領主と幼女3

 * * *

「マリア、今日の寝間着はこれでいいかなあ?」


 マリアをどうにかお風呂に入れた後、ロアはクローゼットの奥から引っ張り出してきた、ロアの少女時代のネグリジェをマリアに着せた。

 流石に幼児期の衣服は残っていないので、せめて現存する一番小さなものを、と思ったが、それでも今のマリアに着せるには随分大きかった。

 襟ぐりは随分開いていて肩からずり落ちてしまいそうだし、裾は床を引きずっている。


「裾踏んで転ばないように抱っこしてあげるね」

「だっこ!」

「ふふふ、だっこだっこ」


 もはやにやけきった顔を隠すことなく笑うロアに、マリアは逆に懐いていた。

 ロアがマリアを抱えて階段を登っていると、マリアがロアの胸に顔を埋めた。


「どうしたの?」

「ロアしゃま、ぱいぱいおっきい」

「そうだねえ。マリアも大きくなるといいねえ」


 ロアがくすぐったさを我慢しながらそう言うと、マリアは満面の笑みで答える。


「おっきくなゆー!」

「……まあ程よい大きさでも全然いいんだけどね」

「? ぱいぱいちいさいほうがいぃ?」

「ごめんごめん、忘れてね。マリアはどっちでもかわいいからね」


 へへ、とマリアは照れ笑いした。


 マリアを抱えたままロアは寝室に入り、ベッドの上に彼女を座らせる。


「マリア、そろそろねんねしようか」

「……ねんね、やでしゅ。まらねむくない」


 だろうなあ、と予想していたロアは、マリアに提案する。


「じゃあ眠くなるまでベッドでお話ししよう?」

「マリアぜったいねむくなやない。ずっとおきてゆもん」

「じゃあロア様もずっと起きてるね」


 ロアはそう言ってベッドに横になり、肩肘を立ててマリアを優しく見つめた。

 すると、マリアはおずおずとロアの隣にぴったりと横になり、澄んだ栗色の大きな瞳で、ロアを見上げる。

 ロアはなんだかくすぐったい思いで、足元の掛け布団を引き上げた。


「ロアしゃま」

「なに?」

「マリアね、いつもこわい夢ばっかり見ゆの。わるいこ、だから」

「マリアは悪い子じゃない。良い子だよ。とっても良い子」


 ロアがマリアの額を撫でると、マリアはくすぐったげに目を細めた。

 それから、どこかこわごわと、上目遣いで尋ねてくる。


「ロアしゃまはマリアのことしゅき?」

「大好きだよ」


 ロアの間髪入れぬ即答に、マリアは恥ずかしそうに頬を染めた。

 ロアの手はマリアの額から柔らかい髪へと滑り、頭を優しくなでていく。

 そうしている間に、マリアは眠くなってきたのか、瞼が半分落ちてくる。


「……あのね、マリア、おっきくなったや、ロアしゃまのおよめしゃんになゆ……」

「うん。待ってるね」

「……やくそく、」

「うん、約束」


 小指と小指を軽く交わす。

 マリアはそのまま、ロアの手にしがみついたまま寝息を立て始めた。


「君がもう怖い夢を見ないように、ずっと傍にいるね」


 ロアはマリアの小さな背中を優しく引き寄せた。




 * * *

「@×▲□×〇$――!?」


 翌朝。

 ロアのベッドの上で目覚めたマリアは、腰から下に何も身に着けていないことに気が付いて、声にならない悲鳴を上げた。


「……あ、マリア。よかった、ちゃんと戻ってる」


 隣で、目をこすりながらむくりと上体を起こすロアに、マリアは間髪入れず頭突きをお見舞いする。


「ぶふぉ!?」


 頭からベッドの下に落ちたロアは、一瞬何が起こったか分からずそのまま天井を仰いで目を回す。

 すると、顔を真っ赤にしたマリアが掛け布団にくるまって涙目でロアを見下ろしてきた。


「っ、どういう状況ですかこれ! なんでこんなサイズの小さい寝間着を着て貴女と寝てるんですかっ!」

「あー、マリア、もしかして昨日のことは全然覚えてないのかな?」

「昨日?」


 マリアは眉をひそめる。

 昨日は、朝から師のところに教会からの連絡便を受け取りに行って、それから……


「そっかぁ、覚えてないのかぁ。残念だなぁ」


 どことなく棒読みな感じの台詞を連ねながら、ロアがよっこいしょと身を起こしていると


「……ますよ」

「え?」


 マリアが堰を切ったように声を荒げる。


「覚えてますよ! 逐一全部! 貴女が幼女相手にだらしない顔をしていたことも、『ロアしゃま』、とか呼ばせて喜んでいたこともッ」

「ええ!?」


 ロアの顔から血の気が引いていく。


「ロリコン! 変態! ここまで変態だとは思いませんでしたッ!」

「ごかっ誤解だよフブッ」


 枕が飛んできてロアの顔にジャストミートする。


「挙句お風呂まで一緒に入って同衾した上に、け、……結婚の約束まで……!」


 『お嫁さんになる』と言ったのはマリアのほうだし、3歳児をひとりでお風呂に入れるほうが危ないのだが、ここで下手なことを言ってはさらに火に油を注ぐ、とロアは瞬時に判断した。


「大丈夫、マリア以外にはそんなことしないから!」

「当然じゃないですかッ!!」


 もうひとつの枕もロアの顔に命中した。

 マリアは火照った顔を隠すように両手で覆い、まるで自身を落ち着かせるように、盛大にため息をつく。

 ここまで取り乱しているマリアを見るのは珍しいことだった。


「……そんなに恥じ入らなくても。可愛かったよ?」

「ロリコンは黙っててください。昨日のことはすべて忘れるように」

「すみませんでした」


 マリアはずるずると掛け布団を引きずってベッドを降り、床に正座しているロアの前を通って寝室を出ていく。


「あ、でもね、マリア。私嬉しかったよ。マリアがお嫁さんになるって言ってくれたこと」

 ――それが、小さな子供の一時の感情だったとしても。


 ロアはマリアに素直にそう言った。

 一方マリアは、つんと顔を背けて部屋を出ていこうとしたが、扉の前で、ぴたりと足を止める。


「…………私も、嬉しかったですよ。貴女が『ずっと一緒にいる』と、改めて言ってくれたこと」


 だから、とマリアはロアのほうを振り返る。


「昨日のことは忘れてください。でも、嘘にはしないでくださいね」


 ほんの微かな笑みを残して、マリアは部屋を出ていった。


「…………」


 急に昇ってくる頬の熱気を抑えるため、ロアは手近にあった枕を掴んで、顔に思い切り押し付けた。


「…………ずるい……」

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