センコウセンコウ
蟹井克巳
第一章 潜行 マンドレイク村おこし騒乱記1
~お詫び~
「第六回小説GR(ゴールデンルーキー)大賞 決定延期のお知らせ」
これまで本誌、ホームページ等で発表してきましたとおり第六回小説GR大賞には七百二十三作品のご応募があり、厳正な一次、二次選考の結果、左記五作品が最終候補作品となっておりました。
そして去る七月二十五日に行われた最終選考会(選考委員五名、相浦作三郎、上竹吾郎、岡澤功、菊嶋美花、源後朋美)において受賞作が決定し、今号にて発表される予定でした。
ところが各マスコミでも報道されておりますとおり、選考会当日に悪質な妨害事件が起こり、そのため賞の最終決定を延期せざるを得ない状況となってしまいました。
今後の対応につきましては小説GR編集部において検討中でございますのでもう暫くお時間を頂きたく存じます。事件で被害を受け、未だ入院中の選考委員の皆様の一刻も早い回復を編集部一同お祈り申し上げております。
最終候補作品
マンドレイク村おこし騒乱記…岩畑耕助
オモイデアゲイン…猪倉仁悟
交わるパラレル…占部信二郎
物語る道の果ては…蟹井克巳
帰蛙…辻岡誠太郎
【マンドレイク村おこし騒乱記 1】
須田大樹は「にんじん」の頭を撫でながら、ふと不思議な感覚に襲われた。思わず周りを見渡してみたが別におかしなところは無かった。古臭い家、こたつ、テレビ、頑固じじい、日頃から見慣れた物ばかりだ。
それでも纏わり付く感覚、それは違和感だった。
目に入るもの全てがどこかから借りてきたハリボテの偽物のような気がしてならなかった。自分はいつの間にか寝てしまい夢でも見ているのだろうか? そんなことを考えていると聞き慣れたダミ声が彼を我へと返らせた。
「どうした、大樹? ぼけーっとしやがって。ふん、締りのねえ顔だな」
「へっ? あ、い、いや、何でもねえよ」
大樹はドキドキを隠しながら思わずまじまじと自分の父親を見つめた。
須田源三。
絵に描いたような頑固親父で齢六十歳。短く刈った髪はその年齢以上に真っ白で頑固を握って固めたような皺の多い顔とも相まって彼をひどく老けて見せていた。
自分もここで歳を取ればいつかはこうなるのかと思うと大樹は今すぐにでも荷物をまとめて都会に飛び出たい衝動に駆られた。
「気持ちわりいなあ、人の顔をジロジロ見やがって。何か言いたそうな顔だな。またあれか、『俺はこんな田舎で終わる人間じゃねえ!』ってか? ふん、人間どこにいたって一緒なんだよ。大事なのは場所じゃねえ、心意気さ。俺が若い頃にはな、村始まって以来の神童と呼ばれてだな……」
「か、勘違いすんな。勝手に説教始めんなよ。俺は何も言ってやしねえだろ」
一度始まった父の説教が嘘かホントかわからない昔の自慢話に変わることを知っていた大樹は慌てて立ち上がり、飲み終わったビールの空き缶を捨てに行くふりをしながら茶の間を出ることにした。
例の如く「てめえ、待ちやがれ」と怒鳴る父。それをいつもどおり無視し台所に入った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。もう辺りは暗くなっている。こんな夜中にわざわざ来客とは田舎では珍しいことだった。
嫌な予感と共に大樹は玄関に向かった。その後を「にんじん」が葉をひょこひょこ揺らしながら短い足で追いかけてきた。扉の向こうに人影が見える。大樹は「どうぞ、開いていますよ」と声を掛けた。
家主に似たのかガラガラという古臭く品のない音を立てながら戸が開いた。そこにはグレーのスーツを着た男性が立っていた。四十代後半から五十代前半くらいか。笑みを浮かべてはいるが若干つり目の眼のせいか本当の感情を隠しているような不気味な印象を受けた。全く見覚えのない男だ。彼は大樹に向かって軽く会釈をすると口を開いた。
「夜分にどうもすいません。こちらに須田源三さんは……」
男はそう言いながら突然視線を下に逸らした。何だろうと反射的に大樹もその視線の先を追った。彼が見ているのは大樹の足元にいた「にんじん」だった。
「ほお! これは噂以上ですね。これだけ均整の取れたスタイルのにんじん型マンドレイクはそうお目にかかれません。いや、形だけじゃない、色の鮮やかさもすばらしい。うむ」
男は大樹の存在など忘れたかのように興奮していた。
「あ、あの、どなたですか? うちの親父に何か御用で?」
男の勢いに呆気に取られた大樹は恐る恐るそう聞いた。
「おっと、これは失礼しました。つい、興奮しまして。私はこういう者です」
そう言って男は名刺を取り出した。大樹は少し緊張しながらそれを受け取った。
大樹の眼が思わず丸くなった。
最初に目に入ったのは「代表取締役」の文字だった。「株式会社ヱラーグ代表取締役 金田勇次」と確かにそこには書かれていた。
「え、ヱラーグって、まさか、あの、最近よくテレビでコマーシャルやっている……」
「はい。『あなたの隣でいつも一緒に微笑みたい』でお馴染みの総合エンターテインメントカンパニー『ヱラーグ』でございます」
「えっ、あ、あの、本当にあなたが社長さん本人ですか?」
大樹は訝しげにそう聞いた。ヱラーグといえばここ数年どんどん業績を伸ばしている一流企業だった。インターネットコンテンツ制作を中心に映像、音楽、ゲームなど様々な分野でその名前を聞くようになっている有名な会社だ。その社長本人がこんな田舎の一農家を自ら訪ねてくるとは到底思えなかった。詐欺目当ての偽物だと判断した方が余程納得出来る。大樹がそう疑っていると後ろから声がした。
「こりゃ珍しい客だな。一流企業の取締役がこんな『ど田舎』に何しに来やがった?」
「おお、お久し振りですね、須田さん。いや、あなたは昔と全く変わらない」
「ふん、そりゃ皮肉かよ。老けちまって、あの頃とは随分違うだろうが」
「それはお互い様でしょう。私が言っているのはあなたの『眼』ですよ。世の中全てを威嚇するようなその鋭い眼は大学の頃と全く変わらない。あの頃の情熱は失っていないようですね」
大樹は二人の間に挟まれ訳がわからず戸惑った。どうも話を聞く限りこのお偉いさんと父は知り合いらしい。しかし「大学」とは何のことだ? 昔話は散々聞かされたが、父が大学を出たという話は今まで聞いたことがなかった。
「まあ、上がれ。歓迎はしないが遠方からの客を追い返すわけにもいかねえしな」
口ではそう言いながらどこか嬉しそうな父を珍獣でも観るような眼で大樹は見つめた。源三は普段親戚でさえ警戒するような人間嫌いだった。来客を喜ぶこんな姿は見た覚えがなかった。
呆然とする大樹を尻目に源三は男を家に上げ部屋へと案内していた。
「おい、大樹、何してんだ。また、ぼけーっとしやがって。寝ぼけてんのか?」
はっと我に帰った大樹は「誰のせいだよ」と呟き、舌打ちをしながら二人の跡を追い客間へと向かった。
二人はすでに向かい合わせに座布団へ座り、源三は茶を入れる準備をしているところだった。仕方なく大樹は父の横に座布団を並べ、そこに座った。未だに訳がわからないといった顔をしている彼に金田は気付いたようだった。
「その様子だと息子さんには私のことなど話したことがないみたいですね」
「あるわけないだろう。俺は今を生きる人間だ。昔話なんて嫌いだからな」
大樹は茶を出しながらそう言う父に心の中で「嘘吐け」とツッコミを入れた。
「私は君のお父さんとは大学の同級生でしてね。まあ、昔はお互いこれからの日本経済について激しい議論を戦わせた仲なんだ。そういう仲間は他にも数人いたが君のお父さん程の論客はいなかった。よく私の方が言い負かされて悔しい思いをしたものですよ」
同級生と聞いて大樹は驚いた。目の前の金田は若々しくて六十歳にはとても見えなかった。
「あ、あの、親父って大学行ってたんですか? そんな話、初耳なんですが」
「おや? なんだ、そんなことまで秘密にしているのか?」
金田は少し非難するような視線を源三に送った。
「秘密ってわけじゃねえけどよ。大学っていっても俺は中退だし、そんな恥ずかしい話、息子に出来るかよ。夢を諦めて田舎に逃げ帰って実家の農家を仕方なく継ぎましたなんて、かっこ悪いじゃねえか。わざわざ好き好んでする話じゃねえだろう?」
源三はバツが悪そうにちらっと大樹を見た。確かにかっこいい話ではない。でもずっと田舎にいる世間知らずの農家だと思っていた父親の隠していた意外な過去を知り大樹は不思議と少しだけ父を見直す気にもなっていた。
「それでおまえ何をしに来たんだ? お前ほどの奴が損得以外で何十年も音信不通の旧友に会いに来るなんて考えられない。いったい今度は何を企んでいやがる?」
随分ひどい言い様だったが意外にも金田は気分を害したような様子は見せなかった。
「ふふっ、やはりあなたは私のことをよくわかっている。同じように私もあなたという人間をわかっているつもりです。あなたは回りくどいことが好きじゃない。単刀直入に言います。あなたに私好みのマンドレイクを飼育する仕事を任せたい」
大樹は思わず息を呑んだ。あの有名企業ヱラーグの社長が直々に仕事を頼みに来た。それはすごいことだった。ところが源三は理由も何も聞かず、吐き捨てるように即答した。
「断る」
「えっ? お、おい、親父、そんな言い方って……。話も聞かないで失礼じゃないか」
「うるせえ、良いんだよ。こいつがマンドレイクを欲しいなんて胡散臭いことを企んでいるに違いねえんだ。少なくてもペットに欲しいとかいう可愛らしい理由じゃねえんだろ?」
そう言った源三の横にはいつの間にか「にんじん」が来ていて擦り擦りと彼に甘えていた。それを不器用に撫でる源三の手には愛情が感じられた。
マンドレイク。
産まれた時からそれを見て育った大樹はそれを当たり前に存在する生き物として認識していたが、年配の人たちからすればそれは新発見された奇妙な生き物ということになるらしかった。
かつては「マンドレイク」というものは伝説の植物、もしくはその名に由来を持つ現実に存在するある植物の呼び名だった。
お伽話のマンドレイクとはヨーロッパの伝承に古くから伝わる根が人型をしている歩く植物であり、錬金術の材料として貴重なものの地面から引き抜く際に悲鳴を上げ、それを聞いた生物は死んでしまうという架空の生物であった。そのためマンドレイクを引き抜く際には犬にその茎を結びつけ耳を塞いだ人間が離れた場所からその犬を呼び、引き抜かせる(もちろん犬は犠牲になってしまうわけだが)という方法が取られたという。
一方、現実のマンドレイクという植物は根茎が少し奇妙な形状はしているもののもちろん普通の植物だった。但し服用すると幻覚症状を伴う成分を含んでいる有毒植物であり、そのことがマンドレイクの伝説にも影響を与えていた。
さて、それに比べ、二十代の若者である大樹がマンドレイクと聞き、真っ先に思い浮かべるものはそれらとは全く違うものだった。
マンドレイクとは数多くの種類が存在する、植物と動物の中間種であり、畑で育てる動物だった。種を蒔けば普通に生えてくるものだし、その状態では他の野菜と何ら変わらない。違うのは普通の野菜が人間によって収穫されるのに対し、マンドレイクは成熟すると二本足で自ら地面から這い出してくるということだけだった。それなりの知能も持ち合わせていて器用に歩き回る植物性ペット。それが当たり前のように大樹が認識するマンドレイクだった。
「原種が発見されたのは確か私たちが小学生の頃だったですか」
ぽつりと金田がそう呟いた。源三はぶっきらぼうに「ああ」と応じただけだった。
「あの時は大騒ぎでしたね。アフリカのどこかの山に隠れ住んでいた少数民族が太古から細々と飼っていたのだったかな? 確か原種は食虫植物の一種だったと記憶していますが」
源三は何も答えなかった。
「そいつは伝説の植物に似ているということでマンドレイクと名付けられた。眼も口も無く脳さえも持ち合わせていない植物でありながら知能を持っていて根が変形した二本足で動き回る。伝説が事実となり世界中が驚いたわけだ。それまでのあらゆる学問が根本的に見直されることとなったのですから。さらに研究の過程でそいつには驚くべき特色があることがわかった。それはどんな植物とも異種間交配が出来るということだった。眼の色を変えた学者たちによって実験的に様々な植物との交配が行われた。まあ、そのおかげで現在のペットとしてのマンドレイクブームがあるわけだがね。口が無いから鳴くわけでもない。植物だから糞もしない。水と少しの肥料で飼育できるし頭が良く人懐っこい。人気になるわけですね。須田さんも儲かっているんでしょう?」
源三はむすっとしただけだった。何も答えない父に代わり大樹が口を挟んだ。
「いえ、親父は商売なんて二の次なんですよ。一匹一匹のマンドレイクにすごい手間を掛けるんで評判は良いけど全然儲からないんです。他の農家さんでは種類も数もたくさん作っているのに」
「そうですか。やはり源三君は昔と変わっていないんですね。実はこうしてここにやってきたのは全くの偶然なんですよ。ここ数カ月、あるプロジェクトのために全国各地に赴いて質の良いマンドレイクを探していたのですが、頑固で変人だけど腕の良いマンドレイク農家がいると小耳に挟んでね。名前を聞いてみて驚いた。実に懐かしい名前でしたから」
「回りくどい言い方はしねえんじゃなかったのか? べらべら喋りやがって」
それまで黙って話を聞いていた源三が急にそう言った。金田はにやっと笑った。
「現在マンドレイクはほぼペットという扱いに過ぎない。でも私はもっと彼らをエンターテイメントに利用できないものかと考えてきた。見た目は野菜、二足歩行が出来る、知能も高い、それらを総合的に考えた時、一つのアイデアが産まれた。それは所謂『格闘ショー』のような見世物が出来るんじゃないかということなのです」
それを聞いた源三の眉がぴくっと動いた。大樹はそれに気付き「まずい」と思った。
「動物を戦わせるという娯楽は昔からよくあるものだ。闘犬、闘鶏、闘牛、それぞれ歴史があるでしょう? 私が独自で調べたところによるとマンドレイクの知能は一般的に同程度とされる犬よりもはるかに高い。世間一般では可愛いペットという認識のようだが、調教次第では充分見世物に耐える試合を行えると私は確信しているのです。にんじん対大根、ブロッコリー対カリフラワー、今まで誰も見たことがないショーになる。ワクワクしませんか? ただこれには問題がありましてね。マンドレイクたちはどの種類もおとなし過ぎるのですよ。普通の動物なら自分の身を守るために縄張りに入った敵に対して闘争心のようなものを持っているはずだ。しかしマンドレイクときたら、けしかけても喧嘩一つしないようなのです。植物的な部分がそうさせているのか、いや、専門じゃない私にはよくわからないことですがね。でも長年マンドレイクを育てているという君なら良い方法を……」
「帰ってくれ!」
その声は障子を震わせるかと思う程大きかった。大樹は思わずびくっと跳び上がったが、金田は身動ぎ一つしなかった。
「……君ならそう言うだろうと思っていました。昔からそうだった。どんな議論でも相手を打ち負かせるほど頭が切れるのに結論の段階で人情を捨てきれない。私には無い部分だったから正直羨ましい気にもなったものです。だが今はそんな時代じゃない。最後に勝つのは冷静に損得を見極められた奴だけです。私は諦めませんよ。きっと君を説得して見せます」
そう言うと金田は立ち上がった。
「色々忙しい身なのでね、残念だがそろそろ東京に帰らなければならないのです」
「ふん、もうここには来なくて結構だ。二度とな!」
「まあ、そう言わないでください。実はマンドレイクの産地として有名なこの村にヱラーグの出張所を作りたいと思って村長にも話を通しているのです。明日からうちの社員がこの辺を少し歩き回らせてもらうかもしれないからよろしく頼みますよ。『遠方からの客は追い返さない』のでしょう? じゃあ、これで」
そう言って部屋を出て行った金田の後を「にんじん」がちょこちょこと追い掛けていった。源三は腕組みをしたまま全く動かなかった。慌てて大樹は金田と「にんじん」を追った。
彼は玄関で靴を履きながらまた惚れ惚れとした表情で「にんじん」を見つめていた。
「このにんじんは本当に素晴らしい。君のお父さんほどのマンドレイク農家は他にいませんよ。これは昔馴染みのお世辞じゃない。私のこれからの事業には君のお父さんの力が絶対必要なのです」
「失礼ばかりですいませんでした。でも多分無理ですよ。うちの親父、頑固だから俺の言うことも聞きやしないんです。お袋が生きていれば何とかなったかも知れないですけど」
「フフ、知っていますよ。彼は昔から一度自分で決めたら周りの言う事には耳を貸さないタイプだった。さっきも『夢に敗れて田舎に帰った』なんて言っていたが、あれは照れ隠しで、本当は君のお祖父さんが病気で倒れたからだったのです。仲間は彼の才能を知っていたから退学なんて勿体無いと止めたのですがね。きっとあの時、同じ道を進んでいたら彼は私の強力な商売敵となっていたでしょう。つまりこれはチャンスなのです。ライバルとなるはずだった我々が運命のいたずらで最強のパートナーになれる。……まあ、時間はあります。私も君のお父さんもまだ老け込む歳じゃない。きっとわかってくれるでしょう。また、伺いますよ」
最後に軽く「にんじん」の頭を撫でると金田は出て行った。それを見送りながら「これから騒がしくなりそうだ」と大樹は溜息を吐いた。
どれ、部屋に戻ろうか。
そう思った瞬間、大樹はまたあの妙な感覚を感じた。
彼は思わず三百六十度辺りを見回した。
揺れている?
ぐるり、ぐらり。
でも地震ではなかった。揺れているのは大地ではなくもっと何か別の物のように思えた。その揺れはほんの一瞬で鎮まった。
目眩? 気のせい? いや、違う。
大樹は得体の知れない不安に襲われた。見慣れたはずの「にんじん」でさえも今は奇妙な生き物に思えてきた。先程までは微塵もそんなこと思わなかったのに。
彼は急に変なことを考えた。
俺は本当に俺なのだろうか?
馬鹿馬鹿しいと思いながらも大樹は襲い掛かってくる「違和感」に寒気を覚えずにはいられなかった。
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