シャーレン -sharen-

有本博親

No.001 小山ヤスシ


 殺してほしい人がいる。

 そう依頼人はあたしにいった。


「夫を殺してほしいの」


 依頼人の名前は小山ツバキ。

 年齢は六三。

 職業、専業主婦。

 一昨年あたりから末の子が独立してからは、定年退職した旦那と都内の一軒家で二人暮らしの生活を送っているそうだ。


「なぜ旦那さんを?」


 窓のない、ダンボール箱が積み上げられた貸しビルの倉庫部屋。

 時刻は夕方六時。

 カラスの鳴き声が部屋の外から薄っすら聞こえてくる。


「浮気してるんです。私」


 まっすぐ見つめがらツバキは答えた。


「間違っていることはわかっているつもりです。でも、私……」


 恋は止まらない。

 そうツバキはあたしに言い訳する。

 はぁ、そうですか。

 あたしは心の中でそうつぶやいた。


「一度は離婚をしようって、あの人に話そうとしたことがあるのです。でも、あの人にそんなことをいえなくて」


「といいますと?」


「主人は私よりも一五上なんです」


 ツバキの旦那は、数年前に胃癌になったそうだ。

 現在は完治したものの、胃癌をきっかけに膵液漏や創感染などさまざまな合併症を患うようになったそうだ。


「若い頃はまだよかっですよ。年上の旦那さんって。でもね、この歳だとねぇ」


 ツバキはため息をつき、目線を落とした。


「病院代も馬鹿にならないのよ」


 ぼそりとツバキはつぶやく。

 つまり。

 これ以上、年老いた夫の『介護』はしたくない。

 そういいたいらしい。


「あの、失礼ですけど、桐崎さんはおいくつでしょうか?」


 顔を上げ、ツバキがあたしに訊いてきた。


「二三歳です」


 本当は一六歳だ。

 スーツを着て化粧濃いめにしていたら、案外ばれなかったりする。


「カレシは年上なの?」


「いないです」


「あら、そうなのね。でも、結婚するなら年下にしなさい。年上がいいって思うのは、若いうちだけよ」


「はぁ」


「ほら、後悔先に立たずっていうじゃない? うっかりしていたら後戻りできなくなることあるのよ?」


 眉を八の字にし、ツバキはあたしにアドバイスをする。

 あたしは返事をしなかった。

 

「それで? どうするんだ? アヤカ」


 事務所で依頼人と別れた後。

 あたしは【先輩】に電話で報告をした。


「引き受けることにしました」


「ふーん。そうなのか」


「ええ、さすが先輩の紹介ですね。『心不全による突然死コース』を注文してきましたよ」


「おお、マジか! 二〇〇万クラスじゃん」


「旦那さんが所有していた土地と財産を処分すれば用意できるそうです」


「な? いった通りだろ? 最近は政治家よりも一般人の方が太っ腹だって」


「そうですね」


 あまり認めたくはないが、たしかに気前のよさには驚いた。


「どうよ? アヤカ」


「なにがですか?」


「結構、悪くないなって思わなかったか? でかい組織の仕事だと仲介料すげーとられて安ギャラだけど、うちなら五割も取り分でもらえるんだぞ? ぶっちゃけどうよ?」


 いや、どうといわれても……。


「あのさ、いい加減、お前もこっちの仕事メインにしてみたらどうよ? この業界、常に人手不足なのは知ってるだろ? アヤカみてぇな優秀なヤツがメインでいたら助かるんだよ、俺としてはさ」


 その後、落ち着いた口調で「いや、マジだよ、俺」と、先輩はいった。


「考えときます」


 あたしは電話を切った。

 面倒くさいな。

 いい加減しつこいからやめてくれませんか。

 っていいたい。

 けど、下手にいい返して『殺し屋の先輩』を怒らせることはなるだけ避けたい。

 とりあえず無難にスルーしておこう。

 そう、あたしは決めた。

 しかし。

 気づいたら六年も経ったのか。

 小学生から始めた暗殺の仕事が、高校生になっても続けているなんて、正直想像していなかった。

 これが最後だ。

 この仕事を最後に、足を洗おう。

 って、自分にいい聞かせて仕事を続けて今である。

 あっという間だな。

 月日の流れは恐ろしい。

 今回の依頼人。

 小山ツバキも事務所を去り際、同じことをあたしにいっていたのを思い出す。


「本当はもっと早く別れておけばよかったって思うのよね」


 もし、一〇年前に離婚を切り出せておけば、こんなことにならなかったのかもしれない。と依頼人はあたしにいった。

 後悔先に立たず。

 ーーなんていってしまえばそれまでだが、「あの時こうしてれば」と、いいたくなる気持ちはわかる。

 とりあえず。

 この仕事終わってから自分の進路をどうするか考えよう。マジで。


「え、『ティッシュ』ですか?」


 翌日の午前十時頃。

 あたしはツバキの自宅の小道付近から、トバシ携帯を使って電話をした。


「ええ、そうです。旦那さんはたしか『寒暖差アレルギー』でしたよね? それを今回は利用させていただきます」


 手順としてはこうだ。

 (1)依頼人は「買い物に出かける」等を伝え、一旦自宅を離れる。

 (2)標的が留守番をしている宅内にて、『猛毒入りティッシュ』を設置し、

宅内の『室温』を意図的に下げる。

 (3)宅内が冷え、寒暖差アレルギーでくしゃみや鼻水を垂らした標的が、鼻をかもうもリビングのテーブルに設置した『猛毒入りティッシュ』を使用。

 (4)ティッシュペーパーで標的が鼻をかむことで、鼻腔からティッシュの猛毒が入り、十五分以内に全身痙攣し、心臓発作で倒れる。

 (5)そのタイミングで依頼人は自宅に帰宅し、救急車を呼ぶ電話をする。


「外に出ている時間は、一時間以上にしておいてください。それと、かける先は一一九番ではなく、これから教える電話番号にかけてください」


 あらかじめ、賄賂を支払った病院に搬送。標的の死亡が確認され次第、死亡診断書の書類作成されます。

 と、あたしはツバキに説明した。


「でも、大丈夫なの? 司法解剖されたら、警察とかにバレないの?」


「問題ありません。証拠のティッシュペーパーはこちらで回収させていただきますし、それに遺族側が申告をしない限り、司法解剖はされません」


 もちろん、念には念を入れて、警察関係者も買収済みだ。

 だからーー。


「こちらの指示する手順さえ守ってもらえれば、ツバキさんが親族から疑われることはありえません」


「えっとごめんなさい。つまり、私は家から出てればいいってことでいいのよね?」


 そうだ。

 依頼人のアリバイを作る意味としても、外に出ていてもらえるとなにかと好都合だ。


「そうです。毒入りティッシュはツバキさんが出かけた後、こちらで仕込みます。なので、ツバキさんは標的に悟られないことだけを心がけてください」


「わかったわ」


 む。

 やたら返事が早いな。

 本当にわかっているのだろうか。


「大丈夫ですよね?」


「ええ、もちろん大丈夫よ。家を出てればいいのよね?」


 まぁそうだけれど。

 あたしの話ちゃんと理解したのだろうか。


「これで私も自由の身になるのね」


 ごくり。

 と、電話越しから唾を飲む音が聞こえた。


「ありがとうアヤカちゃん。あなたのおかげよ」


「この仕事が終わってからその言葉を頂きます。この番号も使わないでください。それでは」


 電話を切った後、二つ折りのトバシ携帯をあたしは逆方向に折った。

 多少、不安はあるが。

 もう後戻りはできない。

 今回の所有時間は三〇秒だ。

 あたしは腕時計のタイマーセットを三〇秒にセットした。

 深呼吸をする。

 あたりを見渡してから、あたしは塀に飛び乗った。

 老夫婦二人が暮らす3LDKの一軒家には、玄関以外にもたくさん出入り口が存在する。

 鍵の空いた二階のベランダもその一つだ。

 一軒家の裏小道から塀を伝えば、通行人に目撃されることもなくベランダに侵入できる。所要時間も五秒もかからない。


「あなた、買い物に出かけるわ」


 侵入した二階の部屋から、一階のツバキの声が聞こえた。

 標的は、まだ寝室だ。

 玄関の扉が閉まる音が聞こえたタイミングで、あたしは二階から階段を降りる。

 リビングにまっすぐ向かう。

 テーブルに置かれたティッシュ箱を見つけた。

 ティッシュペーパーにそっと『毒』のスプレーを吹きかける。

 腕時計を確認した。

 一一秒経過。

 ここまでは予定通りだ。

 次にこの家の室温を下げて標的の『寒暖差アレルギー』を引き起こす手順だ。

 あたしはリビングのエアコンを起動させようとリモコンに手を伸ばす。


 がちゃ。

 玄関の扉が開く音が聞こえた。


「ただいまー」


「おい、もう帰ってきたのか?」


 パジャマ姿の標的が、のっそりとした足取りでリビングに現れる。

 咄嗟に庭の外へあたしは隠れた。


「ちょっとトイレに行きたくなったのよ」


 早口でまくし立てるようにいったツバキが、トイレに駆け込んでいった。ようだ。

 あたしは息を殺し、壁に耳を傾ける。


「ちょっと、あなたー! トイレペーパー切れてるじゃない! 早く持ってきて!」


「はいはい」


 トイレの水が流れる音が響く。


「もう! なんで『ティッシュ箱』渡すのよ! トイレットペーパーの予備はお風呂場の戸棚にあるっていってるじゃない!」


「だって急いでいたみたいだから」


「早く持ってきてちょ…ちょ……はくしょん!」


 盛大なくしゃみが家内に響く。


 ずびびびびびー。


 鼻をかむ音が聞こえた。


「はいはい、わかったわかったから」


 標的が廊下を歩く気配を感じた。

 あたしはそっと外に脱出した。


「すみません。桐崎です。ちょっとご相談がありまして」


 ツバキが痙攣を起こしてトイレで倒れるまで、おそらく五分もかからない。

 狼狽した旦那が一一九番を押すまでに、賄賂を渡した病院にリダイレクト通話されるように仕掛けておかないとやばいな。

 まったくもぉ。

 こういうのがたまにあるから困るんだよ。

 なにが一般人の方が太っ腹だ。

 トラブル処理の手間が政治家の二倍あるなら割りに合わないってーの。

 あたしは肚の中でぶつぶつと文句を吐いた。

 ……にしても。

 たしかにツバキのいう通りだな。

 って、思える。

 

「うっかりしていたら後戻りできなくなることがある。ねぇ」


 あたしの名前は桐崎アヤカ。

 うっかり、仕掛けた毒で標的よりもあの世に召される依頼人のツバキが住んでいた家を振り返りつつ、早い時期に『殺し屋の世界』から足を洗おうと心に決めた高校二年生だ。


終わり

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