第九章 After

そないなとこ見んといて (前編)

「ふぅ、はぁ、ふぅ、はぁ」

 トレーニングルームの一画、あたしは今、汗だくになりながら息を切らしていた。まともな運動なんて実際のところ、久しぶりだったかもしれない。

 年月的に言えば七十億年ぶりだ。そんなバカげた話があってたまるものか。

 ここまで設備の行き届いた場所を利用しないわけにはいかない。そこはかとなく決意を抱きつつ、ルームランナーへ一歩、二歩と足を踏み込み、蹴る。

 運動不足というのは健康上、よろしくない。とてもよろしくない。

 何より人類の未来を担う身として、自身の健康は何よりも重要視すべきことだ。

 別に、ふと何となく脇腹つまんでみたら思いの外ぷにってたから焦りだしたとか、そういう理由ではない。健康第一。それ以外に目的などない。当然だ。

「あふぅ……、ちょっと休憩……」

 ポンと、端末を操作して、そこから降りる。

 ふわふわのタオルで汗を拭う。頭から水を被ったみたいにぐっしょりだ。

 さすがにこれはオーバーワークかな。

 もう少ししたら切り上げてもいいかもしれない。

 ぽっかぽかの心地のまま、トレーニングルームの天井をふと見上げてみたら、なんというか、視界に入ってしまった。

 ふわふわと向こうから飛んでくるお姉様の姿が。

「お、ナモナモ~。こないなとこにおったんやなぁ」

 うっかり目が合ってしまい、ふわふわとこちらに降り立ってきた。本当に神出鬼没なんだな、お姉様。

「お姉様、どうしてこんなところに?」

「んみゅぅ? ん~と、まぁ、最近運動不足やからちょぉ~っと身体動かそ思うて」

 ふんわぁりと返された。

 結構日々ハッスルに動いているような気もしたけれど、そもそもお姉様は普段、ふわふわ移動しているから逆に運動になっていないのかもしれない。

 あのふわふわでも体力の消耗は激しいらしいけれども、ソレと運動不足はイコールでは繋がらない。何せ、アレは筋肉を動かしていないわけで。

 ふわふわなお姉様はあれでいて肉付きもふわふわだ。長身だから一見、見た目はスレンダーっぽくは見られるけど、かといってマニアックなものに部類されるかといえばそうでもなく、むしろ、いっそ羨ましいプロポーションだ。

「まあ、あたしもそんな感じで」

 てへへ、と笑ってみせる。

 しかし、それにしてもお姉様は汗をかいているようには見えない。今来たばかりだからなのだろうか。

 いや、そもそも、運動しに来ているといいつつも、ふわふわ移動していることもどうなのか。割と、お姉様が足を付けて歩いている光景を見た記憶がないから変にクセになっているだけなのかもしれないけれど。

「お姉様も、こういう歩く感じのやってみたり?」

 さっきまで使っていたルームランナーをチラ見する。

「むぅ~ん……、どしよかなぁ」

 何処か踏ん切りのつかない感じ。まるで運動するのが目的じゃないみたいだ。

 きょろきょろとしているし、目線も定まっていない。

 目当てのフィットネスマシンが見当たらない?

 まあ、こういうところにくると一体何から始めたらいいのから分からないのは分かる。あたしもどういう運動が効果的なのか調べるところから始めたくらいだし。

「腕を鍛える感じのなら向こうのブロックに」

「んん~、せやなぁ」

 なんだろう。この上の空感。

 ふわふわなお姉様がふわふわなのはいつものことだ。切りだしもふわふわ、返しもふわふわで何もおかしいところはない。

 だが、これはもう察しろと言わんばかりだ。

 お姉様は一体、何の目的でここにきたのか。

「……もしかして、ゼクを探してたり?」

「……んっふっふっふ」

 正解でいいらしい。

 確かに、このトレーニングルームはゼクがよく利用している場所でもある。ここにくればゼクに会えると言ってもいいくらいだ。身体のメンテナンスには誰よりも気を使っていると思う。

 が、残念なことに今、ゼクがここにいないことをあたしは知っている。

「ゼクなら今頃プニーのところにいると思うよ」

 おそらくは、いや確実に勤しんでいると思われる。それを口うるさく追及するほど、嫉妬深く心を滾らせるほど、あたしはこの『ノア』での生活を理解できていないわけではない。

 ……まぁ、ほんのちょっと前にもあたしもシたばかりだし。

「ふわぁ……、それは残念やったなぁ」

 分かりやすいくらいにだら~んと落胆する。言葉通り、地に足がついていない。まるで幽霊みたいだ。お姉様のふわふわ具合はいつも通りなのだけど。

 見た目はお姉様もおちゃらけているように見えるが、はたして本心はどうなんだろう。嫉妬の炎がメラメラと燃え上っていたりするのだろうか。

 ゼクも断らないタイプみたいだし。いや、むしろ断ることのできない状況に置かれているからこそそう振る舞っているだけなのかもしれないが。

 少なくとも、そういう場面で真面目に、真摯に対応するから、そこはかとなく込み上げてくるものがなくもない。

「やっぱりゼックンもプニちゃんみたいな可愛らしい子がええんかなぁ」

 プニーが可愛らしいという点は否定しないが、かといってゼクの好みと合致しているかどうかはまた違う話のように思う。本人を前にしては言えないけれど、プニーの可愛らしさというのはプリティよりもキュートだ。

 長身なお姉様はともかくとして、割と身長に関しては平均的なラインのあたしよりもプニーはずっと小さい。年齢的には同じくらいなはずで、その差は無情だ。

「なんや、ナモナモ。自分のおっぱい眺めて」

「いや、特に意味は……」

 別に、あたしも大きい方なんかじゃないけれど、それでもプニーと比べるとなんと残酷なことだろう。しかし、今はそれを踏まえての話だ。

「ゼクって、そっちなのかなぁ」

 などと呟いてみる。

 思いの外、お姉様がにまにまと笑みを浮かべてきた。

「せやったらうちらに勝ち目はないなぁ」

 何をそんなに面白そうに言っているのだろう。ゼクの眼中にないことが嬉しいわけないはすだろうに。いや、違うか。これはふっかけておいて、反応を楽しんでいると見るべきか。

 単刀直入に、ゼクのことを考えて、もやもやっとしているあたしのリアクションを眺めてニヤニヤしたいのだろう。

 おそらくは、お姉様は自分がストライクゾーンの外にいるとは考えていない。自分の魅力に絶対的な自信があるに違いない。

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