第30話 ある雪の日(前編)
勇者アキ個人宛に入った依頼は行方知らずとなった子供の捜索であった。
緊急を要する依頼のため、ハルの誘いを断り一人仕事へ向かう。
この仕事にアキ一人で臨むことになったのは、子供が行方知らずとなったきっかけに起因する。
そこにはとある言い伝えがある。
雪の降る夜は決して外を出歩くなという言い伝え。
もしも、雪の降る夜に彼女に出会えばたちまち凍え死ぬ事になり、子供は彼女に攫われてしまうという。
魔物とは違う、言い伝えに残る"妖怪"と呼ばれる怪異は"雪女"と呼ばれた。
行方知らずの子供は、雪の夜に消えたのだという。
雪原に残された子供の帽子の付近には、血痕などは残っておらず、帽子の毛糸には白い髪の毛が僅かに絡んでいた。
雪女は白い髪を持つという。昔から白い髪が残された場所には雪女が通ったと言い伝えられており、子供の親と村人達は雪女の仕業だと判断したのだ。
そこで、子供の捜索に使命されたのが"魔導書"と呼ばれる勇者アキであった。
理由はみっつ。
ひとつめの理由は雪女がそこらの魔物よりも余程危険な存在であり、一般の傭兵や冒険者といった便利屋には手に余るということ。勇者レベルの実力者でなければ対応不可とみられたからだ。
ふたつめの理由は雪女は
みっつめの理由は、アキからしたら非常に不服な事だった。
「私のどこが子供に見えるんですか……!」
みっつめの理由はアキが子供に見えるから、である。
実際、アキは大人というには若い年齢ながら、それよりも更に一回り幼く見られがちな童顔と小ささで子供扱いされる事が多い。
雪女は危険な相手でありながら警戒心も非常に強い。
討伐自体前例がない強敵でありながら、十分な戦力を整えて討伐に向かえば姿をなかなか現さない。
凍える雪の夜に、捜索に時間をかけて弱った相手の前にようやく姿を現す。それ程に警戒心が強く狡猾な妖怪なのである。
そんな雪女の油断を誘えるであろう事がまずひとつ。
そして、今回はあくまで誘拐された子供の救出が主目的である。
雪女は子供を連れ去り自らの巣に連れ込むと言われているが、大人と出会えばその場で凍えさせて殺すという性質があるという。
大人が討伐に向かったところで、負ければ当然子供の手掛かりは手に入らず、倒してもやはり手掛かりは手に入らない。
子供として攫われる事ができるアキであれば、子供の居場所を特定できるのではないか、というのが依頼先にアキが選ばれた理由であった。
当然、雪女に攫われるというのは非常に危険な状況である。
それでもアキに仕事を任されたのは、彼女の高い実力を見込まれての事に他ならない。
攫われた子供も、雪女の好む極寒の環境に置かれていては命を落とすのも時間の問題。その為迅速な対応が必要。アキはその依頼の、特にみっつめの理由に不満を感じたが、断る事なくすぐさま対応に出向くのであった。
ハルに焼肉パーティーとやらに誘われて、断った際には用事があるとだけ告げて、この依頼の話はしていない。アキ一人で出向く必要のある依頼ではあるが、ハルであれば危険を知れば手伝おうとする、心配してくるだろうという判断からである。
「心配されても迷惑ですし。」
毒づきながらも内心では余計な心配を掛けたくないというのが本音である。
防寒装備と魔法の杖を手に、子供の帽子が残された地点に辿り着いたアキ。
雪が降りしきる中、後ろにはアキの足跡が既にうっすらと埋もれ始めている。見渡すは雪原、夜空の下に白銀の世界が広がっている。
この辺りが雪女のテリトリーの筈。この辺りを彷徨いていたら遭遇できるかも知れない。
そう考えて、アキは周辺をしばらく散策することにした。
異変に気付いたのは暫く歩いた後の事。
アキは自身が残してきたものとは別の足跡を見つける。アキが残してきたものと同程度にしか埋もれていない、比較的新しい足跡である。
(雪女の足跡? ……そもそも雪女は足跡を残すんでしょうか? それに、この足跡心なしか小さく見えます。まるで子供の足跡のような……。)
アキは振り返り、自身の足跡を見る。
自分の足跡は目の前の謎の足跡と同じくらいの大きさの足跡である。
(…………子供ほど小さくはないと思いますが、少し小さい足跡ですね。)
その子供ほどではないけど小さい足跡……という風にアキは思うようにした足跡を見ると、先にしばらく続いている。
(もしかしたら、行方不明になった男の子? それとも別の?)
アキは足跡を追い掛ける事にした。足跡はまだ比較的浅くない。そう遠くには行っていない筈である。
杖をつきながらザクザクと雪を踏みしめ進むと、やがて小さな影が見えてきた。
「大丈夫ですか!」
それが人間だと気付くと、アキはすぐに駆け寄った。
見ればそれは小さな少女であった。
ボロ布を纏い、何故か首には縄を巻かれた、見窄らしい姿の少女。
「こんな寒いのになんて格好でいるんですか!」
アキは上着を脱ぐと、少女に被せてやった。そして、杖を振って少女に魔法を掛ける。
回復、微弱な発熱、寒さからの保護といった魔法をいくつか重ねがけすると、蹲る少女に手を差し伸べる。
「私は勇者をやっているアキ・メイプルリーフです。立てますか?」
アキの呼び掛けにぴくりと少女は反応する。
少女を不安がらせない為にあげた名乗りだったが、その少女の反応は安堵とはまた別のものだった。
「これはこれは……勇者"魔導書"のアキ様。随分と探しましたよ。」
不敵な笑みと、子供とは思えない異質な圧を感じたアキは咄嗟に飛び退いた。
立ち上がるボロボロの少女は、首に結んだ縄を撫でながら不気味な笑みを浮かべて立つ。
「警戒なさらないで下さい。私はあなたに害を成すつもりはありませんよ。」
「何者ですか、貴女は。」
「私はうららと申します。世間では"イレギュラー"だとか"毒蜘蛛"だとか呼ばれている、"何でも屋"です。」
「何でも屋……?」
自身を"何でも屋"と名乗る少女、うらら。
不気味な気配を漂わせており咄嗟に退いてしまったものの、うららから敵意はまるで感じられない。
アキは警戒しつつも、臨戦態勢を緩める。
「その何でも屋がこんなところでそんな格好で何をしていたんですか。」
「この格好は趣味です。ここにいたのは、誘拐された子供を捜索する依頼を受けて、此処に来るあなたに遭いに来たんです。」
「私に……?」
うららはにたりと不気味に笑う。
「ああ、念のために言っておきます。雪女の誘拐事件の件と私は無関係です。単純にあなたのファンガールだと思ってくれていいです。」
ファンを名乗る少女うららは先手を打って誘拐事件との関連を否定する。
今ひとつ目的の読めない少女にアキは眉をひそめる。
「それで何の用ですか。」
「用事というのは、実はあなたにひとつお願いがあって来たのです。」
「お願い……?」
怪訝な顔のアキ。うららは頬を染めて腕を広げた。
「覚えていらっしゃいますか。少し前に、禿げ頭の筋肉男があなたにちょっかいをかけた事を。」
「…………あの変質者が何なんですか?」
若干ぎくりとしたアキ。
少し前にハルとアキの前に現れた、何かよく分からないハゲ筋肉の変質者。
アキは敵対者と判断して、その時研究中の魔法の実験台として魔法をブチ込んだ。
結果、死にかけ……というか死んでしまった変質者(すぐに蘇生したが)。
一応正当防衛を主張するにしても一般人に凄まじいことをしてしまったのはアキには結構後ろめたかったりする。
この少女はあの変質者の関係者だろうか?
まさか、慰謝料でもせびりにきたのだろうか?
「あの時に放った魔法を私にも撃って欲しいのです。」
「…………は?」
全然予想してなかった頼み事が飛んできた。
うららは恍惚とした表情で身を震わせた。
「話に聞いただけでもえげつないドS魔法……是非とも私も体験してみたいのです!!! 大丈夫!!! 私、ドMですので!!!」
アキはドン引きした。
こいつも変質者だったのだ。
「い、嫌です。」
「大丈夫!!! 私、不死身ですので!!! 身体が塵になっても蘇ります!!! だから遠慮無く、あなたの魔法の実験台にして下さい!!!」
「嫌です!!! 気持ち悪い!!!」
不死身だとか意味の分からない事を言い出すうらら。
アキはぞくっと背筋を冷やし、後ずさりして断固拒否した。
そんなアキにうららはしつこく絡んでくる……かと思いきや。
「そうですか……残念です。あと、気持ち悪いって一言はご馳走様です。」
「え?」
思ったより諦めが早かった。
「嫌ならいいんです。私のモットーは『人の嫌がる事はしないこと』。こういうプレイが好きじゃない人間に強要はしません。私は悪い変態じゃありませんよ。あの頼みを聞いて喜んで私に魔法をブチ込んでくれる方なら嬉しかったのですが……嫌ならいいです。はぁ。」
変質者のド変態だが、嫌がると露骨にがっかりしながら素直に引き下がる。
気持ち悪いと思ったが意外と常識人……とは流石に思えないし、やっぱり気持ち悪いのだが、アキは警戒しつつも敵意がないと判断して杖を降ろした。
「よ、用が済んだなら帰って下さい! 私は忙しいんです!」
「分かりました帰ります。また魔法の実験がしたくなったら連絡下さい。いつでも喜んで実験台になりますので。」
「結構です!!!」
とぼとぼと歩き出すうらら。本当に帰るらしい。
(なんなんですかこの人……。)
ドン引きしながらその背中を油断せずに見送るアキ。
「可愛い可愛い私の坊や。」
アキが聞いたその言葉は、なにもなかった筈の背後から聞こえた。
ぞっと背筋を撫でる悪寒に、アキは身体を強ばらせる。
それは突如として現れた脅威に対する萎縮でもあり、実際に身を冷やす冷たさから来る震えであった。
一瞬でアキの手がかじかんで痺れていき、杖を持っている事もかなわずに落としてしまう。
「一緒にお家に帰りましょう。」
抱きつくように白い腕がアキを包み込む。
その冷たい腕は息を吸うこともできない冷気と共に、身体の温度と感覚を一瞬で奪い去り、アキの意識を刈り取った。
焼肉パーティーが思ったよりも長引き、ハルとナツの帰りは遅くなっていた。
そんな魔王城からの暗い帰り道、ハルは雪原に落ちている見覚えのあるそれを見つける。
綺麗に削り磨き上げられた木でできた魔法の杖。
いつもアキが持ち歩いている筈のものだった。
アキの持つ杖は特注の一点物で、他には誰にも所有者がいない事はハルも知っている。その杖が、うっすらと雪を被って何故かぽつりと雪原に落ちている。落として気付かないようなものでなければ、打ち捨てるような価値のものじゃない。
ハルが杖を拾い上げる。僅かに温もりがある。杖を握っていた温もりか、魔法を使おうとして断念した魔力の熱の余韻か。
ハルは用事があると言っていたアキの言葉を思いだし、此処で何かがあったという事に気付いた。
ハルがナツの顔を見上げてみれば、彼もただならぬ事態が起きている事に気付いているようだった。
アキの身に何かが起きた。
勇者に最大の危機が訪れる。
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