「反応しない練習」

ヨガでもらった資料です

草薙 龍瞬さんの資料(ヨガの仲間からGETしてきました)によると、怒りのほとんどは理由がない、のだそうです。

仏教的には、怒りの理由は2つしかない。

その一つは、「物理的な刺激によるもの」。 危険な目に遭う、身体にさわられたときの不快感など。

もう一つは、「精神的な刺激によるもの」。嫌いな相手の振る舞いや、思い通りにならない現実への怒り、慢性的なイライラ。

物理的な刺激がないのに、心が刺激を感じて怒るのはなぜか?

怒りを克服する3つの対策としてあげられていることを、ここでも要約して書きますね。


1:貪欲タイプの怒り

求めすぎる。「もっと高く評価されたい」 「もっと業績を上げたい」 「もっと早く、もっと高いスコアで試験に受かりたい」

対策:自分は求めすぎるのだと思う。他人は自分以上に変わりにくい(期待できない)相手。なので、自分にいまできることを考える。

   「身体を動かす作業」「自分の役割」「自分にとって有意義で、楽しいこと」。自分の持ち分、領域の方に心を向けることを基本にする。

   仏教ではこれを、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」と表現する。反応するより、自分の足元をよく見よう、という意味。


2:怒りタイプの怒り

 すでにある怒りが、あらたな怒りを作り出している状態。過去にイヤなことがあって怒りが残っていたりすると、心はそれを持続する(執着する)性質があるので、

 その怒りで別のことに反応しようとする。「不安な過去の記憶」 「他人の欠点」 「これは許せないと思える世間の話題」 =怒りの自家発電。

 対策:心の理解から入る。過去の怒りが残っている。今は関係ない。とハッキリ自覚する。その上で、

 「スポーツ」 「食事」 「気の合う友だちと飲みに行く」 など、楽しいことに時間を使って、怒りのお掃除に努める。

 あとで思い出さない。過去の怒りは、過去のもの。思い出すだけ、自分がソン。

 「過去の怒りを、今怒る理由にはしない。忘れていい怒りなのだ」

 と言葉にして念じてみる。


3:妄想タイプの怒り

 妄想とは、現実に存在しない、頭の中にしかない思い。それが生み出す怒りのこと。厄介でバラエティに富んでいる。

 2の「怒りタイプの怒り」は、イヤな過去を思い出して怒りを再発させるわけだが、最初の怒りを長引かせることに力を貸すのが「記憶」 という名の妄想。

 また、自分は正しい。相手が間違っているという思いや、他人と比較したり、優劣・勝ち負けにこだわったりという心理も、妄想。

 あるいは、世間をにぎわす事件や話題に、「まったく!」 とひとりで憤慨している状態もおなじ妄想。

 過去も、判断も、ひとごとも、心の状態としてみるなら 「妄想」 である。これにとらわれると暗い怒りが募ってきます。

 「小さなことに腹が立つ」 「なぜかいつもイライラしている」 「最近楽しくない」 =根っこは妄想

 対策: 仏教には対策法はいろいろあるが、なかでも決定的なのは、


 「事実と妄想は違う」


 という理解。いま目の前にあるもの―――その相手や家族や同僚や、モノや職場は、自分の妄想以外のところに存在している事実。

 これに対して、頭の中で、言葉で考え、映像で見えるものは、すべて妄想である。

 罵詈罵倒にたいしても、事実確認にとどめて決して妄想しない、となったら、多くの怒りは消えてしまう。


 ブッダの話

 資料では、興味深い例として、『原始仏典』 という古い仏教書のエピソードをご紹介。

 ある日ブッダは、嫉妬に駆られたバラモンに、さんざん悪口をぶつけられるという災

難に遭遇しました。周りの人は青ざめたり、激高したりと、騒然となりました。

 でも、このときブッダが返したのは、意外な言葉でした。

 「あなたがふるまったごちそうを客人が食べなかったら。その食事は、あなたのもの

になるだろう」と語り、こう続けたのです。

 「私は、あなたが差し出す食事(つまり怒りの言葉)を受け取らない。だからそのまま

持って帰るがよい」



 平たくいうと、「あなたが食べるのは。あなたの自由だけど、私は食べません(反応し

ません)よ」というのです。実に合理的で明快な返し方だと思いませんか。

確かに、外の世界も、他人も、いろんなことを言ってくるし、よからぬ考えを向けてきま

す。でも、それに反応したら、自分の中に苦しみが生まれます。

 その苦しみを長引かせるのが、妄想です。ひとの心には、記憶や、良しあしの判断。

先行きへの不安や心配、社会にあふれる情報や話題など、妄想する材料は、いくら

でもあります。


 しかしそのままなら、怒りは。いつまでも続くことでしょう。

 だからブッダに学んで、「怒りをつくっている妄想に気をつける」のです。

 そこで、こんな心構えで日常を過ごしてみましょう。難しいけれど、練習です。


 ・外の世界・相手に、妄想から入らない。「期待」や「判断」に走らない

 ・そうした自身の思いに、「これは妄想」と、まずは気づく

 ・不愉快な相手には、「あなたにとっては、そうなのですね(理解はできます)」という

立場に立つ

 妄想せずに、理解から入るように練習するのです。相手に対しても、どんなときもで

す。


お説教モードの話ですが

さすがに2500年の歴史がある宗教だけあって、心への理解は半端ない気がします。

妄想もヤル気につながったり、モチベーションがあがったり、いいこともあるということがこの資料にはあります。

怒りを作る本当の原因に気づいて、正しい心の使い方に戻る。

それが今回の資料の要でした。

つくづく、キリスト教より深いと思う、今日この頃。

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