鴉天狗 7


「散歩」と、ボティスに連れ出され

何やら ぼんやりしたまま、二山の森を歩き

湖のへりに出た。


湖は、蛍達の 発光しては薄まる灯りにより

生まれては消える そらの星の様相にあった。


「きれいだな」と、ボティスが言う。


水面みなもには、時折 小さき波紋が拡がり

さざめいて消える。


暫し、蛍の 星の生まれ終わりの繰り返す様を

眼に映す。儂は また、何も言えなんだ。


「大丈夫か?」


前を向いたまま頷くと

「あいつは オニだからな」と 言う。

「わかってやれ」と。


わかっては、おるのだ。

儂も 他を屠り、喰らうのである故。


だが あのように、心まで喰らおうか


夢見るような女の顔。


それが 正しいのやもしれぬが

どうにも 胸の中の 何かが拭えぬ


ただ、情念というものは

儂には まだ遠くある とわかる。


水面の小さき波紋にも 映るひかりを

儂は、立ったまま見つめておったが

ボティスは、隣に胡座をかいておった。


「... 地界とやらにも」


あのような者はいよう。


お前は? と 聞きとうなったが

口をつぐむ。


身を抱き、心まで喰おうか と


ボティスは、儂を見上げ

「お前も巻き付くのか?」と聞いた。


... 清姫のことであろうか?


ならば、あの時 儂を見たのは

お前もこうなるのか?... と

ふと 思うたのであろうか?

ボティスは、やけに神妙な表情かおをしておる。


儂は何やら おかしくなり、少し笑うた。


「覚悟した。構わんぞ」と言うので

「儂は狐じゃ」と、また笑う。


「そのうち蛇になるかもしれんだろ」と 笑うて

立ち上がり「戻る」と、儂に手を出した。




********




「また戻って来ようかのう... 」


だだっ広い座敷に戻ると

酒呑と茨木は まだ酒を飲んでおったが

浅黄と桃太は、水を貰うておった。

前回は、酒呑に付き合うで潰れた故

反省を活かしたものであるらしい。


「夜の間であれば、何度も来る」


うんざりという顔で、胡座に片肘で頬杖をついた

酒呑が言う。「酒が不味まずうなるのでのう」


「魂の方が、情念とやらに囚われているのが

問題だ。それさえ消えれば、契約するなり

お前が 月詠の元に送るなり すりゃあいい」


そして「無理に扉に突っ込むか?」と言うが

あのように妄執の中にある者は

幽世の扉が開かれておっても、それが見えぬ。


「朋樹は いつも、これを どう扱っている?」


「強制的に禊ぐのだ。神力によって」


「祓魔と同じか。俺が術を使って何かすれば

下手すると情念とやらを増幅させる。

悪魔だからな。魂ごと消滅させるか?」


まだ残っておった葡萄酒の瓶に口を付けて

ボティスが言う。


「いやだ。かわいそうだから」


ひなたが言うて、紙飛行機を飛ばしてきた。


「わかった。それは選ばん」


ならば、情念を解消することとなるが...


「露さんを呼び、安珍を降ろせば

どうであろう?」


「降りても また逃げ惑うであろうよ」


「ならば、解消など出来ぬではないか」


「出来ぬから迷い出てくるのだ」


むう。堂々巡りじゃのう。


「清姫が望むのが、俺であれば

俺が抱くものを」


ニヤリとして酒呑が言う。


「俺は知らんぞ」


そらきた、といった感じで

ボティスが つった赤い眼を向けておる。


「だが清姫は、お前を 安珍だと思うたのだ。

これからは ここに出るものか

お前に付き纏うものか... 」


「地界に戻りゃあ 終いだ」


「地上任務ではなかったか?」


楽しんでおる酒呑を睨むが

「朋樹を呼ぶ」と言うたので

酒呑のことがバレては、と 儂が止める。


「なら、ついて来させて祓わせる」


「やめろ、ボティス。

禊は お前にも影響する」


浅黄が心配そうに言う。


「だが、どうにもならんだろ。

だいたいだ、俺は 安珍とやらじゃあない。

それを置いておいたとしても、好きでもない女などに勃たん。いや 見ただろ? 火まで吹いた。

あれに どう機能させろと言うんだ?

しかもだ。一度 殺るまで逃げられる程 嫌われた女を、また誤魔化して騙すのか?

それこそ憐れだろ。

いや、あの女には もう怨みしかなかった。

俺に殺られろというのか?」


「何の拷問だ」と、葡萄酒を飲み干し

畳に瓶を投げるボティスに

「まあまあ」と 茨木が宥め

「だが何とかせねば、ひなたがのう... 」と

紙飛行機を拾うて、ひなたに飛ばして返す。


ひなた、と言われると

ボティスも黙る。


「... 清姫は、庭に顕れる時は

女のかたちであるのだ」


桃太か言う。


「蛇体となり、頭も蛇と化すが

逆に、戻りもするのではないか?」


求めるものが 与えられれば、と。


「逃げぬだけで、良いのではないか?」


そうかもしれぬ


お前を娶る、と言うたのを 信じて待ち焦がれ、

愛しくて追うたのだから。


「来たようだ」


酒呑が、障子の向こうに眼を向ける。


『安珍様』と、焦がれ 絞り出すような、女の声。


「... 離れていろ」


長い牙の間から、ふう と息をつき

ボティスが言うた。




********




御簾みすを持て」と、茨木が言うと

幾人かの女が、ガタガタと震えながら

御簾の屏風を運び、ボティスを囲むように立てた。コの字に囲まれ、儂等から見ると

左側が開いておる。


御簾とは、すだれである故

開いておらぬでも、充分に

ボティスが 片膝を立てて座り

酒の杯を傾ける様子などは見える。


「良い酒のツマミじゃ」と、酒呑が笑い

儂の隣に腰を降ろし

ちぃと離れるかと 身を動かすと

「狐、お前は神使らしいな」と

茨木が 逆隣に座り、儂は鬼に挟まれた。


むうう...  まさか喰われはせぬであろうが

茨木は、刀を自分の近くに置いておる。


桃太や浅黄も、儂を気にし

斜め前の辺りに座り

また酒を勧められ、ちびちびと飲んでおる。


『安珍様』と呼ぶ声は

今は『おのれ』と怨の籠った声となり

蛇と成りきった清姫が、畳や壁を這い回る。


三周程 這い回ると『そこにおったか』と

気焔を吐き、御簾屏風の中へ這って行った。


ボティスの目の前に鎌首を上げ

また、ごう と 気焔を吐く。


「そうか、なかなかだ。見慣れてきた」


ボティスは手酌で酒を注ぎ

『おのれ安珍』と唸るじゃの清姫に

「そうだ、よく見つけたな。どうしたい?」と

問うて、酒を飲む。


「情緒がない」と、茨木が

隣で 軽く横に首を振る。ふむ、確かに。

「お前も呑め」と、酒呑が儂に

酒の杯を持たせる。


「どうした? 俺を追って来たんだろ?

火を吐くことが、お前のやりたいことなのか?」


挑発しておる気がするのは、気のせいであろうか? かかってくれば殺る という調子に見える。


清姫は、ボティスに カッと口を開いて見せたが

ボティスは動じなんだ。


「俺は もう逃げん」


ボティスの右肩に、清姫は頭を乗せ

そのまま背に降りて、身体に巻き付いていく。


しゅうしゅうと音が立ち

衣類などの焦げる匂いが届く。


「お前は、また俺を焼き殺すのか?

せっかく会えたというのに」


清姫は ぞろぞろと身体中を這うて

身にも右脚にも、左腕にも巻き付くと

また鎌首を ボティスの前に向けた。


ボティスは、右手の酒の杯を置き

清姫の蛇の頬に その右手で触れる。


包むような 触れ方であった。


「顔を見せろ。本当に お前なのか と疑う」


蛇の眼から涙が落ち、鱗が融けると

髪が伸び、女の顔へ変貌していく。


「良し」


儂は何か、胸に ちくりとした。


「お前だ。だが、初めて お前を見た時は

お前の肌は白かった。夜、寝所に来ただろう?」


そうじゃ

清姫は、どうにも安珍に焦がれ

堪えきれず 夜這いに参った という。


ボティスが、頬から手を離すと

清姫は、巻いた蛇体を解いていく。


ボティスの前に、蜷を巻き 向き合うと

清姫の首が白くなり、肩が出て

白く細い両腕が伸びた。


豊かな胸と白い背。くびれた腰と

なだらかな曲線の下に、白い脚が伸びる。


清姫は、若く張りのある 雪のような肌をしており

すっかりと戻った身で、ボティスの前に立つ。


「そうだ。変わらんな。

俺は、美しいお前の肌に戸惑った。

お前の熱に、情けなく 怖じけていた」


清姫が、ボティスの前に膝をついた。


儂は、膝を濡らして ようやく

手に持った杯を落としたことに気づいた。


「榊... 」と、桃太の声がした時

隣で 茨木が刀を持って立ち上がり

酒呑が、儂の眼を塞いだ。


「お前は、何をしている!」


ボティスの怒鳴る声。


何じゃ? 何が...


酒呑が 手を放す。


「すまん。見ておれんかった」


御簾の向こうでは

ボティスの胸に、清姫が頬を埋め

茨木の刀には血が付いていた。


清姫を庇ったものか、ボティスの上腕に

長く紅い線が見える。


『安珍様... 』


清姫には、ボティス以外 見えておらぬ。


「茨木は、お前の顔を見ていた」と

酒呑が儂に言う。


「終わりだ。ひなた、許せ」


茨木が 刀を振り上げ、ボティスが息を吹き

何かの円を敷く。


魂を 滅する気でおるのだ


やめよ、と 言うつもりが 声が出ぬ。

儂は、何故

いつから 泣いておったものであろうか?


「清姫」


清姫の背後に、角のないボティスが立っており

茨木を手で制しておる。


清姫は、ふと ボティスの胸から顔を上げ

己の名を呼んだ声に振り返った。


角のないボティスは、膝を付き 両腕を広げる。


『... 安珍様!』


清姫は、ようやく見つけたという表情かおになり

涙を流し、腕の中にいだかれた。


本当に、安珍が降りたものか と

そう思うた。


だが、桃太の隣に 浅黄の姿がない。


清姫を両腕に抱く 角のないボティスには

黒き耳が見え隠れする。


「すまぬ、すまぬ。つらい想いをさせた。

お前は 俺を許そうか?」


腕に抱いた 清姫の頭に

浅黄が自分の頬をつける。ボティスの顔をして。


「俺は、愛されることも

求められることも 知らぬ者であったのだ。

すぐに お前を、受け止め切れぬだった」


髪を撫で、白い耳に触れる。

肩を固く抱いた手を緩め、背に滑らせ

腰まで落とした。


顔を上げた清姫が、浅黄の眼を見つめ

『安珍様』と、名を呼ぶと

「お前を好いておる」と、浅黄が言う。


「お前は まだ、俺を受け入れようか?」


赤き眼で清姫を見つめ、耳に触れた手を

うなじに回す。

薄く くちびるを開くと、清姫のくちびるを覆い

涙を流す清姫に、息も継げぬ程

幾度もくちづける。 幾度も 幾度も


「もう俺を離さぬがよい」と

抱く白き曲線の腰を引き寄せ、膝に乗せ

指が肌に食い込む程に 強く抱き

「朝まで幾度、お前を愛そうか」と

また深く くちづける。


茨木が、脱いだ着物の上を

御簾屏風に掛けた。


... 求める というのは

ああいったことなのであろうか


「榊」


名を呼ばれるまで、ボティスが近くに来たことにも、酒呑が儂の肩を包んでおることにも

気付けぬまま。儂は ただ泣いておった。







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