領主と女中とバーベキュー

「マリア、今日は外でお昼を食べない?」


 ある朝。唐突なロアの提案に、マリアは首を傾げた。


「外食ですか?」


 ボルドウには地元の住民が集う大衆食堂のようなお店しかなく、流石にロアが行くと目立つのでは、と思ったが、ロアは首を振った。


「昨日の晩、納屋を整理してたんだけど、新品のコンロが出てきたんだよね。使わないで捨てるのももったいないから、庭でバーベキューでもどうかなって」


 そういう意味か、とマリアは納得した。


「構いませんけど、私、バーベキューなるものをしたことがなくて、何を準備すればよいですか?」

「基本、お肉とか野菜を焼くだけだし、今日は私が準備するからマリアはゆっくりしてて。楽しみにしててね」


 意外なことに、ロアはバーベキュー経験者だったらしい。

 彼女は上機嫌に厨房へ入っていった。




 ** *

 クロワ家の屋敷の庭には多くの木が植わっている。その木々のせいで、門の外からは陰鬱な館に見えるのは事実だった。

 しかし今日はその木々のお陰で、夏の強い日差しがちょうど良い具合に緩和され、バーベキューにはもってこいの環境となった。


 炭に火をつけるのに少し手間取って、いつもの昼食の時刻を大きく回ってしまったが、どうにかふたりは昼食にありつけた。


「美味しいですね。具材をただ焼いただけなのに、外で食べると雰囲気が出るというか」


 そう言ってマリアは玉ねぎと牛肉を刺した串にかぶりつく。

 それ以外にも、ロアが準備したじゃがいものバターホイル焼き、カマンベールチーズのベーコン巻き、海老ときのこのアヒージョが網の上に並べられている。とても豪華な昼食だった。


「マリアが作ってくれた『焼きおにぎり』も香ばしくて美味しいよ。ソイソースにつけて焼くとか、考えた人は天才だね」


 マリアがおまけで握ってくれたおにぎりを、ロアは幸せそうに頬張った。


 ひとしきり食べた後、これまた納屋から引っ張り出してきたらしいドリッパーで、ロアはコーヒーを淹れる。


「マリアはミルク入れるよね?」

「あ、いえ。せっかくなのでそのままいただきます」


 マリアはマグカップを受け取って、レンガ造りの花壇の縁に座る。

 ロアも座るのかと思いきや、彼女はまた、足元の袋を漁りだした。


「ロア?」

「最後にデザート。やっぱりこれがなくちゃね」


 ロアがそう言って取り出したのは、マシュマロだった。


「焼いて食べると何倍も美味しくなるんだよ。先生に教えてもらったんだ」


 ロアはマシュマロを串にさして、残った火の上でそれを炙った。

 しばらくすると、白いマシュマロの表面にこんがりと焼き目がついてくる。


「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」


 マリアは串を受け取って、息を吹きかけながら慎重に口に運ぶ。

 口に含んだ途端、マシュマロの中身がとろりととろけ、中からチョコレートが溶けだす。

 初めての食感に、マリアは思わず目を見開いた。


「すごく美味しいです」


 少し無理をして飲んでいたブラックコーヒーの苦さを忘れる甘さが口の中に広がって、マリアの顔は自然とほころんでいた。

 そんなマリアの表情を見て、ロアも満足げに微笑む。


「まだいっぱいあるから、沢山焼くね」

「いえ、今度は私が。ロアも座ってください」


 マリアは立ち上がって、ロアの手から串を取り、マシュマロを刺した。


「焼き加減、ちょっと難しいから気をつけて。焼きが甘いと美味しくないし、油断するとすぐ焦げちゃうから」


 ロアはそう言ってマリアの後ろに立ち、串を持つマリアの手を握る。

 少し以前、マリアが包丁の扱いに慣れていなかった頃は、厨房でよくこんなことをしていた。


「もう、子供じゃないんですから」

「あ、ほら、マシュマロに火がついちゃったよ」

「わ、ちょ! 見てたなら止めてくださいよ!」


 マリアは慌てて串を振る。

 そんな様子を見て、ロアは珍しく声を出して笑った。


「楽しいね」

「……そうですね」



 ** *

 ボルドウの郵便配達員マックス・フロイトは、今日も規則正しい時間に各戸を自転車で回っていた。

 彼がいつものルートで領主の屋敷の前を訪れると、何やら香ばしく良い匂いが辺りに漂っていることに気が付いた。

 勿論、こんなことは初めてだ。


 目を凝らして門の奥を見てみると、木々の隙間から、領主と女中の少女が楽しげにバーベキューをしている姿が目に入る。


(あ、無理。目が眩しさでつぶれる)


 晴天の下、緑に囲まれる庭の中で、麗しい女性と可憐な少女が寄り添って楽しげに談笑しているなど、もはや天国だった。

 むしろ秘密の園か。


 マックスはそれを覗き見てしまったことに罪悪感すら覚えた。

 せめて、絶対に邪魔をしたくない。


 ただ猛烈にそう思ったマックスは、たとえ自身の退社時間が遅くなったとしても、時間を置いてから再度配達に来ようと決めた。


 手に持っていた領主宛ての手紙を再度鞄にしまい込み、マックスがペダルを漕ごうとすると、道の向こう側から見知らぬ男性が歩いてきた。

 この屋敷の前を歩く街人はそうそういないので、マックスは思わずその人物をじっと見てしまう。

 男性のほうも、マックスに不審げに見られていることに気が付いたのか、被っていた帽子をとった。


「こんにちは。配達ご苦労様」


 爽やかにマックスに挨拶してきたその若者は、一言で言うとイケメンだった。

 マックスは慌てて帽子をとって、挨拶を返す。


 洗練された背広姿、美しく整えられた金髪に碧眼。ボルドウの田舎にはいない、垢ぬけた若者だった。きっと都会に住んでいる、裕福な家柄の者なのだろう。

 領主の屋敷に用事があるのか、彼は門の前で立ち止った。


(うぉおおいあの顔面偏差値高い兄さん、客かよ! 入っちゃうのかよぉ!? やめてくれ、あの空間を壊さないでくれーー!)


 マックスは心の中で必死に叫んだ。

 実際、腕は半分伸びていた。


 すると、その若者は門の中には入らず、くるりと身体の向きを変えた。

 そして、変なポーズで硬直しているマックスに歩み寄り、苦笑しながら彼に話しかける。


「あの、明日でいいからこの封書をこのお屋敷に届けてくれないかな」


 彼はそう言って、切手代とチップをマックスに握らせる。


「え、あ、いいんですか? 手渡さなくて」


 そう願っておきながら、マックスは思わず尋ねてしまった。


「もともとは郵送しようと思っていたものなんだ。近くに寄っただけで」


 彼は柔らかな笑みを湛えてそう言って、再び来た道を去っていった。


(……中身までイケメンかよ……)


 感動したマックスは、彼の背中を見送った後、受け取った封書に視線を落とす。


 送り主の名はアルフレッド・ルクルス。

 とても丁寧で綺麗な筆跡だった。

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