第6話 移ろいやすき山の空

 聖岩山せいがんざんは静寂に包まれていた。

 僕らの他に登山客はいないようで時折、吹き抜ける風の音やどこかで鳴く鳥の鳴き声が聞こえてくるだけだった。


「全然人がいないね」

「ここは私たちのように特別な用事がなければ、特段訪れる必要のない場所ですからね」


 モンスターも出ないから経験値も稼げないし、何らかのアイテムが隠されているわけでもないからプレイヤーにとっては来ても意味がないんだろうな。

 それにしても聖域か。

 清らかなジェネットならともかく、僕なんかが近付いてもいい場所なんだろうか。

 て、天罰とか下ったりしないよね。


「聖域ってどんなところなの?」

「聖域はこのゲームの根幹を成すシステムの一部である巨大樹が祭られている場所です。その巨大樹の根元には限られた者だけが扱うことの出来るシステムの操作板が据えつけられているのです。そのシステムの一機能としてハイスペック・メンテナンス・システムが搭載されています」


 その操作板でシステムを起動するために必要不可欠なプログラム・キーはジェネットが神様から預かっている。

 それで起動したシステムを操作するのがトラブルシューターであるアビーの役目だった。


「アビーはそのシステムを幾度も操作したことがありますので心配は無用でしょう」

「そっか」


 僕らがそうした話をしていると前方からアビーが戻ってきて話に加わった。


「このゲームの中にはこの場所以外にもいくつかそうした強力なメンテナンス・システムがあるのです~。アビーはそのシステムを操る権限を持たされた特殊なNPCなのですよ~」


 そう言って嬉しそうに尻尾しっぽを振るアビーの頭をジェネットはでながら言った。


「アビー。ミランダを治すのにどの程度の時間が必要ですか?」

「そうですね~。8時間から10時間くらいは見ておいたほうがいいかもしれないのです~」


 8時間から10時間か。

 今は午後5時を回ったところだった。

 山頂に到着することにはすっかり日も暮れているだろう。

 で、ミランダの出張襲撃サービスは明日の午前9時。

 ここから砂漠都市ジェルスレイムに向かう時間も考えると余裕はないな。

 でも、聖域に行けばミランダを回復させることが出来る。

 それだけを信じてここまで来た僕の頭の中に、ようやく具体的な行動の図が浮かび上がった。

 そのことは僕の心をいくぶん楽にしてくれた。


 そんなことを話しながら山道を登り続けてきた僕らはいつしか山の中腹に差し掛かっていた。

 さっきまでむき出しになっていた岩肌に緑色のこけがむし始め、岩の隙間すきまから生える木々の様子が目立ち出した。

 ふもとから見えた緑豊かな中腹が目の前に迫り、草木の香りがわずかに鼻をつく。

 この中腹を抜けるとそこはだいぶ標高が高くなっているようで、雲が漂い山頂を隠しつつある。


ふもとのほうは空気が乾いていましたが、この辺りは風が瑞々みずみずしく感じられますね。この先もっと緑が増えてきますよ」


 嬉しそうにそう言うとジェネットは、歩調は緩めずに周囲を見回しながら歩き続けた。

 緑の背景を背に山歩きをする純白の聖女。

 うむ。

 絵になるなぁ。

 ジェネットの姿を見ているだけで僕の目は幸せを感じるのです。

 だけどジェネットはふいに足を止めると、僕のほうを向いた。

 その顔に険しい色がにじむ。


 ん?

 何?

 何か怒ってる?

 ぼ、僕そんなにいやらしい目でジェネットを見てないよね。

 思わずあせる僕に、何とジェネットは唐突に飛びかかってきた。


「ひえっ!」

「アル様!」


 情けない声を上げる僕の両肩に手をかけたジェネットは、その場に僕を押し倒した。

 その瞬間、頭の上で何かが空気を切り裂くような鋭い音が聞こえ、僕の鼻先の地面に棒のような物が突き立ったんだ。


「なっ……」


 それは木で作られた一本の矢だった。

 僕はそれが自分の頭に向けられていたものだと悟り、背筋の寒くなる思いに身を震わせた。

 あ、危なかった。

 ジェネットが咄嗟とっさに僕を地面に押し倒してくれなかったら、今頃この矢は僕の頭に突き立っていたかもしれない。


「アル様。そのまま伏せていて下さい」


 ジェネットはそう言うと僕の頭を手で地面に押し付けるようにして僕の隣に片膝立ちをした。

 そして懲悪杖アストレアを二度三度と振るう。

 するとガキンという硬い音が響き渡り、折れた矢が地面にバラバラと落ちてきた。

 僕らに向かって飛んでくる矢をジェネットが懲悪杖アストレアで叩き折って払い落としてくれているんだ。

 それでも矢は立て続けに頭上から降り注ぎ続ける。


「アル様。そのまま出来るだけ早く前方の木陰こかげまで避難して下さい」


 四方八方から飛来する矢を素早い動きで全て叩き落しながらそう言うジェネットの指示に従って、僕はうようにして必死に移動した。

 そんな僕を守ってくれながらジェネットも一緒に移動する。

 

「アビー!」


 ジェネットがそう声をかけると、犬化しているアビーも素早い動きで矢を避けながら木陰こかげへと避難する。

 僕はほうほうのていで頭上に多くの枝が生い茂る木陰こかげに身を隠すことが出来た。

 いくつかの木の幹が連なるようにして生えているその内側に僕とジェネットとアビーは身を寄せ合った。


 木陰こかげに隠れた僕らをねらって無数の矢が降り注ぐ。

 つい先ほどまで静寂に包まれていた山道はけたたましい物音の鳴り響く鉄火場と化した。

 移ろいやすきは山の空って言うけれど、矢の雨は勘弁してください(泣)。

 僕らのすぐ近くでは、何本かの矢が木の幹に突き立ってビィーンとしなる音を響かせ、その他の多くは地面に突き刺さったり、落ちてカラカラと転がったりしている。

 ねらいを外れて地面に落ちた矢を見ると、鋭く研ぎ澄まされた石でやじりが作られ、その他は木で出来た原始的な矢だった。


「だ、誰が撃ってきてるんだ?」


 僕があせって上擦うわずった声を上げるすぐとなりで、犬のアビーが頭と尻尾しっぽを下げてブルブルと震えながら言う。


「ひ、人のニオイがするのです〜。それも数十人はいるのです〜」


 それを聞いたジェネットも油断なく木の幹に身を預けながら矢の飛んでくる方向を見据えた。


「確かに前方に十数人が展開していますね。何者かは分かりませんが、囲まれる前に移動すべきでしょう」


 い、移動って言っても、この雨あられと矢が降り注ぐ状況でキツいなぁ。

 ヘタレの僕は勇気がえそうになるのを感じて思わずうつむいた。

 でも僕の足元では犬のアビーがおびえて震えているし、僕の胸ポケットには小さくなったままのミランダが眠っている。


 その2人を見るうちに僕の胸には再び勇気の炎がよみがえってきた。

 そうだ。

 2人を守らないと。

 ジェネットにばかり負担をかけるわけにはいかない。

 僕は心の中で念じた。

 ミランダは休止中とはいえ、メンテナンス時と違ってゲームの中から退出しているわけじゃない。

 今ならタリオが使えるはずだ。

 僕が使える唯一の武器である呪いの蛇剣タリオ。

 来いっ!

 来てくれっ!


 僕がそう念じた途端、ミランダのアイテムストックに収納されていた呪いの蛇剣タリオが目の前に現れて僕の手に装備される。

 そしてたちまちのうちに僕のステータスが劇的な変化を遂げた。

 ライフゲージが発現し、次に僕の低い各種ステータス値が大幅に上昇する。

 力、敏捷性、スタミナ、防御力などの値が軒並み跳ね上がっている。

 能力の天地逆転はタリオの特性のひとつだ。

 強い者は弱く、弱い者は強く。

 弱かった僕は大きなステータスアップにより体に力がみなぎってくるのを感じた。

 そして動体視力がかなりアップしているためか、飛んでくる矢の軌道が先ほどよりもはっきりと見えるようになっている。

 危機を脱するための力を手にした僕は力強く拳を握り締めた。


「よし。これならいける!」

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