第8話 隠された火種


「ぶふぉははははははははっ!!」


 むすっとした顔のリリヤを指差し、デリックはげらげら笑っていた。


「カラーチャート! ペイントソフト開くと出てくる色見本みてえ! ぶはははははははは!!」

「例えがわからないわよ機械オタク! 許嫁がペンキまみれになってるのがそんなに面白い!?」

「あんまり動かないでください、姉さん。ペンキを拭き取れません」

「うう~……!」


 極彩色に染まったリリヤの顔を、妹のレイヤが甲斐甲斐しくタオルで拭いている。

 敵情視察とばかりに体育館を覗いてみると、ちょうどリリヤがカラーチャート状態になったところだったのだ。

 いつも自慢げに見せびらかしている白い肌や金色の髪は見る影もなく、非常に愉快である。


「おいおい誰だよ、お前をこんなにした稀代のアーティストは! そいつの作品としてコレを創立祭の目玉にしようぜ!」

「コレとか言うな! 何もないところから突然ペンキが降ってきたのよ……! どこの無礼者が犯人なんだか!」


 リリヤがキッと周囲を睨むと、他の精霊魔術研の生徒たちがそそくさと逃げていった。

 それからリリヤは、どんよりとした暗い炎を瞳に宿らせ、デリックを睨む。


「……まさか、あんたじゃないでしょうね……」

「オレだったらペンキじゃなくて煮えた油をぶっかけてるぜ」

「それもそうね」

「それで納得しちゃうんですね、姉さん……」


 レイヤが少し呆れた顔をした。

 彼女もまさか、デリックとリリヤが本気で互いを殺す機会を狙っているとは思うまいが、この程度のジョークにはとっくに慣れっこのようだ。

 デリックは体育館の中央に進む。


「この辺か?」

「ええ、そうよ。その辺でペンキが降ってきた」


 天井を見上げて、魔力感覚をそばだてた。


「……なるほどな」

「あんたも感じる? わずかな魔力の残滓を」

「ああ。実はオレもさっき、ちょっと脅かされてな」


 その話に関して思い当たることもあって、リリヤを尋ねてきたのだ。


「魔力の残滓? ……ということは、魔術を使った悪戯、ということですか?」


 むうと唇を曲げるレイヤ。真面目な彼女は、悪戯なんてけしからん、とでも思っているのだろう。

 しかし、事はそう平和的ではない。


 デリックは魔力信号を飛ばして、リリヤの精神にノックをした。

 リリヤはちょっと嫌そうな顔をするものの、体内魔力が巡る回路――霊子経を開放して、念話に応えてくれる。


(……何よ。これイヤなんだけど。あんたに頭の中を覗かれてるみたいで)

(実際、霊子回線を使って脳を直結してるわけだしな。でも内緒話には最適だ)

(この悪戯に心当たりでもあるわけ?)

(お前もあるんだろ? ……病院の火事だよ)


 リリヤが火事の光景を思い起こしたのを感じた。念話中は限定的ながら相手のイメージが伝わってきてしまうのだ。


(ええ……。私もこれで思い出したわ。確かに記憶を掘り起こしてみると、火事のときにも似たような魔力残滓を感じたと思う)

(魔力で溢れ返ってた神代を生きたオレたちだからこそ気付けた程度だがな。魔力検知器を使っても検知できないかもしれねえ)

(最近、学院で起こってるっていう悪戯と病院の火事の犯人が同一人物ってこと?)

(勘に近いけどな。……どうにも、見過ごしちゃいけねえような気がする)

(あなたの勘って、うざったいほど当たるのよね……)


 リリヤはコンマ数秒だけ思案を巡らせる。


(――わかったわ。今夜……はさすがに怪しすぎるから、明日辺りに調べてみましょう)

(手回しは頼んだ。ペンキの匂いちゃんと取っとけよ)

(ええ、もちろん……ちゃんとお風呂に入っておくわ)

(んげっ)


 反射的に思い浮かべてしまったイメージを慌てて打ち消した。が、時すでに遅し。

 リリヤがにやにや笑う。


(本当の私の裸はもっと綺麗よ? 変態)

(……このアマ)


 辱められっぱなしでは終われない。


(えっ……? あっ、いやっ、そんなっ……嘘でしょっ? いやいやいや、そんなところ見せたらっ……! ダメ、ダメダメダメっ! やめてその妄想ーっ!)

(本当の変態ってのはこういうのを言うんだ、よく覚えとけ)


 顔を真っ赤にしたリリヤをにやにや眺めながら、デリックは念話を打ち切った。





 半分以上が火事で焼けた大病院は、社会に取り残されたようにひっそりと静まり返っていた。


「……必要だったのか、この変装?」

「学生服で行くわけにはいかないでしょ?」


 いつもと違って、長い金髪をアップにしたリリヤは、ビジネススーツに身を包んでいた。

 タイトスカートから白い足をすらりと伸ばし、靴はシックな色合いのヒール。

 何の変哲もない格好ではあるが、リリヤが着るとどんな服でも様になる。


「あんたも意外と似合ってるわよ? 産業スパイみたいで」

「そこは普通のスパイでいいだろうが。……こういうパリッとした格好は落ち着かねえんだけどな」


 デリックはネクタイの結び目をいじりながら顔をしかめる。

 こちらもこちらでベンチャー企業の若社長のような雰囲気をまとっていた。

 前世から数えての人生経験がそうさせるのか、二人とも格好を変えただけで見事に学生らしさを消去している。


「さて、そろそろ行くわよ。話を適当に合わせて」

「あいよ」


 病院の入口には男の見張りが二人立っていた。

 背中から生えた白い翼はアンジェリア人の特徴だ。それに純白の制服と、右手に携えた長い警棒――エドセトアの治安維持組織・《天見隊アイズ》の隊員だろう。

 デリックとリリヤが近付くと、天見隊の男たちはぼうっとした顔になった。

 視線を追えば一目瞭然だ。リリヤに見惚れているらしい。


(見た目だけは完璧だからな、この女。前世に続いて運のいいこって)


 天見隊の男たちはハッと表情を作り直し、固い声でデリックたちに告げた。


「現在、この病院は一時閉鎖中です。何かご用でしょうか?」

「私たちはこういうものです」


 リリヤがしれっとした顔で偽造した社員証を提示した。それは実在する建築物管理会社のものだ。


「モーテンソン・クリニックの依頼を受けまして。今後同じような火災を起こさないようにと。そのための調査に参りました。許可はいただいております」


 続けて偽造許可証を見せるが、見張りの男たちの顔つきはあまり変わらなかった。


「そのような話、聞いていないが……」

「なにぶん急なお話でしたので」

「ふむ……。まあ、許可証があるのなら……。しかし、中はまだ危険です。我々も同行することをお許し願いたい」

「……ええ。もちろんです」


 ここはリリヤが折れた。その顔に『意外と用心深いわねこの公僕ども』と書いてあるように見える。

 デリックもそうだが、リリヤは基本的に天見隊を――というより、アンジェリア人を信用していないのだ。


(神代じゃ見たことねえんだよな……こんな天使みたいな翼のある種族)


 アンジェリア人に会うたび過ぎる疑問を横に置きつつ、先導する天見隊員たちについていった。


 病院の中に入る。

 下層階は綺麗なもので、焦げ跡ひとつない。さすがにエレベータは動いていないが、すぐにでも受診を再開できそうに見える。

 しかし、階段を三つほど上がったところで様子が変わってきた。

 真っ黒に焦げたリノリウムの床や壁。凄惨な火事の爪痕に覆われている。


「足元にお気をつけください」


 荒れた廊下を進むのは、ちょっとしたダンジョン気分だった。

 前世で仲間たちと共に地下迷宮に挑んだのを思い出す。


(あのときは一人が落とし穴に引っかかって、大変な目にあったっけな……)


 今や名前を思い出すこともできない仲間のことを懐かしみつつ、革靴でひょいっと瓦礫を飛び越えた。

 すると、天見隊員の男二人が、怪訝そうな顔でこちらを振り返る。


「……そのようなスーツ姿で、よくこの廊下を簡単に歩けますね……?」

「そちらの方はスカートにヒールだというのに。何かスポーツでも?」

「え? ええ、まあ……運動は得意なほうで」


 あはは、と笑って誤魔化すリリヤ。いつも魔術の風に乗って空を飛び回っているので余裕ですとは言えまい。


「こちらが出火場所と見られます」


 デリックは案内された部屋のプレートを見上げる。


「精霊管理室ですか」


 病院内で使役される看護精霊バンシーを管理制御する部屋だ。エルフィア式の病院なら必ず一つは存在する。


「こんなところから出火……?」

「火元になるようなものはなさそうだけど……」

「そこが奇妙なところでして。……どうぞ中へ」


 精霊管理室には、デリックの背丈を超える大きな霊子演算機コンピュータと、それを操作するコンソール、そしていくつものディスプレイがあった。

 ディスプレイの数は12。普段はこれらに、バンシーが収拾した患者のデータが表示されているのだろう。


「……データの管理には機械魔術を採用していたのね」

「柔軟だな。さすがは世界に名だたるモーテンソン・クリニックってところか」


 だが、そのすべては、猛烈な炎の熱によって破壊されてしまっていた。12のディスプレイは真っ黒な画面を映すばかりだ。


「もしかして、出火原因はこのコンピュータの熱暴走か?」

「いえ。厳密な出火地点はこちらと思われます」


 と、天見隊の一人が何もない床を指差した。


「見ての通り、何もありません。それゆえ我々も、出火原因を特定しかねているのです」

「ふうん……」


 デリックとリリヤは、二人して出火地点の床にしゃがみこんだ。


「……やっぱりだ」

「ええ。わずかだけど魔力残滓を感じる。魔術による放火ね」

「え?」


 目を丸くする天見隊員たちを無視して、二人は話を進めた。


「やっぱり学院の悪戯に似てるな。霊子への魔力の通し方が」

「でも、ここのほうがまだ手慣れてない感じがするわ」

「そうだな。これだけ時間が経っても残滓が散ってないってことは、無駄な魔力が相当多かったってことだ。……これだけの建物を燃やせる技術があるのに、体内魔力の扱いに精通してなかった?」

「なんだか奇妙ね。ちぐはぐというか……」

「ちょ、ちょっと待ちたまえ!」


 焦ったような調子で、天見隊の男が口を挟む。


「我々が特定できなかったことを、なぜ一目で……? きみたちは、いったい……!?」

「建築物管理会社の者です。?」


 リリヤが浮かべた笑顔は胸に焼きつくほど綺麗なものだったが、それゆえに絶大なプレッシャーを宿していた。

 天見隊の男二人は、ゴクリと息を呑んで口籠もる。

 その隙に、二人はさらに議論を進行した。


「なんでここを出火元にしたんだと思う?」

「そうね、そこが問題だと思う。もっと出火元に相応しい部屋は他にあったはずよ」

「ここじゃ他に火元がなさすぎて、魔術による放火だってバレるのは時間の問題だった。なのに、あえてここに火を放った理由――」

「何か焼きたいものがあったから?」


 その一言と同時、デリックとリリヤは顔を見合わせた。

 それから視線を移すのは、熱でスクラップと化した大きなコンピュータ。


「そうか。このコンピュータだ! 火事自体はおそらく目眩まし。狙いはこの中身にある!」

「完全に壊れてるけど、中身を見られたりするの?」

「データそれ自体は残ってる可能性がある。ちょっと待て……」


 デリックは巨大な直方体のコンピュータに近付くと、手で触れて微弱な電流を流した。

 電流はマシン内の霊子回路を駆け巡る。その流れには一定のパターンがある。これがつまり、保存されたデータを構成する信号だ。

 デリックは自分の情報端末ブラウニーを取り出すと、読み取ったデータを復元ソフトにかけた。


「……よし……。いけるぞ。大部分は壊れてなさそうだ……」

「私にも見せて!」


 ブラウニーの画面にいくつものファイルが表示されると、リリヤが横から覗き込んでくる。

 復元されたデータはかなりの量だったが、その中でも真っ先にデリックの目についたものがあった。


「これは……監視精霊の映像記録だ」

「なにっ!?」


 突然、天見隊の男の一人が驚いた声を発した。


「それは本当か!? 実は、火災当夜の監視映像が一つも残っていないんだ!」


 デリックは無言でリリヤと視線を交わす。


「……怪しいわね」

「……見るしかねえな」


 保存された映像記録は、ちょうど火事が起こった頃のものが最新だった。

 それを再生する。

 荒い画質で映ったのは、おそらくこの部屋――精霊管理室の入口を映したものだ。

 ……火事はまだ起こっていない。

 医師や看護師が、何人も扉の前を行き交う。

 そして――一人の人間が、精霊管理室の中に入った。


「…………!!」

「…………!?」


 デリックも、リリヤも、息さえ忘れて、ただただ目を見張ることしかできなかった。

 ありえない。

 こんなことは――ありえない。



 ――バタンッ! と音がした。



「えっ?」

「扉が……!?」


 振り返る。開けっ放しにしていたはずの扉が閉め切られていた。

 タッタッタッ……。

 扉の外で、軽い足音が遠ざかっていく。


「くっ……!? あ、開かない!」


 天見隊の男が扉に飛びついたが、ビクともしなかった。

 示される事実はひとつ。


「……閉じ込められた……?」


 デリックは、すんっ、と鼻を鳴らした。

 何か、変な匂いがした。

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