歓迎されない者
それは翼竜(よくりゆう)の巨体が、翼を羽ばたかせて飛び立った時の話。
遠く離れた地上と身近になった浮遊する石を眺めていると、隣に座っていたソフィア姫が静かに口を開いた。
「今から行くアッカド基地について、最低限の知識は必要でしょう」
――曰く。
周囲を森林に囲まれた平野に拠点を持つアッカドは、魔物に対する鉄壁の防衛力と謳われ、勇猛な戦士達の聖地とさえ呼ばれていたという。
……しかし現在のアッカド基地に、その面影はなかった。
【コレは酷いな。基地とは名ばかりで、近辺に堅牢(けんろう)な建物など無いではないか】
ワイバーンから降り立った神様が、その一言で現状を語ってしまう。
事実、砦になるような施設は全て破壊されて、瓦礫の山が積まれているだけだ。
唯一まともな建築物は、木材で出来た安宿のような所だった。
あとは無数のテントが張られ、それを守るように大人の胸ほどの高さがある石垣が並べられているに過ぎない。
モート伯爵の領地にはあった人間の造った文明や歴史が、この荒廃した大地にはまったく感じられないのだ。
そして、そんな感想を抱いたのは俺だけではないらしい。
「噂は聞いていたけれど、想像以上ね。魔物と人間の世界に絶対的な防衛ラインを築き上げたアッカド戦線が、今や見る影もない凋落ぶりなんて」
エレナさんと一緒に地面を踏んだソフィア姫が、氷のように冷静な声で呟く。
しかしその身体と拳は震えている。どんな感情なのかは、理解できないけれど。
ただ、話しかけづらい空気を放っている事くらい察することは出来た。
……そんな状況の最中、なにかに感心したような声が周囲に響く。
「――空から翼竜が降ってきたと報告されて来てみれば、女性ばかりの手勢が僅か四名とは、これは実に頼もしい援軍だ」
そう言って現れたのは、狐のような細顔に墨のような黒髪を纏う男性だった。
こんなに荒れた戦地に似つかわしくない程の小綺麗な格好で、神様やモート伯爵みたいな軍服を着ている。
しかし何より特筆すべきなのは、その拒絶を隠さない態度だろう。
不審者を見る眼差しから察するに、歓迎されていないのは明白だ。
だというのに、ソフィア姫は空気を読まなかった。
「……鎧ではなく軍服を着ているという事は、兵士ではなく将兵ね? 階級と名を言いなさい。生憎と、見ず知らずの臣下に開く口は持ち合えあせていないのよ」
それが世の理、当然なのだと言わんばかりに素性を明かせと命じる。
相手は明らかに年上なのに、まったく居丈高な物言いだ。
しかし驚くべき事にソフィア姫の指示通り、その人は頭を下げながら口にする。
「これは失礼した。吾輩の名はイーシュ・エル・イスカリオテ。アッカド基地の部隊長を務める者です。以後、お見知りおきを」
【……敬礼ではなく頭を垂れる礼儀作法。そして家名の上にエルが付くという事は貴族を表しているのだったな?】
「えぇ、貴族が指揮官を務めること自体は珍しくないわ。それにしても若すぎるけど」
怪しむ視線を送るソフィア姫に、イーシュと名乗った人は苦笑する。
口にこそしないが、そういう扱いには慣れたものだという態度だった。
「貴族と言っても男爵、それもこのような戦地に飛ばされる没落っぷりです。しかしだからこそ、こんな間近で姫殿下と謁見できたというならば、地獄も悪くはございません」
姫殿下という単語に、俺は驚き目を剥いた。
その気も無かったのに、イーシュと名乗った人に思わず質問をぶつけてしまう。
「初対面なのに、目の前に居る相手が誰だか判るんですか?」
「……昨晩。我が基地の最大の支援者、モート伯爵から魔術的な伝令で今回の経緯について説明を受けたからな。しかし何より姫殿下が御召しになっている服装だ、価値を知る者が見れば高貴な方だと瞬時にして理解できる」
それを聞いて豚に真珠、猫に小判という言葉を思い浮かべながら、俺は自分が着ているローブを触ってみた。……分かんない、着心地の良さしか判らない。
必死になってぺたぺたとローブを撫でていると、イーシュさんは目を細めて俺に語りかけてくる。
「あぁ、そして貴様の事も知っているぞ。我が国の新たな守護を担いたがっている神の候補者、その使徒だと」
ビックリした。この世界に来て初めて、睨まれてしまった。
言葉遣いは普通だけれど、明らかな敵意がある。
突然のことで対応できずにいると、神様が口を出してきた。
【ほぅ、嫉妬を感じるぞ。貴様、出会ったばかりのクローに劣等感を抱いたな】
「……貴方がデミウルゴスか。こちらの心情を読み取って御満悦のようだが、吾輩とて隠す気は無い。反発心を抱いて何が悪いというのだ?」
【なに?】
「御覧の通り、この地は既に国から見捨てられている。だが吾輩達は命懸けで死守していたのだ。いつか必ず、自分たちの手でアッカド基地を再建してみせると」
そう言って彼が力強く指さす先は、ただの廃墟しかない。
つい寝言を呟いているのかと錯覚してしまったが、その目は真剣だった。
「それを突然、恩人たる伯爵から新たな戦力が到着する、それで戦況が劇的に変化するだろうと言われたのだぞ。そう聞かされては、見ず知らずの相手であっても不満を持たずにはおれん」
イーシュさんの舌打ちと共に、周囲に沈黙の幕が垂れ下がる。
殺伐とはしていないが、気まずい雰囲気が煙のように燻り始めた。
「……歓迎してはいないという態度ね。モートが支援していなければ、王女でさえ相手にしていなかったという感じかしら」
「どんな状況であろうと、姫殿下を蔑ろにする事はございません。ですが率直に申し上げれば、迷惑と感じております」
再び頭を下げるイーシュさんを見て慇懃無礼、という言葉が脳裏を過ぎる。
それとともに、心の底から沸き上がる気持ちが俺の口を突き動かしていた。
「なるほど。これは救い甲斐のある人ですね」
「何を言っている、嫌味か?」
怪訝な顔で俺を見るイーシュさん。
ソレに怯まず、むしろ前に踏み出て近付いた。
「助けられることが迷惑だという人と初めて出会ったので、興味が沸きました」
「は?」
「気分を害したのなら済みません。ですが俺は、俺の目的の為に働くだけなので」
混乱した顔のイーシュさんには悪いが、俺の心は晴れやかだ。
この状況は、歓迎できる。
魔物を瞬殺した時に気付いた事だが、簡単すぎても駄目なのだ。
危険を伴う困難を克服しなければ、達成感は得られない。
贖罪の為にも、この厄介者的な扱いは都合が良い。
「改めてよろしくお願いします、イーシュさん。貴方となら、仲良くなれそうです」
新しい理不尽を喜びながら、俺は握手を求めた。
けれどイーシュさんは不審そうに俺を眺めて、回避するように後退してしまう。
「何を考えているのだ、貴様。こうまで悪態を吐いたのだ、普通は吾輩のことを嫌って然るべきであろう」
「そんなことで嘘が吐けない人を敵に回す方がバカらしい。味方になってくれたら、これほど頼もしい事はありませんから」
ニッコリと笑顔を向ける。
しかし返ってきた表情は不愉快そうだった。
「……酔狂なヤツだ。何の気負いもなく死地にやって来ている時点で狂気の沙汰だが、嫌っている相手に友好を求める者が居て堪るか」
まるでゴキブリを嫌悪するかのように遠ざかるイーシュさん。
しかし、その足はすぐに止まる事となる。
「――隊長、敵襲です。こちらに向かってくる魔物を確認しましたッ」
テントのあった方角から、息を切らしながら走ってきた鎧の兵士がそう告げる。
途端、イーシュさんの態度は切り替わり、馬のような早さで迎撃に向かった。
ソレを見て、俺は確認するように神様達へ視線を向けて話す。
「俺達も付いて行きましょう。その為に来たんですから」
【待て、クロー。我を持たずして戦場に向かうとは自殺したいのか、貴様は】
神様は俺を叱るようにローブをぐいっと掴んで動きを止めると、そのまま一瞬で杖へと変化した。
ザクッと地面に刺さった神様を手にとって、俺は再び目的地に向かって走る。
駆ければ駆けるほど心臓がドクンドクンと波打ち、うるさい。
【……クロー。お前、随分と楽しそうだな?】
自分でも判らない。
でも、かつて遠足をした時みたいに浮かれているのは、自覚できた。
もうすぐ辿り着く望みを前にして、俺の足は羽根のように軽かったのだ。
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