五月二十九日

 怒りという感情はときに突然だ。その原因が自分が挑戦的な意識になっているからかどうかはわからないが、或いは積年の思念の発露か、ともかく複合的なものが入り組み出てしまうのだろう。人の感情はコントロールできるというが、それには限度があるのではないか。そんなことを思ったりするのだ。こういうことを例えば SNS などに書こうものなら方々から様々な意見を頂戴し、再考を勧められたりもするのだろうが、如何せんこちらには反撃のことばを紡ぐ能力にいまひとつ欠けているようにも感じられるので、なかなかできなかったりする。自身の暴走がたまらなく恐ろしいのだ。わかっていただきたい、などと弱気なことを言いたくはないが、ついそう言ってしまいそうなほど、現在の私には知性も、あるいは機知といったような変化球すらも持ち合わせていないように思える。あまりに脆弱ではないか。自分で書いてきたことばに埋もれそうになることも今後あるだろう。それはともすれば必然だと思いがちだ。だからせめて、これまで自分がよしと思うことのできた感情を、なるべく思い出せるようにしておきながら、過去の、その過ちにも見えるような事柄には正しい解釈を、そのときの感覚で、向き合えるようにしておきたいのだ。

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