人間未満

エフ

第1話

2014年


内陸から車で2時間強。

支店から100キロ離れたこの更地が俺の営業エリア。


そう。更地。3年前に全部流された。


初めてここに来た時は驚いた。

カーナビに表示されている建物が全部無いんだから。

「次のガソリンスタンドの手前を左です」なんて言われても、無いって。そのガソスタ。

そもそも、今車で走っている場所が街“だった”ことすら、しばらくしてから気づいたくらいだ。


あの震災から3年。建物だった物は撤去され、今ここは清々しいほど何も無い。

だが閑散としているわけではなく、大型トラックは忙しそうだし、地場企業は作業員を日当2万以上で引き抜き合っている。

不謹慎ながら、下手な都会よりも景気が良いんじゃないか。


メディアは未だに被災の悲惨さばかり取り上げるが、それは当事者じゃない人間達の特権だと思う。

現地の人間はもう明日のことを考えている。

涙を流していられるほど悠長な状況ではない。


で、俺は更地で何をするのか。いや、ここでの労働は建設会社に任せる。

俺が働くのは高台のあそこ。仮設住宅地帯だ。








ピンポーン






「はぁ~い。」


「日本証券の外道です。」


「どうも遠いところから。どうぞあがってください。」




仮設住宅の中は、当たり前のように誰かの遺影が置かれていること以外は割と普通だ。

冷静に考えてみれば、大体の世帯は家族の誰かが死んでいるという異常な状況。

人間って慣れるもんだな。今から俺がやることにも、俺はもう慣れたし。


「今日はお時間を頂いてありがとうございます。あ、そう言えばこの前お話されていた温泉、行ってきましたよ。お聞きした通り素晴らしかったです。」


「ああそうですかぁ~。良かったです。あそこはですねぇ~・・・」


早く本題に入りたい気持ちを押さえつつ、簡単な世間話から入っていく。

面倒臭いが、大事なプロセスだ。

相手の心が多少開いた瞬間、この個人向け国債がなぜ銀行預金よりも優れているのかを手短に説明する。

いつもの流れだ。


俺の狙いは、この人逹が“被災によって得たもの”・・・露骨な言い方をすれば、生命保険金だ。

被災で家族を失った各世帯が、銀行に保険金を預けている。そこを国債で刈り取っていく。


国債を案内すると、国も信用ならないと言う奴がよくいる。

しかし、お前らが金を預けている銀行は、お前らの金を国債にぶち込んでいる。

それを言うなら金はタンスにでも閉まっておくべきだし、そもそも日本円にしておくべきでもない。言動不一致とはこのことだ。


・・・という内容を、金融のきの字も知らない人間にも分かりやすく、そして侮辱感を与えないように伝えるのにも慣れた。


この仕事を続けていて分かったが、知識の無い人間は疑うことしか知らない。

それが自分を守る最終手段なのかもしれない。こうはなりたくないと心から思う。


確かに銀行金利はゴミみたいなものだから、同じゴミでも多少マシな金利の国債にしておくことに一定の合理性はある。

証券会社は国債販売時にかなり強烈なキャッシュバックキャンペーンをやっているし。


じゃあこれは人助けなのかと問われたら、間違いなく俺は失笑するだろう。

国債は撒き餌。こんなもんいくら売っても金にはならない。

証券会社は、国債で顧客の銀行預金を引きずり出し、まず自社の預り資産として取り込んでいく。

購入後の国債は、いずれ償還、あるいは証券マンの案内により中途解約され、投資信託などのリスク資産に換えられていくのだ。

俺達は、このプロセスの中で手数料を取っていく。

証券会社が銀行よりも条件の良いキャンペーンを行っているのもそのためだ。


こいつらの保険金の使い道なんて分かりきっている。

家が流されたのだから、そのうち買うつもりなんだろう。

保険金はそのために必要な金。それをいずれはリスク資産にぶちこもうとしているのだ。



控えめに言って、人間のやることじゃない。













ワンショットで数千万円の新規資金導入。


そういう商談が決まった後は大体こうやってサボる。

あとで課長から確認の電話がかかってくるだろうから、ドヤ声で成果を

報告して、車内で寝よう。


最近、「若者は老人に搾取されている」と言っている奴らがいるみたいだ。

もし心の底からジジイババアを恨むなら、証券マンが天職だろう。

言うほど本気なら、おれは心からそう勧めたい。就職できるならな。


pllll


・・・電話が鳴っている。


pllll


多分、課長だな。


「外道です。お疲れ様です。」


「お疲れ。今大丈夫か。」


「はい。」


「・・・どうだ?」


「Yさんで国債3,000万円です。これからOさんで投信1,000万円、株式会社Tで株式移管1億円の案件があります。」


「そうか。良くやった。残りの案件も決めろよ。」


「はい。」





嘘案件に決まってんだろ。

今日の仕事は終わり。残りは俺の睡眠時間とさっき決めた。


証券会社の支店内で罵声が飛び交ってるイメージって、何十年前のだろう。

まぁ確かに、まだ昭和の臭いをさせている奴もいるが、少なくともうちの会社はハラスメント対策がガッチリ。迂闊に酒を勧めることすらできない状況だ。


当然、ノルマが達成できない部下を罵倒する管理職もそう多くない。本社にチクれば“一発”だから。

分かっててこの業界に来るような奴は、攻撃性が強くて頭もキレるもんだから、権利意識が強まった昨今は会社も扱いに困ってるんじゃなかろうか。


俺達の仕事は、淡々と与えられたノルマを達成すること。

業界としては、資産運用のコンサルタントだとかクリーンなイメージを作ろうと頑張ってはいるが、俺達は相場のプロでもコンサルタントでも評論家でもない。

ただシンプルに、“売ること”のプロなのだ。

その本質は今も昔も変わってないだろう。ただ今はハラスメントが減っただけで。


そう言えば、底辺証券ではまだ異常なハラスメントがあるって聞くな。

外部の目が無いのも困りものだ。


まぁ、ノルマを達成できなかったら、課長から“詰められる”ことはあるし、

無駄な営業計画を立てさせられることもある。


ただ、その課長は部長に詰められ、部長は支店長に詰められ、支店長は本部長から、本部長も、多分誰かに詰められている。

そんなピタゴラスイッチを見ていると、むしろ課長には同情する。

ドミノを倒すビー玉にはなりたくないもんだ。


俺が思うに、証券マンがネガティブな退職をする原因の大半は、パワハラではない。

最低でも数百万。中堅社員なら数千数億という金をリスク資産にぶち込むよう顧客を勧誘し、投じた金が毎日上がったり下がったり。それが顧客の余裕資金ならどうでもいい。


だが、中には余裕じゃない金までリスク資産にぶち込んでくれるジジイババアがいる。

それを止められる証券マンは多くないだろう。俺達は給料相応のノルマを与えられているから。


大学卒業後20代前半で、顧客の命に等しい金の目減りを経験した時、自分がその手数料で飯を食っていると自覚した時、罪悪感で気が触れちまう奴がいてもしょうがないと思う。

そんな経験をしてもこの業界で生き残ってる奴は、元々イカれてるか、イカれちまったか、

何かに達観したか、上手くバランスを取ってるか、まぁそのどれかだと思う。


とにかく、俺はこの仕事にやりがいなど感じていないと自信を持って言える。

俺がこの仕事で気に入ってることは二つ。

一つは成果さえ出していれば自由だということ。

もう一つは金。同窓とは給料の話ができなくなる。申し訳なくて。





・・・眠い。











支店と客先を往復5時間弱ってお得だよな。

俺の給料って、実働時間に換算したらとんでもない額になるんじゃないか。


「戻りました。」


「おう。外道お疲れ。」


「他の案件はどうだった?」


「他は検討ということになりました。」


「・・・他で頑張ってくれ。」


「はい。」


「さー!さー!トミタの豪ドル債50万豪ドル、ハードバンク円債1億円、デンマーク地方金融公庫ブラジルレアル債200万レアル、あとPO!」


「課全体で詰めてくれ!」


はい。

あーい。

うす・・・。

・・・・。


「来週はIPOあるからな!」



いい加減にしてくれと思い続けている。


証券会社が扱う有価証券は、市場に流通しているものだけではない。

国や企業などが売出し・発行した有価証券を引き受け、それを顧客に販売することもある。

分かりやすく言えば、毎月引受け部門がどっかからキャベツやじゃが芋を仕入れてきて、それを支店で売れと命じてくるってことだ。


収益とは別に、この“キャベツ”や“じゃが芋”の販売も俺達のノルマになっている。

国内の引受けは大手証券の独壇場。それによって発行体から手数料を得ているし、ビジネス上は良いことなんだろうが、俺達からしたら毎月“売らないといけない商品”が上から降ってくるわけで、うんざりする。

これは大手証券に勤める証券マン特有の悩みだろうな。中堅・下位の証券会社に大した引受け能力は無いから。


で、“売らないといけない商品”が“優良な商品”だったら助かるんだが、困ったことにそうとも限らない。

中にはゴミみてーな商品もあるわけだ。以前尾田急電鉄が鼻くそみてーな金利で円建て債券を発行したことがあった。

アレを売り切るのにどれだけの労力がかかったのか、先方は知らないだろうな。

俺は支店を代表して言ってやりたい。お前のとこの債券、客からはゴミを見るような目で見られてたぞと。


俺達がそのゴミをどうやって掃除したか。

どの営業マンも、“自分の言いなりになる客”というのを抱えているもんだ。

そういう客は、基本的にこちらからの案内を断らない。商品を案内すれば、金がある限り大体買うわけだ。


・・・で、今から電話する相手が、俺の“言いなり客”の一人。




pllll


pllll




「はい。Pですが。」


「夜分に失礼します。日本証券の外道です。」


「あ、外道さん。こんばんは。」


「お持ちの資産について、状況報告のためにお電話しました。少々お時間よろしいでしょうか?」


「あ、そうですか。わざわざすみません。よろしくお願いします。」


「ありがとうございます。えー、まず先日お買い付け頂いた投資信託ですが・・・」


面倒くさい。

いきなり商品を提案すると失敗率が上がるから、いつもこうやって話を始めている。


「あ、そういえばPさん、大手自動車会社のオーストラリアドル建て社債が出ていますよ。5年物で金利は3.4%です。」


「そうなんですかぁ・・・。金利高いですね。」


「そうですね。なかなかの好条件だと思います。」


そりゃ、円建て債と比べれば、外貨建て債は何でも高いだろうよ。


「でも、もう投資に回せるお金が無いんですよぉ。」


「そうですか。ところで、以前お買い付け頂いた株が値上がりしていて、利益が出ていますよ。」


「え?そうなんですか?」


自分の資産がどうなってるのかくらい、自分で確認しないのだろうか。いつもそう思う。


「はい。そこでどうでしょう。この株の値上がりも一服感がありますし、ここで利益を確定して、それを豪ドル債で運用されては。」


「そうですね。じゃあここで売ります。その社債?が良いんですね?じゃあ、それを購入したいと思います。」


「ありがとうございます。」


「そうしましたら、まず株の売却手続きからやらせて頂きますね。」


「豪ドル債は購入前に目論見書を確認して頂かないといけませんので、ご自宅宛に郵送します。読んでおいて頂けますか。」


「はい。分かりました。」


「では株の売却ですが・・・」











「はい。それでは、後日またよろしくお願いします。」


「ありがとうございました。失礼します。」


ガチャ


“言いなり客”の投資資金も無限ではない。

もし「金が無い」と言われたら、そいつが持ってる株でも投信でも売らせて、売った金で買わせればいい。

こういうのも、まともな証券マンが病んでいく理由の一つだろうな。


「まぁでも、天下のトミタ様の豪ドル債だ。ちょっと金利は渋いが、そこまで悪くはねーだろ。」



「おい、外道。」


「あ、はい。」


「できたか?」


「はい。とりあえず、Pさんが豪ドル債4万豪ドル購入です。」


「よぉし。」


「さー他の奴らは販売どうだー?」



「戻りました!」


「ん・・・。」


「おお、大善。どうだった!」


「はい。ハードバンクの円債、全部貰っていいですか?」


「1億か!」


「はい。M病院の資産運用に採用して頂けました。」


「よぉ~~~~し。」


「じゃあハードバンク債は“消し”。」


「トミタの豪ドル債46万豪ドル、デンマーク地方金融公庫ブラジルレアル債200万レアル、あとPO!」


「全部片付けて、すっきり帰ろう。」


はい。

はい!

あい。

・・・。



大善正義。


掃き溜めに鶴とでも言えばいいんだろうか。


通常、証券マンはノルマを処理するために、さっきの俺のようなことをする。

客にメリットがあるんだか、無いんだかよく分からない、そういう商いでもしないと、ノルマを処理しきれないからだ。


しかし、こいつの営業のやり方は、俺と同じ業職種なのを疑うほど爽やかだ。

つまり、絶対客にとってメリットのある商いしかやらないのだ。

闇雲にリスク資産を買わせ、売買を繰返し、手数料を稼ぐようなことは決してしない。

ちゃんと客のライフプランを考慮し、それに沿った資産運用を提案している。


まぁそりゃ、それが理想だ。

もし本当にそれが出来るんだとしたら、まだ金融教育が行き届いていないこの国において、証券マンは非常に社会貢献性の高い仕事であると俺は思う。


だが、この業界でそんな青臭いことを言ってる奴は、大体現実に直面して退職するか、ノルマに負けて“こっち側”に堕ちてくる。

・・・はずなのだが、ごく稀に、驚異的な販売能力で企業利益と顧客利益の双方を満たす“二刀流”が現れる。


以前、支店をあげてある金融商品の販売高を積み上げようということに決まった。

俺達は客の損得に興味が無いし、「売れ」と言われたものを売るつもりでいた。

そんな中で、こいつ一人はその販売戦略に従えないと言いやがった。


俺達はサラリーマン。普通そんなことは許されない。

しかし、「その代わりにノルマの2倍収益を稼ぐ」とこいつが言い放ったもんだから、管理職達はその話を承諾した。

恐らく、「増長しやがって。ノルマを達成できず泣きを見ろ。」と、内心ほくそ笑んでいたに違いない。

1ヶ月後、ノルマの3倍収益を稼いだこいつの規格外さに苦笑いしていたが。

それ以来、支店長ですらこいつの営業のやり方には口を出せないという異常な状況になっている。


この世界において、販売能力は正義だ。

こいつは我が支店の大谷翔平。規格外過ぎて、特別扱いをみんなが認めている。

実際、さっきみたいに俺達の分もノルマを処理してくれることがあるから、同じ課員としては助かることも多い。


「外道さん。お疲れ様です。」


「・・・ああ。お疲れ。ハードバンク債サンキューな。」


「いえ。病院側が欲しいって言ってたんで、むしろまだ1億残ってて良かったですよ。」


「あれだけ好条件な円建て債、全部取っちゃって皆さんに申し訳ないくらいです。多分、欲しがってるお客様もいたんじゃないですか?」


「・・・どうかな。」


仕事上はありがたい男だが、正直ウザい。

こいつは、自分がどれほど特別な存在か理解していない。

みんな自分と同じことができると思ってる節があるし、ナチュラルに正論を吐く。

こういう人間の存在は、クズの自覚がある人間の心を逆撫でする。お前みたいな奴がいるから、俺は安心して後ろ向きに生きていくことができないんだ。

もしこいつがこの会社に居続けるのだとしたら、まず間違いなく出世していくだろう。こいつの下につく部下は気の毒だな。



「先月もレアル債あれだけ売ったのに、何でまたレアル債引き受けてくるんですかね、うちの会社・・・。」


「顧客のポートフォリオ考えて欲しいですよ。もうレアルを購入することに合理性のある顧客なんて持ってませんよ僕。」


「売れって言われてんだから、売るしかないだろ。」


「まぁ・・・やりますけど・・・。」


後輩の良田は、正直この業界に向いてないと思う。

良い大学を出ているし、頭も良く、対人能力だって申し分無い。ただ、この業界に適応することができずにいる。これは致命的だ。


こいつは大善のように正論を吐く。

証券マンは資産運用のコンサルタントでなければならず、ただノルマの達成のみに縛られるべきでないと。

ただ残念ながら、正論通りに生きていくことのできる人間は僅かだ。

こいつの場合、実力に見合わない理想が自分を苦しめている。


この世のありとあらゆる対象にとって善の存在があるという思い込みと、自分はそれに所属していたいという願望、それらと現実の狭間に潰され始めているわけだ。


こっち側に来ちまえば、こいつも楽できるのにな。



「さーさー!トミタの豪ドル債46万豪ドル、デンマーク地方金融公庫ブラジルレアル債200万レアル、あとPO!」


「頑張ろう!」



さっきからずーーーーーーっと同じことを言ってるこいつが俺達の課長。繰原だ。

この壊れたラジオから流れる声をBGMにして仕事ができるようになったら、この業界では一人前と言ってもいいだろう。


ラジオモードに入った繰原が人間性を取り戻すとしたら、次の二つのことがあった時だ。


一つは、さっきの俺や大善のように、課員が残りノルマを減らした時。

ホワイトボードに書かれたノルマを消していくことが、繰原の数少ない楽しみだ。

俺は密かに、この人の前世は白板消しや消しゴムの類だと思っている。


もう一つは・・・


「おい繰原。いくぞ。」


「あ!はい!」


もう一つは、部長や支店長に呼ばれた時。

この反射神経は見習うべきかもしれない。


部長に呼ばれ、課長は支店長室へ。

・・・課長だけじゃないな、これは多分、全管理職が支店長室に向かっている。




嫌な予感がする。










「・・・みんなお待たせ。えー、ちょっと手を止めて、話を聞いて欲しい。」


「来月、引受けが結構大変そうな感じだ。」


「うちの課では、トミタ米ドル債200万米ドル、トミタ豪ドル債200万豪ドル、新発の日本株投信7億円、新発の米国株投信6億円。」


「これを、課で、頑張ろう・・・。」




・・・無理だな。

率直にそう思う。


一応大善の顔を見てみたが、珍しく顔を歪めている。

課に降りかかってくるノルマをいつも何とかしてくれる大善がこの様だ。その顔を見て周囲も事のヤバさを察したようだ。


年初からこの4月までにかけて、相場は世界的に下げ基調。

俺らが相手にしてるジジイとババアにとって、テレビと新聞は神の啓示か何かに違いない。

中国の理財商品が爆発するだとか、第二のサブプライムローンだとか、面白おかしく危機を煽るメディアに影響を受けまくり。

最近は、投資なんてとんでもないという口ぶりだ。


この種の人間達は面白い。

相場が上がったタイミングで投資をし、相場が下がったタイミングで投資をしない。

逆じゃないのか?普通。


・・・なんて、冷静に判断して自分一人でリスクを取れるような連中は、俺達のような証券マンを頼ったりしない。


とにかく、今は俺達のターゲットが最も投資をしたがらないタイミングだ。

そんな時期にこの引受け。とち狂ってるな。うちの引受け部門と経営陣は。


そんなことを考えていたら、部長が檄を飛ばしに来た。


「今は相場がこれだけ下がってる!今買わせずしていつ買わせるんだ?上がってから買わせても意味無いぞ。」


・・・管理職というのは、二枚舌じゃないと務まらないんだろうか。


あんた、過去の相場上昇期には「今は上がってるから客に買わせろ。今買わないでどうする!」と言ってたぞ。


バブルを経験した証券マンというのは、悲しい性を持っている。

それは、「また日本の相場があの頃のようになるんじゃないか」というノスタルジーに取り憑かれているということだ。


以前、「アベノミクスで日経平均株価が3万円台になる!」と力説された時、俺は、もうこの人にまともな話は通じないと確信した。

あの頃の思い出が強すぎて、脳のどこかが焼かれてしまっているんだと思う。

いや、例えば1年や2年で3万円台になるなら大したもんだ。

ただ、10年や15年後にそうなるなんて話をされても、年利回りに換算したら感動するほどでもない。

バブル期に相場の世界を渡ってきた人間達は、「3万円」という数字に特別な想いがあるんだろう。

デフレ世代の人間にとってはシラける他無い。


この部長は、酒が入る度に過去の武勇伝を語る。

その一つに、うちの会社が客から訴訟を食らった際、その客の担当者として裁判の証言台に立ったという話がある。

百歩譲って苦労話というなら分かるんだが、どうやら自慢話のようだ。


可哀想に。金にまつわる異常な経験をしすぎて、もう常人の感覚は持ち合わせていないようだ。

話が通じないのも無理ないか。


ノルマなんてのも、そんな異常者達が設定したものだ。普段の俺なら、そこそこの努力をして、その上で無理なもんは無理と突っぱねるだろう。



これが“ただのノルマ”なら・・・。

今回は特別だ。


なんせ、今朝本部長がこの支店にきて、恐らくは支店長を“激励”しただろうから。

つまりそれは、この商品の販売に本部長のメンツがかかっているということだ。

支店長は必死だろう。支店長が必死ということは部長も必死だし、部長が必死なら課長も必死。

そして俺達もそれに巻き込まれる。


年に何度かある、「絶対に落としてはならないノルマ」が、最悪のタイミングで降りかかってきたということだ。



・・・しかもこの額。

なぁ、俺達の顧客は億万長者か何かか?

もう少し常識で考えてくれないかな。


と思ったが、そういえばこの業界、上の世代になるほど脳みそ焼かれてるんだった。



・・・良田。そんな顔するなよ。やるしかないんだ。

全部終わったら、管理職以外で飲みに行って、悪口パーティーをしよう。






どれだけの犠牲が出るのか、想像もつかないが。

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