第10話 覚醒! 世界調律師

「ううう……うあああああああっ! アリアナァァァァァァァァッ!」


 悔しくて、悲しくて、僕は声の限りに叫びながら左右の拳を凍土に叩きつけた。

 アリアナがいなくなってしまった。

 僕を守るために、その身にモザイクを浴びて消えてしまった。

 ここにいたのに……ほんの数秒前まで目の前にいたのに!

 痛いくらいに握りしめた拳が震えていた。

 胸が痛み、頭は熱を帯びている。


「アリアナを……守れなかった」


 その事実に僕は怒りと悲しみでどうにかなってしまいそうだった。

 そして僕の手にはアリアナの体を包んでいたモザイクの残滓ざんしがこびりついている。

 彼女を消し去ったモザイクが僕の体にも伝播でんぱしているんだ。

 このままだと僕もモザイクに飲み込まれてしまう。

 だけど僕は焦りも恐怖も忘れてしまったかのように自分の手をじっと見つめた。

 胸の中にあるのは燃えたぎる怒りと少しの虚無感だった。


 僕は我が手の中にあるモザイクを見据えて歯を食いしばる。

 どうしてこんなものがあるんだ。

 こんなものがなければアビーもアリアナも他の人達やジェルスレイムの街も消えずに済んだのに。

 どうしてこんなものが……。


 怒りのままに手の平のモザイクを握り潰そうとした僕の手の中から手首へとモザイクが広がっていく。

 ふと僕はそこで気が付いたんだ。

 モザイクの中にわずかにキラキラと輝く青白い光のすじが混じっていることに。

 それは僕の体にほんの少しだけどヒンヤリとした感覚を伝えてくれている。


 これは……アリアナの?

 僕は必死にその感覚を感じ取ろうと神経を研ぎ澄ませた。

 すると……その青白い光に導かれるようにして、モザイクが僕の左手首のIRリングへと吸い込まれていく。

 こ、これは……。

 僕の左手から広がろうとしていたモザイクは全てIRリングの中に吸い込まれて消えた。


「ア、アリアナが助けてくれたんだ……」


 もちろんそんな根拠もないし僕の勝手な思い込みだ。

 でも僕はそう信じたくて、右手に残るモザイクを見た。

 こちらにもモザイクの中に青白い光が漂っている。

 慌てて両手の指を組み合わせてみると、青白い光に先導された右手のモザイクは左手に移動し、同じように左手首のIRリングの中に吸い込まれていった。


 僕の両手から全てのモザイクが消えた。

 これまでの経験から言えば、IRリングに吸い込まれた力は僕自身の力になる。

 だけど僕はモザイクの力なんて持ちたくもないし、持ってもどうすることも出来ない。

 そう危惧した僕だけど、モザイクを吸い込んだIRリングは何ら変化を見せなかった。

 ただ、僕の目にそれまで見えなかった不思議なものが映るようになっていたんだ。


「な、何だ……?」


 目の前に広がっているのはモザイクによって荒廃した世界のはずなのに、ほんのわずかだけど、今見ている景色の中に別の景色が混じっているように見えたんだ。

 だけど目を凝らして見ようとしてもそれは見えなかった。

 前方を凝視し過ぎて目が痛くなった僕は思わず幾度かまばたきをする。

 すると別の景色が幾度かフラッシュのように僕の視界の中にまたたいたんだ。


「え? もしかして……」


 僕はある可能性に気付いて、涙で腫れぼったくなった目蓋まぶたを閉じてみる。

 すると驚いたことに、暗闇くらやみの中に様々な色の不思議な線で描かれた光景が浮かび上がったんだ。

 それは絵画のようだったけれど、僕にはその光景が何であるのかすぐに分かった。


「ジェルスレイムだ……」


 そう。

 目を閉じたままの僕の目蓋まぶたの向こう側に見えているのは、モザイクによって消し去られてしまったはずの砂漠都市ジェルスレイムの街並みとオアシスの在りし日の姿だった。

 僕は驚いて再び目を開ける。

 すると目の前に広がっているのはやはりモザイクに覆い尽くされた不毛の土地だ。


「どういうことなんだ?」


 僕は周囲を見渡しながら再度目を閉じた。

 すると僕のすぐ背後に大きな樹木の姿が浮かび上がる。

 それは長い葉っぱが特徴的な常緑高木で、乾燥した砂漠地帯などに生えるナツメヤシの木だった。

 そうだ。

 確かにジェルスレイムのオアシス近くにはこの木がたくさん生えていた。

 

 長い葉っぱが僕のすぐ手の届く位置にあり、不思議なことにそれは風に揺れている。

 実際には吹いていないはずの風に揺れるその様は、手で触れられそうなほどに写実的で、僕は思わずそこに手を伸ばしてみた。


「……えっ?」


 僕はハッとして手を引っ込めると思わず目を開けた。

 なぜなら、伸ばした手の先に葉が当たる感覚を覚えたからだ。

 だけど目の前の光景はやはり荒廃しきった風も吹かない世界に変わりない。

 木だって生えていないし、当然、風に揺れる葉もありはしない。

 でも僕の指先にはまだ風に揺れる葉っぱの感触が確かに残されていた。


「い、今の感覚は……」


 僕はその感覚が気になってもう一度目を閉じ、目の前にあるナツメヤシの葉に触れてみた。

 そこにないものに触れることのできる不思議な感覚に戸惑いながら僕は一歩また一歩とナツメヤシの木に歩み寄り、その葉だけでなく、枝、そして幹に手を触れてみた。

 確かに僕の手はナツメヤシの木を触っている。

 触れば触るほどにその感覚は強くなり、その実体感たるや本当に目の前に木が生えているようだった。


「どうしてこんな……えっ?」


 もう一度目を開くと僕は絶句した。

 僕の目の前に木が生えている。

 さっきまでなかったはずのナツメヤシの木がそこに現れていたんだ。

 目を閉じた世界の中じゃない。

 目を開けたこの荒れ果てた世界の中に、さっきまでなかったはずのナツメヤシの木はその根を確かに大地に下ろしていた。

 そしてそこだけ氷山の氷が消え、モザイクもなく砂の地面が露出している。

 まるでその場所だけが元の姿を取り戻した世界のようだったんだ。


「……もしかして」


 僕は半信半疑で再び目を閉じると周囲を見回した。

 するとジェルスレイムの街並みがよりハッキリと見えてくる。

 そして僕が立っている場所は氷山ではなく、砂丘の中腹だった。

 僕は恐る恐るしゃがみ込んで両手で砂の地面に触れてみた。

 それは凍土の冷たい質感ではなく、確かにサラリとした砂の地面の触感だ。

 僕は今度は確かな手応えを感じて目を開いたんだ。


「やっぱりそうだ」


 僕が立っていた氷山の頂点が砂の丘に変わっている。

 さらに丘は上から下へと凍土が徐々に砂丘に変化していき、その変化は丘のふもとへと及んでいく。

 そして……氷山を侵食しようとしていたモザイク液がその変化に押し戻されるように後退していった。

 僕は自分の両手を見つめる。

 物質を無へと廃するセクメトのモザイク。

 無から物質を生み出すアリアナの永久凍土パーマ・フロスト

 この2つの力をIRリングから吸い込んだ僕は、無に帰された物質をよみがえらせる復元の力を手に入れた。

 何の変哲もない自分の手の平は今、世界を壊そうとする破滅のモザイクに対抗し得る力を持っているんだ。


 僕はもう自分の変化に驚かなかった。

 昨日と今日とで僕の体にはあまりにも多くの変化が訪れた。

 だけどそれなら明日にはさらに変化して逆に力が無くなってしまっても何ら不思議はないんだ。

 だから僕は今、この時に使える力を思い切り使うことに決めた。

 だってミランダとジェネットはまだセクメトと戦い続けているんだから。

 僕が……僕が彼女たちの力にならないと。


「2人を……助けるんだ!」

 

 ミランダとジェネットは持ち前の飛行能力でセクメトのモザイクを避け続けている。

 セクメトは巨大な魔獣と化したことで凶悪さを増していたものの、人型だった頃と比べるとモザイク攻撃に精密さを欠いていた。

 だからその口から吐き出すモザイクの鉄砲水は2人を捕らえきれずにいたけれど、それでもミランダもジェネットも魔力残量がいよいよ心もとなくなってきた。

 そのことを分かっているからか、ジェネットはともかく、あの勝ち気なミランダが攻撃魔法を一切使わずに空中浮遊に魔力を集中させている。

 ネオ・ワクチンを取り込んだ今の自分ならばセクメトに有効な攻撃を繰り出せるはずだと言っていたミランダが、それを出来ないほどに余裕がない状況なんだ。

 もう一刻の猶予も許されない。

 

 僕は砂丘を駆け下りると、目の前にまだ広がっているモザイクの海を見据えた。

 そしてタリオを腰のさやから抜き放つと、それをモザイクの中に差し入れてみる。

 思った通り、タリオの刀身が触れた途端にモザイクは溶けるように消滅していく。

 これなら……いける!

 僕は目を閉じた。

 目の前に広がっているのはモザイクの海なんかじゃなく、乾いた砂の大地だ。


「これなら……世界を元に戻せる」


 僕がそうつぶやいたその時、ミランダの怒声が響き渡り、僕はハッとして顔を上げた。


「何やってんのよ! ジェネット!」

 

 セクメトが口から吐き出すモザイクの鉄砲水がジェネットを急襲し、彼女は空中でそれを必死に裂けようとして同様に宙を舞うミランダに衝突してしまったんだ。

 ミランダは空中で何とか体勢を立て直すけれど、ジェネットはキリキリ舞いしながらモザイク液の海で満たされた地上に落下していく。

 や、やばいっ!

 僕は反射的にタリオを振り上げていた。

 もうこれ以上……誰も失いたくない!

 

「ふぅぅぅぅ……はああっ!」


 僕は気合いの声を上げながら、海を斬るように思い切りタリオを振るった。

 途端に目の前に広がるモザイクの海が真っ二つに割れる。

 そして僕の目の前から一直線に砂の道が浮かび上がり、ジェネットはその砂の道に落下してモザイク液を浴びずに済んだ。


「ジェネット!」


 僕は一直線に続く砂の道を走り出した。

 ジェネットの元に駆けつけるために。

 その道を走り続ける僕の右側から白へびが鎌首をもたげて無色透明の吐息を吐き続け、左側を同様に黒へびが吐息を吐き続ける。

 すると僕の左右を挟むモザイクの海がへびたちの吐息を浴びて消えていき、元の砂地が復元された。

 そうした中、僕はジェネットの元へ駆け込むと、彼女を抱き起こす。


「ジェネット!」

「アル様……」


 ジェネットは両足を失っているのみならず、肩や腕に細かいモザイク液の飛沫しぶきを浴びた痛ましい姿だった。

 僕はそんな彼女の姿にくちびるを噛んだ。

 僕がここまでねらわれずに済んだのは、彼女たちがセクメトを引き付けていてくれたおかげだ。

 だけどジェネットは僕を見るとフッと笑みを浮かべて言った。

 

「アル様。ステータスが変化していますよ」

「えっ?」


 そう。

 僕のステータス欄において普段は『下級兵士』と記されている肩書きが、今は『世界調律師』というそれに変化していたんだ。

 ジェネットはそんな僕を見てどこか誇らしげに言った。


「アル様。世界調律師。世界の調和を保つ者の称号です。ご立派ですよ」

「世界……調律師」


 聞いたことのない称号に僕が驚いていると、ふいにミランダの叫び声が響く。 

 

「2人とも! セクメトが!」


 その声に僕らは弾かれたように顔を上げた。

 見ると前方から巨躯の魔獣であるセクメトが宙を滑空しながら、猛然と僕らに襲い掛かって来たんだ。

 

「グォォォォォォォッ!」


 セクメトは聞く者を震え上がらせるようなおぞましいうなり声を上げながら、僕らに一直線に向かってくる。

 僕は背すじに悪寒を感じて息を飲んだ。

 その敵意は明確に僕らに……いや、この僕に向けられているのだと直感したんだ。

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