43


えーっと...  なんで 入っちまったんだ?


「泰河?!」

「おい!」


背中にボティスの手の気配。

振り向いていないのに、ボティスという気がした。 暗闇に歩を進める。ブーツの底には

細かい砂が固まった地面の感触。


「泰河!」

「どこに居る?!」


なんだよ、すぐ近くに居るじゃねぇか。


頭ん中で ぼんやり答えながら、まだ歩いた。

もう 奥の壁に着くはずだ。

なのに、オレは森に居た。


どこだ? ここ...


背の高い杉の木が立ち並ぶ。

赤混じり、穏やかな茶の 縦に裂ける樹皮。

木の下には、あちらこちらに シダの茂み。雑草。

明け方なのか夕方なのか 分からねぇけど

昼や夜じゃない。

青い空気の奈落に似ている気がするが、空があって 白かった。

足元にも、杉の木やシダの下にも、影はない。


地上 だよな... ?

杉の森なんか、どこでも こんな感じかもしれねぇけど、なんとなく 日本なんじゃないか?って

気がする。どこか 見覚えがある。


真っ直ぐに立った木々の間を歩いて

シダや雑草が少ない箇所が 目に入った。

しゃがみ込んで、土に触れる。


ふと 湧き上がったのは、予感のようなものだった。 ... 良くないんじゃないか?

それは、身体の中から ざわりと背骨を撫でた。


いや でも... と、予感を振り払う。

土に指を入れると、抵抗なく 面白いように

土が掘れた。海で砂を掘るように。

良くない という予感は、掘る毎に増していき

鼓動が大きく打ち出し、指が震え始める。


見ない方がいい


やめろ 


それ以上 掘るな


予感が警鐘に変わっても、オレは掘り続けた。

こめかみで どく どく と血が脈打つ。

耳に 自分の呼吸音。空気に溺れかける。


指先が 弾力のあるものに触れた。

よせ 引き返せ

内から響く声を振り払い、丁寧に土を除ける。

皮膚の下の 軟骨の感触。

肉づきの薄い頬や 瞼。眉と額。唇。

声は もう聞こえない。


土の中の男が 瞼を上げた。

この男は、オレだ。オレが居る。


『おもいだしたのか?』


男が 唇を動かしたのを見て、背後に腰を着いた。

足が立たず、手や肘で這い、男から離れる。

いくらも進めないうちに、胃の中の物を吐き散らす。


『なぜ おまえが そこにいる?』


掘った穴の 土が動いた。

穴の縁 土の間に 指が覗く。


嫌だ、来るな...  嫌だ 嫌だ嫌だ!


穴ではなく、真下から声が響いた。


『もう にげられないぞ』


叫んでいるのは、多分オレだ。

外気もなかも震わせる声。

ざらりとしたものが身体を包むと同時に

腹から 肺から ありったけで 咆哮していた。


上手く息が吸えず、がくがく震える腕で這い

後退るが、腰だけでなく 肩にも力が入らない。

肘が折れ、背が 木の幹に着いた。裂けた樹皮の感触。

木々もシダも、地面の土も、周囲は 白く燃えていた。穴からは 肘までが覗いている。


逃げないと...

息を吐きすぎて 頭が痺れる。

オレと穴の間に、白い男が立った。


ほのおのように揺らめき立つ髪。

左の肘から手、右手首の内に 白い焔。生命 息

男は、穴へ歩いて行く。


「... が、泰河!」


ルカの声だ。

白い片羽の蝶が くらりくらりと羽ばたき

胸に とまった。

蝶の尾には、七色に光る 透明の糸が見える。


白い煙が凝る... 琉地。

両肩に 前足を掛けてきた琉地が、オレの頬に 頬を着けると、頭や指の痺れが解けた。

白い男は、歩きながら姿を変えていく。


「... 泰河! 糸を掴め」


ジェイドの声。

胸から 片羽の蝶が くらりと浮いた。


胸に着いたままの糸を握り、背を 木の幹から離して立ち上がると、蝶が先導する先に 琉地と歩く。


木々の間に 三日月型の泉が見える。

棗椰子ではない 月光に白く輝く木に囲まれて。

砂漠でもない。

湧き出した泉の水を喜ぶ 光る眼の人々。

泉の水面には、麦酒の瓶が浮き上がってきた。

向こうの木々の間にもだ。藍衣の司祭が見えた。

儀式中なのか、燔祭の煙が上がっている。


足が踏む感触が 森の土ではなくなると

片羽の蝶は 両羽となって、辺りを包む闇の中で

昇り消えた。


ぐい と 腕を引っ張られ、よろけると

目の前に 闇の入口... 神殿の入口だ。

腕を引いたのは、ミカエル。

ヘロヘロと飛んで来た アンバーを受け止めると

顎ヒゲに アンバーの鬣が触れる。


「お前、何 考えてんだよ?!」

「何故 勝手に入った?!」


ヘルメスと ボティスだ。

ミカエルが「落ち着いてから」と

目眩ましの片翼で オレの肩を包んだ。


そうだよな なんで 入っちまったんだ... ?

無意識って訳では なかったけど、入った理由は

分からない。


「泰河」


前に立った 四郎が、オレに手を差し伸べる。

片手を置くと「きよくなれ」と 両手で挟まれた。

温かい光の液体のようなものが 体内に拡がり

深い息をつく。

ありがとう って 言いてぇのに、まだ声が出なかった。


朋樹とルカ、ジェイドは

ヴィシュヌと 一緒に祭壇の近くに居て、

ルカに駆け寄った琉地が、頭を撫でられている。

あいつら、近くに来ねぇな... 呆れてんのかな?

泉の近くでは、アコが 見張りの男二人に 何か聞いている。


神殿の闇から、森に出た よな... ?

何か とてつもなく嫌だった。怖かった。

琉地が来る以前... いや、ルカの声がして、片羽の蝶が出る以前のことが、よく思い出せない。


「リリト。お前も もう、地界に戻れよ。

ルシフェルに黙って来たんだろ?」


は?


「随分ね、ミカエル。

ルシファーは、オリュンポスに出ているし

獣の子に 話を聞いてからにするわ」


ミカエルは、後ろに 横顔を見せている。

目眩ましの翼越しに 背後を窺うと

黒スーツのハティの隣に、腕を組んだ リリトが居た。


モルダバイトの眼。黒いクラシカルなドレスは

肘から手首に掛けて 袖がヒラヒラしている。

中世貴族風だ。広く空いた胸元から へそくらいの位置まで、シルバーの刺繍が入っている。

長いウエイブの髪を、何故か ツインテールにしているので、最初に会った時と印象が違った。

何より、砂岩に囲まれたオアシスに居る という

違和感が すげぇ。


朋樹たちの方に 眼を向けると、眼を合わせたまま

“あとで” というように頷いた。

これもあって、近くに来なかったのか...

けどオレには、なんで ここにリリトが居るのか

分からない。


キュベレの気配を感じたのよ。

あなたたちを通してね」


聞いてねぇのに、答えられるしさ。

「はい」つっとく。

なら あの嫌悪感は、リリトが 母親キュベレに持っている感情ということなのか?


「背中を向けて話すことが、失礼だとは?」


うっ。そりゃそうだよな。

夢の女に言われるとは って 引っ掛かるけどさ。

はっきりモノ言うタイプのようだが、声は静かで

スローな話し方だ。

皇帝のように 眠気は誘わないが

いつの間にか侵食されて、何 言われても “はい” って 了承しちまうようになるだろう... という

ヤバそうな声。


「ボティス、あなたの女だって 聞いたけど」と

言われた ボティスは

「行き届かずだ」と 両手を軽く開いている。

ハティが ミカエルを呼ぶ。

ミカエルは、ムスっとしたまま

四郎を ヘルメスに渡し、オレには片翼を掛けたまま リリトに振り返った。


「神殿に入ったのは、何故?」


「わからないっす」


ムスッとした ミカエルの隣で、真面目な顔で答える。オレは、夢なんか気にしてねぇから風に。

ハッタリは得意だからな。


ハティの隣で腕を組んでいる リリトは

大して 意に介さず

「あなたは、神殿の中で消えたわ」と

話を先に進めた。


「ここに 私とハゲニトが着いた時

ミカエルとボティスは、あなたを追って 神殿に入ってしまっていた。

ミカエルは、聖火で 中を照らしていたけど

あなたは居なかったの。どこへ?」


「森でした」


“詳しく” と、ハティが 眼で言っているので

「杉の森で シダも生えてて...

そうだ、影がなくて、朝か夕方かで... 」と

思い出せるだけ話す。

さっきのことなのに、記憶が朧げだ。

夢を思い出す時に似ている。


「土に触った気がするし、何かが嫌だった気が

するんすけど... 」


ぞわっ と 悪寒が振り返す。

なにか強烈に嫌だった。

思い出そうと 記憶を探る気にもならない。


「それから、ルカの声が聞こえて... 」


「ええ。ヘルメスが ケリュケイオンで

あなたが居る場所の断片を捉えたの。

ヘルメスを喚んでいれば、入れたのかもしれないわ」


ヘルメスを振り向くと、四郎と ボティスと

オレらの話を聞いていたようで

「まぁね」と、ブロンドの前髪を 指先で払った。


「俺のことなんか思い付かないだろうと思って

朋樹の半式鬼や琉地、アンバーも喚んで

糸を借りたけど。導きの糸になる っていうから

糸の先は、ケリュケイオンに結んで。

朱里でもよかったんだけど、朱里に話したら

心配するだろうからさ」


あの七色に光る糸は、アンバーの糸だったのか。

そういや、繭を糸にしてた時にも見たけど

それとは別の時にも 見た気がする。


「戻る前に、他には?」 


白い男の後ろ姿が過る。獣が居た。


それから、棗椰子じゃない木のオアシスと

泉に浮く麦酒の瓶。儀式をする人々。


「他の場所にも、オアシスが見えて... 」


「他の場所?」

「森の中に見えたのか?」


「おう。場所が重なってるのかどうかは

分からねぇけど、泉が湧いてから

麦酒の瓶も 水面に出てきてたぜ」


獣の話は、しなかった。

理由は分からない... というか、知られたくない が

近い。


あの森で、何かが ひどく嫌で

森中から責められている気がした。

木々からも、地面の土からも 白い空からも。

オレは あの森で異物だった。

けど、獣だけは オレの味方だと思った。


そのことを話したら、皆が あの森のようになるんじゃないか... という気がして。

指先の土の感触から 眼を背ける。

獣の事だけじゃなくて、あの嫌だったことを

思い出して、話してしまったら...

触れたくないし、触れられたくなかった。


「わかったわ」


オレに頷いたリリトは

「アコ。その 二人からは、ハゲニトが話を聞くわ。他にも まだ居るんでしょ?」と

光る眼の人たちに 視線を向けた。


「了解。地界に運ぶ?」


「ええ。ボティス、配下に運ばせて頂戴。

ハゲニトの城にね」


ボティスが指笛を吹くと、スーツに被膜の翼の悪魔が 二人顕れた。

光る眼の二人は、ペルシア語で何か言っていたが

リリトが 軽く息を吹くと、瞼を閉じ

立ったまま眠りに着いた。

「ハティの城へ」と、ボティスに命じられた悪魔二人が、それぞれ 一人ずつを肩に担いで

被膜の翼で 空へ飛ぶ。


「人間って、地界に入れたっけ?」と

つい口に出すと

「仮死状態ならね」と 返ってきたので

頷くだけにした。寝せたんじゃねぇのか...


「じゃあ、私は戻るけど」と言う リリトに

「あの... 」と、朋樹が声を掛けた。

振り返って見てみると、顔の横に 片手を上げている。


視線を向けた リリトに

「夢を見た人間も、キュベレが近くに居たら

具合悪くなるんすか?」と 聞いた。

隣で、ジェイドが手を振っている。


「ええ。個人差はあるけど。

妻や恋人、相手の女もね。

影人の この件にも、母が絡んでいるようだけど

あなたたちの影人は出ないわ。

先に私がマーキングしたから」


マジか...

リリトもジェイドに 手を振り返した。

知り合いっぽくなるなよ。


「四郎とか、未成年者と

異教神なんかは... ?」


「知らないわ。私は悪魔よ?

子供なんて、あなた達 大人が護りなさい。

言っておくけど、私は 母が好きではないから

邪魔がしたいだけで、あなた達人間を助けているつもりもないの。

異教神については、父や聖子の加護でも貰えば

いいんじゃないかしら?

ハゲニト、行きましょう」


静かな声で、ゆったりと吐き捨てて

ハティと消えたが、悪い人ではない のか?

まぁ、いいけどさ。


「泰河」「心配したぜ、おまえさぁ」

「本当にな。フラフラ入りやがって」


近付いて来ようとする 朋樹たちを

「待って」と ヴィシュヌが止めた。

「ミカエル」と、黒く濃い睫毛が縁取る眼を

神殿に向けている。


神殿から人が出てきた。眼が青銀に光る。


「は... ?」と 言ってる間に、ボティスが

その人たちに、ライフルの先を向けた。

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