうして許しを請うのだろう。


「……許すも何も、嫌ならとっくに逃げてます」


 マリアは頬を赤らめて言う。


「……、……」

「ロア?」


 ロアは感極まったかのように表情を崩す。


「……マリア、大好きぃーー」


 ロアは急に、いつものテンションに戻り、マリアの胸に顔を埋める。


「ちょっと! 胸は駄目です! それとこれとは話が別です!」

「なんで……あ、パッド入れてたんだね。全然気づかなかった」

「ロアの馬鹿ッ! 入れても入れてなくても同じみたいな言い方しないでください!」

「そんなつもりで言ったわけじゃ! 自然によく盛ってるなって思っただけぷげらっ」


 最終、ロアはマリアに殴られた。

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