彼らの常日頃
脱兎
咲敷学園の生徒会長
プロローグ
これは今から半年くらい前のこと。
「・・・・・・ここ最近のリア充増加による風紀の乱れをどうにかしろ、だと。あんな下半身に全神経を張り巡らせた連中の考えなんて俺に分かるわけないだろ。伊達に彼女いない歴即ち年齢貫いてねえよ。そもそも愛ってなんだ、恋ってなんだ、なんで俺ばかりこんな目に!」
一人きりの生徒会室で会長は頭を抱えた。目の前にあるのは先程風紀委員会から手渡された要望書。
彼が口にした通り、バレンタインからそう日の経たない今の時期、学校中に甘い空気が漂っている。
それは比喩であり、実際の現象でもある。
しばしば節度ある交際を説いている風紀委員会にとってはこの事態は由々しきものなのだろう。
しかし問題はそのしわ寄せが自分一人に来ていること。
「他の生徒会メンバーもなんか浮ついてるし・・・・・・くそっ、クールキャラを貫き過ぎたか。あいつら俺をなんだと思っているんだ」
ストーブが故障してしまったため、広い生徒会室は季節柄肌寒く、不意に身体がブルりと震えた。
冷たい風が窓を揺らし、それが一層この空間の寒々しさを強めている。
切れ目の双眸が特徴的な端正な顔立ちに、引き締まった体つき。成績優秀、運動神経バツグン、完璧主義の彼の実状は、皆から尊敬と畏怖の念で見られる高度なボッチであった。
つまりは頼る者がいない。
いくら天才と呼ばれようと、知らないことは多分にして存在する。他人に訊いたこともないわけでもなかったが、固定観念のように染み付いた彼のイメージ故か、満足のいく答えが返ってきた試しがない。
「誰か俺に好きの定義を教えてくれ・・・・・・いや、こんなパッシブだから駄目なのか? 俺が自力で知らないといけないと言うのか。くそっ、このままじゃ新しい生徒会規約の執行さえ出来ねぇ」
口から漏れる呻き声が静かに木霊する。
恋愛に疎いという事実を認めたところで、ではそれに救いの手を差し伸べてくれる存在に心当たりはあるか、いや、ない。
友人が、互いの感情を共有できる人間は確かにいる。しかし、それはあくまで友好関係の延長線にあるものだ。この証明を解く一般解足りえない。
長考の果てに彼が導き出した答えとは。
「次にこの部屋の前を通ったのが男子だったらいっそのこと校内での男女交際禁止。女子だったら・・・・・・女子だったら・・・・・・俺がそいつに交際を申し込む・・・・・・か」
何か斜め上の答えが出てしまった気がしないこともない。解を急ぐ悪癖が裏目に出たか。
そうと決めた会長は要望書を机に置くと、開いたドアから覗く廊下を凝視した。
放課後になって時間が多少過ぎているので校舎にはあまり人がいない。なので人が来ない可能性も十分あった。
そのまま暫くして、漸く廊下の奥から足音が近づいてくるのが聞こえてくる。
そして次第にそれは生徒会室の前に差し掛かった。
果たしてそこにいた者は・・・・・・。
その僅かな過去に。
「・・・・・・やはりこの話は彼一人に一任するには少し手に余るかしらね」
職員室の自分の席で、センセイは持っていた資料を整えて、そう呟いた。
腰まで伸ばされた艷やかな黒髪を掻き揚げ耳にかける仕草をすると、センセイは短く嘆息して椅子に背を預けた。
「あの子達も酷ね・・・・・・いくら彼が優秀だからといって何もかも頼りすぎじゃないかしら」
センセイの表情はどこか憂いを帯びているように見える。冷たい印象を与える美貌ながら、生徒を心から心配するその教育方針には生徒達からの信頼も厚い。
美人女教師、彼女を狙う人は多いという。
風紀委員会顧問でもあるセンセイの元には、時折こうして風紀委員会から活動報告が入る。
しかし、『一強』生徒会長の台頭と同時期に、大いに人員を減らしてしまった風紀委員の活動は次第に会長の威光に依存する形となっていた。
そして今回もまた、大枠こそ決めているように見えるが、その本筋は会長の裁量に委ねられている。丸投げのようなものだ。
「・・・・・・仕方ないわね、私も少し手を貸すことにしましょう。もし彼が倒れてしまうようなことがあればこの時期には大きな損失になりかねないわ」
そう口にして、この一件については自己完結を図る。
資料を机の上に置いて、センセイはすっと立ち上がった。ピンと伸びた背筋は彼女の美しさをより引き立てている。本人にとっては当たり前のことだが、男性陣は無意識に視線を吸い込まれた。
職員室を後にしたセンセイは、内と外の寒暖差に身を震わせた。廊下の窓からはグラウンドで寒空の下走り回る陸上部や、白い息を吐きながら雪かきをするボランティア部こと奉公部らの姿が見える。
ここ咲敷学園は県内でも屈指の規模を誇り、数多の部活も存在している。また委員会などの組織もそれに比例してかそれなりの数がある。その中にあって一年生ながら生徒会長を務める会長の能力は群を抜いていると言える。
会長のことを考えながら歩くセンセイはまだ知らない。そのほんの少し未来に予想だにしない事態が待ち受けているということを。
★☆★
「はぁ・・・・・・やっと終わったか。これで夏休み明けの行事の運営が滞りなく進んでくれるといいんだがな・・・・・・」
仕事からの開放感もそこそこに、会長は茹だるような暑さにキーボードへと突っ伏した。
夏休み前日、終業式の日の放課後である。
夏休み明けに待ち受けている文化祭、体育祭、校内対抗大ドッジボール大会エトセトラエトセトラ。その全ての進行表をやっとこさ完成させた会長は寝っ転がったままPCの電源を切った。
事実から言えばこの業務は休み前に終えておく必要は無い。
「しばらくこの生徒会室ともおさらばだな」
そう、それが本心。ストーブがお亡くなりになって約半年が経ち、扇風機もその後を追うように先日爆発四散してしまった。老朽化らしい。
今ここに空調設備は存在しない。
「・・・・・・まだここに残っていたの? みんな君を待っているわよ」
感慨深く机の表面を撫でていると、背後からそう声をかけられた。
緩慢とした動作で振り返った先にいるのは会長の『彼女』である。この暑さの中でも涼しげな美しさを湛える彼女はいつもの癖で髪を耳にかけた。
「・・・・・・センセイ」
「暑いわね、この部屋。確か扇風機が置かれていたんじゃなかったかしら」
「とうの昔に廃品回収されましたよ。ついでに申請は保留されています。購入の目処は立っていません」
「そう・・・・・・」
やれやれと首を振って、暑さから逃げる様に立ち上がる。
入り口にいるセンセイの隣に並ぶともはや私物化している鍵で扉を閉める。
会長に諸権限が委ねられてから、生徒会室の多くの設備の使用権はほぼ彼にあると言っていい。
二人並んで歩いていると、ふとセンセイは会長の視線に気づいた。
「どうかしたのかしら?」
「いえ、ただ・・・・・・」
「ただ、何なの?」
「人は服が汗に濡れて透けた肌にエロスを感じるそうですが、センセイからは一切のエロさの欠片も感じさせられないですネックがあらぬ方向に!?」
失礼な視線にそれを更に上回る失礼な発言に、怒りの沸点が一気に下がったセンセイの裏拳が会長の顎を捉えた。
あまりの威力に曲がった首は自然に元に戻り、再び二人は何事も無かったように歩き出す。
すると会長はまた何か思いついたように意味ありげにセンセイの方を見た。
「そう言えば俺達が付き合い始めてからそろそろ半年が経つんですね」
「・・・・・・っ。君、ここは校舎内よ。誰かに聞かれたらどうするの!?」
「大丈夫ですよ。人の気配は感じませんから」
「遂にそんなものまで感じ取れるようになってしまったのね、君は」
「そんなに時が流れたというのに、未だセンセイに対して『愛』だの『恋』だのといった感情が芽生えないのですが・・・・・・誰ですか時は二人の間の気持ちを変えてしまうとか言ったのは!」
「知らないわよ!」
堪らず口をついたセンセイの叫びを華麗にスルーして本人は真面目極まりない顔で進んでいき、センセイも嘆息をしてから追いかける。
そのみんなが待つのは校舎の外、自転車置き場の傍に並んだ小さな部室の一つである。それは校内でも比較的実績の乏しい部活に与えられている。格差社会の象徴のようだ。
部室の中には誰もいなかった。
寒々しいコンクリの壁に古ぼけたカーペット。ただそれだけが目に付く部室に活動の気配は伺えない。しかし会長はそれに何か別段の違和感を抱いた風もなく、平然と中に入る。
すると突然会長はカーペットを無造作に払い除けた。埃を巻き上げた先にあったのは不自然な床の切れ込み。そしてその手前には凹み。まるでそこに指をかけるような形状をしている。
そのまま会長は指先を凹みに入れ、一気に引き上げた。開く。
「コホ、コホ、少しは掃除したらどうなの?」
「俺ハウスダスト持ちなので別の奴に言ってください。今日はマスクも忘れたんですよ」
息を止めているせいで掠れた声でまくし立てて言う。
蓋が除かれて露わになったのは暗闇の中に地下へと続く階段。会長は蓋を横に除けると、センセイと階段を下りていく。
ほんの十数段の階段の先から光が漏れていた。地下には相応しくない障子の隙間から零れているようである。
らりと
「悪い、遅れたな」
がらりと障子を開くと明かりは更に強くなった。隠れた秘境の部室、その部員達は現れた会長に対して思い思いの反応を返した。
「うぃ〜、お疲れちゃん」
これは部長。長机の奥でアイスキャンディー片手にソシャゲに勤しんでいる。こんな口調だが女子である。
今日もゴミ箱にはプリペイドカードが積まれている。重課金の闇に囚われた三年生。ポニーテールに腰に帯びた木刀、現代に降り立った侍のような風貌なのに何とも俗世に塗れた残念な人である。
「チェック、どうだっ!」
その右側、チェス盤に向かい威勢のいい声を上げるのは脳筋さん。勝気そうな一年生。そんな呼び名だがやはりこちらも女子である。ちなみに彼女は今の一手で自陣をどうしようもない程詰みの状態にしてしまっていた。
「笑止です。チェックメイト」
脳筋さんに対面するのは権力さん。一年生。理事長の娘だったりする。ファッションのために改造した制服に身を包んだ綺麗な女の子。
崩れ落ちる脳筋さんを見てクスクスと笑っていらっしゃる。
「お疲れ様です、会長さん」
お盆に乗せた湯呑みをとてとてと運んで来たのは背丈の小さな女の子、ラベちゃん。一年生。ラッキースケベ略してラベちゃん。
何故かスクール水着の上にシャツを羽織った格好をしている。
歩み寄るその足元には彼女のものと思われる若干湿ったスカート。流れるようにそれを踏んでスリップ。スピン。宙に浮く湯呑み。ドンガラガッシャーン。以下自主規制。これが所以である。
「何しているのラベさん!? 火傷してない!?」
慌ててセンセイが駆け寄ると、ラベちゃんは大丈夫ですと手を振ってすぐに立ち上がる。シャツに染みたお茶が体のラインを浮かび上がらせている。中々に背徳的な絵面だ。
しかしながらこんなのは日常茶飯事。センセイ以外まともに取り合わない。
会長加えて総勢五名プラス仮顧問のセンセイ。
その部活の名は文ゲイ部。文化的にゲシュタルト崩壊がイグニッション部。断じて違う。文芸部ではないそれは別にある。
名前を考えるのが面倒だった、というのはとても有名な推論である。文ゲイ部の中限定である。
「ふぅ、じゃあ全員集まったことだし、夏休みの活動予定でも決めるかね」
おそらく使い果たした上に得るものがなかったのだろう、サングラスで目元を隠した部長がふんぞり返って言うと、各々は手を止めて部長の方を向いた。
「その前に部長はさっさと受験勉強に励むべきなんじゃないですかね」
「黙りたまえ会長。・・・・・・ここ数日の間に
部長は鞄から出した何枚かの紙を並べると、全員はそれをのぞき込んだ。
「へえ、やっぱ『草取り』の依頼が多いね・・・・・・オレこれもらいっ!」
脳筋さんは周りのことを気にせず一番近くにあったものをかっさらっていく。
「しょうがないですね」
「あ、わたしもです」
権力さんは苦笑しながら別のものを選んで持っていく。ラベちゃんもそれに続いた。
「って残ってるの『虫取り』しかないじゃないか。まあいいや」
「貴方達一応高校生よね? 草取りとか虫取りとか言ってるけど」
「あー先生にはわからないかもですね」
「そうね、分からない方がいいこともあるのよ」
とは言え、字面は確かに高校生らしくない。これには彼等なりの事情というものがあり、それがこの部の存在に大きく絡んでくるのだが、名義貸し同然のセンセイが知らなくとも当然だろう。
「で、部長は取らないのか?」
「あ、ああ。数が少なくてな。お前達の分しか無かったんだ」
「へえ、じゃあ今回はいつもの大口のところからは来てなかったんですね。七角堂さんなんてよく割のいい仕事紹介してくれてたのに、それも無くなってしまったと言うことでいいんですね?」
「そ、そうだ。失われた信頼を取り戻すため我々も精進しないとな」
「今現在進行形であんたの信頼が失われているけどな・・・・・・本当のこと、ちゃんと話しましょうか?」
冷や汗を垂らす部長に諭すように会長が言うと、そのタイミングで脇に置かれた鞄から紙がはらりと舞った。手を伸ばす部長よりも先に脳筋さんがそれを掴み机の上に置いた。
「割がいいですね」
権力さんが端的に告げる。
責めるような視線が一点に注がれた。
「金が無かったんだよ!」
「言い切ったな」
「最低ですわね」
居直り強盗のような傲慢さで机を叩いた部長に更に冷えきった視線が雨あられの如く降り注がれる。
「えー審議の結果、この一件は明後日全員で当たることになりました。集合は十時に校門前、長丁場になることも見越して、携行品の準備は怠らないこと。はい拍手〜」
「わ〜」
「くそぅ・・・・・・これで季節限定水着ガチャが引けると思ったのに」
一人を除いて投げやりな拍手をして、適当な会議は終わる。
話に一段落ついたところで、誰からともなく目線が卓上で交錯した。五人が火花を散らす。
会長が胸ポケットからごく自然に取り出したトランプをその中心に置いた。
「第二十七回、トランプ対決!! 実況は私、会長が務めさせていただきます。・・・・・・この勝負どうなると思われますか、コメンテーターのセンセイさん」
「きゅ、急にどうしたの? コメンテーター?」
会長はどこから出たのかマイク片手に実況を始めると、センセイは困惑の声を上げる。
「前回の勝負では権力さんがそのポーカーフェイスによって余裕の勝利を見せてくれましたが、しかし手負いの熊と化した部長も侮れません」
「一体何なの? この茶番は・・・・・・」
「文ゲイ部恒例、なんか節目っぽい時に開催されるこの大会。賭けるものは明後日の昼飯。時間いっぱい。始め!」
時間にして三時間。最終下校時間を迎えるまでこのくだらない茶番劇は続いた。
もちろん優勝は権力さんでした。
「君たちはいつもあんなことをしているの?」
「・・・・・・まあ、いつもですね。慣習みたいなもんですよ」
街灯に照らされた夜道にセンセイの呆れ声が響いた。会長も口元に薄らと笑みを浮かべて首肯した。
こうして機会があれば二人連れ添って歩くのは、いつから生まれた習慣か。手も触れず、色気のある会話もなく、しかし妙な糸に絡まった二人を恋人同士と見る者はいない。
それでも三叉路で二人が分かれるまで他愛もない会話は途切れることはなかった。
「すっかり遅くなってしまったわね」
独身女教師の巣、センセイは学校近隣のアパートの自室の電気をつけた。
闇に包まれていた部屋の全貌が明らかになり、そこでセンセイは異常に気づく。
センセイが悲鳴をあげ、帰宅途中の会長が呼び出されるまで時間はそうかからなかった。
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