80 泰河


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白い焔の模様が浮き出した手に、ピストルを握ったまま、なかに響く 自分の心臓の音を聞く。


ミカエルの左手の鎖の先、赤黒い翼の向こうに

墨色の靄が拡がり、ジェイドのアッシュブロンドの髪の色を霞ませる。


闇靄は、天使すら染める。

人間が 染まり切ったら、どうなる... ?


「泰河」と、また ジェイドの声。

死神の獣を 喚ばねぇと 死神 と、一言喚べば...

天狗を 刈らせりゃいい。

オレは最初ハナから、ゾイを殺る気はない。


けど、どうしても 言葉が出ない。


ゾイ


もし、魔像の中で 天狗に掴まれてるゾイまで

獲られちまったら...


胸の中から ドン ドン と、肋骨あばらを叩かれているようだ。息が吐きづらい。


魔像が、足を 一歩踏み出した。

ジェイドに 頭を掴まれているハズなのに...


ミカエルが、地面に剣の先を付け

自分の周囲から 炙りの光を消した。


「シェムハザ。悪魔召喚円」


天使避けと防護円から、ミカエルの背後に移ったシェムハザが、こっちにも 防護円を敷き

「ルーシー」と 赤い粉の小瓶の蓋を開けて

悪魔召喚円を描いた。


「ルシフェル」


は? ... と、一瞬 時間が止まったように

何もかも忘れる。


ミカエルが喚ぶと、その背後の赤い召喚円の中に

皇帝が立った。


黒地に黒刺繍のジャケット。

胸元を飾る白いリボンタイ、黒いブリーチズ。

黒のロングブーツ。夏だってことも忘れる。


「ミカエル。お前が、俺を喚んだのか?」


胸にかかる ウェーブの黒髪の頭を 軽く傾げ

黒い睫毛に縁取られた碧い眼で

ミカエルのくせっ毛ブロンドの頭を じっと見つめながら、眠気を誘う声で 皇帝が聞く。


「喚んだから 来たんだろ?」


「何故だ?」


「ルシファー、あの魔像に... 」と、シェムハザが 説明を始め、シェムハザに眼を向けた 皇帝は

師匠を見つけた。


迦楼羅ガルダじゃないか。何をしている?」


ダメだ。話が逸れていく。


「ルシファー」と、軽く 片手を上げた師匠は

「あれを見ろ」と 魔像を顎で示した。


皇帝が、ミカエル越しに 魔像に眼を向ける。


「中で天狗が、歓喜仏ヤブユムになろうとしている。

邪魔したい」


おお?! と、ルカや朋樹が眼を見張る。

師匠は、皇帝と知り合いらしく

扱い方も 分かっているようだ。

シェムハザが、感心したような眼を 師匠に向けた。


「ふん... 」


ミカエル越しに 天狗を眺めていた皇帝は

「あの 下級天使じゃないか。トモキのシキ。

ジェイドは 何をしている?」と ムッとする。

中に居るものが 見えるのか...


「ジェイドは、羊飼いだ。

下級天使を 救おうとしている」


「抜き出せんのか?」


「この国のものだ。

外からは、その方法が分からない」


「それなら、俺に何をしろと?」と

皇帝は、ジェイドがいる位置を見つめながら

不機嫌な声になって聞く。


「内側から破壊する」


ミカエルが答えると、目の前のくせっ毛ブロンドの頭に 視線を移した。


「お前が?」


「... ミカエル、入れねぇじゃねぇか」と

ふてくされた声で 朋樹が言うと

「“強大過ぎて”、と いうことか?」と

皇帝の声が 機嫌を取り戻した。


「焼かないでやる。やれよ」


くちびるの端を 軽く緩ませた皇帝が

ミカエルの背中に、右の手のひらを当てると

「“焼かん” など、つまらんことを言うな... 」と

囁きながら 前に出て、ミカエルの真後ろに立つ。

左腕を回して 後ろから抱き

指で ミカエルの くちびるや顎に触れる。


右手が、ミカエルの身体の中に潜っていく。

何をしてるんだ... ?


手首まで 皇帝の右手が潜ると、肩に 力が籠もったように見えて、ミカエルが「くっ... 」と

痛みに耐えるような顔をする。マジかよ...


唖然している オレらに、シェムハザが

「心臓を掴み、恩寵を集約させている。

一時的に 恩寵を隠して封じるためだ」と

説明してくれたが、さっぱり解らねぇ。


「そんなこと、出来るのか?」と

ミカエルの背中を見ながら、朋樹が聞くと

「ルシファーにならな。

恩寵を抜ける訳ではないが、拘束するなどして

自由を奪い、背中を取れれば、上級天使であっても、こうして 力を封じることは出来る」と

また 説明した。


「ミカエル... 」


左手の指を ミカエルの顎から首に降ろし

「お前の 恩寵に 触れるとは... 」と

指で なぞりながら「顔を 見せろ」と

自分の肩に、ミカエルの頭を らせた。

肩だけでなく、背中が揺れるほど 息が荒い。


痛みは増していくようで、ミカエルは 静かに耐えているが、皇帝の相手をする余裕は ないようだ。

時々、ブロンドの眉間にシワを寄せ

「っ... 」と 喉を鳴らし、皇帝を喜ばせてしまう。


ミカエルの首筋や鎖骨を なぞり倒しながら

荒い息の間に、たまらんぜ って顔で

「ほ う... 」と 言った。


瞼を閉じたミカエルが、天を仰いで

また喉を鳴らすと、ルカが「や、ちょっと... 」と 手を伸ばし掛けた。気持ちは分かる。

ミカエルが、色っぽく 見えちまう...  いやだ。

なんか、涙 出そうだ。


「“種” が 出来ているじゃ ないか... 」


「たね... ?」「何の... ?」


「俺は、何の花を 咲かせる?」


眼は ミカエルのまま、皇帝が言った。

花 と 聞いて、モレク儀式を思い出した。

眼や口に 花を咲かせた人たち。 欲望の...


「まさか あの 下級天使 か?」


ハァハァすげぇ。

ミカエルが ピクっと反応すると

皇帝は「... んっ」 つった。


んっ つった...


「俺を 焼け...  ミカエル... 」


ルカが 泣いて、シェムハザに

「下がっておけ」って 下げられる。


「泰河、お前もだ」


オレも泣いていたようだが、涙に気付くどころか

ピストルも 上げっぱなしだった。


「こうてい、ジェイドは... ?」


震える声で言った朋樹も

シェムハザに 背中をさすられる。


シューニャ」と、師匠の声。

ゴールドの炎が 光の色を増す。


皇帝は、ハァハァ言いながらも

ちょっと正気に 戻ったように見えた。

眼を 魔像の方に向ける。


シェムハザが、師匠に眼をやると

「あのブロンドの神父は、俺が救おう」と

師匠が、青い徳利を出して見せる。

皇帝は「もう済む」って 言い出した。


「... “Oo'la te-ellan l'niss-yoona: ”... 」


ショックで 聞こえていなかったが

ジェイドは、祈り続けていたようだ。


「ミカエル。お前が 仕込んだのか?」


ミカエルの耳の裏に くちびるを付けるようにして

皇帝が 囁きで聞く。妬いてたらしい。


「... 決まってる だろ?」


ミカエルが「あいつは、結局 神父だ」と

痛みに耐えながら 笑って見せ

「俺の方が イイかもな」と 言ってのけた。

すげぇ...


「... “il-la paç-çan min beesha. ”... 」


皇帝の背に 翼が開き、数を増し 重なっていく。

天空霊の区切りの中が、雷で カッと白光はくこうする。


「仕上げだ」


ミカエルの背中に潜っている 皇帝の右手が

血の色に光った。ミカエルが、前に身体を折り

鎖の手で 胸を抑えて噎せる。大丈夫なのか... ?

地面からも 炙りの光が消える。


右手を抜いた皇帝は、ミカエルの頭を掴み

折った身体を戻させて、やっぱりキスをした。

やるとは 思ってたけどさ...


「行け」


キスしても 焼かれなかった皇帝は、翼をしまうと

つまらなそうに ミカエルを離した。


「... “Mid-til de-di-lukh hai mal-choota ”... 」


鎖を腕から外し、剣で地面に固定したミカエルが

魔像の元へ歩く。


「... “oo khai-la oo tush-bookh-ta ”... 」


魔像の前で「ファシエル」と 呼び

ミカエルが 手を伸ばす。

指先に、光る糸のようなものが見えた。


「... “l'alam al-mein. ”... 」


「“Aa-meen.”」


魔像に肩を掴まれた ミカエルが

そのまま 像にいだかれるように、沈み入った。


魔像は、ミカエルが入って

自分の胸に置いた風になった 手を降ろすと

ゴールドの炎を揺らめかせたまま

こっちへ歩いて来る。オレの方に 顔を向けた。


ジェイドの元に シェムハザと師匠が移動する。


ジェイドは、左手の二の腕までが 闇靄に染まっているが、ミカエルの加護のクロスで、それ以上の侵食は 抑えられたようだった。


「ジェイド」


皇帝は、魔像は無視して ジェイドを呼ぶ。


「何も されるな」


白いリボンタイの下に 腕を組んだ皇帝は

それだけ言うと、ジェイドから ふい と

眼を背ける。


魔像は多分、俺 狙いだ。

ピストルを握り直すと、朋樹も 式鬼札を出す。


弛んだ鎖が 地面を擦る音を立てる。

オレらと シェムハザたちの間まで、魔像が歩いて来た時に、魔像の身体から 鎖が落ちた。


「ミカエル、さっさと済ませろ。戻してやる」


皇帝が、右手の手のひらを 口元まで上げ

ふう っと 息を吹いた。

手のひらが、血に塗れたように光って

じわじわと 色と光が薄れていく。


魔像が 止まった。

エラーを起こした って 印象の立ち止まり方だ。


さっき 手を置いていた、胸の位置が

真珠のように 白く光り出した。


シェムハザが、向こう側にも防護円を敷き

天使避けをする。

最初に 師匠と居た場所の防護円は消えていた。

「青いルーシー?」と、ルカが呟く。


真珠色の光が 拍動する。

魔像の 顔の右側や、左胸から腰、腕や脚に

縦一列に並ぶ 漢字のような 黒文字が

ところどころ 目まぐるしく、赤く明滅する。


拍動する光は、強さを増していき

眼が開けられない程になると、ビキ っと 硬いものにヒビが入る音がして、魔像は 石の色になった。

ビキビキビキ... と 音が響かせ、胸の光から中心に ヒビが走る。


像は ヒビ割れながら、形が変容していく。

髪が纏まって 宝髻ほうけいになり、巻衣に首飾り。

肘から 別の腕が、光背のように 左右8本ずつ広がる。額に 縦の線が入り、眼が開いた。

准胝じゅんてい観音像だ。


すぐに ゴッ と、岩が粉砕されるような音がして

准胝観音像が砕け散る。

真珠の光は、虹色に変化しながら 大気に解けた。


像が立っていた場所に、天使姿のゾイの肩を抱いた ミカエルが立っている。

ブロンド睫毛の明るい碧眼を 片腕の中に向けると、ゾイの くちびるにキスをした。

























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