白い月の下 4

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「さて。本日は

いよいよ第一種目の物化けである」


山の楠の広場で、真白爺ましらじいが言う。


他の山の山神が この山に参るのは

最終種目の総勢術の夜だけであるが

合戦相手の狸の者共と、審査のいたちの者共は

昨夜から儂等の山に入っておった。


昨夜は里をあげての酒宴を催し

散々に騒いでおったが

今朝は朝より、皆 顔付きは締まっておる。


午前の内から、ある飲食の店に入り

物化けするというのじゃ。


泰河と朋樹の懇意の者の店である。

「沙耶ちゃん」と、よく二人が言うておるが

その者の店であろう。


二人が相談すると、沙耶という者は

「まあ、百年に一度だなんて!」と

快く自分の店を、物化けの会場とすることに

同意したという。

ありがたい話であるが、奇特な者であるのう····


霊獣である儂等には、ノミや病の心配は要らぬが

喜んで化け狐や化け狸を店に入れるとは。


本来ならば、物化けの期間は一昼夜であったが

店が開いておる時間いっぱいとなる。


だが半日程であろうが、店で化ける物は

実用性のある物に限られる。

それが初めて目にした物であっても

完璧に化け、且つ機能も果たさねばならぬ。


店には、物化けをやる狐と狸の計八名に

審査の鼬が二名

狐と狸からも一名ずつが付き添いで入る故

泰河と朋樹も一日その店におるという。


「店に入る狐は榊か?」と

泰河に聞かれたが、儂は首を横に振った。


店に入れば、神社に行けぬことになる。

今日も風夏が待っておる故。


桃太も物化けもせず、店にも入らぬようじゃ。


「じゃあさ、客は映さないようにして

ちょくちょくスマホで中継してやるよ」


「ふむ。よろしくのう」


儂等の山からは、まだ若い野狐四名と

羊歯が行くこととなった。


店に入る者共が出て、しばしの時が過ぎ

泰河から連絡が入ると

皆スマホンの中継に釘付けとなる。


『狸は、椅子が二人とエアコンが一人

ティーポットが一人。

狐は、テーブルが二人とトレイが一人

観葉植物の鉢が一人だ』


ぬっ。鉢であると?!


「植物の鉢じゃと?!」


儂の思いを代弁するように、蓬が青い声を上げた。

「まるで実用性がないではないか!」


「ふむ····」


玄翁も溜め息を吐くが、真白爺はニヤニヤと

白く丸い顔で笑う。


「若狐の失策であったのう、玄よ」


真白爺の言葉に、玄翁は「うむ」と頷き

「じゃが真白ましら。ティーポットというのは

上手くないのではないかのう? 茶は熱い故」と

笑い返した。


互いに横を向いて、早くも厳しい表情になる。

玄翁は真白爺と顔を合わすと、すぐこのようになるからのう····


浅黄と慶空、狸の護衛も

一波乱 起こっては、と

玄翁と真白爺の より近くへ参った。


『早速 お客が来た。狸の椅子に座ったぜ。

狐のトレイで水を運ぶ』


ふむ。


スマホンの中で、朋樹がトレイを手に乗せ

グラスの水を運ぶ。


『何事もなくトレイはクリアだ。

椅子も今のところ耐えている。

エアコンも問題なく動作中』


それから店は忙しくなり

泰河や朋樹は店の手伝いをしておったが

鉢はもちろん、テーブルになった者も

トレイもなんとか耐え忍び

狸共も昼時の慌ただしさを耐えた。


むう。なかなかであるのう····

だがまだ、ポットは使われておらぬ。

珈琲や冷たい物の注文ばかりであった。


「榊」


桃太が儂に目配せする。

おやもう、風夏との約束の時間かのう。


桃太に頷き、玄翁に

「一時 出て参る」と言おうとした時であった。


『····きたぜ。ついに紅茶の注文だ』


むっ。これだけ見て行くかの。

儂の隣で桃太も伸び上がり

他の狐や狸の頭の上から小さな画面を覗く。


「むっ」

「これは····」


玄翁と蓬が声を出す。


朋樹の手のトレイの上で、耐熱硝子のポットが

ほんのりと赤くなり、小刻みに震えておる。

あれは紅茶の色ではない。


「おやおや、これは客に出せぬのう。

客にこぼしては大惨事じゃ」


玄翁、嬉しそうだのう...


画面の朋樹が

客のテーブルへ向かうのを躊躇しておる。


『いや、待てよ····』


泰河が画面を、朋樹から窓際に移動させた。


緑の葉の鉢じゃ。

なんということか、狐尾が出ておる····


「おおー····」と周囲から、残念がる声が響き

画面の向こうでは、人化けした鼬の一人に

鉢狐が店の外へ出された。


一人脱落じゃ。

あ奴め。気を抜き 居眠りしおった。


すぐに『あっ!』という朋樹の声。


客の前まで行かず、引き返そうとした朋樹の前に

狐と狸があらわれ、ギャーギャーと鳴いて

店を飛び出した。


ふむ···· ポット狸が耐えられず

トレイ狐が巻き添えになったのであろうのう····


朋樹は瞬時にけて、靴以外は濡れておらぬが

『失礼しました! すみません!

すぐに新しい物をお持ちいたします!』と

客に詫び

人化けした羊歯と、同じように付き添いで店に

入った人化け狸が床を掃除しておる。


「これは、我が狐軍の者は

ポットの巻き添えになっただけであろう?

再戦させてもらおうかのう」


玄翁が言うと

真白爺は イヤイヤと首を横に振る。


「トレイであれば、何かこぼれようと

微動だにせぬものだろう?

アクシデントは承知であったはず」


これに玄翁はムッとするが

儂が聞いておる分には

真白爺が正しいように思うのう····


「何もせぬ鉢なんぞになり、居眠りで退場したとあっては、そう必死になるのも

分からないことはないが。

ここは鼬に判定を任せようではないか」


鼬たちは玄翁の手前、短い協議に入ったが

やはり真白爺が正しいとし

真白爺は丸い顔に満面の笑みを浮かべた。


機嫌を害した玄翁は、ふんと顔を横に向け

なんと「白いましらめ」と呟く。


「何? 玄、今何と申した?」


「はて何のことであろうのう?

お前は白く、マシラという名であろう?」


「そのマシラとは、どのような意味で言うた?

俺は、雪のように白いから真白ましらなのだ」


「誰もさるとは言うておらん。猿に失礼である。

猿がこのように突き出た腹をしておるものか」


おお見苦しい。このような姿は

決して他の山の山神に見られてはならぬ。


普段の威厳は何処へやら。

すっかり血気盛んで、くだらぬことにこだわ

若き頃の心に戻っておる。


真白爺の白き顔は、先程のポットの様に

赤くなった。まずいのう····


「玄翁····」

「いや真白殿、玄翁は決して悪意は····」


無理な言い訳よのう。

言い訳にもなっておらぬが。


真白爺が手に印を組むと、玄翁の真下の木の葉が渦を巻いて舞い、玄翁が地に尻餅を着く。


「おのれ····」


「相変わらず弱いのう。

この程度で尻を着くとは」


カッカッと真白爺が笑うと、玄翁も印を組み

真白爺の尻に狐火で火を付けた。


さて、それはもう大乱闘じゃ。

術ではなく取っ組み合いをしておるが。


浅黄らが止めようと近寄ると、いつの間にやら

玄翁か真白爺が張った結界に弾かれる。


「榊! 見ておらずに止めよ!

鼬の者等も おるのだぞ!」


どうせもう充分に見られておるではないか。

気が進まぬのう····


右手を肩の位置に上げ、界を開く要領で

結界を破り、無効にする。


結界が破れるとバチバチと空気が鳴り

皆 一度、風圧に押された程じゃ。

取っ組み合いの喧嘩のために

このように本気で結界を張ろうとは····


「今じゃ!」と、二人の護衛共が割って入り

互いの長を押さえ込む。見ておれぬのう。


二人はまだ子供のような言い合いを続けておるが、一時ひととき 二人を離そうということになり

玄翁は里の屋敷にて頭を冷やすこととなった。




********




遅うなった。約束の時刻はうに過ぎておる。


神社に着くと、風夏は社の裏にポツンと座り

先に到着した桃太が おろおろと

風夏の周りを彷徨うろついておった。


「風夏、済まぬ。遅うなったのう」


風夏はキッと顔を上げ、儂を睨んだが

すぐにボロボロ泣き出した。


「どうしてちゃんと来てくれなかったの?

どうして?!」


「済まぬ。所用があった故····」


「お姉ちゃんに会って来たの?!」


風夏は立ち上がり、ごしごしと眼をこするが

涙は後から後からあふれ出す。


「いや、幽世かくりよには行っておらぬ」


「それならどうして?!

私、もう お姉ちゃんに会えないのに!

どうして独りにするの?!」


「風夏····」


風夏は、夕暮れの神社から走り去り

「どうするかのう」と、桃太が呟いた。

杉の木の影の隣に、狐耳の儂の影が長く伸びる。


儂は右手を上げ、界を開いた。

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