両開きの扉から、死者兵たちが エリューズニルへ戻ると

榊が扉を閉じ、幽世の扉も閉じた。


ヘルには、榊が『ふむ』と 返事をしたため

ヘルは機嫌が良かった。

『“パディ”... ?』と 渋い声で聞くオーディンにも

“当然 彼よ” という顔で、ロキを指して示す。


オーディンは、隻眼を ロキに向け

次に ミョルニルの辺りに、その眼を動かしてみていたが、トールは 気付いていないフリをした。


一部始終を目にした オレとルカは

うっそ... 呼ばれてーのかな... ?』

『いや、どっちもイメージがさ... 』

『しかし、事実 御父上であり... 』と

四郎も混じえて 小声で話していたが

『ここで こうしていても、もう仕方ないね』と

ヴィシュヌが 仕切り直す。


『大母神は... ?』


オーディンも、いつもの渋さで聞いている。

何もなかったていだ。


黄金の鎧に深紅のマント。グングニルを片手に

スレイプニルに乗ったままだけど、降りたら

オレらくらいの背丈だろう。

神話で いろいろ読んでても、やっぱりカッコ良いぜ。朋樹やジェイドも、すげぇ... って顔で

馬上のオーディンを見上げる。

一度、巫女ヘイズの墓で 見てるけど、こんなに近くじゃなかったしさ。


『見た通り と、考えた方がいい』


ミカエルが答えると、避けていた それを

突き付けられた気がした。

キュベレが 目覚めた... ということを。


『とにかく、ヴァナヘイムに戻ろうと思うんだが... 』


マリゼラが、ミカエルや ヴィシュヌに言い

黒妖精デックアールヴたちも『ラダムには、どう報告を?』と

ベルゼやベリアルに聞く。


『報告の内容は、これから話し合って決めるが

そういった事は、主神オージンに仰げ』


ベリアルが 黒妖精デックアールヴに返し、ベルゼは

『“蛇女ナーギーが持って来た” という ビールは

まだ現物があるのか?』と 聞く。

それも、小人国スヴァルトアールヴヘイムへ 戻ってみなければ分からないようだったので、

黒妖精デックアールヴは、話し合いに 二人が残り

他のヤツらは、先に戻ることになった。


『戻ると言っても、ここは どこなんだ?』


黒妖精デックアールヴの 一人が、黒い強膜に赤い眼の上の

眉をしかめる。


『アースガルズの砦の外側だ』


オーディンが答えた。


砦の外側 といっても

鉄森イアールンヴィズがある 人間世界ミズガルズと アースガルズの境、

ウートガルズや

毒川エーリヴァーガルがある 巨人世界ヨトゥンヘイムとアースガルズの境、

グリュートトーナガルザルでもなく

ヴァナヘイムの砦の外の 白樺の森のように

アースガルズに属する平原のようだ。


考えたら、そうだよな。

巫女の予言の最終戦争ラグナロクでは、ロキや巨人たちが

アースガルズへ侵攻して、最終戦争の火蓋が切られるんだしさ。


『この平原ヴィーグリーズは、元々は 森だった』と

トールが話してくれる。


『鹿や蛇達が、樹皮や根を噛ってしまう ということも原因にあるが

アースガルズに、魔女グルヴェイグが来た頃から

森の木が枯れ出した』


人間世界ミズガルズで争いが多くなり、神々までもが

黄金に執着するようになった時だ。

その頃から もう、最終戦争ラグナロクの場所として

森が平原になったのか...


『左側へ真っ直ぐに進んで行けば、小人国スヴァルト

極寒ニヴルヘイムの近くへ出る』


オーディンが教えると、黒妖精たちは

『ビールが残っていたら コヨーテを喚ぶ』と

ヘルメスのヘソを曲げさせたが、

『コヨーテや狼なら、小人国スヴァルトに紛れていても

目立たない』という 理由だったので、ルカが

『琉地っていうんだぜ。一応、オレの子』と

紹介した。

ヘルメスが出向く時は、おさのラダムに会う時だろうしな。


『アクサナは?』


ボティスが ミカエルに聞く。

アクサナは まだ、シェムハザの術で眠ったままだ。ベルゼの 翅だけ虫の上にいる。


『アクサナには、聞きたいこともあるけど

それは、ザドキエルに任せるかもしれない』


ソゾンやキュベレ

もう 一人の男の子、イヴァンのことだ。

アクサナは、イブメルの城の塔で 仮死になってから、ソゾンの催眠が抜けていたはずだ。

何か知ってることもあると思う。


けど、ソゾンに憑依されて

ミロンを... ということもあった。

それだけじゃなく、神人の子たちは

母親を失っている。まだ 小さい子達まで。

まずは、時間を掛けて ケアしていくことになるだろうけど、心配だよな...


空中に凝縮した光の珠が弾け

エデンのアーチのゲートから 階段が降りた。


『ラファエル』


門から顔を出したラファエルに

ミカエルが、アクサナのことを話すと

『エデンで みておくよ。

目覚めさせるかもしれないけど、様子を見て

必要なら、ザドキエルに記憶を抜いてもらう』と

翅だけ虫で運ばれて来た アクサナを抱き上げ

エデンへの階段を昇って行く。


同じ年頃の四郎が、アクサナを抱く ラファエルの

瑠璃色の風切り羽と 薄い水色の翼の背を

心配そうに 見上げていた。

子供 といっても、そう 子供でもない。


『じゃあ、ヴァナヘイムの様子を見に行こう』


ヴィシュヌが言うと、マリゼラたちは

ヘルは まだしも、オーディンが来る ということに

抵抗があるようだったが

『場合が場合だ』と、ベルゼに諭されて

『では、霧虹の下で落ち合おう』ということになった。


オーディンが 呪歌ガルドルを歌っているのか

白馬に乗った戦死者霊エインヘリアル達が、空へ駆け上がって行く。


狂戦士ベルセルクたちは 大人しい気がした。

けど これは、戦いが終わった後に陥る

いつもの 気が抜けた状態 らしく

みんな ダルそうに立ち上がり、ダラダラと歩いて

南側へ歩いて行く。

アースガルズのオージンの館へ戻るようだ。


『では、霧虹で』


オーディンを乗せた スレイプニルが

八本脚で 空を駆け

ヘルを乗せた 黒竜ニーズホッグも、蝙蝠のような黒い翼で

羽ばたき、ヴァナヘイムへの道標となる

青いレヴォントゥレットと 細氷ダイヤモンドダストの中を飛ぶ。


『どうする? 泰河たちは、先に戻るのか?』

『南側へ歩けば、ウートガルズへの近道となるが... 』


『えっ?! なんで?!』

『嘘だろ?』


ロキとトールに、当然の抗議をしていると

『だが、歩けば何日も かかる』と

マリゼラが言って

トールは、ジャタ島に置いていた 山羊車を喚ぶ。


『残念だが、人間は乗れんぞ』


ゴロゴロと雷鳴を響かせて来た タングリスニルと

タングニョーストの山羊車に、当然のように

ロキとボティス、榊と月夜見キミサマも乗り込んだ。


そうか... レヴォントゥレットの道標は

マリゼラたち、ヴァン神族のためのものなんだよな... マリゼラたちや 黒妖精デックアールヴは、世界樹ユグドラシル内なら

術で移動が出来るみたいだしさ。

ついでに トールやロキは、人間世界ミズガルズでなら

ルーン文字を使って 術移動が出来るらしい。


『でも バラけると、危険も増えるからな... 』


ミカエルが難しい顔をしていて

『シェムハザ、ハティ、ベリアル』って

言い出した。


運ばれるだけでも どうか... と いうところで

“ベリアル”?! ... と、たじろいだ オレらは

『師匠! オレらは乗せられないんすか?!』

『でかくなるじゃないすか!』と 聞いてみたが

『俺は、ヴィシュヌの乗物ヴァーハナであるからな』と

しっかり お断りされちまった。


『ミカエル、先に行って。

俺が チャクラムで繋ぐよ』


ヴィシュヌが言ってくれたけど、今度は

洞窟や 木の間、扉のような 入口となる場所が

平原には無かった。


『これは、運んでもらうしか 無いのかもね... 』


意を決したように言った ジェイドは

『シェムハザ、頼める?』と 指名しやがった。


『なんだ、おまえ!』『笑ってんじゃねぇ』と

ジェイドを責めていると

『... これさ、ベリアルを 選ばなかった場合』と

朋樹が小声で言う。

当然、気分は害するんだろうな...


『いやでも、オレは ハティかミカエルが

自然じゃね?』

『なら、朋樹が ベリアルだろ』


まだ こそこそ揉めている間に、どこからか

さざめく歌のようなものが聞こえてきて

ぐらりと 気が遠退く。


いつの間にか、水の中にいた。

聞こえないはずの 歌が聞こえ、自分の口や鼻から漏れた あぶくが、ゆるゆると揺れて 昇っていく。

急に 場面が変わり、朱里シュリが『できたよー』と

鍋の蓋を開けると、えのき茸しか入ってなかった。


『... が、泰河』


名前を呼ばれながら 揺すられて、眼を覚ますと

白樺の森に転がっていた。


『おまえ、えのき茸 きらいなのか?』と

座っている ジェイドに聞かれたが

『いや、名脇役だよな。本当ならさ』と 流して

この状況を聞くと、ヴァナヘイムから ヴィーグリーズへ 流された時のように、オーディンが呪歌ガルドル

運んでくれたようだ。


ビビりながらも、立ち上がって

『あのっ、オーディン... 』と 名前を呼ぶのも

緊張しながら『ありがとうございます』と

口々に言って 頭を下げると

こっちを 一瞥したオーディンの ヒゲの口角が

上がった気がした。カッコ良いぜ...


『うん。皆 揃ってるね』


爽やかな笑顔の ヴィシュヌに頷いて

マリゼラを先頭に、霧虹を昇る。

まっすぐな道なのに、白樺の背を越えて

見下ろすようになる。


白い地面に足を着けた。

ヴァナヘイムには、音が無かった。

声も何も。砦の洞窟から入った時と同じだ。


倒壊した イブメルの城の 東の塔の瓦礫。

ところどころが 割れた地面。

水路も、割れた部分で水が溢れて 水溜りになっている。

その水に映った空を覗く 兵士の横顔が かなしかった。


『道標は、もう 消えているわね』


空にあるのは、イブメルの城の背後から吹き上がるような ヴァナヘイムのレヴォントゥレットだ。


黒竜に乗ったままの ヘルが、青い左の手のひらを

胸の前で、上に向けて開くと

バラバラになっている ミロンの 首から下の骨が

浮いた。


『一度 こうして、ここに戻ったのに。

ごめんなさいね、ミロン。

大母神かのじょは、私の力を 簡単に凌駕する』


骨を見つめて ヘルが言う。

キュベレが、ソゾンの半魂を回収に来た時に

ヴァナヘイムへ戻った ミロンの遺骨まで引き寄せ

身体も復元しちまったようだ。


『後日、あらためて葬儀を... 』


兵士の 一人が、肩当てから外したマントを

骨の下に拡げて、ミロンの骨を受け取り

また別の兵士が 丁寧に、骨にマントを掛けて包んだ。


『イブメルは?』と聞く オーディンに

ベルゼが説明し、自分が預かっていることも

話している。


月夜見と榊、ヘルメスが

兵士の何人かを連れて、イブメルの城へ

闇靄に染めた兵士の 靄を解きに向かう。


結果的に だけど、ベルゼが イブメルを預かっていて、良かったんじゃねぇかな... ?

もし オーディンが、この機を狙う となったら

ベルゼも出て来るしさ。


案の定『これ以上のイザコザは御免だ』と

ベルゼが釘を差し、マリゼラには

『復旧して 落ち着くまで、守護天使達を派遣しよう』と、ミカエルが 申し出た。


ボティスが口笛を吹くと、白い球体が 幾つも顕れて、それが すっ と ほどけると、天衣を着た天使たちになった。

『見えるんだ』と ルカが言うと、ボティスが

『地上じゃないからな』と 答えている。


『ミカエル』『バラキエル』と

集まる天使たちに、ボティスが事情の説明をし

『復旧作業も、勿論 手伝うけど』

『癒やしが優先だ』『話をするよ』と言う

守護天使たちに頷いた。


『女神達は 私が預かるわ。残念だけど

半魂が無ければ、身体が生きているだけだから』


ヘルの言葉に、マリゼラたちが頷き

『もう、戻れることは無い かな?』と 力無く聞く。

女神たちは、ここに居る兵士たちの 家族なんだろうし、つらいよな...


『何とも言えないわ。あの状態で 一緒に居たら

あなたたちは、きっと つらくなる。

預かってもらっている子供たちが 戻って来ても

会わせない方が いいでしょうね』


立ち直れるのか... ?


もし、オレらが住む 街中から子供がいなくなって

朱里、沙耶ちゃんや ゾイ、母ちゃんや姉ちゃん、ルカの妹とか、話せない状態になって、離れて...

オレなら 自信がない。

女神たちや 子供と 一緒に暮らしていた兵士たちは

尚更 キツイだろう。


ヘルは『あなたたちが 女神に会いに来る分には

構わないわ。番人モーズグズに伝えておくわね』と

兵士達に言い

『ミロンの剣は、あそこよ』と

ヴァナヘイム中央の 広場の方向を指差した。


マリゼラ達 兵士の後について、広場へ向かうと

ヴァナヘイムに流れる水の 中心の泉の上に

ミロンの剣が 静かに浮いていた。


『ミロン... 』


剣は、強さのようなものを 内側に秘めているように見えて、気高さを感じた。

兵士たちが 涙を流す。


オレらは 堪えるべきだ と、分かっていても

どうしても 胸も 眼の奥も熱くなる。


オーディンが、スレイプニルを降りた。


黄金の膝当てを着けた ブーツの足で、泉の前まで進み、ガントレットの右手を 胸に宛てると

隻眼の瞼を臥せ、ミロンに 敬意を示した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る