けどまぁ、未来の話はやっぱり苦手よ。どうでもいい。

 どのような環境にいようと「適応性」はとても大事なことだと、気づく。

 郷に入れば郷に従えとまでは言わないが、その環境、その人達のエリアに一歩でも近づけば、自らの意見を通すことは難しくなる。

 出来ないわけではない。ただ、その環境はその環境に住む人々によって作りあげられ、ベースとなる人々の思考が出来上がってしまっている。それは彼らの地盤であり、揺るぎない「絶対的」なものになっていると思う。


 まぁ、私が勝手に思ったことだから、今話していることが正しいかわからないけどね。そもそも「正しい答え」たるものが存在するのか。……それは別の機会に話そう。


 だから、どれほどが揺るぎない主義を持っていても、の環境へ入ってしまったら、貫き通すことは、難しくなる。


 じゃあ、貫いてはいけないのか


 貫き通すのを辞めなければ、その環境の者に敵だと見なされることもあるだけ。その環境の者に、理解されづらくなるんだと思う。


 じゃあ、どうすればいいのか


 最初に言った、適応性しかないと思う。


 うーん。さぁね。けど、適応性は大事。生物的なことを見ても、環境への適応ができないものは、消えていっている。人間の社会的に見ても、そう。肉体的ではなく、社会的になるだけ。


 柔軟に生きるのが、良いんだろうなーって。どこにでも対応できるのが、一番なんでしょうね。


 それでも適応ばかりでは「自ら」の思考が安定しないかもだね。自らの考えを持ちつつ、他者のいる環境に対応できることがベスト。言葉だけだと、簡単そうに聞こえるね。

 けど、とても大変なこと。


 そういう人に、私はなりたい。


 今日は相手側の考え方、話し方を取り入れて、自らの意見を主張した。

 彼らは喜んでいたけど、私は喜ばないわ。まだ、勝っていない。言い負かすんだから。私の考えを、環境の一部にさせてやる。自らの主張が環境のベースになった時、自由になれると思うの。失敗する可能性が高いけど、やる価値がある。私を誰だと思っているの。


 私は、私。誰でもない、私であるのみ。


 今日はそんな日だった。

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