あのころ、
立川マナ
プロローグ
「廉ちゃん、おうし座だよね」
高校一年の冬。西日が差し込む自習室は、オレンジ色に染まっていた。赤々と燃えるような夕焼けが、ずらりと並ぶ大小さまざまな背中を焦がすほどに照り付けていた。カリカリとシャーペンの芯が紙をこする音だけが響き、椅子を引くのも慎重になる──そんな気持ち悪いほどに静まり返った部屋で、隣から掠れた小さな声がした。
振り返ると、隣の席でぶかぶかのセーラー服を着た『彼女』がいたずらっぽく微笑んでいた。
「そうだけど……どうした?」
あまりに場違いで唐突な問いに戸惑った。星座なんて気にしたことがなかったし、自分が本当におうし座なのかも疑問なくらいだった。
彼女は「ふふっ」ともったいぶったように笑って、「これ、見て」と俺に身体を寄せてケータイを見せてきた。
肩が触れそうだった。耳にかけた短い黒髪が揺れ、ふわりといい匂いがした。暖房のせいか、ほんのりと赤らんだ頬は柔らかそうで、つんと指先で触ってみたくてたまらなくなった。──まだ目覚めかけの欲望が一瞬にしてくすぐられた。
「ほらね」
彼女が突然、俺を見上げ、ばちりと目が合った。長い睫の下、夕日の光を溜め込んで琥珀色に輝く瞳。そこに映る自分の顔が見えそうなほど、彼女の顔が目の前にあった。
あわてて身を退き、彼女の視線を避けるように、とっさに顔をそむけた。必死に平静を装って、「どれ?」と彼女が見せてきたケータイの画面に目をやった。内心、動揺と焦りでそれどころじゃなかった。ケータイなんかに目もくれていなかったことを──彼女に釘付けだったことを、彼女に悟られたんじゃないか、とそればかりが気になっていた。
「ああ、占いか」
とにかくごまかしたくて、ケータイの画面上で目に飛び込んできた文字を、さも興味があるように読み上げた。
「そ。星座占い。このサイト、よく当たるって友達に聞いたんだ」
「へえ。こういうの、興味あるんだ」
「んー、暇つぶしにちょっとやってみるくらいだよ」
つい、俺は噴き出した。
「暇つぶしって……ここ、自習室なんだけど。何しに来てるんだよ」
からかうようにそう言うと、視界の隅で、彼女が「あ」と恥ずかしそうにうつむくのが分かった。その仕草があまりにかわいくて、まずい、と直感的に思った。胸騒ぎのようなものがして、何か叫び出したい衝動に駆られた。それを無理やり飲み込むように胸の奥に押し込んで、「で」とケータイに再び注意を戻した。
「おうし座が何だったの? 俺の運勢、占ってくれたわけ?」
よくよくケータイの画面を見れば、そこには『相性占い』と出ていた。
「相性占い?」
「そうそう。おうし座はね、射手座と相性バツグンなんだって」
「へえ。射手座、ねぇ」
「知ってる?」彼女は内緒話でもするように一段と小さい声で囁いた。「私、射手座なんだよ」
心臓がどくんと大きく揺れた。頭が真っ白になって、さっきまで詰め込んでた数式がすべてふっとんだようだった。
なんて返事をすればいいのか、分からなかった。
「ちなみに」そんな俺をよそに、彼女は楽しそうに続けた。「おうし座の今月の勉強運は最高です。期末試験も大丈夫そうだね。──て、廉ちゃんなら、いつも大丈夫か」
「ああ……そっか」
なんとか絞り出せたのは、そんな気のない返事だった。
その反応で、興味がないと思われたのか、「ごめんね」と彼女はケータイをあわてて引っ込めた。
「そういえば、試験前なんだよね。邪魔しちゃった」
「いや……」
まだ、動揺はしずまってはいなかった。いや、しずまる気配さえなかった。身体がどんどん熱くなって、分厚い学ランの生地が憎らしくなった。
今、彼女を見たら、自分が何を言い出すか、分からなかった。言ってはいけないことを口にしてしまいそうで……。伝えてはいけない気持ちを吐き出してしまいそうで……。問題を解けるような状態でもないのに、ただ、ひたすら、机の上の問題集を睨み付けていた。
そんなときだった。
「あ。スポーツ運は、最悪だ」ふいに、彼女が隣でクスリと笑うのが聞こえた。「仁に伝えとかなきゃね」
頭を思いっきりカナヅチで打たれたような衝撃がした。そのとき絶望感を感じたことさえ、恥ずかしくなった。
分かっていたことだろう、と責める声がした気がした。
よくよく考えれば、簡単なことだったのだ。なぜ、彼女が俺の星座を知っていたのか。俺は一度も、彼女に自分の誕生日を言ったことはないのに。
彼女は知っていたんだ。仁の誕生日を。
彼女が占っていたのは、俺との相性じゃない。同じ日に生まれた、俺の双子の兄貴との相性だったんだ──。
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