第19話 禁門の変
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禁門の変とは、別名、蛤御門の変ともいう。
前年の八月十八日の政変により京都を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主・京都守護職、松平容保らの排除を目指して挙兵。
京都市中において市街戦を繰り広げた事件である。
この事件より、3か月前ほどのこと。
本国であるイギリスの商会からパーカー氏へ
手持ちの二百丁の銃をただちに本国へ返送してくれと要請があったのが事の発端だった。
すぐにパーカーは報告書兼、質問書を手紙にして本国の商会へ送りつけた。
「I understand. but why don't you telling me about the reason?(了解いたしました。しかし、理由を教えてくれませんか?)」
と報告書の頭に付け加えて。
1週間ほどして帰って来た報告書の返事にはイギリスも生産が追い付いていないらしく、納期に間に合わない旨が書いてあった。
「We making that products but, it doesn't reached in soon.please send the products to the British, as soon as possible.(私たちは製品を作っていますが、すぐには届きません。できるだけ早く英国に商品を送ってください)」
パーカーは声にだして文面を読み上げ、その後、手紙をテーブルに投げた。
「It will be expensive,There is no way(割高になるが仕方あるまい)」
そう言いながらパーカーの顔は嬉しそうに笑っていた。
丑三つ時。神戸の港の一角で荷渡しを行っている一行の姿があった。
一つはどこにでもいるような町人姿に扮したパーカーと茶髪を隠すための頭巾姿のロザリー。もう一つは、イギリス海軍の水兵たちだ。
「Thank you. Sailors. Be careful not to get wet(ご苦労。セーラー諸君。くれぐれも濡らさぬようにな)」
「Yes sir」
本国の要請で200丁の銃を即座にこの場へ納品できたのは、雪代屋の手配があってこその事だった。横浜から船便で特別にここに持ってこさせたのだ。それしか手はなかった。
「I think. the Yukisiro-ya is good branch well(雪代屋は支社としては最適じゃな)」
代金は数週間後、雪代屋から輸送費、取り分を引かれて入ってくることになっている。大分あとになるが資金の洗浄は必要なこと。
換金量だと思えば悪くない。£(ポンド)を両に換金するには雪代屋の手を借りるしかなかった。
一方、グラバーと薩摩の仲買をした坂本龍女は亀山社中を率いて京都にいた。
「取り寄せた最新式です」
龍女は後込式の銃など見るのは初めて。
価値は相手の言い値だったが仕方がない。彼女はそう判断した。
今回はグラバーは損をしておらず、イギリスの商会も納期に間に合い面子が保てた。パーカーも儲かっている。亀山社中は大仕事をやってのけた実績が手に入った。
奇跡的に誰もが何かしら利益を得ている。
正確にはイギリス側が「ふっかけられた分」損をしているが、なにせ国の資本が60%も入っている商会だ。そんなものは国債で賄うのだからなんともなかった。
なによりも優先するべきなのは商会の面子である。
この納品が間にあったのだ。商会の国からの信用度は増す。決して損ではなかった。
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「始まりもしたか」
薩摩訛りで、馬上から西郷吉野は確認をする。
身長は約180センチ。女にしては大柄で馬に乗っているとことさらに大きく見える。顔は厳しめ。後ろでただ縛っただけの髪。肉体は服の上からでも鍛えられているのが分かった。
周りを囲む銃兵たちはみなイギリス製、最新式の銃で武装していた。
「坂本さぁから買った最新式の銃の性能はどうでもんそ」
西郷吉野は一人ごちる。
この部隊に回した銃はパーカーが商会へだいぶ高い値段で売ったものだ。
そのことを坂本龍女はしらない。西郷吉野も知らなかった。
(よか銃であることは確かばい。おいは兵子を信じもす)
西郷吉野は決心を新たにした。
「!?」
来島又兵衛は肩にどこからか銃弾を受けて、前進が止まった。
前線している来島はどこから撃たれたのかが分かっていない。しかも、来島の前進力は、そのまま率いる隊の推進力だった。それが一発の弾丸でわずかな間、止まった。
しかし、薩摩藩にしてみれば、絶好の間である。
「撃ちもせ!」
ここに西郷吉野は、号令を放った。止まった隊列は、新型銃の良い的となった。銃声がなり、来島隊はどんどん数を減らしていく。突っ込んで銃兵を切り刻もうにも、弾は後ろから込められ、隙が無い。
すぐに、来島の兵士たちは薩摩藩が打った弾の餌食になった。
一発撃たれて、弾込めはボルトロックで次が込められる。
銃声が長くの間続き、
「止め」
西郷が声を上げる頃には、来島隊は数をだいぶ減らし壊滅状態だった。
「抜刀隊前へ」
西郷が指示を静かに言うと、銃列の後ろにいた、抜刀隊が砂煙をあげて前に出て
「きぇぇぇえ!」
皆が薩摩示現流、蜻蛉の構えのまま、怪鳥が出すような奇声を上げながら敵へ突進、斬郭していった。
「ぬぅ!」
来島又兵衛も抜刀隊と相対したが、消耗と肩に受けた銃創から血が流れすぎていて碌な動きもできず、
「ここまでじゃあ」
そういうと、自分の刀を逆手に持って首筋へと当て、一気に引く。斬られた首からは噴水の様に血が噴き出した。
19日、御所の西辺である京都蛤御門(現・京都市上京区)付近で長州藩兵と会津・桑名藩兵が衝突、一時福原隊と国司信濃・来島隊は筑前藩が守る中立売門を突破して京都御所内に侵入した。
「来嶋さんが!来嶋さんが討たれました!」
久坂隊に来嶋隊の壊滅の報が流れる。
しかし、
「逝ったのね…なら尚更引けないじゃない!」
真木・久坂隊は開戦に遅れ、到着時点で来島の戦死および戦線の壊滅の報を知ったが、それでも御所南方の堺町御門を攻めた。
しかし守る越前藩兵を破れず、久坂玄瑞、寺島忠三郎らは朝廷への嘆願を要請するため侵入した鷹司邸で自害。
入江九一は鷹司邸脱出時に越前藩士に発見され、槍で顔面を突かれて死亡した。
帰趨が決した後、落ち延びる長州勢は長州藩屋敷に火を放ち逃走、会津勢も長州藩士の隠れているとされた中立売御門付近の家屋を攻撃した。戦闘そのものは一日で終わったものの、この二箇所から上がった火を火元とする大火「どんどん焼け」により京都市街は21日朝にかけて延焼し、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が焼失。
生き残った兵らはめいめいに落ち延び、福原・国司らは負傷者を籠で送るなどしながら、大阪や播磨方面に撤退。天王山で殿となっていた益田隊も敗報を聞くと撤退するなどして、長州へと帰還したのである。
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