塾長の過去を発掘する
「こっちじゃよ」
海山老人は店のレジの横をすり抜けて、暖簾の向こうへヨボヨボ歩いていく。
俺たちも海山老人に続く。
店の奥には書庫があった。
書庫は店舗と同じくらいの広さ。
独特の、ホコリっぽい匂い。
異界に迷い込んだ気分になる。
海山老人は、大きな本棚三つ分のスペースを指差して、
「この一角が、竜宮の蔵書じゃ……」
ほぅ。
かなりの量だな。
文庫からハードカバーまで、目算で一〇〇〇冊以上はあるだろうか。
萌々は、本棚の正面に立って、
「すす、すごーいっ」と上ずった声で感嘆する。
海山老人は遺言でも残すみたいに、
「この本棚の本は、好きなだけ持って行っていいぞ、萌々ちゃん」
「ええっ、いいんですかぁ? 高く売れる本もあるんでしょ?」
「なぁに。元はといえば竜宮の蔵書じゃからな。竜宮のために、売らずに残してあったんじゃよ。奴が、また読みたくなった時のためにな……」
んん?
また読みたくなった時のために?
妙な言い方をするな、爺さん。
海山の言葉に違和感を覚えつつも、俺は本の背表紙に視線を走らせる。
SF、伝奇、オカルト、ファンタジー、神話、ミリタリー。
小説だけでなく、漫画や雑誌、資料集も。
多種多彩なラインナップだ。
とりわけ六〇年代から八〇年代にかけてのサブカルチャーの本が充実している。
お宝の山だ。
残念ながらエロ本はないようだが。
と言うか、あの塾長!
俺よりも、よっぽどオタクじゃないか!
とんだ堅物だな。
しかし、この秘密の蔵書が竜宮塾長の弱点といえるかは微妙だ。
もっと決定的なものはないか──
と俺は本棚に視線を這わせる。
ある本のところで俺の目の動きが止まった。
視界に飛び込んできたのは著作名だ。
立川京太郎。
海山幸彦。
二人分の著者名が、ハードカバーの背表紙に印刷されている。
共著らしい。
あれっ?
「海山幸彦」って、この爺ぃの名前じゃなかったっけ。
つーことは、立川京太郎というのは──
そのハードカバーのタイトルは「魍魎たちの呼び声」。
すかさず本棚から抜き取る。
長年放置されていたと見えて、小口や天の部分にホコリが溜まっている。
その表紙イラストを見た瞬間、
「うわっ!」と俺は本を取り落としそうになった。
異型の化物が口を広げている、おどろおどろしいイラストである。
にしても、変な方向で大胆だな。
垢抜けなさが昭和のセンスだ。
出版社の名前は、表紙カバーにはどこにも印刷されていない。
「なあ、爺さん」
「なんじゃ? 立ち読み小僧」
海山は俺の方を振り見て、秘密警察みたいに目を光らせる。
「この『魍魎たちの呼び声』って本、爺さんが書いたのか?」
俺が本を見せると、海山老人の顔が、サッと変化した。
「そっ、それは……!」
図星反応。分かりやすい。
「へぇ。爺さんの書いた本だったのか」
海山老人は無言のまま、時が止まったみたいに硬直した。
萌々とシャーロットは本棚を物色中だった。
俺の言葉を聞きつけると、すぐに俺の手元の本を覗き込んできた。
萌々は尊敬の眼差しで、
「えっ、海山さん、本を書いてたの?」
「ははっ。バレちまったか。なに、若気の至りというやつじゃ」
海山老人は、叱られた子供みたいに肩をすくめる。
リアクションから察するに、この本は爺さんの黒歴史っぽい。
俺は海山老人に向かって、
「共著の立川京太郎ってのは?」
「それは竜宮恭志郎のペンネームじゃよ」
と海山老人は懐かしそうに言う。
竜宮恭志郎。
塾長の本名だ。
ありえなさすぎる。
なんだか琵琶湖でネッシーを目撃したかのような気分だ。
萌々は目をパチパチさせて、
「ええっ? その本、あたしのお祖父ちゃんと一緒に書いたの?」
「そうじゃ」
と海山老人はあっさりと自供した。
俺は、とんでもないお宝を発掘しちまったらしい。
表紙カバーに息を吹きかけてホコリを払う。
玉手箱を開けるように、最初のページをそっと開く。
中身は短編小説集のようだ。
立川京太郎の作品と海山幸彦の短編作品が、交互に仲良く並んでいる。
短編の各タイトルは、「狂気の石像」「黒い写本」「眷属たちの影」などなど。
特徴的なタイトルを見て、ピンと来た。
これは、ひょっとして──
「なあ、爺さん。この本ってクトゥルフ?」
「おっ、よく分かったな。さすがは立ち読み小僧じゃな。ワシの店で修行した成果か?」
海山老人は感心したように目を細めた。
予想通り、本の中身は、クトゥルフ神話をネタにした短編小説集だった。
クトゥルフ神話というのは、二〇世紀初頭にアメリカの大衆作家が考え出した創作世界である。
日本のオタク界隈でも、昭和の頃から人気が高い。
昔からオタク好みのネタだ。
つーことは。
「このクトゥルフの短編集って、エンターテイメント作品だよな? 爺さん」
もちろん、と海山老人はうなずく。
「若者文化を意識して書いた、B級娯楽小説じゃ」
へぇ。
あの魔王のような塾長がB級娯楽小説か。
俺は、プロイセンの将軍のような白髭を蓄えた老紳士を思い出す。
どんな顔でクトゥルフ小説を書いてたんだろうか。
本の奥付を見ると一九八五年発行とある。
三〇年以上も前だ。
つまり、この「魍魎たちの呼び声」と題された短編小説集は、今のライトノベルを先取りしたようなものか。
「ところで、この短編集、どこの出版社から出したんだ?」
見たところ、表紙カバーには出版社の名前が記載されていない。
「ああ、そいつは自費出版でな」
「自費出版?」
「うむ。なにしろワシと竜宮は、作家志望者じゃったからな」
海山老人は照れ臭そうに言った。
ななな、なんと!
あの塾長が、俺と同じ作家志望者だっただと?
しかもオタク向けのB級娯楽小説を書いていたとは。
俺と全く同じ道を歩いていたワケだ。
つまり大先輩じゃないか!
萌々も目を見開いて、
「えええっ? お祖父ちゃん、作家志望だったの?」
「ははっ。三〇年以上も前の話じゃよ」
海山老人はそう言って、ごま塩頭をペチっと叩いた。
萌々は神妙な顔で、
「ふぅん。人は見かけによらない、ってやつだね」
俺は、ツイ友の機長氏のことを思い出して、思わず苦笑する。
ふっ。
よく言うぜ、この隠れオタクめ。
君だって、人は見かけによらない選手権に出たら、上位入賞は間違いなしだぞ。
などと心の中で突っ込みつつ、俺は人生の大先輩に向かって、
「それで爺さん。二人して作家を目指した結果は、どうだったんだ?」
「あと一歩及ばず、じゃったな。公募で最終候補になったことも一度ならずあったが……」
海山老人は心底残念そうに言った。
ふぅむ。
七〇過ぎの老人なのに、まだ未練があるというのか。
げにおそるべし、作家道。
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