第8話 秋空や恋する少女が夢のあと

団六花の恋

 体育祭が終わればすぐに文化祭モードである。


 特に十月は下旬に中間テストがあるので、準備できる時間は限られている。そのため体育祭以前から同時並行で進められるところは進めていた。


 もっとも、一番重要といえる案件に関わらせてもらうことになるとは、私は露とも思ってもいなかったが。


「私も……ですか?」

「ああ。なに、カバン持ちでも寒川事件の時に比べたら物凄くやりやすいだろうよ」


 今日の今津陽子生徒会長はとてもご機嫌だった。


「美和ちゃんとカワムー、ダンロップの四人で遊びに行くつもりで行きゃいいさ」

「でも相手が相手ですし、粗相したらと思うと怖いですね……」

「相手は同じ高校生だ。何を怖がる必要があるんだ? 緑葉の名前を背負ってドンと構えときゃいいんだよ」


 今回の文化祭では初の試みとして、他校からゲストを招待することになっていた。会長が白羽の矢を立てたのが麗泉女学院れいせんじょがくいんのコーラス部である。


 桃川市の郊外にある麗泉女学院。カトリック系の全寮制女子校で、創立は明治十二年(1879年)と緑葉より二十七年も古い歴史を持っている。ここのコーラス部は名門中の名門と呼ばれ、全国大会の常連校となっている……ということを河邑撫子先輩に教わった。


 麗泉女学院を選んだのには理由がある。実はというと、ここは我が緑葉女学館の創立者である藤瀬みや先生が若き頃に通っていた学校なのだ。しかし先生は保守的な教育内容に疑問を持ち常に反抗的な態度を取っていたため、教師陣からは覚えが良くなかったと伝えられている。


 それでも藤瀬みや先生は麗泉の水を飲んで育ってきたのには変わりないし、麗泉で学んだおかげで立派な名門校を作ることができましたよと、先生に変わって恩返しする意味を込めてゲスト招待するのが目的だった。表面上ではそう理由づけられていた。


「あそこの生徒、お嬢様学校の名に違わぬ金持ちばかりだから人脈作っときゃ後々役に立つぞ」


 真の目的はこれだ。会長は実に意地汚い笑みを浮かべている。


「御大~御大よお~! 何で私は留守番なんスか!」


 古川恵さんが切ない抗議の声を上げた。


「私は緑葉の恥部を好きこのんで見せびらかすほどマゾじゃねえぞ」

「ち、恥部って……いつものことだけどちょっと酷くね?」

秩父ちちぶも熊谷もあるか。お前はがわちゃと一緒に器材の整備をやるんだ。わかったら返事をするんだ、クリボー!」

「あんたは湯婆婆か!」


 古川さんは案の定、あんた呼ばわりしたカドでグリグリされるのだった。会長の湯婆婆のモノマネは結構上手かった。


 *


 中間テストの最終日の金曜日。午前で学校を終えた私たちは電車で桃川市まで向かった。メンツは美和先輩と河邑先輩と団さんと私という、ちょっと珍しい組み合わせだった。


 私たちは四人がけの席に座りテストの出来についてああだこうだと語り合ったが、それもそこそこにして今日の仕事について話すことにした。


「茶川さんと古川さんは性格的に向いてないのはわかりますし、下敷領先輩は部活で抜けるのもわかりますけど、弁が立つ会長が居残るのは意外ですね」

「実は体育祭のリレーで陽子と賭けをしてたんだ。どっちか勝った方が麗泉に行くって。あの子、鈍足なのに私に本気で勝つつもりだったみたいだね」


 美和先輩は馬鹿にしたような、呆れたような笑みを浮かべた。


「今津さんが出てくるまでもないわ。向こうからの返信の内容が凄く乗り気だったし。交渉はこちらのものよ」

「河邑さんが敢えて手書きで記して送った手紙が効いたよね。凄く達筆だったし」

「ふふん」


 河邑先輩は自分の仕事に自信満々だった。他にも先輩が作った文化祭の参考資料。私のカバンに入っているが、非常にわかりやすいし、読み応えがある。これを出すだけで緑葉の文化祭がいかに魅力的であり、ゲスト参加しても損はないというアピールが先方にできそうだった。


「じゃあ河邑さんが主導で交渉を進めてもらおうかなー。河邑さん、見た目も中身もお嬢様だし」

「やーねー高倉さん。私、単なる田舎の兼業農家の娘よ?」


 と謙遜するが、かつては豪農でありあちこちに分家を構えている河邑一族の総領娘だ。お嬢様の育ちと言っても言い過ぎではないだろう。


「ところで団さん、さっきからボーッと外眺めてるけどどうしたの?」


 河邑先輩が指摘した。団さんは確かに車窓の外の田畑をじーっと見つめていて、河邑先輩が尋ねても返事をしなかった。


「団さん」


 河邑先輩がもう一度名前を呼んだら、「あ、はい」と体をビクッとさせた。


「どうしたの?」

「いえ、特に……」


 と言ったのもつかの間、団さんは「えへへ」とニヤけた。


「え、何? キモいんだけど」


 美和先輩に直球をぶつけられても、団さんのニヤけは止まらない。


「ついに念願が叶いそうなんです」

「念願? あなた、まさかこれ?」


 美和先輩が小指を立てると、団さんは「うえへへへ」と口角を更に上げた。


「マジでっ!?」

「菅原さん、迷惑よ」


 河邑先輩が人差し指を口に当てて注意してきた。大きな声を出してすみません。


「まだお付き合いしてるわけじゃないけど、お知り合いになっていい感じにまでなっているんだ」

「はー……どんな人なの?」

「私より一つ上の高校生だけど」


 団さんはスマートフォンを取り出して、画像を見せつけてきた。


「この人だよ」

「おおっ!?」


 百人中百人が認めるレベルのイケメンだった。色素の薄い髪に、目鼻立ちがくっきりとした日本人離れした顔立ち。柔和な表情。ジ◯ニーズ事務所のアイドルでもこれだけの美貌の持ち主はそうそういないかもしれない。


「どうやって知り合ったの?」

「うふふふふ……話は長くなるんだけどねえ……」


 団さんは恍惚とした表情で語り始めた。


 * * *


 体育の日のこと。私は打ち上げ三次会と称してサブたちと桃川市内で遊びまくった。ボーリングに行ってカラオケに行ってショッピングモールで買い物して。締めくくりにショッピングモール内のマックに寄るという流れだった。


 部活対抗リレーでは古川さんと賭けをしていたのだけれど、後で報道部の子にビデオを見せて貰ったら若干の差で私が負けていた。悔しいが私が言い出したことなので、ちゃんと約束は果たさなければいけなかった。


 菅原さんも茶川さんと賭けをしていたが、こっちははっきりと菅原さんの負けだった。それが返ってスッキリした、と菅原さんは喜んで茶川さんの分の代金を払っていた。


 小一時間ぐらい他愛もない話をした後に解散となり、みんなを見送って楽しい一日を過ごせた余韻に浸りながら帰宅の途についている時だった。駅の西口周辺は住宅街になっていて、大通りから伸びている小道に入っていくと私の実家のマンションがある。


 小道は大通りと打って変わり、駅前とは思えないぐらいに人の往来が少ない。そこで、私は出会ってしまった。


「お嬢ちゃんお嬢ちゃん、おっちゃんと遊ばへんか?」


 年齢はおよそ五十歳。身長は150から160cm。小太りでハゲている。薄汚れた白いシャツと白いズボン姿で、チャックは全開。不審者情報としてまとめるならこんな感じの汚いオッサンに声をかけられた。酒の臭いが秋風に乗ってきたから私はえづきそうになったが、それもそのはずで手にはカップ酒が握られていた。


 三十六計逃げるに如かず、と言う。私はとっさに踵を返して大通りの方へ走って避難したけれど、オッサンも「ゴルァ! 待たんかい!」と怒鳴り散らしながら追いかけてくるではないか。


「誰かー! 助けてー!」


 私は人生最大の危機もと言える事態を前に、声を限りに叫んだ。


 すると私の声が届いたのか、大通りの方から一人、こっちに向かって走ってきた。


「どうしました!?」

「変な人に追われてるんです!」


 その人は不審者の前に立ちはだかった。


「何じゃお前! どかんかい!」

「おじさん、溝に一万円落ちてますよ」

「えっ!」


 まさかこんな古典的な手段に騙されるとは思っていなかったけれど、オッサンが側溝に目を落としている隙に、私は一緒に大通りまで逃げ切ることが出来たのである。


「ありがとうございます、助かりました……!!??」


 助けてくれた恩人は、何もかもが汚いオッサンと正反対だった。


 長身の細身の体を清潔感のある真っ白なシャツで包んでその上に黒いジャケットを羽織り、ボトムスも黒のデニム。顔立ちは外国人の血が入っているのか、アジア系よりも西洋系に近い。髪の毛は茶色だが自然な色合いだから、生まれつきのものだろう。


「どうかしました?」

「い、いえ……」


 耳に届く優しげな声は、イケメンボイスに定評のある葛西菜々先輩そっくりだった。


 私の脳内の「イケメンスカウター」が種々の視覚・聴覚情報を総合し、計算値をはじき出そうとするが、たちまち測定限界値を振り切って爆発した。


 この人に一発で恋に落ちてしまったのだった。


「とにかく、警察に行きましょう」

「あ、は、はいっ!」


 私はその人とともに駅西口のそばにある交番に寄り、警察官に事細かに事情を訴えた。オッサンは以前から不審者として通報されていたようで、その日のうちに警察が必要な対応をしてくれた。


 交番を出た私は警察官に付き添われて家に帰ることになったのだが、イケメンの人は「お気をつけて」と、爽やかに立ち去ろうとした。


 この機会を逃したら、二度目はない。


「あ、あのっ!」

「はい?」


 男の人と話すのは苦手ではない。家には兄と弟がいるし、結果は出せなかったが兄に紹介された男の子とデートしたことだって何度もある。だけどこれほどにまで緊張することはなかった。


 私は勇気を振り絞ったものの、声はメチャクチャ震えてしまった。


「よ、よ、よよよよよろしければ連絡先を交換しませんか……」 

「僕と?」


 最初は驚いたような顔だったけれど、とろけてしまいそうな微笑みに変わった。


「いいですよ」

「あ、ああああ、ありがとうございます!」

 

 彼はレンと名乗った。


 この日から私はレン君と、LINEをしまくっている。ちょっとウザいぐらいの量のメッセージを送っているけれど、レン君は律儀に返してくれる。時々直接電話もして、甘ったるい声に酔いしれる。そしてその夜は寝付けなくなって、彼のことを想いながら自分を……えへへへ。


* * *


「で、どこのサイトで拾った体験談なの?」

「ウソじゃありません!」


 美和先輩のからかいに大声で反撃してしまった団さんに、河邑先輩は人差し指を口に当てて注意してきた。


「この人もネットで拾ってきた画像じゃないの?」

「違います! 全て本当の話ですよお……」


 団さんの声は消え入りそうだった。


 実は私も、ここ最近の団さんがやたらと異性トークをするのでちょっと変だなと思っていたところだった。彼氏候補が出来たのが理由だとしたら納得である。


「デートはしたの?」


 私は団さんの言うことを信じて、聞いてみた。 


「まだだよ。お礼したいとは言ってるけど、部活が忙しいらしくて都合がつかないの」

「意中にないですって言っているようなもんじゃないのー?」


 美和先輩がまたからかってきて団さんがムキにって反論しようとしたから、私は大声を出される前に口を塞いでやった。


「美和先輩、そんなこと言っちゃだめです!」

「ふふっ、ごめんごめん」


 河邑先輩が大きなため息をついた。


「みんな、ここは電車の中よ? 緑葉の制服に恥ずかしくない行動をしてちょうだい」

「すみません」


 ほら、怒られてしまった。


 *


 桃川駅からバスに乗り換えて、私たちは北の郊外の方へと向かった。山あいの道を緩やかに上っていくが、建物らしき建物も見当たらず本当にこのバスで合っているのかと不安になり、車内に掲示されているバス停一覧表を何度も確かめたものだった。


 信号を右折すると左右に曲がりくねった道に出て、さらに「←麗泉女学院」という標識がある狭い道を左折すると、突然それは姿を現した。


 無骨なコンクリート造りの緑葉女学館と対称的な、洋館造りの校舎。その四方は森に囲まれているが敷地の広さはざっと見ただけでも緑葉女学館が数個、すっぽり収まりそうだ。


「これが麗泉女学院……」


 都内にはお嬢様学校と呼ばれる学校はたくさんあるが、これ程大きい校舎は東京でも見たことはない。


 バスはロータリーのところで停車した。降りたところは正門の前だが、巨大な門扉には豪奢な装飾が施され、圧倒的な存在感を放っている。半分だけ開いていたので、私たちは美和先輩を先頭に恐る恐る、一列縦隊になって入っていった。


「こんにちは。緑葉女学館生徒会の高倉という者ですが」

「緑葉女学館の方ですね。少々お待ち下さい」


 詰め所にいた守衛さんは女性だった。内線電話で連絡を入れると、すぐに迎えが来るので待ってくださいとのことだった。


「あ、見て。マリア像がある」


 団さんが指し示したところ、校庭脇に聖母マリアの大きな像が鎮座していた。台座には色とりどりの花が備えられていて、単なるオブジェではないことが見て取れた。


「ピカピカに磨かれてるわね。普段からちゃんとお世話をしているのでしょうね」


 河邑先輩が感心したように言った。


「そりゃあ、カトリックにとっては信仰対象だものね」


 美和先輩はマリア像に向かって挨拶するように軽く手を合わせた。


「私もお祈りしようっと。レン君との仲が進展しますようにって」


 団さんも手を合わせようとしたら、きっと私は自分の思っていることが知らず知らずのうちに顔に出てしまったのだろう、私に向かって「いい加減な気持ちじゃないからね!」と少し声を荒げた。


 団さんはブツブツと願い事を口にしながら、マリア像に向かって合掌した。それを見た私たちは苦笑いしたのだが。


「ごきげんよう、皆さん」


 私たちを呼ぶ声がした方向に振り向くと、


「あっ!」


 私はつい驚きの声が出たが、私よりも大きな声を出したのは団さんだった。


「ろ……六花さん?」


 団さんを下の名前で呼んだその人も驚きを隠せなかった。


 だけど、衝撃は私たちの方が上に違いなかった。だって、団さんが自慢げに見せてきた「レン君」が、濃紺のセーラー服姿で目の前にいたのだから。

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