37


胸に掛かるウェーブの黒髪。白い肌。

完璧な形の眉と鼻。男性美のくちびる。

長い睫毛に 凛とした碧眼。


黒いコートの中に黒い刺繍のベスト。

白いシャツに、フリルみたいな白いタイ。

ブリーチズ... 膝下までのタイトな黒いパンツに

黒いブーツ。

アビ・ア・ラ・フランセーズ。ロココ調。

今日は黒い帽子まで被っている。


「召喚したな?」


不機嫌だ。


「ハゲニト。何故 元の姿でいる? セクシーだが

お前に帽子を、と 思って持って来た。

似合いそうだったから。人型になれ」


皇帝の帽子を被されて「迎えにも上がらず... 」と

ハティが言いかけると、皇帝は前を見て

「ミカエル」と くちびるを動かした。


「久しぶりだ、ルシフェル。

お前がやりたきゃ 後で やってやるけど、聞け」と

ミカエルが笑う。


「いいか? 俺はエデンから降りた。

お前は人間に召喚された。地上ここで会ったことは

誰にもバレちゃいない。そして、これを見ろ」


皇帝の眼がミカエルから、目の前の陽炎そいつに移る。


ゴッ と、空気が ぶれた。


強烈な光を発した皇帝の背に、五対の翼が開き

ウェーブの黒髪を割って、うなじからも 一対の翼が開いた。

盛装が解けていき、幾重にも重なった天衣のようなローブに変わっていく。


オレらは、口を開けることしか出来なかった。

すげぇ...  神なんじゃないか と錯覚する。

さっきは耐えた 膝が震えた。


けど、皇帝を中心に 地面が円状に沈み

河川敷の草原にも道路にも、街や山にも 立て続けに雷が落ちる。ヤバい...


「カナンの... 」と、皇帝が笑う。


「やめろ、ルシフェル!

俺に止めさせるなよ? 翼を仕舞え」と

ミカエルが陽炎そいつ越しに剣の先を向け

「ジェイド! 必要があれば地界に戻せ!」と

ジェイドを皇帝の隣へ行かせた。


『堕天使か。無意味だ』


皇帝は、まだ翼を出したまま

「これは 父でも手が出せなかったが

これを殺れば、俺は父を超える... 」と

当然のように ジェイドの肩を抱き、煙を上げ

穴が開く程、目の前の陽炎を見つめる。


「翼を仕舞え! すぐに天の軍が降りるぞ!」


「何故、これが居る?」


「手違いが起きただけだ!

奈落から逃げ出しやがった! 翼を... 」


ミカエルが秤を左手に出すと

「ルシファー。契約だ」と、ボティスが言った。


「お前とだと?」


皇帝は愕然とした表情になって、翼を仕舞った。

それと同時に、ローブも盛装に戻る。


「ボティス、何を言っている?

お前は 元々俺の物じゃないか。

人間になったからといって、魂まで飲ませようというのか? いいや、飲むものか。

魂を飲んだら、俺は誰とキスをする?」


「それもそうだ。それならタダで聞いてくれ」


「タダ?」


「いや わかった。地上でワインとチェスを」


ミカエルが ムッとしてボティスを振り向くけど

ボティスが手で “黙っとけ” と合図する。


「地上で... 」と、皇帝は隣にいるジェイドを

ちらっと見た。「いいだろう。願いを言え」


「これを吸収する身体を」


身体って、奈落からは 上げられないよな?


皇帝は「ふん。なるほど」と

陽炎の中に手を 突っ込んだ。


『無駄だ。それを渡して退け』


「聖ルカのことか? こいつらは ボティスの女。

つまり俺の物だ。お前などに やるものか。

泰河。俺の肩に手を置け」


だいぶ煙を上げながらでも、片腕のジェイドの肩は離さず、自分の後ろに 泰河を回らせて

肩に右手を置かせる。


ラテン語の呪文を唱え出すと、陽炎の中の手に

心臓が握られた。


『何を... 』


陽炎のそいつが 急に焦り出す。


「魂だ、モレク。いや、バアル・ハダト。

ぺオルのバアル、バアル べリト、バアル ゼブル。

どのバアルも強力だが、お前程 凶悪ではない。

俺は お前の魂ではなく、お前が取り入れてきた

人間の魂を掴んでいる。力のみなもとを。

俺を “堕天使” と呼んだな?

お前は何だ? 元より堕ちた神は何と呼ぶ?

お前は、俺に劣る。抜けられるものか。

俺は皇帝ルシファーだ」


口上こうじょうは いいから、早く喚べよ」


ミカエルが剣を向ける。


『喚べ? まさか... 』


「そう。俺にしか喚べんのだ。

奴は人間に使役などされん。魂は奪うのみ。

根っから悪魔だからな。

お前と分かれた大悪魔サタン。“ベルゼブブ”」


皇帝の背後に、男が立った。


顎ラインの 黒いウェーブの髪に 黒いシルクハット。黒ぶちの眼鏡。

身体に沿う黒いジャケット。白シャツにワインのベスト。黒いラインタイ。白い手袋。

グレーの膝丈のチェックパンツ。黒ブーツ。


「ステッキを忘れた」


これが ベルゼブブ... ? アリスにでも出そうだ。

皇帝とハティの間から顔を出して

ワイン色の眼で、オレらを見渡した。


「ルシファー。これ、全部 私に?」


「全部 違う」


「じゃあ、なんで地上に喚んだ?」と

泰河の顔を覗き込んだ後に、ジェイドを覗き込み

「何かの混血と祓魔」と、眉をしかめ

ハティに「ハゲニト。いい帽子だ」と 褒めると

また こっちに向いて

「ミカエル!」と、眼鏡の奥の眼を丸くした。


「すぐ気付けよ。下手なことをしたら 罪を量る」


「天使と何をしている?

ボティス? お前、天帰りらしいじゃないか... 」


「ベルゼ。手がだるい。

これをやる。吸収しろ。身体は奈落だ」


ワイン色の眼が、皇帝の腕を伝って

心臓を掴む手に移る。


「ハダトじゃないか。カナンの王。

また会えて嬉しい。よくこんな強烈な奴を捉えてるな。さすがだ、ルシファー。飲んでやろう」


『ゼブル、よせ... 』


「“よせ”? 何故?」


ベルゼブブは、ハティと皇帝の間に入り

右手の手袋を外した。


「えっ?!」

「うわ... 」


羽音を立てる蝿が、一斉に 陽炎を取り囲み

表面をざわざわ這いながら 黒い人の形を造る。


ベルゼブブの手首から先がない。

蝿たちはベルゼブブの手、一部らしい。

“蝿の王” って呼ばれてるもんな。

蝿で疫病を流行らせるのが、魂を奪う手段。


「ルシファー、もう手を離していい」


皇帝が手を抜くと、泰河も皇帝の肩から手を離して、オレの近くに来た。


振り向いたミカエルが「加護はあるけど 一応」と

泰河の額に触れると、泰河が、ふう と息をつく。

うん。皇帝は やべーし。

ミカエルは、癒しを与えたみたいだけど

沙耶さんみたいに キスじゃないんだ...


「ファウスト。お前は 肩に何を付けている?

さっきから俺の手を焼くようだが... 」


皇帝は ジェイドの肩を抱いたまま

河の方へ連れて行こうとする。


「ルシフェル、俺の加護だ。それ以上 勝手に動くな。派手に召喚円から離れるなよ」と

ミカエルに言われて

「加護だと? 見せろ」と

ジェイドのシャツの首を引っ張って、中を覗く。


「伸びるだろう? やめろ」と言う ジェイドに

ショックを受けた顔を向け

「クロスに加護を受けたな? 何故だ?」と

ジェイドの両肩を手で掴んだ。

真正面から すげぇ見つめてるし。


「僕は神父... 」

「関係あるものか! 俺の愛を受け入れんというのか?! ボティス! お前もだ!」


「出たぜ、ジェラシィ」

「ジェイドさ、言い訳してねぇ?

こないだは皇帝に、“お前は愛さん” って言ってたのにな」


オレと泰河が ぼそぼそ話してると

「なんだ、あれ」って、朋樹が口を開ける。

そうか。朋樹は 式鬼話した印象しかねーだろうし

皇帝が ジェイドに ご執心、ってコト

そんなに知らねーんだよなー。


ハティも聞こえてないフリしてるけど、ミカエルが「翼を出させるなよ」と、ボティスに言った。


ため息ついた ボティスが

「ルシファー、気を引きたかっただけだ」と

言い訳に向かう。


「俺は人間になった。地界には入れん。

もう蛇の姿にもなれんのだ。

妬かせて気を引こうと、ミカエルを利用した」

「そう。僕も似た理由だ。

他の祓魔とは違う、もっと認めさせようと... 」


なんだよ その安い駆け引き的なやつ。暗ぇし。

そもそも、おまえらキャラ違うじゃん。


「無理ねぇか?」って 小声で言う泰河に

「けど 考えようによっては、ボティスとジェイドが そういう手段に出ちまった... っていうのが

追い詰められた感あるんじゃないのか?」って

ムリに深読みしてみる 朋樹が言う。


「... 可愛い奴等め」


えっ?!


皇帝は “困ったな” って 顔してやがる!

けどゴキゲンだ。照れてすらいるっぽい。

マジで効いたのかよ...


「深読み?」って聞く 泰河に

「いや違う。ただ “ミカエルに加護もらった” ってより、その方が嬉しいからだろ」って

朋樹が小声で返した。

騙されといたのかぁ。意外と大人じゃね?

もう加護は付いちまってるし、仕方ねーもんな。


「だが、ひとつハッキリさせておく。

お前達が 愛しているのは、ミカエルではなく... 」


「お前だ、ルシファー」

「もちろん。僕はファウストだ、メフィスト」


ジェイドは 方針を変えたらしい。

「... もうさ、大変だよな」って、ぼやく泰河に頷く。「べリアルとは また違うけどー」


「そうだな。べリアルは “魅力的だ”、で

皇帝は “愛している” だな。

けど やっとかねぇと、ヘソ曲げそうだからな。

アバドンじゃなくても 地上が危機に陥るぜ」


うん、めんどくさいけど

ボティスが やってるくらいだもんなー。


離れた場所にいる 榊の方 見てみたら

狐姿になって、アコにおんぶされて

背中に隠れてた。皇帝を警戒してるっぽい。


「何かが邪魔だ。顔を隠してるな?」


ベルゼブブが、眼鏡の奥のワインの眼を細める。


ああ、牛の頭骨 被ってたもんな。

ハティが そのことを伝えると

「それを外さないと、吸収 出来ない」って

手袋の片手と 無い手首の腕を 広げてみせる。


「だが、奴自身には触れん」


皇帝が言うと

『考え直せ、ゼブル... 』と 説得しようとしている

蝿まみれのモロクに、朋樹が式鬼鳥を飛ばして

追突させた。


「シキ使いじゃないか。触れるのか?」


皇帝の興味が 朋樹に向く。

「いや掴める訳じゃない。当てれるだけだ」って

若干 引き気味に、朋樹が答えた。

朋樹か謙遜するのって めずらしいよなぁ。


「浅黄ならもっと... 」と言うと

「牛のめんを外せば良いのか?」と

浅黄が モロクの顎下から上に 薙刀を払い上げるけど、頭骨のめんは上手く外れない。


『... 忠告してやる。面に触れるな』


浅黄が薙刀で、牛の頭骨のつのを払って飛ばした。


「よし、顔が出たな」


モロクに這う蝿たちが、頭骨の面があった場所にも 群がって行く。


今、笑った... ?


浅黄が「おお、これは すごいのう」と

傍に落ちた頭骨の面を拾おうと 手を伸ばす。


「浅黄、触るな!」と、叫んで走った時に

浅黄の背に、蝿まみれのモロクが飛び付き

腕と脚を巻き付けて張り付く。


『忠告しただろう?』


浅黄の手には もう、面があった。


「まずい」


ベルゼブブが、無い手首に手袋を乗せると

蝿が消えて、白い手袋の手に戻る。


浅黄は 掴める。でも、陽炎には触れない。

朋樹が式鬼鳥を追突させるけど、モロクは離れず

浅黄が陽炎に包まれていく。


皇帝が泰河を引っ張って来て、陽炎に手を突っ込んだ時に、陽炎は消えた。


「浅黄... 」


ボティスが呼ぶ。


ミカエルが 翼を拡げ、ジェイドやボティスを

庇うように立ち

皇帝が朋樹を引っ張って、泰河とオレも

自分の後ろにやり

「ハゲニト!」と、防護円を出させる。


ベルゼブブが、浅黄に掴みかかると

浅黄は薙刀で振り跳ばし、風圧が草を薙ぎ倒す。


模様が彫られた 牛の頭骨を被った浅黄は

地面を蹴ると、そのまま消えた。







********    「アルファ α」 了






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