第4話 ⑤

 公園から去っていった護国寺を追う【修羅王】は、逃げられる心配を微塵も感じさせないゆったりとした歩みを保っていた。

(あの傷はそう浅くない。それに血痕が足跡となって居場所を知らせてくれる。鬼事だと思えばよい)

 瀕死の獣相手に全力を出す必要などない。獅子は兎を狩るにも全力を出す、と言うが兎にも逃げ足というものがある。故に全力を出さねばならないが護国寺に至ってはその足も残っていない。放っておけばそのうち失血死するだろうが、あえてトドメを刺そうとするのは単に【修羅王】の性分であった。

 何より、今は人を斬っておきたかった。それは人を砥石と見立てるならば、技術となる刀を磨くためである。『L.A.W』の兵隊を斬ってかなり慣れたつもりだったが、先の三段突きは未完成だ。三段突きとはまったく同時に刺突を三本放つ技。先ほどのは“ほぼ”同時で、だからこそ護国寺に致命傷を避けられる結果となったのである。

 剣士とは人を斬ることで成長する。この機を逃せばもう自分に粛清のお鉢は回ってこないかもしれない。なので男は時間いっぱいまで刀に血を吸わせたかった。

(む……?)

 男が足を止める。血痕を辿っていくと次の曲がり角の先から血だまりが窺えたからである。恐らくすぐ角で力尽き、倒れ伏しているのだろうと目に見えて分かる。むしろ良くここまで歩けたものだ。

【修羅王】は刀を上段に構え、大きく一歩踏み出した。そこから腰を左回転させると同時に振り下ろした。ビュオ! と風切り音が響く。敵に敬意を表し、無駄な苦しみを与えない慈悲なる一閃。

「な……!?」

 しかし足りないものがあった。――――感触だ。この器になってから何千と味わった、柔らかな肉の感触がまるでない。視界の先には当然少年の姿はなかった。

 ここにはいない、となるとどこかへ身を隠しているということになる。が、【修羅王】の前に血だまりが広がっているだけで、そこからここまでのような足跡が見られない。元来た道を逆走したのか、とも思ったがそうなると男とかち合っていなければおかしい。

 消去法で少年の行動を推測する。消去、消去、消去――――して答えに辿り着くよりも早く、男は頭上から霊力反応を探知した。

 見上げる。闇夜を切り裂く焔が、流れ星のように降ってきているところだった。――――護国寺嗣郎が、拳に炎を灯して頭から突っ込んできている! 

「――――ちぃっ!」

 必中が発動する。刀が主を襲う一撃を正確に防ぐ。それは水平に掲げられ、ガッキィィン!! と金属音を鳴り響かせた。……しかしそこまで。押しているのは護国寺だった。位置関係、体勢、一撃につぎ込んだ霊力量、全てにおいて護国寺に有利な要素が詰まっているのだから。対して【修羅王】は、必死に刀でその一撃を耐えるに留めている。この趨勢は当然と言えた。

 やがて圧力に負けて男の膝が折れる。移動の困難になった体勢を見て、少年は振り子のように身体を流して蹴りを放った。それは【修羅王】の鼻っ面を捉え、壁際まで吹っ飛ばされる。

 今更痛み如きで怯む【修羅王】ではないが、多少の混乱状態に陥っていた。その理由はいかにして護国寺が上空から攻めてきたか、である。

(どうやったかは分かる。【疾きこと風の如く】には飛翔能力が備わっていたはずだ。それを使ってすぐ傍の建物の屋上へと上がる。落下点に現れた私を狙って飛び降りれば先ほどの構図は作れるだろう……。だが、まず前提として何故動ける? 左脇腹の傷からの出血により、動くこともままならなかったはずだ!)

 護国寺と向かい合って、すぐにその答えに気付いた。――――Tシャツが破れた部分が、黒く焦げた形跡が窺える。それだけで充分だった。

「貴様……、何と時代遅れな真似を…………っ!」

「現代人で良かった。昔はこんなのが主流だったなんて、考えたくもないからさ」

 焼杓止血法という技術がある。本来は焼きごてなどで傷口の組織や血液を凝固させることで止血するというものだ。当然火傷を伴い、加えて出血量によってはショック死する恐れもある。

 焼きごての代わりに自らの【火】を用いたのだろうが、それでも【修羅王】は納得がいかなかった。

「俄かに信じがたいな……。日本人は皆ゆとりと訊いていたが」

 驚くべきは少年の精神力。傷口に塩を塗る以上の激痛に対し、彼は相手に悟られては拙いと悲鳴一つ上げなかったのである。

【修羅王】は拍手でそれを称える。

「――――天晴だ、護国寺嗣郎。その強さ、できれば後世に残したかったが……生憎、【王】の席は空いていない。それが残念でならない」

「いらん心配だ。スネ夫みたいなことを言わずとも結構」

「私なりの賛辞だ。ただ――――形勢は何も揺らいではいない。貴様とて気付いているとは思うがな」

 正面切っての近接戦は【修羅王】が先刻圧倒してみせた。それは偏に【百発百中】による恩恵の占める割合が大きかった。

 繰り出す全ての一撃が必中となると、相手は回避を捨てて防御を選択しなければならない。その時点で相手の攻撃を一手防いでいることにもなるのだ。つまり男はただ攻撃を続けるだけで相手を追い込むことができる。

 有用な遠距離攻撃があれば別だろうが、護国寺にそれはない。メインが殴り合いならその分野において【修羅王】は常にアドバンテージを握っている。

 護国寺もそれを認めた。

「ああ。お前相手に真正面からでは正直まだキツイ。――――だから、」

 逃げる! と護国寺は方向転換して、先ほど飛び降りたマンションの中へと入っていった。ぽつん、とその場に残される男。

 一見間抜けな行動だが、それなりに理に適ってはいる。

(多層構造の建物ならば身を隠す場所もあるだろう。そこへ誘い込み、不意打ちを狙っているというわけだ。鬼事の次は隠れ事、か)

 彼我の力量差を認めた賢い戦法だ。【修羅王】と真正面から打ち勝つには攻防一体の達人並みの技術を必要とする一方で、不意打ちであれば技術はさほどいらない。

「――――いや、些か失望した。【否定姫】からどのような入れ知恵をされたか知らんが、【一刀両断】は温存しているだけで使えないわけではないぞ」

【修羅王】は溜め込んだ力の一%未満を刀に込める。日本全土を真っ二つに両断するために残しておいた、その一端を秘めた刀を軽く流す。

 それだけでマンションは九分割され、地響きを立てて崩壊した。どこかから脱出した様子も見受けられなかった。愚策にも室内に引っ込んだ結果が生き埋めだ。つまらない結末だ、と吐き捨て、

 ガッ! とこめかみに衝撃が走った。視界の端で護国寺を捉える。直前まで迫ってきていた彼が上段蹴りを放ったのだ。たたらを踏む【修羅王】。

(馬鹿な――――! どういうことだ、この私が攻撃されるまで感知できなかっただと? そんなことがあり得るのか?)

 混乱している最中、護国寺は容赦なく追撃を放ってくる。それは炎の幕。空間を撫でるようにして形成されて打ち出された。

 これは囮だ、と瞬時に看破する【修羅王】。あまりに威力の乏しい攻撃だ、事実それは壁となって護国寺の姿を覆い隠している。男は剣速だけで吹き飛ばし、即座に少年の姿を追うが既に視界に映るところにはいない。

(住宅街という地理をよく活かしているな……。隠れる場所がいくらでもある)

 だが、不意打ちが来ると判断できている以上効果は半減している。周囲に鋭いアンテナを張り巡らせるだけで、そうそう決まるものではなくなる。これはあくまで受け身な選択。そして【修羅王】はそこまで消極的なスタイルの持ち主であったか。

 ババッ! と男が剣を無差別に振るった。それだけで周辺家屋は全て野菜のようにカットされる。崩落の音が連続する。

【修羅王】は眼球の動きだけで左右を確認する。

(直接的な手応えはない、か。倒壊に巻き込まれていれば楽に済むが……いや、楽観的な希望はよそう。それでは人間と同じ――――)

「――――どこを見ている?」

 視界の両端に神経を尖らせていた男の反応が、数瞬遅れる。護国寺の声が自分の懐から聞こえてきた、と認知するとともにガチン! と顎を撥ね上げられた。脳が縦に揺れる。身体が浮遊感を得る。

 続いて、脳天に衝撃が落ちてきた。護国寺の踵落としが炸裂したのだ。【修羅王】は何とか踏ん張り、更なる追い討ちを必中により防御することができた。すると少年は早々に追撃を見限って距離を取った。

 腑に落ちない。せっかくの攻勢に回る機会をみすみす放棄したのである。今のまま攻めていれば、まだある程度のダメージは見込めたはずだ。少し消極的とも言える戦い方。

 ――――つまり、今のようにダメージを与える機会は作れる自信があるということだ。

 男は口内を切ったせいで溜まった血をペッ、と吐き出す。

「ふん。……やってくれる。人間風情が、ここまでやるとはな」

「そうやって軽んじているから、足元を掬われることになるんじゃないのか?」

「耳が痛いな……。確かにそれは私の失策だ、認めよう。だが今の一連の攻防、攻めきれなかったのは痛手ではないか? 殺し合いの場において、そう好機など訪れるものではないというのに」

 一旦距離を置くということは即ち、相手に思考の時間を与えるということだ。おかげで護国寺の奇妙な不意打ちの正体にもおおよそ気付けた。

「――――【林】だな。【静かなること林の如く】。推測するに、相手の認識から外れることのできる能力か。何らかの条件があるとすれば、一度相手の視界から外れなければならない、とかな」

 省みてみると、不意打ちを食らう前に必ず護国寺は【修羅王】の視界から消えている。一度目は建物内に入り、二度目は炎で姿を消した。

【修羅王】の問いかけは答えを求める類のものではない。狙いとして相手を揺さぶる目的があったのだ。「もうこっちにはバレているから、それは通じないぞ」と圧力をかけるために。【林】に対策法がないわけではないが、それも護国寺の工夫次第でどうとでもなるだろう。

 しかし少年に動じた様子は微塵もない。むしろ拍手をして相手を讃える余裕さえ見せつけてくる。

「お見事。通じると思ったのはお前が綴町の攻撃を受けた時、まるで【百発百中】が発動していなかった。一見鉄壁に見えても、それは持ち主が認識していて初めて機能するんじゃないかってな」

「……なかなかの慧眼だ。そこに意識が回るとは」

 といっても、それが【百発百中】の弱点かと言えば一概にそうとは言えないだろう。相手の認識から消えることのできる言霊師など、多くいるものではないからだ。

「しかし気になるな。何故それをもっと早期に使わなかった? そうすれば、そこまでの手傷を負うこともなかったかもしれない」

 あえて疑問を口にする。何となく少年なら答えるのではないか、と考えたのである。

【静かなること林の如く】は一度間を取る必要があるものの、効果そのものは強力だ。なのに護国寺は頑なに【火】と【風】しか発動していなかった。まだ能力の使い分けが完璧でないか、もしくは戦いにおいて有用でないかだと【修羅王】は思っていた。

 しかしこうして【林】はきちんと機能していて、かつダメージを与えるに至っている。いくつか理由を思い付くことはできるが、いずれも不可解な点が残る。

 護国寺が両拳に炎を宿し、それらを胸の前でガッ! と衝突させ合った。

「そればっかりは答えられないが――――一つ言うなら、結局最後は正面からの殴り合いになると踏んだからだ」

「来るのか? 望むところだが、それは死地へと踏み込むと同義だぞ?」

「生憎と、この戦い方(いきかた)しか知らないもんで」

 護国寺の重心が、スッと低く落ちる。

【修羅王】は刀の柄を握り潰すように強く掴んだ。

 二人の言霊師の眼光が正面から衝突した。

 ――――それが合図。二つの霊力が色鮮やかに夜空を染め上げた。

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