第8話 混沌を統べる者

 彼女は静かに立ち止まった。

 腰まで伸びた艶やかな髪は光を放つシルバー、瞳は宝石さながらのアメジスト。黒い軍服に包まれた体は、折れそうなほどに華奢で、剣など持てるのかと疑わしくなる。真っ直ぐ見つめてくる恐ろしく端正な顔に表情はない。

 彼女はまるで神の彫刻のように美しかった。だが、絶世の美貌というには少し幼い。


(こんな少女が、セルティ帝国の無敗将軍だと……!?)


 外見からは、とても信じられなかった。しかし彼女から放たれる、向かい合っただけで足がすくみそうになる威圧は、それを肯定していた。


「……お前が、カオスロード」


 だから、それは問いではなかった。そして、彼女も応えてはこなかった。

 ヒュッ、という風の音が耳に届く。それで彼女が走ったと気付く。次の瞬間にはもう、彼女の彫刻のように端正な顔がエスティの眼前にあり、細剣の切っ先が正確に心臓の位置を捉えている。


「く……ッ!!」


 ほぼ反射的に、エスティは彼女の剣を打ち払った。

 反射でなければ、間に合わなかっただろう。今まで潜った死線で身についた経験と勘が、考える前に体を動かしていた。だが、死を免れたと喜ぶには余りに早すぎる。


「我が御名において命ず」


 呪文スペルではないそれが、カオスロードの声だと分かるときにはもう、彼女へと集約する精霊の力の軌跡がエスティの目に映っていた。咄嗟に跳躍し、距離を取って着地する頃には、今までいた場所は天をも焦がさん勢いの炎によって焼き尽くされている。かなり離れたのに、肌にじりじりと熱が伝わる。

 まだ終わらない。

 炎から飛び出してくる華奢な体は、信じられない速さでしなやかに剣を繰り出してくる。今度こそやり過ごす術をなくしたエスティが唇を噛みしめている間に、だがやはり有り得ない速さで飛び出してきた騎士の長剣がそれを受けた。


「アルフェス!」


 自分の剣が受けられても、カオスロードは表情を変えなかった。それでもやはり力では分が悪いのか、瞬時にアルフェスの剣を受け流し、下段から薙ぐ。それを後ろに避けたアルフェスの周りに、精霊の力が凝縮していく。だが、何の前触れもなく疾風の刃が吹き荒れたとき彼の姿はもうそこには無い。体を低くして走るアルフェスの剣が、彼女の胴を捉える――はずだった。だが伝わる確かな手ごたえとは裏腹に、アルフェスの表情は強張った。


 彼の剣を受けているのは、彼女の右腕。


 アルフェスの容赦ない横薙ぎが、ばっさりと籠手を通して彼女の細腕に食い込んでいる。しかし切断には至っていない。それが彼の命取りだった。咄嗟にアルフェスは剣を離して跳び退ったが、僅か遅く、再び巻き起こった疾風の刃がアルフェスを切り裂かんと吹き荒れる。


「くッ」


 致命傷には至らずとも、体勢を崩したアルフェスに、カオスロードの剣が走る。


『我が御名において命ず! 焔よ!』


 エスティの呪文スペルによって巻き起こった炎がその進路を塞ぐが、それも一瞬で、すぐに炎は掻き消える。彼女の精霊の支配力が、エスティを上回っているためだろう――そんなことは彼にもわかっている。そのときには、彼はすでに飛び出していた。

 しかし、その長剣がカオスロードへと届く前に、エスティの喉元に彼女の剣の切っ先が迫っていた。


「エスティ!」


 その状況に、体勢を立て直したアルフェスの動きが止まる。だが、カオスロードの動きはこそで静止した。


「……軍を退け」


 紫水晶の瞳にアルフェスの姿を捉え、カオスロードが鈴の音のように細く、だが凛とした声を紡ぐ。二人がその言葉を解するには、時間を要したが、カオスロードは尚動かなかった。


「抹殺指令は出ていない」

「……指令だと」


 目の前で膨れる殺気と、細剣から利き腕に伝わった微かな手応えに、カオスロードはアルフェスから彼へと視線を移した。

 ――長い黒髪の少年が、自分の剣を素手で握り締めている。気付いてカオスロードは剣を引こうとしたが、エスティはそれを許さなかった。


「ふざけるな!!」


 叫ぶ。剣を握り締めた手からぼたぼたと血が垂れたが、構わなかった。


「オレの村は……ッ、貴様の所為で」


 深紅の瞳に憤怒を讃え、エスティは再度叫んだ。アルフェスですら怯むような殺気を纏って、エスティが激昂する。


「オレの、家族は……!!」

「…………!」


 喉の奥から絞り出したようなエスティの怒号に、だが初めてカオスロードの表情が変化した。それに気付いたエスティが、はっとして両目を見開く。見間違いだと思ったからだった。

 プレッシャーが綺麗に消えた、傷ついたような、泣きだしそうな顔。そうやって戦場に立つ彼女はその一瞬、将軍ではなく、戦火に惑うただの少女だった。思わず、剣を持つ手の力が緩まる。状況も忘れてカオスロードに魅入ったエスティの耳に、さらに信じ難い言葉が届く。


「……許せとは、言わない」

「!?」


 耳を疑うその言葉にエスティの注意が逸れた刹那、カオスロードは彼の手から剣を引き抜いた。左の手の平がぱっくりと避け、その痛みに、エスティの反応が鈍る。


「覚悟」


 彼へと剣を差し向けた彼女の瞳には、先ほどの表情など嘘のように今や殺気しかなかった。

 アルフェスが走るも、彼女とエスティとの距離は余りに近い。その一瞬、エスティは死を覚悟した。だが。


精神支配ソウルコマンド!!』


 響いたその声に、彼女の動きは、止まることを余儀なくされた。

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