領主と女中と満月の夜3

 ベッドに横になる前から、ロアの妙な緊張をマリアもひしひしと肌で感じていた。


 吸血行為自体は以前から、もう何度も行っている。

 今夜はたまたま、こういう体勢になっただけで、すること自体は今までと、決して変わるわけではないのに。


 今夜はやはり、違った。


 ロアの舌遣いと牙の立て方はいつもより少し荒く、それでいて血を吸い上げる唇は執拗なほど優しい。

 身体の距離もいつもより近く、吸血に夢中になっているロアの右手はいつの間にかマリアの腰をしっかりと抱いていた。左手はあろうことか彼女の胸の膨らみの下部に、半分手がかかっている。少し動けば寝間着から胸があらわになってしまうだろう。

 それが気になって妙な羞恥心も芽生えていき、かといって下手にも動けず、もどかしい思いを我慢できずに息を漏らせば、自分でも驚くほど艶のある声が出た。


「……っ」


 それが余計に恥ずかしくて、マリアはきゅっと、ロアのシャツの胸元を握る。

 するとロアは一度肌から唇を離して、熱に浮かされたような紅い瞳でマリアの顔を覗った。


「……痛い?」


 マリアは真っ赤な顔でふるふると首を振る。


「……手の所在がなくて」


 それを聞いたロアは、頬を上気させたまま軽く微笑む。


「背中に回してくれると嬉しいな」

「……、こう?」


 マリアがおずおずと、両手をロアの背に回す。

 それによってさらに二人の距離が縮まったような気がした。


「……もう少しだけ、我慢して。でも」

 声は我慢しなくていいよ、と。

 ロアはマリアの耳元で囁いた。


 マリアが真っ赤な顔をさらに赤くして抗議する前に、ロアは再度彼女の胸に吸い付いた。


「んっ……」


 首筋を噛まれる時は、マリアからは決して見えなかったロアの表情が、今夜だけは垣間見える。

 目を細めて、時には瞼を閉じながら、とても愛おしそうにロアはマリアの肌を吸う。その表情はいつにも増して色っぽくて、同時に何故か庇護欲を掻き立てられる幼さも感じられた。


 こんなにも求められているのだという感慨に、胸の奥がじんと疼いて熱くなる。

 同時に、マリアは少しだけ怖くなった。

 今は血を吸われているのだということを――その現実を忘れてしまいそうなほど、この状況に酔ってしまっていることに。


 マリアの胸にかかっていたロアの左手が少し動いて、またも変な声が零れそうになった唇をマリアは必死に結ぶ。自然とロアの背中に回した指先に力がこもった。

 すると今度はロアの身体が一瞬強張る。

 痛かったのかもしれないと、マリアは慌てて謝罪した。


「ごめんなさ……」

「ううん、もっとぎゅってして」

「、」


 マリアは少し躊躇いながらも、腕に力を込めてロアを抱擁する。

 すると、激しかったロアの舌遣いは次第に穏やかなものになっていき、終盤には、この時間が終わるのを惜しんでいるかのような、そんな緩慢な動きに変わっていた。


 そうして、血も吸い終えたと思われた頃。


「……ねえ、ロア」


 マリアはまるで子供を寝かしつけるかのような手つきで、ロアの髪を撫でながら呟く。ロアは微かに首をもたげ、耳を傾けた。


「やっぱり胸は駄目ですね」

「……ッ」


 ロアはガバリと顔を上げ、泣きそうな眼でマリアを見た。


「ごめん、やっぱり痛かった? それとも気持ち悪かった? 胸触ってた?」


 触るどころか最後揉んでましたよ、と言いたいのをぐっと我慢して、マリアは苦笑いを浮かべる。


「逆です。貴女に血を提供する行為にしては、なんというか、けじめがないというか、」


 つまり『ふしだら』、ということだろう。ロアはまさしくその通りでございますと言わんばかりの暗い顔をして目を伏せた。


(でも『逆』って、どういう意味……)


 ロアが思いを巡らせる前に、マリアはロアの身体を押し退けるようにぐっと上体を起こして、逃げるようにベッドから立ち上がった。

 ロアに背中を向ける形で、マリアは消え入りそうな、ごくごく小さな声で呟く。


「だから、胸を噛むのも、腕を回すのも、それ以外のときでお願いします」


 さっきまで血の気が引いていた顔に、急に血が上ってくるのをロアは感じた。


「マリア、それって、」


 マリアはそれ以上言わせず、どこに隠し持っていたのか突然手裏剣をちらつかせた。


「早く出て行ってください、今から消毒とか着替えとか、いろいろありますから」

「えっ、あっ、はい」


 ロアは慌てて、逃げるように部屋の外に出た。

 扉が閉まるのを確認してから、マリアはふうと、息を吐く。


 姿見には、真っ赤な顔の自分が映っていて、はだけた寝間着から覗く胸元には、しっかりと赤い痕が残っていた。


「……これはまた、長い時間残ってしまいそうですね」


 そうこぼしたマリアの口元が綻んでいたこと、そして自室に戻ろうと廊下を歩いていたロアが動揺のあまり柱にぶつかったことを見ていたのは、窓から覗く大きな満月だけだった。

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