第十章 最後の仕上げだ、行くぜ!

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 久米田、小澤の二人は、完成したばかりの《鎌倉・零式》を担いで、鎌倉が見守る中、煙水花火商会の工場から、八幡山の最も北西に建つ電波塔へと向かった。電波塔の高い部分に在る作業用スペースに板を渡して簡易的な滑走路を作ってあるためだ。

 樹木の少ない道を選んで、道幅に合わせて機体を慎重に傾けながら、進んでいく。

 鎌倉は《鎌倉・零式》に追従しながら、横殴りの日差しを睨み付けた。

 太陽の野郎、ようやく弱ってきやがった。午後の作業で水分が蒸発して、何度、やばいくらいに爽快な花畑んなかを歩いたと思ってやがんだ! 五度だぞ、五度! 三途の川の渡し賃をタダにしろって、賽の河原をボクシング・リングに骸骨の船頭と五ラウンドの殴り合いだぞ! 冗談じゃねえ。太陽、てめえの役目は昼間の電気代を安くするために朝から夕方まで頑張って照ることで、人をあの世に送ることじゃねえの! ちったぁ頭ぁ冷やして、穴の開いたオゾン層を刺繍糸で繕ってろ、バーカ!

 鎌倉は舌打ちして、主翼に貼り付くようにして《鎌倉・零式》を両手で支える久米田と小澤に時間を尋ねた。

 久米田は「あー、たぶん、四時過ぎってところじゃないですかね。ちょっと涼しくなったし」と頗る適当に答え、小澤が時計を見て「午後四時三十五分です」と正確に答えた。

 ふうん、するってえと、神楽奉納が終わるまで、あと約二十五分ってところか。《鎌倉・零式》のモーターの回転数、効率を考えると、えーと……。

 鎌倉は両手に視線を落とし、口の先を尖らせ、指を折って計算する。

 ににんが、し、さんし、じゅう……にじゅうご? さん、し、ああうん、二十五分だ。

 細かい数字はよく分からねえが、さっき計測したモーターの回転数、バッテリーの性能からして、《鎌倉・零式》は神楽奉納終了の午後五時ちょうどに、浅間通り商店街の上空に差し掛かる。さすが、俺。普段から勤勉実直、快調快便、精確に生きてるだけあるぜ。

 鎌倉は口笛を吹いて、いい加減な返事をした久米田の尻に蹴りを入れた。久米田は前にすっ転びそうになりながらも、どうにか踏み止まり《鎌倉・零式》の右翼を支えた。

 電波塔のフェンスが見えてくると、鎌倉は、久米田と小澤が担ぎ上げる《鎌倉・零式》を、しゃがんで潜り抜けた。

鎌倉は電波塔を囲う金網のフェンスの前で足を止め、顔を持ち上げて電波塔を観察した。

 高さが二十メートル程ある電波塔は、配電盤などの機器が設置されている鉄筋コンクリート製の建物を土台に、四本脚を広げて建っていた。どっしりと建つ有様は、巨木のようにも見えた。鉄骨が組み合わさった胴体に、傘のようなパラボラ・アンテナが七基、取り付けられており、西の低い空の夕焼けを浴びて、オレンジ色に輝いていた。

 鎌倉はパラボラ・アンテナの傘と傘の間を縫うようにして、橋のようなものが架けられているのを見付けた。

 なるほど、あれが滑走路ね。まぁた、えれぇ高けぇ所に急ごしらえしやがったな、煙水の野郎。

 鎌倉は右脚に力を入れ、電波塔を囲っているフェンスを蹴った。すると、いとも簡単に金網の部分が丸ごと、ごっそりと外れた。煙水中が事前に電波塔に忍び込んで、金網と鉄骨の部分をニッパーで切断しておいたためだ。

 おーおー、やることが細けぇっつうか、抜かりがねえっつうか。あのクソ眼鏡、煙水の野郎も、飛行機を飛ばして、神楽が終わってとっとと帰ろうとする客を舞殿に足止めしようなんざ、頭ぁ悪ぃことを考えやがるぜ、全く。俺ぁ、煙水は、もうちっと頭がいい奴だと思ってたけどよ。いくら客寄せして、ステージも最高のものを拵えても、ライブがクソじゃ話になんねえんだっつうの。

 確かによぉ、アイロン・ワークスは演奏はズバ抜けて上手いぜ。ロイドの歌声だって悪くはねえ。あいつらの演奏に比べたら、そんじょそこらのバンドなんて、チンカスだ。ギブソンにフェンダーのヴィンテージ楽器で対抗しても、チンカスが増えただけにしかならねえ、究極の上手さだ。

ただな、アイロン・ワークスには足りねえんだ、人を惹き付けて、その場にぐっと留めて置くための、なにかが。

 なにかが、なにか、は、昨晩、静工のグラウンドで考えたけど、さーっぱり分かんなくて、考えすぎて蕁麻疹が出てきたからから、考えるのを止めたけどよ。なにかが足りねえってことは、ロックンロールにド素人の奴らでも分かると思うぜ。人間は、てめえができもしねえくせして、芸術と音楽には残酷なくらいシビアだ。この芸術と音楽に、俺は時間を割くべきか否かを、瞬時に判断するからな。だから、俺がいくら客寄せしたって、足を止めて耳を傾けてくれんのは、せいぜい一曲目がいいところだ。客寄せしたって、すぐに客は散っちまう。煙水の野郎は所詮、頭でっかちの世間知らずじゃねえか。報酬をくれるから、部外者の俺は、なにも口出ししねえけどよ。

 鎌倉は肩を竦め、《鎌倉・零式》を担ぐ久米田と小澤に手招きし、電波塔の中へ。

 鉄筋コンクリート製の建物の脇に、煙水中が置いた脚立を見付けた。脚立の足を広げて足を掛け、建物から電波塔へ上がった。

 鎌倉は電波塔の四本の脚の中心に立って、頂上まで延びる金属製の梯子を見上げた。電波塔の外郭は円状になっているため、中心に立って視線を上に向けていると、渦巻に飲まれていく感覚に陥る。鎌倉は視線を逸らし、電波塔の下で、滑走路を見たまま固まっている久米田と小澤に声を掛けた。

「おい、お前ら、なぁに突っ立っていやがる。案山子じゃねえんだ、さっさと上がって来やがれ!」

 久米田が「えーっ、あんな高いところまで運ぶんですかぁ。高いところ、苦手だなぁ」と愚痴を零し、小澤が暗い表情で、鎌倉に向けて首を横に振った。

 うるせえ、意気地無しども。タダ働きのくせして、口応えするんじゃねえ! なぁにが「あんな高いところまで」だ。八幡山の標高なんざ、砂場の山とそう変わらねえっつうの。富士山と比べてみろ、申し訳ねえぐらいに低いわ! 

 鎌倉は人差し指で電波塔の中間地点に設置されている滑走路を指差した。

「おい、ごちゃごちゃ言ってねえで、早よ上げろぃ。鎌倉・零式が飛ぶところ、見たいんだろ?」

 久米田は「まぁ、そうですけど」と呟き、電波塔の滑走路を見て、顔を伏せる。小澤が「でも、滑走路を取り付けた場所、足場ありませんよ?」と鎌倉に聞いた。

 鎌倉は電波塔の四本脚の中心から、隅に移動して、滑走路を見上げた。

 ああ、確かに。てめえが仰るように、よく見ると、足場は疎か、まともに歩ける場所も見当たらねえわ。ま、しょうがねえんじゃね? 電波塔だしよぉ。パラボラ・アンテナに最悪しがみついてれば、落ちねえよ、たぶん。保障はしねえけど。

 鎌倉は右手を動かして、久米田と小澤を呼んだ。

「大丈夫だよ。この高さじゃ、落ちても死なねえよ」

 久米田と小澤から「いやいやいや、死ぬよ!」と強い口調で返ってくる。

 死なねえよ。死なねえっつうか、人間は死ぬことを恐れてるうちは、そう簡単には死ねないの。

 借金を踏み倒そうと、夜逃げしてヤクザもんに捕まってド突き回されても、アザだらけで体はピンピンしてるし、家が火に巻かれても、突然の豪雨であっという間に鎮火、体に重石を括りつけられて車ごと海に落とされても、親切な漁船が助けてくれるもんだ。

 人が死ぬっつうのは、意外と信じられねえ状況で、なんの前触れもなく、一瞬だ。

 借金塗れだった俺の親父みたく、ドンッ、つって、一瞬。

 まあ、でも、死ぬのが怖いんじゃ、仕方がねえか。臆病風に吹かされて、こっちまで煽られて、《鎌倉・零式》の離陸に失敗したら、たまんねえからな。

 鎌倉は、久米田と小澤を睨み付け、フンと鼻で笑い、背を向けた。

「ま、そこまで嫌がるなら、このままお前らが帰っても、俺ぁ構わねえよ。ここまで運んだら、あとは一人でも充分だからよ。はい、お疲れっしたぁ。帰って、クソして、寝ろ」

 つうか、説得すんのも、めんどくせえしな。滑走路までは滑車で引き上げれば、労力もそう要らねえし。

 鎌倉はシッシッと後ろに向けて手を払った。

 電波塔の四本脚を調べると《鎌倉・零式》を引き上げるためと思われるロープが置かれていた。そこで滑走路付近の鉄骨を確認すると、滑車取り付けられていることが分かった。

 おお、煙水の野郎、分かってるじゃねえか。伊達に眼鏡なんぞ掛けてねえな。

 鎌倉がロープを手繰り寄せて肩に巻き付けていると、久米田が鎌倉の肩を叩いた。振り返った鎌倉に、小澤が首に巻いていたタオルを軽く投げ付け「俺らが作った《鎌倉・零式》が飛ぶとこ、見ときたいんで」と、膝を震わせながらも殊勝に宣言する。

 まあ、少しは根性あるじゃねえか。航空力学でしかエレクトしねえ、タダのクソマニアだと思ってたけど、違ったな! 筋金入りのマニア、キング・オブ・マニアだ、気ぃん持ち悪ぃ!

 鎌倉は投げ付けられたタオルを振って、小澤の頭をしばき、肩を竦めた。

「俺が作ったんだよ。お前らは、カスタマイズしたに過ぎねえの。さっさと働け!」

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 久米田と小澤は、ロープを《鎌倉・零式》に括り付け、滑車を使って、慎重に滑走路まで引き上げた。

 電波塔の上は、鎌倉が予想していたよりも遥かに風が強かった。眼下に広がる景色と西の方角に滲んでいる夕焼け空を、随分と遠くに感じた。勿論のことながら、足場は安定しない。強風に加えて、鉄骨に引っ掛かる鳥の死骸が邪魔をして、超絶に歩き難い。

 久米田と小澤は、《鎌倉・零式》を滑走路まで引き上げたロープをベルトの金具に繋いで、もう片方を滑車の金具に括り付けた。さらに、パラボラ・アンテナにしがみ付き、鎌倉の合図を待った。

 鎌倉は「L」字の鉄骨に背中を預けると、携帯ゲーム機の大きさほどのコントローラーを両手で操作しながら、離陸後の《鎌倉・零式》の動きを頭の中でシミュレーションしていた。久米田が強風に声が掻き消されないよう、大声で鎌倉を呼んだ。

「鎌倉さん、危ないですよ。ロープ、付けないと!」

 鎌倉は微動だにせず、コントローラーをカチャカチャと操作し続ける。

 まず、人を集めるなら、静岡駅南口を迂回して、バカみてえにクソデカイ、静岡中央郵便局の前を通って、北口に抜けるべきだな。浅間通り商店街が目的地なら、《松坂屋》静岡店と、静岡駅前交番に通じる御幸通りを一直線に飛んでいけば、一番手っ取り早い。

 けど、いかんせん、御幸通りは、片側二車線の車がメインの大通りだ。人をごっそり惹き付けて「浅間通り商店街にいらっしゃぁーい!」とくらぁ。

《浮月楼》と《静岡パルコ》の周辺でぐるっと旋回してから歩行者天国でやたら賑わっている呉服町通りを通る。で、青葉通りを北に進行、《伊勢丹》で、もう一度ぐるりと旋回。

 暇を持て余して《伊勢丹》に通う金持ちのガキどもを引き連れて《伊勢丹》前の交差点から東に離脱、御幸通りに合流後、ゴー・ストレート・浅間通り商店街ってな感じか。

 途中、うんこポリスの本拠地の静岡南警察署と、税金泥棒どもの魔の巣窟、静岡県庁・葵区役所が在るから、捕まらねえようにしねえといけねえ。あいつらは泥棒根性で、自分の身内以外は全員、犯罪者だと思ってやがる、危険思想の持ち主だからな。

 つうか、浅間通り商店街に到着してからも、大鳥居と街区を区切る五つのゲートより上に、高度を保ってなくちゃならねえのか。あのオンボロ商店街がガス爆発で綺麗サッパリ吹っ飛ぶっつうのが、一番簡単な解決方法だっつうのな。

 まあ《鎌倉・零式》なら、どうにかクリアできるだろ。高校三年生のコンテストより、一キロメートルばかし飛距離は長いが、幸いにして追い風だ。飛ぶ、飛ぶ! 漠然だ、漠然! なんか、飛ぶ! なんたって《鎌倉・零式》だからな!

 鎌倉は顔を上げ、コントローラーの電源を入れた。コントローラーを操作し《モーター》の電源を入れると同時に右手を上げて、久米田と小澤に合図を送った。

「じゃ、離陸。お前ら、モーター安定するまで、機体を押さえてろ!」

 久米田と小澤は、唐突に動き出した鎌倉と《鎌倉・零式》に驚きながらも、滑車に繋いだロープを腰に、ぐるぐると巻き付けた。鉄骨を渡って、滑走路と平行に伸びる足場に両足を広げて踏ん張り、横から《鎌倉・零式》の主翼を両手で掴んだ。久米田が、離陸したときの反動で落下しないよう、背中に受け止めるための鉄骨がパラボラ・アンテナが有ることを確認してから、鎌倉に「もしかして、テスト飛行無し、じゃないですよね?」と顔を向けて聞いた。

 鎌倉は久米田を無視して、背中を押すように吹く強風に、神経を尖らせる。

 テスト飛行なんて、そんなまどろっこしいこと、してられっか。俺はな、テストとか、模試とか、抜き打ちとか聞いただけで、虫唾が走ってゲロ吐きそうなんだ。それに《鎌倉・零式》は飛行機だぜ? 飛行機は飛ぶに決まってんだろ! 頭ぁ悪いんじゃねえの、お前。

 プロペラが回転し、夕暮れの風を砕く音がバリバリと周囲に響いた。プロペラとモーターの駆動音で、鼓膜が震える感覚に、鎌倉はぎゅっときつく目を瞑り、耳を澄ませた。

 波打つようにして響いていた駆動音が、すっと刃物で擦り切ったように、滑らかな音階に変わった。

 その刹那、鎌倉は久米田と小澤に向かって叫んだ。

「今だ、離せ!」

 久米田と小澤は主翼を離した。反動で後ろによろける。だが、鉄骨にしがみ付き、《鎌倉・零式》の離陸を必死で追った。

《鎌倉・零式》は、主翼を広げ、滑走を疾走した。オレンジ色と濃紺色が綯い交ぜになった夕焼け空へと、飛び立ってゆく。

 バラバラとプロペラが回り、風を含んだファウラー・フラップが広がった。《鎌倉・零式》は、電波塔の上に美しい円を描く。

 久米田と小澤が「すげえ! 飛んだ!」と歓声を上げ、頭の上で両手を叩いた。

 鎌倉はコントローラーと《鎌倉・零式》に交互に視線を向けながら、鉄骨の上を歩いて、滑走路へと駆け出した。

 風に吹かれて揺れる滑走路の先で、鎌倉は目を細め、《鎌倉・零式》の軌道を、夕焼け空から探り出した。

「久米田、ロープ。両端とも結んでないやつをよこせ」

 久米田はロープを丸めて、鎌倉に向かって投げた。鎌倉はコントローラーをジーンズの腰回りに挟み込み、両手でロープを受け取る。

 片方を、滑走路を取り付けた太い鉄骨に括り付け、体重を掛けて引っ張り、解けないことを確認すると、もう片方を、ベルトに括り付けた。

 さて、俺も地上に下りて、《鎌倉・零式》を追いかけなきゃな。約四キロメートルの全力疾走たぁ気が滅入る。だけど、報酬が発生する以上、やるしかねえか。

 眉間に皺を寄せ、鎌倉に向かって揃って首を横に振る久米田と小澤に、鎌倉はヒラヒラと手を振った。

「俺はなぁ、そう簡単にゃぁ死なねえんだよ。それじゃあな! てめえら、あと勝手に解散!」

 鎌倉は、尻ポケットから軍手を取り出して、両手に装着してロープをギュッと掴んだ。勢いよく滑走路を蹴って、空へ飛び出していく。

        3

 浅間神社の神楽奉納が終盤に差し掛かると、ミヤコは、笙と太鼓の心地良い音色に耳を傾けながら、熔接作業の最終確認を行った。舞殿周辺には、神楽奉納を一目でも見ようと、黒山の人だかりが形成されていた。目を瞑って手を合せて拝む者。腕を伸ばしてビデオカメラやデジタルカメラで撮影する者。何が行われているのか様子を窺う者……。観客の種類は様々だ。神楽奉納を見物する人の群れは、社務所前の駐車スペースにも溢れており、見物客は神楽の音色を聴きながら、三角コーンで確保した野外ステージ用の準備スペースを指差して、首を傾げていた。

 ミヤコは社務所の玄関脇の水道から、バケツに水を汲み、ついでに熔接作業に備えてジャバジャバと頭を濡らした。社務所前の人混みにすっかり委縮し、狼狽するワタセンを睨みつける。

 静工の作業着姿で看板を背負ってるくせして、ウロウロすんじゃねえよ! 全く、肝っ玉が小せぇなぁ。てめえは、夏休みで人が増えて、挙動不審になった日本平動物園のチンパンジーかってんだ! 神楽奉納は定刻通りに終わるよ。アタシは、生まれてからずーっと、毎年、子守唄の代わり、ロックンロールと同じくれえにお浅間さんの神楽を聴いてんだ! あと五分で、太鼓がバカでっかく、どんどーん! つって二回、鳴る。そうすりゃあ、大祭の神楽は終いだぜ。そんでもって、みんなで拍手してよぉ、信じられねえくらいに早く、人が捌ける。そういう仕組みだ。

 熔接器具の確認をするミヤコの肩を、ワタセンが震える手で叩いた。ワタセンは見物人の中へ分け入って、大歳御祖社の在る、南側を指差す。

「ミヤコくん、来た! 来たよ! 沢山いる! えーっと、誰だろう? 薄紫色と灰色の作業着なんだけど……」

 薄紫色と、灰色の作業着だぁ? 薄紫色の作業着つったら情報システム科、灰色つったら電子電気科だけど、アタシは呼んでねえぞ? まさか、鎌倉……って、あの野郎に限って、そんなはずは絶対ねえわ! 今頃は、金を探して、どっかの痰壺に頭ぁ突っ込んで、グチャグチャ掻き混ぜてやがるんだ、あの金の亡者は。

 ミヤコは振り返り、駆け足で人混みの中へ。頭を下げて道を開けてもらい、ワタセンが指差す先に目を凝らした。

 薄緑色の電子機械科の作業着を身に纏った辻村が、情報システム科、電子電気科の生徒らしき人物数十名の先頭に立ち、人混みの中を颯爽と歩いてくるのが見えた。

 ミヤコは思わず声を上げた。

「辻村! どうした、お前、いつもと違ってかっこいいじゃねえか! 拾い食いでもしたか!」

 いつものお前は、日向ぼっこ中の猫みたく、もっとへにゃーってしてるじゃねえか! それなのにどうした、後輩どもの先頭に立って、ナントカGメンみたく歩いてくるなんてよ! 似合わねえから、マジで気持ち悪ぃぜ!

 辻村は、ミヤコの言葉にガクッと体勢を崩し、なにも無い地面で爪先を引っ掛けて、前につんのめりになった。情報システム科の後輩二名に支えられ、ぽりぽりと頭を掻きながら、ミヤコの元へ。

「あのねえ、ミヤコくん。猫や犬じゃないんだから、落ちてるものを食べたりはしませんよ。僕はね、電気配線と照明のプログラムの操作を手伝ってもらいたくて、後輩たちに声を掛けたんですよ。少しは、感謝してほしいものですねえ」

 冗談だよ、冗談。感謝してます、マジで。これでステージ建設の、迅速化に繋がるからな。神様、仏様、辻村だぜ、全く。

 ミヤコは情報システム科と電子電気科の後輩に視線を投げ掛けた。胸ポケットに縫い取られた学年の数字は一年、二年とバラバラだが、有志で集まっただけあって、表情から意気込みがビリビリと伝わってくる。

 ふうん、揃いも揃って、やってやろうじゃねえかって顔してんな。いい顔してんぜ、ロックだな!

 ワタセンが感動の余りズルズルと鼻水を吸いながら、社務所西側の賤機山古墳へと続く石段に視線を指差し、声をしゃくって、ミヤコに訴えかける。

「えぐっ、えっ、煙水くんたち、も、来たぁよぉ! 全員、揃ったよぉ!」

 ミヤコは、ワタセンの指差す石段に視線を投げた。

 ひと気が少なく、傾斜の強い石段を、ベージュ色の作業着に身を包んだ煙水中と旋盤チームが一列に人がって歩いてくるのが見えた。

 おお、カッコイイじゃねえか! 七人の侍みてえだ!

 ミヤコは旋盤チームに手を振った。

 ところが、距離が近づくにつれ、異変に気付いた。

 旋盤チームの中心を歩く煙水中は、欠伸を何度も噛み殺している。足並みは見事にバラバラで、表情は緩み、旋盤チームの手には工具ではなく、露店で買ったリンゴ飴やら、光る剣のオモチャが握られていた。

 うわぁ、七人の侍は前言撤回! 見れば見るほどカッコ悪ぃ。あんだけカレー食ったのに、綿飴とか烏賊焼きとか食っちゃって満喫してるし、高木先輩の作業着ズボンの尻、破けてるし、沖本先輩なんか、光る剣、振り回して遊んでるし……。

 煙水中と旋盤チームは石段を下り切ると、見物客に頭を下げ、ミヤコの前に集合した。煙水中が眼鏡の下から人差し指を入れ、瞼をボリボリと掻く後ろで、中島先輩が「静工ナイーン、只今、到着!」と大声で叫んだ。

 旋盤チームは瞬時に反応し、ボリボリと首の後ろを掻く煙水中の後方で、光る剣や烏賊焼きの串、綿飴の割り箸を振り翳し、ヒーロー戦隊のごとくポーズを決めた。

 だっせえ。九人じゃねえし。陽介先輩、股間に触んな。大澤先輩、乳首を隠すな。

 ポーズを決める旋盤チームの後方から、石段を下る新たな集団が続く。

 煙水花火商会の花火師の集団だ。煙水長太郎を先頭に、隣には煙水終治郎、後方には当日の作業をお願いする西海建設の社員が、足並みを揃えて歩いてきた。藍染の法被に風を受け、西日に白いヘルメットを輝かせた花火師の集団は、通行人から「おお……」と地鳴りのような歓声を上げさせるほど、格好良い。煙水花火商会の集団は、足袋のザザザという足音を響かせ、颯爽とミヤコたちのいる社務所の前を通り過ぎて浅間通り商店街の住人に挨拶するために、南の方角へ向かった。

 通り過ぎざま、煙水長太郎が煙水中の背中をバッシーンと強く叩いた。

「中、頑張れよ! お前は昔っから頭が良くて、ズバ抜けて器用だから、安心しろぃ! 作業が終わったら速やかに合流だからな! 終治郎に現場を教えるんだぞ!」

 照れくさそうに笑いながら背中を向ける煙水長太郎に煙水中は抑揚のない声音で答えた。

「いや、背景に変なポーズを決めた阿呆共がいると、素直に喜べない」

 まあ、そうだよな。背景の、旋盤チームと比べるとな。なんで、いつもこうなんだよ、お前ら旋盤チームはよぉ。こう、なんつうの、ビシッとさぁ、決められないのかよ。まあ、ケツが破れてる時点でかなぁり、アウトだけどさ、

 煙水中はミヤコの肩を叩き、抑揚ゼロの声音で話し掛けた。

「言っておくが、俺は反対したぞ。高木が提案して中島が悪乗りした結果が、この惨劇だ」

 惨劇っつうか、大事故っつうか、中が巻き込まれて大火傷っつうか、旋盤チームらしいっつうか。だっせえよ、超だせえ。まあ、これで、みんなの緊張はある程度は解れたんじゃねえの。やる気が空回りせずに済んだっつうかさ。まあ、でも別に、緊張を解そうとか、ちっとも考えてねえんだろ? 憎めねえなぁ、あーだっせえ。

 プッと吹き出すミヤコの隣で、辻村が目を細くして、口元をヒクヒクと動かして笑いを堪えながら、煙水中の肩をポンと叩く。

「ええ、全くですよ。中先輩、稀に見る大火傷ですねえ」

「花火屋に、大火傷もヘチマもあるかよ」

 煙水中は一言返し、無表情のまま肩を竦めて、颯爽と舞殿へ向かっていった。ミヤコは笑いを堪える辻村の首根っこを掴んで、煙水中の背中を追い掛けた。


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