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トールが悪魔に落とした落雷にはじかれ、神殿 入口の横に手を着いた男が、神殿へ入っていく別の男 二人を見上げた。


“ぎしきを” と、唇を動かした男は

差し出された四郎の両手を取らず、卵... 四郎とロキの血液入りのものを指した。

黒い蔓が巻き付いていることから、卵が 四郎やロキの身代わりになっている と分かっているようだ。


神殿に入った男の 一人が、稲藁の束を抱え

もう 一人が、陶器のジャグを持って戻った。

ポットくらいの大きさで、木製の蓋が付いている。オイル用のものだろう。


二人は、四郎の前... 燔祭の祭壇の前へ進むと

片手にジャグを持った男が 四郎の両手を降ろさせ

“ばしょを”... と、四郎に移動するように頼んでいる。


「ボティス」


皇帝に呼ばれた ボティスが

「声を返す」と 術を解いた。


ボティスの前に立っている男が

「何故... 」と 声を掠れさせ、咳払いをすると

「ここへ来た?」と聞いた。

稲藁を運んで来た男は、束ねた紐を解き

祭壇の上に藁を広げている。


これが 身代わりになっているのだろう?」


「子を産んだ女を 天に戻すためだ」と

ミカエルが答えると、男は

神母しんぼを?」と、声の方に顔を向け

そのまま ミカエルを見つめている。

四郎を見ていた内の何人かも、男の視線を追った。


「気が付きはじめたんじゃないか?」


また ミカエルが口を開くと、青銀の眼が 次々と

ミカエルに向いていく。


「不自然さに。

木や根に変形する者もいる。燃え尽きる者もいる。

お前達に融合したのは、“完全” と呼んでいる 異界の何かの 一部だ」


口を開きかけたヤツもいたが、結局 何も言えず

ミカエルが続ける。


男たちには、影人が融合しているだけでなく

キュベレも影響もしている。

影人が重なった時も、何も疑問に感じず 危機感もなく受け入れ、融合すると “完全” の意志に従う。


けど 今、元の霊の部分は、創造主の使いであるミカエルの言葉で、自分の意識で考える ということを 取り戻しつつあるようにみえる。


「何故、女が産んだ子供を、まことなる神と呼ぶ?

世界の創造主は父で、子供を産んだ女じゃない。

女は、その被造物を破壊する者だ。

今、ソゾンの肉体と生の魂に 完全という者が融合しているのだとしても、子供の父親は ソゾンという北欧の神であって、完全という者じゃない。

何故、女の子供が 真なる神なんだ?」


「神殿の中で、ソゾンの息子 イヴァンの四肢が落とされた時や、共に居た仲間が 真なる神という子供の食事となった時、違和を感じた者は?」


神殿の上から ヴィシュヌも聞くと

何人かの表情に動揺が浮かぶ。

イヴァンの四肢の切断、仲間が キュベレの子に

血を飲まれて 砂に崩れた時に 何か感じたのか、

何も感じていなかったのなら、その時の自分に驚いているのか だろう。


「でも... 」と、口を開いた男が

思い切ったように「もう、戻れない」と 続けた。

まだ、十九か 二十歳くらいだ。


「解るんだ。

それまでの自分とは 違うものになってしまった」


戻れない なんてことがあるか?

気付きはじめたんだ。どうか諦めないでくれ と

祈るような気持ちになる。


「これまでも、しっかり “自分” というものも 持ってた訳じゃなかった。

何かを選ぶ時、有名 とか、人気がある って言われてる方に流されたり、誰かの意見が 大勢の人から支持されていたら、その意見に同調して、自分の考えのように錯覚したり。

“考える” ってことを、きちんとしてきていなかったし、自分の本心すら押し殺す事もあった。

ただ、神殿の中で、イヴァンが 足を切られた時は

疑問を感じたんだ。

だけど、それも すぐに薄れて消えてしまった。

あの白い森に戻れば、今こうして思ったことや

感じたことも 忘れてしまう」


「いいや。今まで、融合された後に

そう考えられた者はいなかった」


ヴィシュヌの言葉を背に受け

「生まれた地上で生きてほしい。父は、お前達を愛している」と言うミカエルに 順に見つめられ

何人かは俯き、何人かは落ち込んだような表情になった。


「自分の中にある、自分ではない と思うものを

意識出来る?」


ヴィシュヌが聞く。... が、その下、神殿の前に

座り込んでしまっていた男から、湯気や煙が吹き出し始めた。

悪魔がトールの雷に撃たれた時に、近くに居て

はじかれてしまった人だ。


消えて移動した ミカエルが 男の隣にしゃがみ

背に手を宛てているが、男は 両手でシャツを掴んで 噎せながら煙を吐き、真っ赤な顔になって

額や腕に血管を浮かせた。


「や、ちょっと... 」と 走ろうとすると

「何も出来ん」と、トールの でかい手に肩を掴まれた。四郎の手首も ボティスに掴まれている。

肉の焦げる匂いが漂い、胸や背からも煙が上がった。噎せる口から 炎の色が覗く。

アコは、“内臓から燃える” と言っていた。

こうやって...


「完全 が」と、祭壇の前に居る男が口を開いた。

「“真なる神が、贄を望んでいる” と」


一人 発火させたのは、早く儀式をやれ という合図か... 男のシャツが熱で焦げていく。

変形していないので、朋樹が伸ばす 白い赦しの蔓も巻き付かない。

赤く茹で上がった胸には 黄色い亀裂が浮かんだ。

平原ヴィーグリーズで見た 熱の地面のように。


「見てられねーんだけど... 」

「ミカエル」


ルカが言い、ジェイドが声を掛けるが

皇帝が「天使は、人間に手を下せん」と言った。

グツグツと煮え立つ音。

腹から上がった炎に巻かれていく。

それなら... と、皇帝に顔を向けちまって

自分に嫌気が差した。

それなら殺ってやってくれ と思ったからだ。


これは 人間オレの仕事だ。ピストルに手をやると

「今 手を下せば、夜国側が侵入に勘づく」と

皇帝に止められる。

なら、見てるだけしかねぇのかよ?


「霊が顕れないのは、オレらが 天空霊や精霊で

囲み込んだからなのか?」


焼け焦げていく人を見つめたまま 朋樹が言うと

「いいや。あの男は ミカエルやヴィシュヌの話を

言葉としてではなく、音として聞いていたからだろう」と トールが振り返り、横顔を見せた。

音として ってことは、言葉の意味が届かなかったのか...


「それに」と、ロキも口を開く。

「誰も “生きたい” と思ってないわ」と

色が移り変わっていく ステンドグラスを思わせる眼に 男たちを写し、儚げな顔をした。


炎が燃え尽き、座ったまま黒焦げの遺体になった男は、背に添えられたミカエルの手を残して

ボロボロと崩れ落ちていく。胸が軋る。

地面に落ちると消え、地面と接している 腰や脚も

沈むように失われていく。

存在の跡は何も残されないようだ。


「儀式を」


燔祭の祭壇の前に立つ男が言い

黒い蔓が絡んだ卵を、稲藁の上に載せた。

ジャグを持った男が オイルをかける。


「真なる神は、肋骨と内臓しか食わない。

血を抜き、四肢は燃やすように言われている」


ポケットから取り出したマッチを擦ると、稲藁に火を落とし「瓶を」と、別の男に指示している。

指示された男が神殿に入り、麦酒の瓶を持ってきた。ケシュムで見た、最初の瓶だ。


空に見えた瓶が、台座に設置されると

静かな発泡音を立てて 麦酒が湧き出した。

瓶の縁から溢れそうになっている。


また別の男が神殿に入り、柄杓を持って出て来ると、マッチの火を落とした男に渡した。

両手で受け取った男は、柄杓を頭上に掲げて 一礼し、瓶から麦酒を掬う。

稲藁の火の中の卵に それを掛けた。


「その瓶を渡して欲しい」


祭壇の方へ歩くミカエルが、柄杓を持つ男に言い

「“奪われた” と 報告するといい」と

ヴィシュヌが添える。


男は「あと 二度、贄に掛ける必要がある。

こうすると、肋骨と その中身が残る」と 柄杓で

麦酒を掬う。

“瓶を渡す” とは言わなかったが、断りもしなかった。


炎の中に、赤い煙が立ち上がった。 

人のかたちをしている。四郎とロキだ。

赤い煙の二人は、燔祭の祭壇を離れ

神殿に入っていった。


「贄の儀式をした事は、完全や 真なる神に伝わった」


溢れんばかりだった瓶の中の麦酒が引いていく。ミカエルが「四郎」と呼ぶと、四郎は瓶に近づき

「失礼致します」と、瓶の縁に手を掛けた。


「宜しいでしょうか?」


瓶の前で柄杓を持つ男が微かに頷くと

両手で瓶の縁を掴んだ 四郎が瓶と共に消え

神殿の上に顕れる。

エデンに運び込むためだ。


素焼きの瓶の高さは、四郎の腰くらいの位置だった。空でも 40kgから50kgの重さはあるだろう。

階段が顕現し、ゲートからザドキエルが降りたが、瓶には触れられていない。

手伝ってやりたくても、確実に エデンの階段を昇れるのは 四郎だけなんだよな。


「他の儀式の場は?」


エデンの階段の下、神殿の上から

昇って行く四郎を庇うように立つ ヴィシュヌが聞くと、男は 首を横に振り

「隠せなくなったことで、儀式は早められた」と

答えた。


奈落で秘禁を掛けてから、天使避けや異教神避けが効かなくなった。

急遽、地獄ゲエンナや この場所のように、悪魔や蛇女ナーギーを使って障壁を造ったが

「これでは、“立ち入れない場所にはならない” と聞いた」ようだ。

障壁を焼き崩して入ることが出来てしまう。

けど、こうして 最初の麦酒の瓶の回収も出来た。


「瓶の中に湧く麦酒が 泉に混ざることがなければ

地の水が共鳴することもなく、他の場に泉が湧くことも 神殿が建つこともない」


ケシュムの儀式の場で、神殿から出て来たヤツらが、“水は どことでも繋がっているだろう?” って言ってたもんな。


別の場所に泉が湧いたり 瓶が顕れたりするのは、

最初の瓶の麦酒が 泉の水に溶け入って、更に地中に溶け入るから ということらしい。

神殿が建つのに都合が良い場所... 影人と融合した人が多く居る場所に 泉が湧くのだろう。


ルカが小声で「この人さぁ」と、オレの方を見て

「これだけ話しちまっていいのかな?」と 心配そうに言う。首を傾げて返したけど、そうだよな。

卵を焼いた儀式で キュベレ側を騙して、聞かれる以上のことも話している。

オレらから “瓶を奪われた” って言えば通用するのかもしれねぇけど...


「女や子供が、こちら側へ出て来ることは?」


ミカエルが聞くと、男は「滅多にない」と返し

「だが、翼人あくまも戻っていない。

このまま 我々も戻らなければ、再び 誰かに様子を見に」まで話した時、男の隣、燔祭の祭壇の前に

藍衣のフードの男が顕れた。

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