殲滅終了

 まずは一匹。きっとあれが一番槍と呼ばれたヤツだ。

 森の中から凄まじい早さで、黒い犬が俺達の前に飛び出してきた。

 黒い犬には額の間に第三の目が有り、その尻尾は蛇の頭と身体で出来ている。

 まさに魔物と呼ぶに相応しい異形で、ちょっと見惚れてしまう。

 そして魔犬は飛び出してきた勢いを維持したままガウ、と大きく吠える。

 瞬間、人の頭より大きい火の玉が生まれた。


「……え?」


 有り得ない、と身体が硬直する。

 アレは明らかに魔法なのに、魔物は呪文なんて唱えていなかった。

 初戦では魔物からの反撃など無いに等しかったので、注意して彼らの攻撃を見るのは初めてだと言える。

 しかし、これはあまりにも不条理だ。

 ズルイとさえ感じた理不尽なその現象を、神様が口早に説明する。


【この程度で驚くな。魔物、それは詠唱無しで魔法を使う生物の総称だ。人は魔法に言葉と寿命を費やすが、魔力の塊である連中には制約がない。それだけだ】

「それだけって。つまり魔法での戦いは魔物の方が強いって事じゃないですか」


 思わずツッコミを入れている間にも、魔犬の火力は増大していく。

 ガウ、と。

 吐き出された火炎弾は俺ではなく、イーシュさんに向かった。

 放射線を描き広がる火の暴力は、間違いなく対象者を秒殺できるだろう。

 ――しかし。


「ふん、新顔よりも積年の恨みを選ぶか」


 感心するように呟き、弾丸のような速さで襲ってきた炎を、その拳が砕く。

 飛び散るように火炎弾は消え去り、先手を取ったつもりでいた魔犬の身体は、イーシュさんの蹴りによって破裂した。

 瞬殺。

 けれど、誰一人として勝利の余韻に浸る事は無かった。

 すぐさま、大きな怒声と剣戟音が周囲から聞こえたからだ。

 ……ただし、それは前方からではなく左右と後方からである。


【おい待て。魔物共が真っ直ぐ来るどころか、完全に囲まれているではないかッ】


 その指摘通り、森の至る所から魔物と殺意が迫ってくる。

 視界の隅で、エレナさんがソフィア姫を庇いながら剣を取る姿も見えた。


「予想が外れた。まさか囮と同時に、一斉攻撃とはな。人数不足でなければ対応できるものを」

【笑えんぞ、貴様ッ】

「分かっている。済まないことをしたな」


 神様のツッコミが耳に痛いのか、イーシュさんは眉を歪めながら頭を下げた。

 だが、それは降参という意味では無いらしい。


「吾輩は兵士達の支援に回る。完全に囲まれる前に、連中の隊列を乱したい」


 つまり遊撃の役目を買って出るらしい。とはいえ、間に合うのだろうか。

 見た限り、魔物の数は既に戦っているこちらの三倍以上に増えている。

 兵士達は例外なく恐怖しながら、剣よりも盾を大事そうに扱って戦っていた。


「ではな、ここは頼んだぞ。魔法師クローッ」

【待て、我が使徒を孤立させる気かッ】

「あとで助ける」

【信用できるかッ】


 神様の抗議は応じられず、イーシュさんは駿馬(しゆんめ)の如く駆ける。

 しかし、その行く手を阻む三体の魔物がイーシュさんの足を止めた。

 生意気にも弓矢を扱う大猿に、朽ちたマントを身に纏った骸骨、二足歩行をしながら五本指で巨大な棍棒を持つ牛。

 ――全て、イーシュさんの敵ではなかった。


「……良いなぁ、強いんですね。憧れます」


 思わず嫉妬したくなるほど、それは見事な戦い方だった。

 武器を振りかざす牛は武器ごと粉砕し、氷の刃を作ろうとしていた骸骨は蹴りによって砂のように崩れ落ち、それを見た猿は逃げ出した。

 イーシュさんは逃亡する敵の背後を追うことなく、苦戦する兵士の援護に加わる。

 ソレも束の間、コチラを囲むように魔物達による第二陣がやって来た。

 ……否、雨後の竹の子のように第三陣目も出てきた。

 合わせて、敵勢力は百を超えるだろう。およそ、五倍の戦力差だ。


【ちっ、多勢に無勢か。まだ死者は居ないが、時間の問題だ。完全に押し潰されるぞ】


神様の焦る声を聞きながら、チラリとイーシュさんを見る。

 相変わらず獅子奮迅の活躍だけど、部隊全てをカバーできるほどではない。

 だから唱えた。


「……風の刃に慈悲はなく、弓より早くその身を喰らう、無色の咆哮」

【おい、クロー。それは不味い。威力は絶大だが無差別魔法だぞ、この混戦した状況では味方も死ぬ】


 神様に注意されても無視するしかない。知っている呪文など限られている。

 狙いを定めて、杖を構える。と、同時に殺気を感じた。

 それはイーシュさんが見逃した大猿で、既にコチラへ弓を構えている。

 どんな魔法なのか、矢の鏃がまるでフォークの如く三つに変化していく。

 ……今、あいつに向けて攻撃すれば武器ごと粉砕できるだろうけれど。

 無論、そんなゴミ以下の選択肢は捨てた。


「死神の嵐」


 ――目標は戦場では無く、森の奥へ。魔法を放った直後、血飛沫が舞う。

 目に見えない幾重もの風圧が、木々の間で機会を窺っていた魔物を遮蔽物ごと斬り殺していく。

 その惨殺っぷりに戦場が静まりかえり、原因を作った俺に大勢の視線が殺到する。


【姿を晒した相手ではなく、未だ姿を隠す残存勢力を攻撃するだと?】


 神様の気持ちに同調しているのか、杖がブルリと震える。

 落とさないように、逃げないようにと掴み直すと、俺は再び繰り返す。


「風の刃に慈悲はなく」


 その単語に、戦場の空気がザワッと揺れた。

 混乱する魔物達と、信じられない物を見るような兵士達の動揺が、遠く離れていても肌で感じることが出来る。

 けれど、そんなことは知ったことではない。

 森林伐採で明らかになった敵陣には、消滅し始めている黒い塵しか見当たらない。

 つまり、今すぐ邪魔する者など皆無なのだ。


「弓より早くその身を喰らう、無色の咆哮」


 あと一言。そのタイミングで大猿が思い出したように、慌てて矢を撃った。

 アレを放置すれば、間違いなく身体に刺さる。

 今なら、まだ魔法をアレに向けて放つことが出来るだろう。

 もちろん、俺は敵を減らす為に森の中へと攻撃した。


「死神の嵐」


 百を超える透明な鎌は息を潜める魔物を悉く蹂躙して、敵の勢力を奪う。

 これで、控えていた魔物は悉く消えただろう。

 ――その代償にザクリ、と三叉と化した矢が背後から身体を突き穿つ。


「かはっ」


 激痛と共に、口から鉄の味をバシャッと吐き出す。

 槍の如く鋭い切っ先が、背中に深く食い込んでいる。

 容赦なく血液が失われていき、膝が折れて地面に倒れ込む。

 それでも。


「……風の刃に、慈悲はなく」 

【馬鹿め、そんな状態で魔法が撃てるか。今は逃げろ、ここで終わる気かッ】


 心配半分怒り半分の叱責に、俺は歯軋りしながら同意する。

 この程度では足りない。もっと、もっと。

 ココで死んだら俺は、今以上に自分を許せそうに無い。

 けれど身体は、石でも背負ったかのように重く動かなかった。


【くそ。あの猿め、二度目を仕掛け始めたぞ。はやく動いて、撤退しろ】


 慌てた様子で急かされたって、ソレが出来れば苦労はしない。

 既に致命傷を受けているのだから、逃げる体力など残っていなかった。

 だから、目の前にまで迫っていた魔法の矢は、もう俺では防げない。

 ――筈だった。


「我が身は鏡、水面、空虚。届かず、触れず、全てを返す波と成す」


 凛とした声の呪文によって、俺の周囲にまるでクラゲのような薄い膜が産まれた。

 飛んできた三叉の矢はその表面に食い込んだまま停止し、レースのカーテンよりも容易く破れそうなソレに、鉄の凶器はまるで歯が立たなかったらしい。


【これは、ソフィアの反射魔法かッ】

「ご名答」


 パチンと鳴るフィンガースナップと同時、魔法の矢が反転して発射された。

 まさか自分の攻撃が戻ってくるとは思わず、きょとんとした大猿は避けることなく自分の殺意によってザクッと消滅する。

 と同時、俺の背中に刺さった弓矢も溶けるように霧散した。


「うん、今度こそ成功。二度目の失敗なんてしてたら、憤死ものだったわ」


 いつの間に接近していたのか、ソフィア姫と息を切らしながら剣を振るうエレナさんが俺を守るように囲む。


「ソフィア様、あまり勝手に動き回られたら困ります、もちろん全力で守りますが、体力は無限には続かないのです、ふぅ」

「辛いのなら、基地を守っているマリーを呼んでも良いのよ? ワイバーンなら良い盾になるもの」

「……いえ駄目です。あの子は、魔物をリンゴと間違えて食べてしまいますから。下手をすると、人間までリンゴと勘違いしてしまう」

「なら文句は言わないで。混戦している状況で安全地帯が無い以上、最大戦力を守った方が建設的だわ。……それに体力が無限ではないのは、相手も同じよ」


 ソフィア姫が見据える先を倣ってみれば、兵士と戦っていた魔物が何体かが、蝋燭の火を息で吹き消したようにフッと消え去ってしまった。


「……どういう現象ですか、アレ」

【魔物は魔力で実体化しているからな。寿命や詠唱という制限がない代わりに、戦闘や魔法の消費で魔力を使い切れば、ああやって自滅する。故に、魔物も魔法は滅多に使わないのだ】


 しかし、そうは言っても平気で魔法を放ってくる連中も存在しているようだ。

 身体を消滅させながら、空中に氷の塊や岩の塊をコッチに向けて発射してくる。

 それらは全てソフィア姫の反射魔法で防がれているが、果たしていつまで耐えてくれるのだろうか。


「残念だけど、あと一分が限界ね。クロー、自分で回復魔法は唱えられる?」

「……駄目です。どういう訳だか、呪文が思い浮かびません」


 質問された瞬間に試そうと思ったが、まるで見たことのない動物を想像しろと言われたみたいな感覚に陥った。

 敵を殺す魔法は簡単に放てたのに、回復出来るという魔法はサッパリ使えない。


【相性が悪いのだ。どうやらコイツは風の攻撃に特化している。そもそも回復系の土魔法は水を司る我が苦手とするものでな。当人に才能がなければ扱えんのだ】

「そう。ならエレナ、お願い。あぁ上着は脱がせなくても平気よ。私の特製だもの、回復魔法や補助魔法だけは弾かずに素通りできる仕様だから」

「承りました。私も得意ではありませんので、あくまで応急処置ですが」


 そう言いながらも、エレナさんは三つの穴が空いた俺の背中に手を当てる。


「万物の喪失は宿命なれば、再生もまた摂理なり、慈悲を求めるのならば捧げよ、対価と共に与えよう。……『代償の癒やし』」


 途端、傷口に掃除機でも突っ込まれたような、身体中の筋肉が吸われていく激痛が俺を襲い始めた。


「あ、つぅッ」

「我慢してください。手っ取り早く負傷した部分を塞ぐには、肉体の健康な部分で補うしかないのです」


 そう言われたら耐えるしかないが、思ったよりも辛い時間は早く済んだ。

 背中を見る事は出来ないが、損傷した部分が塞がっていく実感はある。

 少なくとも、立ち上がって平気なくらいには回復できた。


「助かりました、ありがとうございます」

「いえ、私よりも姫様の作ったローブに感謝してください。それを着ていなければ、あの大猿のように矢が当たった瞬間に身体が弾け飛んでいた筈ですから」


 衝撃の事実に目を丸くする。

 すぐさま命の恩人に頭を下げると、本人は複雑な顔で口を開いた。


「悪いけれど、あとは自力で何とかして。反射魔法って消費が激しいから、今日の私の魔力は枯渇したわ。はぁ、寿命とは別に魔力にも限度があるから魔法は厄介なのよね」


 バチン、と。

 その言葉を待っていたかのように、俺を覆っていた魔法は風船みたいに弾けた。

 様子を窺っていた魔物達は活気を取り戻し、魔法や武器を振り回す。

 当然、俺も戦う為に杖を構えて詠唱を開始した。


「我が誘うは、堕天より産まれし破滅の水」


 さすがに敵と味方が入り乱れた所で、死神の嵐は使い辛い。

 ……しかし、完成させた後にコレも失敗だったと気付く羽目となった。


「我が意を汲みし、傀儡の鞭なり」


 バクリ、と。出てきた黒蛇達が、近付いた魔物を片っ端から喰らう。

 一方的な攻撃ではあったが、決して有利になった訳では無いと直感する。


【ええぃ、歯がゆい。黒蛇どもが邪魔で、この場から離れられないではないか】


 そう、黒蛇たちは身を守る盾であると同時に、進路を塞ぐ壁と化した。

 殺到する魔物のせいで、蛇の柵を闇雲に抜け出すわけにも行かない。


「困りました。このような手狭では、私の飛行魔法も意味を成しません」


 などとエレナさんが戸惑っている最中にも、一定数の敵を飲み込んだ蛇が徐々に消えていく。残り、二匹。

 こうなれば逃げるのは容易いが、今度は魔物の攻撃が襲ってくる。


「あぁ、なるほど。じつは俺達の状況ってピンチだったんですね」


 ようやく事態を把握して、次はどんな魔法を撃とうか考える。

 だが、そんな猶予は与えられなかった。


「―――」


 それが雄叫びだったのか、断末魔だったのかは知らない。

 ただ、どこからか放たれた決死の一撃が、俺の目前に迫っていたのは理解できた。

 認識したのは俺を押し潰そうと飛んでくる巨石の剣と、その凶器を阻む一つの拳。


「感謝するぞ、神の使徒。おかげで、お前を守る余裕も出来た」


 その言葉と同時に、魔法の石材は木っ端微塵となった。

 俺は助かったという安堵より、助けられたという事実に目を丸くする。


「イーシュ、さん。なんで」

「なんだ、文句か? だが遅れた事に謝罪はしないぞ。吾輩は行動で示すだけだ」


 飛来する脅威が、次々とイーシュさんの拳と足によってガラスのように砕かれる。

 ……邪魔者に阻まれ、苛立ちに唸る魔物達の声にイーシュさんは嗤う。


「新顔にばかり目を向けて、忘れてしまったのか? この地の狩人が誰なのか、貴様らの身体に刻みつけてやろう」


 ――宣言通り、集結しすぎていた魔物はイーシュさんに悉く討ち取られていく。

 ……いや。他の兵士達も、今度は盾ではなく剣を持ち戦っている。

 何時の間にか、魔物と人間の数は逆転していたのだ。


【戦況が覆ったことで人間達の士気が高まり、連携も強化されたか】


 神様の言葉通り、先程まで必死だった人の顔が、今は落ち着きを取り戻している。

 森の奥から魔法を放とうとする魔物もいるけれど、木々や障害物に遮られて余り上手くいっていないようだ。

 まぁ、森の中での遠距離攻撃が最初から可能なら、とっくにやっていただろう。

 ならばと魔物が射程距離まで近付こうとしても、兵士達の皆さんが戦ってくれる。

 もちろん俺も黙って見ているなんて出来ない。やる事は一つだ。


「風の刃に慈悲はなく」

【おい馬鹿、加減を覚えろ。ここは追い打ちではなく、後退だろうが。いや、せめて上級魔法は止めろ。負傷した身体では最早、耐え切れぬッ】


 そんな生温い提案なんて、納得できない。

 だって、まだ敵はいる。手から離れようとする杖を強く握りしめて、俺は唱える。


「死神の嵐」


 再び吹き荒れる無色の刃。それが文字通りのトドメとなった。

 空気を切り裂く轟音に続き、魔物達の断末魔が木霊する。

 訪れた静寂は一瞬で、すぐさま戦場は人間達の歓喜で彩られた。


【ふむ、貴様の無茶が功を成したか。まさか殲滅するとはな、危うい勝利だが】


 ……そんな神様の評価に、安心感でも覚えたのだろうか。

 倒れる木々の揺れを感じつつ、空気の抜けたタイヤみたいに急速に意識が萎む。

 ――そう自覚しながら、俺はゆっくり気絶した。


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