七月一日②

 僕は先日、この国の人たちの英語がいささか丁寧なのではないか、という見立てをしたが、やはりその推測も、かなり限定的なものになってしまうこともあるのだろう。そんなことをやんわりと考えた。結局のところ、人は見たいところしか見たがらないので、僕のこの見方も半分は正解、半分は間違いという、なんとも面白みのない、実にありふれた結果になってしまうのだろう。くだけているものもいれば、かっちりしたものもいるという、ただそれだけのことで、最初からそのことについて考えること自体がもはや単なる凡人の域を出ない、いわば窮屈な捉え方なのだと気づかされる。ふん、なんだか僕の考え方なんて、まるで正鵠を射たいようでわざと外しにくるみたいな、ふざけたアーチャーのような風体、とでも言うべきか。面白くないからスルーされる。きわめて当たり前のことだ。覚醒の刻など、まるで来ないではないか。文章の羅列で満足できるような、そんな人間だったとは。みずから呆れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る