第2話
「すると、あの御者を倒したとしても、何の意味もない……というのか?」
陽が傾き始めた帝国競馬場は、少し前までの賑わいが嘘だったかのように静まり返っている。
「はい。今の彼はあの精霊の泥人形と大差ありません。精霊の意思を代弁する乗り物にすぎません。彼が居なくなっても奴は次の乗り物を探すだけです。それが誰になるかはわかりません。傍にいた新聞記者か、場内関係者、それともアイオミ公爵か」
ディアスの頭蓋内が混乱、恐怖、怒りなどを現すノイズで満たされる。
「皆さん、お静かに」
精霊の要求により警備隊や観客は場外に出され、交渉役と人質だけが場内に残された。交渉役は観客席で一か所に集まり、現在は通信網内での無言会議中である。これも渡来人技術の賜物の一つである。彼らは通信石を作る技術を持ち合わせてはいないが、それをチューニングする機器を開発した。現場にいるのはディアス、ビンチ、パウエル他少数だが、通信網により外部の多数の人間と繋がっている。
「精霊が宿る魔導書はおそらくまだ御者の足元に潜んでいるでしょう。そこから力を使い泥人形を使役しているのです。今回の騒ぎを納めるにはその魔導書を無効化する必要があります」
「ディアス殿、貴公の力で書を焼き払うことはできないか。我々では奴の傍まで近づくことはできない」パウエル卿の声が響く。
「強く凝縮した火の粉を地中に送り込めば、それも可能と思われますが、炎への加護がない状態では付近の方にも累が及ぶ事でしょう」
パウエル卿の顔が苦痛にゆがむ。「奴の要求を呑むしかない……か」
「はい……しかし、それが付け入る隙でもあります」そこでディアスは少し間を置いた。「今、あの精霊地下に潜み、泥人形を使役することしかできません。要求が受け入れられること動くことができる身体を手に入れることができます。ですが、そのために魔導書をその体内に移動する必要が出てきます」
「つまり、奴を地中から引きずり出せる」
「そうです。その時に地との繋がりを断てばよいわけです。泥人形を見たでしょう。剣で断たれた部位より上は力を失い崩壊します。大きければ大きいほど地との繋がりは強くなりますが、基本的な特性に変化はありません」
「それは確かだろうな?」ざわめきの中パウエル卿が言葉を発した。
「はい、簡単なことではありませんが……」
精霊が要求するのはドォー・ワクというの五冊組の魔導書。百年ほど前に西方の遺跡で発見されたもので、現在は帝都内数か所で分散管理をされている。土の精霊の一種を利用したもので泥人形を召喚し、単純労働のために使役するための使用されていたと考えられている。
帝国魔法院索引員ケイティ・トロンバーグは説明に割り込むつぶやきを聞き流し、先を続けた。彼女の姿はこの場になく、帝国魔法院で魔導書の前にいる。
「本書の現在の所在については、五巻は帝国魔法院特別書庫、四巻、サーヴェジ修道院地下宝物庫、三巻、ヒュース侯爵家書庫、そして一、二巻が新市街の三番街…」
「アクシール・ローズか!?」誰かが言った。そしてざわめきが広がる。
「はい、ローズ殿の地下書庫です」
「なんで、あの女が二冊も持っているんだ」
「その理由は不明ですが、発掘に立ち会った第四代ヒュース侯爵であるロベルト・エンゲリン殿の意思と思われます」淡々としたケイティーの口調は変わらない。困惑のざわめき。
「今はそんな話よりまずは書を集めることが先決でしょう。当方からは早急に四巻を持っていかせましょう」と正教会特別部ダフ・マッケイ。
「こちらも五巻の用意を急いでくれ。それとヒュース侯爵邸に人をやって三巻を回収して来てくれ」
「了解です」
「一巻と二巻だが、その回収はビンチ、君のいる特化隊に任せるとしよう。彼女の相手なら慣れているだろう。連絡の折わたしの名を添えておくといい。少しは事もはかどるだろう」
「聞いてたか?」ビンチはゴルゲット越しに仲間に話しかけた。ビンチの声はなぜかうれしそうだ。「俺はしばらくここから戻れそうにない。対応はそちらで頼む」
「……了解」
ヒュース侯爵エンゲリン家の本宅であるトゥーパーハウスは帝国競馬場があるザツィットから馬車なら一刻ほどの場所にある。
帝国に属する多くの貴族は所領に本宅を構え、帝都内の物件を別宅や個人宅などに活用している。しかし魔導師として莫大な蔵書を抱え、騎士団に属し帝都保安の職務に就くエンゲリン家は当主を帝都に置くことを選んだ。現在は七代候ヴォーン・エンゲリンから爵位を受け継いだグラハムが当主を務めている。
魔法院からの連絡を受けてはいたものの執事のエイリーは白頭巾の使者の団体がこれほど早く現れるとは思っても見なかった。連絡から二刻も経たないうちにエンゲリン家の玄関口に現れたのだ。
「こんにちは、執事殿。帝国魔法院よりまいりましたドラジ・ハイジと申します」彼女は白法衣の袖口をまくり上げ、魔法院の所属である事を現す腕輪を見せた。「ヒュース侯爵殿は御在宅でしょうか。ドォ・ワクの第三巻を借り受けるため参上しました。ヒュース侯爵殿にお伝えください」
「グラハム様は今外出中でわたしがお伺いします。……お問い合わせの書についてですが……」執事は妙にぎこちない「見つからないのです」
「それはわかります。エンゲリン家ほどの規模の蔵書から特定の一冊を探すとなればそれなりの時間が必要となるでしょう。そのためわたし達もお手伝いするべく人員をそろえてまいりました」ハイジは自分の背後に控えている白頭巾たちを指示した。白頭巾にゴーグル、巨大なトランクや鞄を下げた者たちが丁重に頭を下げる。
「そうではなく、書が無くなって、消えうせているのです」
「消えうせている……それは確かなのですか?」
「はい、残念ながら……」
「そのことは侯爵殿はご存じなのですか?」
「わかりません。先の要請を受けてから、グラハム様に報告をと連絡を入れているのですが、ご返事が全くないのです」
「侯爵殿が出向かれたのは通信制限などがある場所ですか?」
「いいえ、そんな所ではありません。競馬場です。御友人のギルワート様や他の方々の応援に出向かれました」
「帝国、競馬場ですか?」今度はハイジがぎこちなくなった。
場外での聞き込みにより、泥人形の精霊の乗り物となっている御者の正体が明るみになって来た。関係者によると、彼はアイオミ公爵の名が入った招待状を持ち、厩舎の一角に設けられた鉄馬の整備場にやって来た。公爵は息子の友人の来訪を歓迎し、彼の提案を受け入れた。それは御者として公爵と共に賞典台に赴き、勝者を称える詩を披露しようというものだった。公爵の要請であることと、特にレースに影響が出ることではないということで関係者はそれを了承した。
「それがヒュース侯爵だというんだな」
「はい、アイオミ公爵がその招待客にグラハムと呼びかけていたそうなので、間違いなさそうです」
「ごくろう。また何かつかめたら報告してくれ」パウエル卿は軽くため息をついた。
「公爵自身が精霊を呼び込んだということですか」隣に座っていたディアスが小声でつぶやいた。
「そういうことになるな」パウエル卿は声がゴルゲットに漏れないように喉元を押さえた。「ヒュース侯爵邸から三巻が消え、ここにヒュース侯爵がここに姿を現した事を考えると……か?」
「ここに持ち込まれたのが三巻と考えるの妥当、」
頭蓋内で通信網への接続音が鳴り、口頭での会話は中断となった。
「東出入り口ミヒャエルです。サーヴェジ修道院より魔導書が到着しました」
「了解。馬場の出入り口付近まで持ってきてくれ」パウエル卿はミヒャエルにそう告げディアスに視線を向けた。
頷くディアス。競馬場から借りた拡声器を手にフェンス際までスタンドを降りて行った。
一度深呼吸した後、彼は精霊に話しかけた。
「ドォ・ワクの精霊よ、聞いてくれ。要求の魔導書の五巻が用意できた」
ディアスが出入り口を指差し、そこに待機した警備隊士が魔導書を両手で掲げる。
「いいだろう。受け取ろう」精霊の声と共に隊士の前方に泥人形が一体現れた。「そいつに書を渡せ」
「待ってくれ。何人か人質を解放してもらえないか」
「ふん、よかろう」
賞典台にいた場内関係者などの一般人の一部が泥人形の拘束を解かれた。自由を得た彼らは全力疾走でスタンドへと逃げ出していく。
「さぁ、お前の番だ。書を貰おうか」
隊士はディアスの指示に従い泥人形に魔導書を渡した。
隊士から魔導書を受け取った泥人形は大型の泥団子へと変化し、御者に向かって転がり出した。魔導書を上に載せ、巧妙にバランスをとりつつ転がっていく。御者の元へ到着した魔導書は泥団子と共に地中へと沈んでいった。魔導書を吸収し、御者を載せた円柱は再び成長を始めた。円柱下部から伸びた二本の円柱は脚となり、一度直立した後右膝をつきひざまずいた。
「帝国競馬場でそのようなことが……」執事は声を詰まらせた。「現れたのはドォ・ワクの精霊で間違いないでしょう。そして精霊に囚われ書を持ちだしたのは……」
「ヒュース侯爵殿ですか?」
「まず、間違いないでしょう」
「なぜこのようなことが起こったのか、何か心当たりはありませんか?」
「もう全てをお話ししたほうが……よさそうですね」執事は大きくため息をついた後、重い口を開いた。「もうご存じだとは思いますが、あの一連の書は精霊との契約により泥人形を召喚しそれを使役するための物で、核となるのは、三巻でそれだけでも泥人形を召喚し使役することは十分可能ですが、全巻を使用することで、それを巨大な泥人形にすることができるという物でした。あくまで魔法設計上の話では……」
執事はここで言葉を区切り、白頭巾の使者たちを見やった。
「しかし、実際は失敗作だったらしいのです。発掘に立ち会われた四代候ロベルト様によると、泥人形の制御が困難で暴走の確立が高いとのことでした。共に発見された文書によると、書が発見された場所は帝国以前にその土地を治めていたヴァーディゴの危険物廃棄場でした。ドォ・ワクはそこにあった廃棄物の一つだったのです」
「それをわたし達は暴いてしまった」ハイジの背後に控えていた一人が静かにつぶやいた。
「はい、その事実が明らかになり、一連の書以外は速やかに廃棄されたそうです」
「なぜ、ドォ・ワクは残されたのです?」
「魅力が強すぎた……そうです。敵に倒されても無限に復活する命を持たぬ泥の兵士。これに魅力を感じぬ国家はないでしょう。表面的に綺麗事は言っても……。論議が交わされた結果、書を廃棄することはできず、分割管理とされたそうです」
「分割管理までの経緯はわかりましたが、どうして今回のような事態が起こったのでしょうか。前回までの書庫の査察では蔵書の管理は何の問題もないように思われましたが……」
「それはロベルト様のお力によるところが大きいと思われます。ロベルト様は退位後も歴代の侯爵様に助言を与えられ、百五十を超えるお歳になってもグラハム様に熱心な指導を行っておられました」
「そういえば、ロベルト卿は最近……」とハイジ。
「はい、ロベルト様は半月前に長きにわたる呪いが晴れ、天寿を全うされ転生の輪へと戻られました。兆候はその一カ月ほど前から現れていたのですが、ちょうど時を同じくして書庫の様子がおかしくなりまして調査の結果、あの書が書庫の安定を乱していると判明しました。封印の後書をそちらにお渡ししようとした矢先、ロベルト様は体調を崩され、その時には精霊の加護も失われておりそのままお亡くなりになりました」
呪いは悪しきものばかりではない。精霊がその力を契約者を通じて現す。そのために精霊は契約者を加護する。
「書を集めて翼を与えよ、との言葉を残し転生の輪へと旅立たれました」
「……先を越されたわけだな」
「ヒュース侯爵は既に精霊に囚われていたのでしょう。親族であり、師匠でもあるロベルト卿を亡くし、精神状態が乱れたところを奴に付け込まれた。砂の中から掘り出されて百年間奴は今日という日をずっと待っていたんですよ」
これらの中継を聞いていたのはディアス、パウエルなどの幹部クラスと使者のみである。
「それはそうと、あの泥人形はどうなっているんだ」とパウエル卿。
四巻が届けられ泥人形に二本の腕が生えた。今の姿は膝をつきうずくまる頭の無い巨人である。ヒュース侯爵は胴体の上から右手のひらに移動した。
「三、四、五巻を取り込み頭以外はそろった。おそらく一巻、または二巻が頭を担当しているんだろう。じゃあ残りは何だ。余るわけはない。駆動式でもない、式はあの精霊だ。奴が全身の動きを制御している」
「尻尾でも生えるか。それとも特別な力を付与するためのものか」ディアスがつぶやいた。
「俺は尻尾に賭けたいね。晩飯をおごるよ」
巨大投光器に灯がともり、夕暮れが訪れた。
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