開会式
「選手団、入場!」
教員の号令がグラウンドに響くと、ボーン、ボーンと花火が上がった。それから吹奏楽部が小気味良くドラムを打ち鳴らして、ブラスバンドがファンファーレを奏でた。緑葉女学館吹奏楽部はコンクールで金賞を取れる程の実力があるから、その音色はとても綺麗だ。
行進の順番は年度によって違うが、本年度は東西南北組という綺麗な順番だった。スタンドから向かって右側の入場門から行進曲に合わせて東組、青龍チームから入っていく。
「撫子ー!」「撫子ー!」「撫子ちゃーん!」「なでしこおねえー!」
河邑先輩に対しての声援が凄まじくて、入場門の外まで聞こえてきた。
「スガちゃん、いくら何でも河邑先輩凄い人気すぎじゃない……?」
「親戚一同応援に来てるんだって。だいたい三十人ぐらい」
「さ、三十人も!?」
「そりゃ河邑家本家のご令嬢だしね」
河邑先輩の祖先はかつて豪農であり地元の有力者だったが、実は県内外のあちこちにも分家がある。先輩本人から聞いた話では母、祖母、曾祖母に限らず分家の河邑一族の女性、さらには姻族側の女子にも緑葉OGが何人かいるという。何人か、という言い方をしたのは、先輩ですら正確な人数を把握していないからだ。さらに、来年には、分家の一つにいる小学生六年生の子が緑葉に進学する予定だという。河邑一族恐るべし。
続いて白虎チームの入場である。
「きゃー!」「真矢ー!」「真矢さーん!」「かっこいいー!」
六年西組在籍の元フェンシング部の黒部真矢先輩に対する、女性の黄色い歓声がやたらと目立っている。
「え、真矢先輩、まさか他所でもファン作ってんの?」
「妹さんから聞いたんだけど、県内の高校のフェンシング部の女子を招待してるんだって。試合で仲良くなったんでしょ」
「はー、さすがインターハイ優勝経験者様はやることが違うねー……」
ソフトテニス部所属のスガちゃんは羨望の眼差しで門の向こう側を見ていた。でもスガちゃんには可愛らしい恋人がいるんだしファンまで望むのはちょっと贅沢じゃないかな、と思ったりもする。
三番目の朱雀チームは特に変わった声援は無い。だけどチームの保護者や親しい人が送る声量は前の二チームと何ら劣っていない。
行進曲がNHKのスポーツ番組のオープニングで流れている曲に変わり、ついにトリの私たち、玄武チームの入場だ。行進曲が流れているとはいえ、手足を振っていち、に、いち、にと行進するわけではない。オリンピックの選手のように、スタンドに向かって手を振りながらゆっくりと歩くのだ。
「千秋ー!」「千秋ちゃーん!」
ここで私に手を振ってくれている両親を発見。母さんはデジタルカメラを構えている。私は手を振り返すと、より一層大きく手を振り返してくれた。
そして母さんの隣には、茶川さんの母親である百合子さんがいて、さらにその隣には父親の慎一郎さん、祖父の慎太郎さんがいた。
良かった。茶川さんの家族、ちゃんと観に来てくれたんだ。
母親の百合子さんと目が合うと、満面の笑みで手を振ってきてくれた。もちろん私もそれに応える。茶川さんはちゃんと手を振ってあげたのかな? 後で聞いてみよう。
スタンドの前を通り過ぎて右折し、トラックの中へ入っていく。青龍、白虎はそれぞれ丈の長い青色と白色の法被スタイルで、朱雀は体操服の上からも着られるよう大きいサイズの真紅のTシャツをユニフォームにしている。スタンドから見れば視界一杯に色鮮やかに映ることだろう。
四チーム揃ったところで行進曲が止んだ。
「国旗・校旗掲揚。全員、国旗・校旗に注目。スタンドでご観覧の皆様もご起立、ご脱帽の程、よろしくお願いいたします」
国歌が厳かに奏でられる中、日の丸と、葉とペン先がX字状に重なった校章をあしらった我が校の校旗がポールをゆっくりと上っていき、高く掲げられた。
「注目直れ。スタンドでご観覧の皆様はご着席ください。続きまして、館長先生より一言ご挨拶があります」
館長先生は文字通り緑葉女学館の長であり、理事長兼校長という立場にある。演台に登壇した、現任の館長先生である
「みなさん、おはようございます」
「おはようございまーす!!」
総勢九百六十名の大きな声の挨拶に、館長先生は満足げだった。
「元気が良いですね。今日は待ちに待った体育祭です。最近の体育祭は春から初夏の間に済ませてしまう学校が多いのですが、やはりスポーツの秋、という言葉もありますし、我が校は今でも体育の日の前後の土曜日に開催を続けています。
特に六年生の方たちは受験で忙しいにも関わらず、毎年本気に練習に取り組んでくれていて見ているこちらも胸が熱くなると言いますか、学生の本分は勉強でありますけれども、今日この時限りは熱意を体育祭にぶつけて頂いて、良い思い出を作れるようにと願っています。
一年生は初めての体育祭になりますが、我が校の体育祭は熱い。本当に熱い。他校には負けないと自信を持って言える程の熱意があります。その熱気をぜひ、これからの学生生活の糧にしていってください。短いですがこれで挨拶とさせて頂きます。みなさんの健闘をお祈りします」
館長先生は丁寧に一礼して、演台を降りた。
「ありがとうございました。続きまして、生徒会長からの挨拶です」
今津陽子生徒会長の姿を見た生徒たちから少しどよめきが起きた。いつもの赤フレームの眼鏡じゃなくてサングラスをかけていたからである。チーム集合していた時まで眼鏡だったのにいつの間にかけ変えたのだろう。
おはようの挨拶を終えると、戸惑っている生徒たちの意など気にしていない様子で続けた。
「先程館長先生がおっしゃられた体育の日。この由来をご存知の人もいるかと思いますが、昭和三十九年(1964年)東京オリンピックの開会式である十月十日を体育の日として祝日に定めたのが始まりです。そして今から三年後に再び東京オリンピックがやって来ます。
私たち緑葉女学館の体育祭はオリンピックに比べたら非常に小さい規模で、象とアリぐらいの違いはあるでしょう。ですが、熱意はオリンピックに負けず劣らずである、と私は確信しています。
今日一日のために練習してきた成果をいかんなく発揮して悔いなく戦って頂きたい、と願って私からの挨拶とさせて頂きます。終わります」
いつも一言二言で挨拶を済ませてしまう会長にしては長い挨拶だった。きっとサングラスといい、会長もいつになく気合が入っているんだな。
「ありがとうございました。続きまして来賓の方々を代表して緑葉女学館OG会『大樹会』の名誉会長であり、現参議院議員の
カクちゃんがツンツンと私の体を突っついて小声で耳打ちしてきた。
「今って衆議院解散してる最中でしょ? こんなところに来る暇があるのかな」
「参議院議員だから良いんじゃないの」
「って言っても同じ国会議員なのにね」
内藤議員は与党系の議員ということは知っているが、テレビや新聞で名前を見かけたことがない。入学式後のオリエンテーションでの著名OG紹介で名前が出ていたかどうかもわからないぐらい、私の記憶の中ではあやふやである。
しかしどこか別のところで、内藤議員の名前を見聞きしたような気がする。にわかに、喉に引っかかった魚の小骨のごとくそのことが気になりだした。
内藤議員もまた深緑色のポロシャツに白いスラックスという、館長先生とほとんど同じのコーデだった。年も館長先生と同じぐらいだけれど、この人の髪はまだ黒々としていた。
「おはようございます」
「おはようございまーす!!」
国会議員相手だからというわけではないけれど、私たちはますます大きな挨拶を返す。
「言いたいことは館長先生や生徒会長がおっしゃったので私からは一つ、私が経験した体育祭の逸話を話したいと思います」
周りの雰囲気が「?」という感じになった。
「私は卓球部に所属していまして三十六年前、旧高等部三年生の頃、ダブルスでインターハイに出ることになりまして、その時ペアを組んでいた相手が館長先生の牛田さんだったんです」
ほー、と感心したような声が起こる。
そうだ、思い出した。黒部真矢先輩がフェンシングで三十六年ぶりのインターハイ出場を決めた時、じゃあ三十六年前は誰が出ていたのかと生徒会の資料を調べてみたら、卓球ダブルスの石井由美子・中尾裕子ペアと載っていた。
この二人は後に結婚して今は牛田・内藤という苗字に変わったと、河邑先輩に教えてもらっていたのだ。前者は現館長先生で後者は国会議員であるということも教えてもらったのだが、内藤議員の情報だけはすっかり忘れてしまっていたのだった。
「卓球部での逸話は長くなるのでここでは置くとして、牛田さんとは仲良しでライバルでもありましたから、引退した後も最後に何か一つでも彼女に勝ちたい、と思って100メートル走で勝負しようってことになったんです。その結果私は勝ちました。やったー、と思った時でしたね。いきなりパキッ、って小枝が折れたような音がして。何が起きたと思います? アキレス腱断裂ですよ。しかも全治六ヶ月の重症です」
ざわざわ、ざわざわ、と動揺が広がりだした。私もちょっぴり引いていた。これから競技という時に怪我の話を持ち出されては不吉だろうに。
「まあこんな有様でしたから受験勉強どころではなくなって、治療に専念して一年間の浪人生活を経て京都大学に進みました。そこには現役合格していた牛田さんがいて、また誘われて一緒に卓球部に入ることになったんです。そしたら、ほら、大学の体育会って学年が一つ違うだけで上下関係が天と地ぐらいの差があるでしょう? 牛田さん、遠慮なく私をしごくんですよ。『私・あなた』の関係から『先輩・お前』に変わって。今だから言えますがあの時はコノヤローいつかぶちのめしてやる、と思いましたね」
動揺していた馬が一気に大爆笑に変わった。台の下にいた館長先生まで大笑いしている。笑いが静まるのを待って、内藤議員は続けた。
「でもそういう経験があったからこそ、今の私があるのだと思います。あの日アキレス腱を切っていなかったらどうなっていたかはわかりません。ですが大学の卓球部で、牛田さんにしごかれることで植え付けられ、育った何クソという気持ちを持っていなかったんじゃないかと思います。
ですから怪我をして浪人したことに一切後悔していません。体育祭には受験間近の六年生も参加しています。中にはこんな大事な時に何で、と思っている子もいるでしょうし、もしかしたら親御さんたちの中にもそう思っているかもしれません。ですが、勝つために仲間と協力していく。助け合う。負けたくないという気持ちを育む。これは机の上での勉強だけでは身に着けられません。今日この日、体育祭でしか学べない勉強の成果をいかんなく発揮してください。以上です」
内藤議員が受けた拍手は、三人の中で一番大きかった。
「続きまして、選手宣誓に移ります。体育祭実行委員長
呼ばれた五名が前に出て、再び台に上がった館長先生に向かい、まず林原先輩が第一声を発した。
「宣誓! 私たち選手一同は!」
そこから中畑先輩、常石先輩、岸先輩、山本先輩の順繰りに発声していくのだが、そこは緑葉女学館。単なる宣誓に終わるわけがなかった。
「明日からの日曜日、体育の日、そして火曜日の体育祭振替休日の三連休を楽しみにして!」
「今日この体育祭が終わったら打ち上げのことしか考えていないどうしようもない人間ばかりですが!」
「スポーツマンシップに則って威風堂々、正々堂々と戦い! 負けても泣かず! 転んでも泣かず!」
「例え燃え尽きて勉強する気がなくなって、来年の進学先が駿◯予備校桃川校舎になろうとも!」
ふざけた宣誓文に笑い声が上がるが、館長先生はニコニコと笑って聞いている。中学時代の体育祭で聞いた真面目な宣誓文とは全く大違いだが、そこが生徒の自由を尊重する緑葉らしさといったところだ。
最後は五人で声を合わせた。
「今日の体育祭を、全力でプレーすることをここに誓います!!」
館長先生がウンウン、と頷いた。
「平成二十九年十月七日! 体育祭実行委員長林原八重!」
「青龍チーム団長、中畑つどい!」
「白虎チーム団長、常石純子!」
「朱雀チーム団長、岸明日香!」
「玄武チーム団長、やみゃと……すみません噛みました! 山本亜弥乃!」
最後の最後で締まらずみんな脱力してしまったものの、その直後には物凄い歓声と拍手、そしてどこからか沸き起こった林原コール。もはや開会式はライブ会場のようになっていて、もはや何が何だかといった感じだ。
競技が始まる前から、私たちの興奮はすでに頂点に達しつつあった。
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