アルバイトを決めよう

 今日は土曜日だ。もう少し寝ていてもいいのだろうが、いろいろやりたいことがあるので起きることにした。パジャマから部屋着に着替えて朝ご飯を食べた後、さっそくネットでアルバイトを探し始めた。時間割も決めなければならないが、アルバイトも早めに決めておきたい。何事も早めが肝心。条件の良いバイトはすぐに埋まってしまうだろう。

 ブラックではなく、かつ長く働けそうなアルバイトを探していると、ある塾の名前が目に入った。個人指導を行っている塾で、塾講師の募集をしているらしい。中学、高校の時に塾に通っていたクラスメイトがいたなと懐かしくなり、クリックして中を覗いてみる。アルバイト内容と給料、待遇の紹介があり、その下に塾のURLが貼ってあった。

 興味が湧いて開いて見る。そこには塾生が笑顔で机に向かっている写真や塾講師の写真の他に、勉強がはかどる驚きの方法や勉強の効率よいやり方などが載っていた。サイトをスクロールして下に進めていると、「無料体験実施中」という欄があった。クリックしてみる。


未来教育

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是非、この機会にお子様を無料体験に参加させてみてはいかがでしょうか。



 この塾は県内に数か所教室を持っているらしい。私が住んでいる地域にも一つある。働く場所はなるべく近いほうが良い。アルバイトの候補には入れておこう。

 塾の講師に目が付いたのには理由がある。実は人に教えるのが結構好きなのだ。将来の夢を学校の先生と考えていた頃もあったぐらいだ。ただし、大勢の人の前で話すことは苦手なので学校の先生には到底なれそうにない。塾講師だと、大学の授業後に入ることができるし、ちょうどいいかもしれない。ほかにもたくさんアルバイトの求人が掲載されている。他のアルバイト先も探してみよう。


 結局、この後いろいろアルバイトの求人を検索していたのだが、なかなかピンと来るものが見つからなかった。飲食店や服飾・雑貨店、コンビニなど求人情報はたくさんあったが、これといったものが見つからない。いくらお金が稼ぎたいからと言って、大学の授業に支障が出てしまっては、親に学費を払ってもらっている以上、申し訳ない。

 その点、この塾講師のアルバイトは割と条件がいいと思う。時給は飲食店やコンビニよりも高いし、シフトも自由に決めていいらしい。飲食店や服飾・雑貨などの接客業は、週に3~4日入れる方、土日祝日入れる方大歓迎とあり、土日は休みたいと思っていた私にはあまりいい条件とは言えない。お金を稼ぎたいならそれぐらい働けよ、と言う人もいるかもしれないが、それとこれとは話は別である。その点を考えると、塾講師は私の理にかなったバイトといえる。

 とはいっても今のご時世、学習塾など星の数ほどある。調べていくと、テレビCMでおなじみの塾や、合格実績ナンバーワンを誇る大手学習塾など実に様々な塾の求人情報が出てきた。塾が乱立するのは勝手だが、人手不足は深刻らしい。塾講師で過労死した人がニュースになっていたのを見たことがある。嫌な世の中である。しかし、過労死などと言っていてはいつまでたってもバイトなど決めることができない。これは何かの縁だ。私は数ある塾の中から、初めに見つけた「未来教育」に電話をかけてみることにした。



「ルルル、ルルル。」

「はい。こちら未来教育でございます。」

 電話がつながったので、ここの塾で自分の家の近くの教室でアルバイトをしたいことを伝える。電話に出たのは若い女性のようだ。「採用担当に代わります」といって、しばらく保留になる。保留後、電話に出たのは男性だった。


「未来教育、瀧と申します。こちらで働きたいとのことでしたか。」

 私は、もう一度この塾で働きたいことを電話に出た男性に伝えた。すると、「今まで塾に通ったことがあるか」「得意教科は何か」など塾講師のバイトに関係ありそうな質問をされた。私はそれらの質問に答えていった。その後、突然こんな質問をされた。


「あなたは幽霊が塾に通うことをどう思いますか。」

 アルバイトの話しをしているのにいきなりの話題転換に驚き、とっさに頭で考えるより早くこう答えてしまった。


「幽霊なんて非現実的です。ましてや死んでいるのにまた勉強するなんておかしな話です。」


 幽霊がもし実在したとして、なぜ塾に通うなんてことを聞くのだろう。死んでなお、この世に未練がある魂が幽霊となって人々の前に現れるとは聞いたことがある。しかし、わざわざ死んでもなお勉強したいとは思わないだろう。心霊現象や心霊写真など現代の科学では解明できない不思議なことは起こっていて、幽霊はいるのかもしれないが、まだいると証明されたわけではない。私は幽霊という存在を信じてはいない。


 男性は、私の返答がおかしかったのか、電話の向こうで笑っているようで、くすくすと笑い声が電話越しに聞こえる。自分で質問したくせに笑うとは失礼なやつだ。別に特別おかしな発言でもあるまいし。

 最近、笑われることが多い気がする。私はおもしろくない女で通っているはずなのに。おかしい。


「わかりました。では一週間後のこの時間に塾に直接来てください。服装は普段着で結構。持ち物は履歴書と筆記用具。それとバイトの条件ですが、これは面接のときに言いますね。HPの内容の通りですが、一部実際に体験して決めなくてはならない部分もありますから。準備するものといえば、あとは…何が起きても大丈夫な心構えをお願いします。」


 先ほどまで笑っていたというのに、急にまじめな声で面接の日時を指定してきた。なんか調子が狂う。本当に面接を受けてここでバイトして大丈夫だろうか。一抹の不安を抱えながらもサイトで確認した給料も悪くなく、勤務面についても問題なかったので大丈夫かと思い、「わかりました」と伝え、電話を切った。


「実際に見て決める」「何が起きても大丈夫な心構え」とは一体何だろうか。まあ、今気にしても仕方ないか。塾生の中にとんでもない悪ガキがいて大変だとか、モンスターペアレントがいて対応が大変だとか、そういう類のものに違いない。何とかなるだろう。今まで何とかなってきたのだし、これからもなるようになる。

 私はまたもや楽観的に考えていた。このバイトが私の大学生活をさらに平穏でないものになるとは知らなかったのだから。


「ふう。」

電話をかけ終わり、とりあえず面接をすることになった。履歴書を準備しなくてはならない。履歴書に貼る写真も撮らなくては。やることがまた増えたが頑張るしかない。

 改めて先ほどの会話を思い出す。幽霊なんている訳がない。瀧さんは何を聞きたかったのだろう。


 アルバイト先は何とか決まりそうだ。次は時間割を決めなければならない。一年生は必修も多いだろうし、授業は多いのだろうか。大学でもらったシラバスや全授業が書かれた資料を見ながら前期はどの授業を受けようか考える。明後日からの一週間はお試し期間で、どの授業も今後の授業の方針や成績の出し方などを教えてくれる。取りたい授業の候補だけ立てて後は来週、お試し期間の授業を聞いて決めれば良いか。同じ学科の学生がどの授業を取るのかも踏まえて考えよう。

 問題はあの残念系美男美女だ。あの2人とは出来れば極力関わりたくない。授業は必修以外かぶらせるつもりはない。あの2人は目立つから、どの授業を取るかなどの情報はすぐに手に入るだろう。

 

 そういえば、入学式の日は深く考えていなかったが、私と一緒に行動すると言っていた。あの発言は気になる。月曜日からは気を引き締めて、逃げなくてはならない。私の平穏を壊しそうな美女から。ガイダンス後、何事もなく無事に家に帰ることができたが、油断はできない。もしかしたら彼女の発言は全て冗談だということもあり得る。そうだとしたらどんなにうれしいことか。

 そんなことを考えている私がいたが、もう一方で同時に、これからの大学生活にわくわくしている自分がいることに気付いた。平穏な毎日もそれはそれでいいかもしれないが、何が起こるかわからない、先が読めない展開が待っているのはおもしろそうである。そんな不安と期待の混ざった思いを抱え、私は貴重な土日を過ごしたのだった。

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