22


「城壁は済んだな」

「おう、後は魔法円だな」


泰河が持った 水瓶の聖水に

月桂樹の葉をひたして散水する。


単純作業でラクだけど、寒いんだよな

相変わらず。


でも、日本に比べて 雪は少ない気がする。

たまたまかな?

空も どんよりしてることは あんまりない。


「朝のことだけどさ、あのロジィって人。

狼から人間に戻ってから、消えたよな」


確かに。消える前に変異は解けてた。


「あの時に、契約主が 契約解いた ってことか?」


「どうなんだろうな... 」


ハーブ入りの聖水を ぴゃっぴゃと散水しながら

考える。


オドレイは マルコシアスが契約を破棄しても

狼のまま教会から消えた。

狼の姿のまま、精神が身体に戻った ってことだろう。


トマも消える時に『人間に戻った』とは

聞いてない。

目を覚ましたから、精神が身体に帰ったんだと思う。


ロジィの精神が 人間の姿に戻る前に

泰河が ロジィに触れた。模様の手で。


「朝の あれってさ、泰河が触ったから

人間に戻ったんじゃねーの?」


「でもオレ、その前に捕まえたぜ。

触ってるじゃねーか」


あ そうか。

階段の下で捕まえたんだよな。


「琉地が入ったからじゃねぇの?」


「いや、違うと思う。

琉地は 憑依 解いたりとかさぁ

そういう直接的なことはしねーんだよな。

ましてや、悪魔の契約を無効になんか

出来ないと思うぜ」


呼ばれたと思って、琉地が来る。


「琉地、おまえ今日 えらかったじゃん」

「大活躍だったな」


琉地は嬉しそうに ピスピス鼻鳴らして

太い尻尾を振りながら、オレと泰河の間を歩く。

空いてる方の手で、琉地の頭を撫でると

ないはずの体温を感じた。


「やっと終わったなー」


最後の魔法円にも散水が終了し、城門に入ろうとした時に、泰河が立ち止まって

「あれ何だ?」と西側の城壁の角を見ている。


「うわ... 」


... 女の顔だ。


城壁の角の 高さ3メートルくらいのところから

真横に出ている。ブラウンの髪。

あの位置から あの角度 って何だよ。


「悪魔は 城に近寄れねぇんだよな?」


「じゃ、霊 か?」


あれ? 霊って、泰河 見えねーんじゃねーの?


泰河は 左眼を隠して、右眼で見てた。


「こっちの眼でなら見えるぜ」


そうか ボティスが言ってたな。

泰河には 実は、そういう感はあるんだよな。

抑えられてるだけで。


「あっ、手が出たぜ」


真横に突き出ている女の顔の上に

手が出て、城壁の角を掴んでいる。


逆の手が、真横の顔の下から出て

のろのろと壁に沿って伸びる。


「あいつ、こっちに来ようとしてね?」


「まぁな。普通、眼ぇ合わせてたら来るぜ」


角を掴んでいた顔の上の手も、壁に沿って

のろのろと伸びる。


「どうする?」


「どうするって言ってもなぁ...

喋れなさそうだよな、なんか」


元々は人霊だったんだろうけど

もう、人霊では なくなったっぽい。

さ迷う間に、自分が誰だったのか わからなくなってそうだ。


角から 女の肩や胸が出た。

なんか、中世の話の映画とかで見るような

フリルの襟の付いたブラウスを着ている。


それが背骨を無視して、角を直角に曲がって

壁に貼り付く。顔だけは こっちを向けて。


女はまた手を、片方ずつ伸ばした。

両手を壁に付き、ずずう... っと また身体を角から出して、壁に貼り付いたまま 這わせて来る。


そのうちに女の全身が出た。

モスグリーンのスカートの脚は、まっすぐな形で壁に貼り付いているようで

腕だけで こっちに這って近づく。

壁女だな。今 命名。


「おまえ、祓える?」


「オレ、説得派なんだよな。

喋れんのかなぁ? 泰河は?」


「蛇羅尼か般若心経しか無理」


まだ だいぶ距離あるけど、こっちまで来る気っぽい。無視するのも何だよなぁ...


「聖水は?」


「あっ、試してみるか」


寒いし、時間かかりそうだし

こっちから近づいてみることにした。


しかしさぁ、考えてみたら

城壁にも、聖水 散水したんだよな。

清めたのに出るとか、相当 強いぜ。


琉地が 普通に付いてくる。

唸ったりしねーなぁ... 悪い霊じゃないのかな?


壁女まであと2メートル ってとこで

一応、話しかけてみた。


「お姉さん、何してんの?」


壁女は這うのは止め、オレらを見下ろしている。グリーンがかったブラウンの眼。

近くで見ると、割りと しっかりして見えるな。

変なモノには なってないっぽい。


「日本語だけど、話せる?」


壁女は無言だ。


耳を立てた琉地が、身を低くして唸り始めた。


月桂樹の枝を、泰河が持つ水瓶の聖水に浸すと

壁女は、下になっている方の腕を真横に動かし

人差し指で丘を指した。


「ん?」


よく晴れた、冬の白い日差しの下に

枯れ色の草の先が 風になびく。


草の間を、何かが見え隠れする。大量に。


「霊だ。全部」


片眼を隠した泰河が言う。


「あれ、全部か... ?」


何十人もいる。

ゾンビさながらに 両腕を前に伸ばして

ざわざわと城に向かって歩いて来る。


「アリエル狙いかよ?」


「ノウボバギャバテイ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ・ボウダヤ・バギャバテイ... 」


泰河が陀羅尼を唱えると、霊達は ちょっと立ち止まる。


「... タニャタ・オン・ビシュダヤ・ビシュダヤ・サマサマサンマンタ・ババシャソハランダギャチギャガナウ・ソハバンバ・ビシュデイ... 」


ダメだ。

スピードは落ちたけど、じりじり近づいて来やがる。


琉地が 丘に向かって走った。


「おい、琉地!」


「ルカ、オレらも行こうぜ」


泰河が走り出す。算段もナシにさぁ。


で、水瓶の聖水を霊の方に向かって

「オラァッ!」って ぶちまけやがるし。

オラ じゃねーよ もう!


「風! 煽れ!」


風の精霊が、枯れ草に落ちた聖水を

空気中に ばらまく。

霊の歩みが止まり、前の方にいた何人かは消えた。


琉地が霊に衝突して、腰をつかせ回っているが

それでも まだ数が数だ。

ぞろぞろと また向かって来る。


「やばいな。どうする?」


空の水瓶を放り出すと

また片眼を塞いで、泰河が言う。


「どうするじゃねーよ! 聖水 全部ぶちまけやがって!

おまえ いつまで眼ぇ塞いでんだよ!

片眼 閉じりゃいーだろ!」


「オレ、ウインク出来ねーんだよ!

両眼 開けてたら ブレやがるしよ!

ん? ルカ、おまえ 指の文字 光ってるぜ」


お?


自分の指に眼を落とすと、目の前に白い煙。

琉地だ。

オレの背後に回って、いきなり背中に飛び付いた。


「うおっ!」


前のめりになって 地面に両手を着く。


「なんだよ、琉地... 」


両手の下で地面が脈動する。

ドン と、身体に衝撃が響いた。


手の下に、何かの存在を感じる。


「ルカ、おまえ 何やってんだよ?!

立てよ! ... あれ?」


顔を上げると、霊達は立ち止まっていた。

足の下から 煙を立ち上らせて。


... 地の精だ。初めて会ったぜ。


「精霊が 霊の足は止めた。

どうする? ジェイド呼ぶか?」


オレが言うと、泰河は「そうだな」と

もう目の前に迫っていた男の霊と 眼を合わせ

「まとめて送ってもらうから、待っとけよ」と

霊の頭に、右手で ぽんぽんと触れた。


男の霊が、光となって消える。


「え?」


... わかった。


「泰河、頭だ!」


朝、狼になったロジィの頭にも

泰河は 右手で触れた。


たぶん、浄化しちまうんだ。

ボティスは「すべてにおいての切り札になる」って言ってた。


相手からは干渉出来なくても

泰河... あの獣からは、すべてに作用出来る。


子供の時に山で見た 黒い影のことも

獣は、そこにいるだけで霧散させた。


「頭、触ればいいのか?」


泰河が 他の霊に近づいて、右手で頭に触れると

霊は やっぱり 光になって消えた。


「すげぇじゃん!」


イケるぜ、これは。


泰河は、右眼で自分の右手を見て

嬉しそうに オレに顔を向ける。


「なんか すごくね?」


「おう! 早く浄化しちまえよ!」


とは言っても、この大人数だけど...


泰河が 霊の方に向き直った時、声が聞こえた。


「掛けまくも畏き伊邪那岐の大神

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に

禊ぎ祓へ給ひし時に... 」


霊達が 次々に薄れて、燐光に包まれていく。


「えっ?」

「あれ?」


「祓い給え 清め給え... 」


あれだけいた霊が、全部 消えた。


「何やってんだ、おまえら。

あっ、泰河。その顔の白いの何だよ?」


朋樹だ。

迎えに行ったのか、一緒にいたディルが

今の光景に、口を開けている。


「朋樹! おまえ、一気にかよ!」

「何すんだよ!

せっかく オレがやろうとしてたのによ!」


「はっ? なんだよ

苦戦してたんじゃねぇのかよ... 」


「うるせー! オレら 今までとは違うんだよ!」

「いいとこ持ってくんじゃねぇよ!」


朋樹が ムッとした顔になったのを見て

ディルが口を挟む。


「城で、シェムハザ様がお待ちです。

アリエル様が パンケーキを焼いておいでですよ」


パンケーキか...


「フルーツのソースも作られました」


とりあえず 城の広間に戻ることにした。

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