第一章

人類よ、子を産むのです

『人類よ、子を産むのです』

 ミーティングルームのスクリーンに映し出されるクリスタルの形状をしたそれが光り輝きながらも、何かの啓示のようにその言葉を述べる。

 これはこのコロニーを司る偉大なるコンピュータ様だ。人類繁栄のために助力を惜しまない。実に献身的といえよう。

 名前はこのコロニーの『ノア』からとり、マザーノア。

 何百年とプニカに人類繁栄のための指示をしてきた、いわばプニカにとっての上司のような存在だろうか。

 アバターがあえて人間の姿ではなく、クリスタルの姿なのは、自身が人間ではないことを主張アピールしているかららしいが、その辺の意図はあまりよくは分からない。

 やろうと思えば、人間と見間違う、いっそ人間そのものとしか思えないような姿を作成することも容易に違いないが、そうすると人間とコンピュータが対等の立場になってしまう。献身的だからこそのマザーノアなりの配慮と解釈すべきか。

 さて、このミーティングルームに俺とナモミとプニカはこうして集合させられていた。これというのも、そんな献身的なコンピュータ様からの直々の命令だ。

 いきなり呼び出されたかと思えば、延々と子作りについての勉強会が開催されたのだ。

 男性の体の構造から女性の体の構造まで隅々と立体映像まで取り入れて解説が入り、実に分かりやすい講習であった。

 俺としては知らない知識はなかった。

 プニカも何万回も見させられた映像だったのだろう。

 問題はナモミだった。

 おそらく知識としては持っていたのだろうが、アレはさすがに拷問に近かった。

「ち、ちん……、きん、た……」

 顔を真っ赤にさせて言葉を失っている。目も焦点が合っていない。

 まあ、目の前で男性器の、しかもやけに造詣の凝っている立体映像をデカデカと何度も突きつけられていたのだから無理もない。

 精巣で精子が作られる様から陰茎を通して射精に至るまでの過程もじっくりと再生させられては、ああなるのも仕方ない。

 しかも、ナモミ自身、いやに反抗的で乗り気じゃなかったのも災いして、酷く生真面目な教官プログラムからの熱心な指導が入ってしまった。

 無数の男性器の立体映像に取り囲まれて、それらが目の前で女性器に挿入されていく様を延々と見させられるなんて酷い地獄もあったもんだ。

 傍から見た感じ、ナモミはどう考えてもこういうのに免疫があるようには思えなかったし、アレはさすがに俺でも教授されたくない授業だ。

『人類の繁栄を願っています』

 スクリーンからクリスタルの映像が消える。

 ようやくしてこのコロニーの司令塔、マザーノア直々の勉強会が終了したらしい。ミーティングルームに沈黙が訪れる。

 これで「子作りとかよく分かりません」とは言わせない。

 正しい知識をみっちりと仕込まれたのだからもう逃げ場はない。

 仮に「内容が理解できませんでした」とでも言ってみろ。

 またアレが待っていることになる。

「最悪だよもう……っ」

 ナモミはテーブルに突っ伏して、腕の中に顔をぐりぐりとうずめている。

 人類の体の構造についてはもうバッチリと言わざるを得ない。

 これほどよく出来た教材は俺の時代でもなかった。

 そして何十億年経っても人類の構造は変化がないということを知った。

「どうでしたか? 人の体の構造については皆さんの時代と相違ありませんでしたか? これは大変重要な点ですのでご意見をいただきたいのですが」

「あ、ああ、特に問題はなかったと思う。むしろ人類って何億年掛けても変化しないんだなって思ったくらいだ」

「生物とは、得てして環境に適応する性質があります。ある一定の環境を維持していれば変化する必要もなくなるのです。かつて人類は別な姿をしていたと言われていますが、それは著しく環境の変化が激しかった時代のこと。人類は変化のない環境を自ら作り出せるようになってから変化とは無縁になった。そういうことです」

 おっと、プニカ先生による授業が再開されてしまったか。

 これもまたほうっておいたら長くなってしまいそうだ。

「……昔の人類って猿だったのよね」

 ぶすっとした顔でナモミが気を紛らわすかのように言葉を投げ入れてくる。

「知っているのか?」

「何よ、アンタら、あたしが馬鹿だと思ってんの?」

「いやそうじゃない。進化論は俺の知ってる世間じゃ関心が薄く廃れていったからな。データを探ればあるのだろうが、知っているのは珍しいと思っただけだ」

わたくしも興味深いです。猿とは動物のことでしたね。実際にご覧になったこともあるのですか? 進化する様を観測された経験もあるのですか?」

 思いがけずプニカが食いつく。普段は感情を潜めているかのように物静かなのに、テーブルに突いた腕を伸ばして体を前のめりにさせる勢いだ。

「猿は見たことあるけど……進化しているところは見たことないわ。あたしの時代でも何百万年も前の話だったし……」

 たじたじになりながらもナモミは何処か悪い気はしないという顔持ちでプニカの質問攻めをあしらっている。

 俺の時代でも人類以外の動物を見る機会なんて早々なかった。

 この様子だと、プニカはそもそも人類以外の生きた動物をまともに見たことないのかもしれない。

 改めて何十億という年月の重さが圧し掛かってくる。

 思えば七十億か。そうなるとひょっとしたらナモミは動物を当たり前に見られた時代を知っているのだろうか。ということは。

「じゃあ、ナモミ様は地球で生まれたのですね」

 今、少し、嫌な気がした。

 何かものすごく、不穏な影を感じた。

 プニカを止めた方がいいような気がした。

「プニカは地球を見たこともないの?」

 あ、まずい。

 その質問は、いけない。

 そう思ったが、プニカはその言葉を続けてしまった。


「はい、もう何十億年も前になくなりましたから」


 ミーティングルーム内の時間が止まった。

 それはもう間違いなく静止していた。

 ナモミの表情も強張ったまま硬直している。

 思考が凍り付いて、感情ごと塞き止められている。

 やはりそうか。ナモミは地球の出身者だったのか。

 地球に関するデータなどいくらでも残っているだろう。

 人類が生誕したその場所なのだから。

 だが、今、それを観測することはできない。何故なら俺の生まれるずっと前にとっくに消えてなくなっているからだ。

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