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それからは特に、なんてこともなく

ほけーっと毎日を過ごしていた。


依頼が入れば 仕事に行ったり

しょっちゅう実家に帰って、リンにいいかげん

煙たがられたりして。


オレが ほけーっとしててもガチャガチャしてても

時間は過ぎるし、季節も巡っていく。


それは早いもので

カフェから見える河原からも、山々からも

桜の花の色は もうほとんど見れなくなった。


レナちゃん

あの子は、何者なんだろう?


しっかりした生身の身体があったし、妙な感じも受けなかった。

普通の人間ではあるんだろうけど。


近いうちに つらいことが起こるかもしれない

妹に... と、あの子は言った。


それは、預言だという。

誰から 言葉を預かってるんだろう。



リンが生まれた時、オレは もう10歳だった。


どこにでもある 白い壁なのに

温かで柔らかな病室で

母さんに抱かれるリンに 初めて会った。


窓の外には、雲ひとつない高い青空に

木々の赤や黄色の 鮮やかな色。


天気がいい 明るい日だった。


小さな頭に 栗色の細い髪の毛。

母さんに抱かれて、うとうと眠り

小さな口を 小さく動かしていた。


紅葉くらいの ふっくらした手の、指のかたちや、小さな つめ。

オレの指を、その手のひらに置くと

反射で きゅっと握る。


生命力 というのは、春に芽吹く芽や

アスファルトを割って伸びるようなもののことだと、その時までは思っていた。


母さんに手伝ってもらいながら、まだぐらぐらするリンの頭を支えて、胸に抱いた。


かわいい匂いが鼻をくすぐり

ふんわりとした、でも確かな重みと温もりと

温かな何かが胸を占める。


リンは、眼にオレを映して

オレの口元に手を伸ばしてきた。


まぶたに涙がたまっていたことにも気づかずにいると

「ルカ。それは、いとおしさというものよ」と

母さんが言った。



リンが、つらい想いをするという。


イタリア行きが中止になるとか、彼氏にフラれるとか?

まったく陳腐なことしか

思い浮かばねーんだよなぁ·...


だけど、レナちゃんの言ったことが

デタラメとも思えない。


ここら辺にある占いサロンとか、ゴスロリ系のショップを当たってみても

レナちゃんに該当する子はいなかった。


紺色の壁のリビング兼寝室から見える庭を

ほけーっと眺める。


草の丈は オレの膝くらいはあるかな。

庭っていうか、藪だよな もう。

昨年は蚊に刺されまくったし、今年こそは

なんとかしねーとなぁ...


スマホが鳴る 父さんだ。


『ルカ。すぐに帰って来てくれ』


「あ? おう... 」


通話は それで切れた。

なんだよ、愛想ねぇなー。


... ん?

平日だぜ、今日。時間は 午後3時。

父さん、仕事じゃねーのかな?


まあ、とりあえず帰るか。


ドラッグスターを道路に出すと、跨がってエンジンをかけた。




********




「父さんな、大型二輪の免許 取ったんだ」


「マジで? いうか今日、仕事は?」


「休んだ。社長特権だ。

社員には ピザ差し入れしといたから大丈夫。

ルカ、バイク貸してくれ。

おまえが なんか用事入ったら、父さんの車使っていいから」


「まあ、いいけど... 」


ヘルメットとバイクの鍵を渡すと、父さんはサングラスをかけ、うきうきして玄関を出た。

このために呼んだのか...


オレも好きにやってるし、リンもまだ高校生とはいえ、でかくなったし。

父さんも好きなことが出来る時間が増えてきたんだろーなぁ。


母さんに呼ばれて返事すると、夕飯の食材を買いに行きたいと言うので、車を出すことにした。


「先にね、球根を買いに行きたいのよ」


「球根?」


「グラジオラスのね」


園芸店に行くと、母さんが球根やら何やら選ぶ間に、オレも店内をフラフラ見て回った。

白いプラスチックの鉢の苗木とか

黒いビニールポットに入った、名前は知らないけど 見たことはある花とか。


実家には、家の周りに柊が植えられ

庭にはオリーブの木。

母さんが季節ごとに花を植える花壇や、他にも植物の鉢がいくつもある。


球根と小さなポットの花を買って来た母さんに

何か栽培が簡単なものはないか聞くと

「ルカは、ミントとかクローバーでいいわよ。

勝手に育っていくわ」と言うので

どっちも種が入った袋を ひとつずつ買った。


スーパーや八百屋に寄って家に帰り、庭の花壇に球根を植えるのを手伝う。

グラジオラスだけでなく、ダリアも植えて

夏には また花壇が華やかになりそうだ。


次は、玉ねぎの皮を剥くように言われて

三つ ぺりぺりと剥く。


ソファーに座ってテレビ観ている間に

「いやぁ、バイクはいいなぁ」と

バイクのカタログ持って父さんが帰ってきた。


「父さんもバイク欲しいから、ルカ、おまえ 一緒に見てくれよ」と

カタログを 一冊渡されて、ページを開く。


ハーレーかぁ...

このクラスのやつは オレには手が出んなぁ。


キッチンからカレーの匂いがしてきて

窓の向こうは、夕暮れの色を越え

もう夜がきた。街灯に明かりが灯る。


「今日、リンは?」


ダイニングの仕度を手伝いながら聞くと

昨日から 友達の家に泊まりに行ってるらしい。


「帰って来んの、遅くね?」


母さんはブラウンの でかい眼でオレを見て

軽く ため息をついた。


「まだ七時よ。

あなただって リンくらいの頃は、明け方に帰ってきたり、二~三日連絡もしないで家にいないのが普通だったじゃない」


そうだけどさぁ...


祈りと食事も済んで、リビングのパソコンでバイク情報を検索していると、やっとリンが帰って来た。


「ただいまぁ... あ、ニイ またいるんだ」


「悪いのかよ」


「暇そーだよね。

お母さん、今日カレー?」


外で軽く食ってきたが、また食うらしい。


「やっぱり 一日じゃ決めきれんなぁ... 」


コーヒーを淹れてくれた母さんが、パソコン画面を覗き、価格の桁をみて眼を丸くした。


「ハーレーには 決めてんの?」


父さんは頷く。


「だって かっこいいじゃないか...

今度 ライダースジャケットも買いに行くから

付き合ってくれよ。

あっ、先に母さんの服やバッグを買ってからだけどな」


母さんは笑って ダイニングへ戻った。


このコーヒー飲んだら、今日は帰ろうかな。

カップの半分になったコーヒーの表面に

天井の室内灯の明かりが映る。


「リン?」


ダイニングから 母さんの声がした。

またリンに呼び掛けている。


「リアーナ、どうした?」


父さんが母さんに聞きながら

ダイニングに移動し、オレもすぐ後に続く。


リンは、食べかけのカレーを前に

ダイニングの椅子に座っている。


スプーンは床に落ちていた。


まっすぐに前を見ていて、隣から呼び掛ける母さんの声にも反応していない。


「リン?」


父さんも呼び掛けて、肩を軽く揺するが

リンはまったく動かず まばたきすらしない。


なんだ... ?


胸の中で 鼓動が大きくなる。


急に レナちゃんを思い出した。

髪の黒いリボンを。


「あなた... 」


「病院に連れて行こう。

ルカ、車に乗せるから 手伝ってくれ」


母さんが バタバタと保険証なんかを用意し、

オレと父さんが リンを両脇から支えて椅子から立たせようとしたが、リンの身体は固く硬直していた。


父さんが椅子からリンを抱き上げようとした時に、母さんがイタリア語で 小さく祈りを呟く。


突然、リンが絶叫した。


オレと父さんを撥ね飛ばすと

リンはその場に倒れ、身体を痙攣させる。


「救急車を!」


母さんが 家の電話の受話器を震える手で取り

オレと父さんは 倒れているリンに近づく。


父さんがリンの顔を横に向け、背中をさするが

オレは、眼を剥いて痙攣するリンを側で見ていることしか出来なかった。

下手に触るのが怖かった。


ふいに、妙な臭いが鼻を掠める。


いつの間にか オレの背後に琉地がいて

鼻の上に皺を寄せ、牙を見せながら

リンに向かって唸っている。


「琉地、よせ」


琉地は聞かなかった。

唸りながら、リンに じりじりと近づこうとする。


外からサイレンの音が近づき、家のすぐ近くで

その大きくなった音が途切れると

インターフォンが鳴った。


救急隊員が家に担架を運び入れ

二人がかりでリンを乗せると、救急車に運び入れている。


母さんが救急車に同乗し、オレと父さんは車で病院に向かう。

車に乗り、病院に着くまで

オレも父さんも 何も話せなかった。

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