領主と幼女1

「マリア遅いなぁ。お昼前には帰るって言ってたのに」

 その日、朝からマリアはマグナス神父のところへ出かけていて、ロアは昼食の準備をして彼女の帰りを待っていた。

 居間の時計は13時を示しており、そろそろ腹の虫も泣くのをやめてへこたれている。

 仕方がないので紅茶でも淹れて飲もうかとロッキングチェアを立った時


「……?」


 ふと、ロアの耳に聞きなれない声が入る。

 子どもの鳴き声だ。

 声は段々と近づいてくる。

 まるで飛んで突撃してくるような感じで、その声はいよいよ間近に迫り、


 バーン!


「領主様ッ」

「なに!?」


 いきなり背後の、庭に面しているガラス戸が開いたかと思うと、そこには泣き喚いている裸足の幼女を小脇に抱えたリィが、疲れた顔で立っていた。


「マリアがバブった!」

「へ?」


 ロアが戸惑っている間にも、リィが抱えている3歳くらいの少女はバタバタと手足をばたつかせて泣いて暴れた。

 リィが面倒くさそうに彼女を床に下ろすと、やたらシンプルな、それこそ寝間着のような白無地のワンピースを着た彼女はすぐ脇にあったカーテンの後ろに隠れ、泣きはらした目でロアのほうをじっと見上げた。

 その姿――肩までの柔らかそうな髪、栗色の大きな瞳に、ロアは見覚えがある。

 つい先日、ライア・ロビンソンから譲り受けたあの絵の姿によく似ていた。


「……マリア?」

「さっすが、話が早いわ領主様、じゃ、あとはよろしく!」


 そう言って消えようとしたリィの首根っこ、もといチョーカーをロアは慌てて捕まえる。


「待ちなさい。なんでマリアが小さくなってるの」

「そこ気になる? 大丈夫、一晩寝たら元に戻るからー」

「それは良かった。でもどうしてこうなったのかな?」


 ロアの眼が据わっていることに気が付いて、リィは脂汗をかきながら視線を泳がせた。


「話せば長くなるというか、身内の恥って感じなんだけどぉー……」


 リィの話によれば、マグナス神父は以前から、人生に嫌気が差したときに『身も心も幼児に退行する薬』を飲む癖があったらしい。薬の効果は1日だけで、近年は神父もあまりその薬を服用していなかったというが、ここ最近教会から面倒な仕事を押し付けられることが多くなった苛立ちとか娘の自立に対する寂しさから、薬を手の届くところに置いて、飲むか飲まないかの葛藤を続けていたらしい。


 そんな中、今朝マリアが来訪し、非常に上機嫌に対応するマグナス神父を見たとある使い魔が、


『この薬、お弟子殿に使えば主殿ももっと喜ばれるのでは?』


 などと考え、マリアに出したお茶に一服盛ったというのだ。


「その悪魔の名前は?」

「いやね領主様、聞いたら殺しそうな眼で訊かないで! っていうかそこからが私たちも大変だったんだから!」


 縮んだマリアを見て、マグナス神父は当初確かに少し喜んだように見えたそうだが、すぐに我に返ったという。


『後がとても怖い』と。


 そしてまるで心中でもするかのように、彼も同じ薬を通常量の2倍飲んで赤子化した、と。

 主が赤ん坊になってしまい、悪魔たちは大混乱だったそうだ。


「マリアのことは領主様に預けてこいって言われたの。うちってほぼ男所帯じゃない? 私は子守とかできないしぃ」

「色々突っ込みたいけどその判断は賢明だ。今度お礼参りに伺うよ」

「来なくていいわよー! 後はよろしく!」


 リィはそれだけ言って、逃げた。


「……さて」


 ロアはカーテンに隠れるマリアと、目線を合わせるようにしゃがみこむ。


「マーリアたん♪ お昼ご飯まだでしゅか? まだでしゅよね? お姉さんと一緒にサンドイッチ食べましぇんかー?」


 先刻までマフィアみたいな顔でお礼参りなどと言っていた人物が急に赤ちゃん言葉で笑顔をふりまく。

 そのせいもあるのだろうが、幼いマリアはびくりと肩をふるわせて、カーテンをさらにぎゅっと握った。


「そんなに怖がらなくても大丈夫でしゅよ~」


 ロアは出来る限りの笑顔で、マリアの顔を覗き込む。

 とはいえ段々と不審者の気分になってきた。

 すると、マリアが涙目で、ごくごく小さな声で訴える。


「……おしっこ」

「へ?」

「トイレ、どこ……?」

「トイレ!? トイレ!」


 トイレは呼んでも来ないので、ロアは慌ててマリアを抱えて走った。




(……トイレひとりで行ける子で良かった……)


 謎の安堵をしつつ、ロアはテーブルの向かいに座ってサンドイッチを頬張っているマリアをじっと見つめる。

 いつも使っている椅子では高さが足りないので、クッションをいくつも積み重ねた上に彼女は座っている。


「おいしい?」


 ロアの問いかけに、幼いマリアは少し躊躇いつつもこくりと頷く。

 お腹が減っていたのだろう、小さな頬を精一杯膨らませてサンドイッチを咀嚼する姿はまるでリスのようで。


(はあああきゃわいいい! 知ってたけどきゃわいいいい)


 マリアに一服盛った悪魔への復讐はとりあえず置いておいて、ロアの頬は完全に緩み切っていた。

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