第8話 幕間:私の全てが変わった日

 これは、私がまだ風精霊の国『シルフィ』に居た頃のお話です。

 樹精霊ドライアドと出会って、大陸の西側から南の果てに移動するまでに何があったのか。


 もう3年も前になるから、私がまだ12歳の頃のはず。


 愉快な話じゃないけれど。


 お目汚しにならないよう、頑張ります。


     ※ ※ ※ ※ ※


 私が過ごす一日は、いつも変わらない。

 毎日のお祈り、精霊術の練習、それが終わったら裏の山での薬草摘み。

 お婆ちゃん、お父さん、お母さん、まだ生まれたばかりの小さな弟と暮らす日々。


 何の変化もなく、刺激もない日常だった。


「お婆ちゃん、もう精霊術の練習あきた……」

「何言ってるんだい。もっと精霊様と深く心を通わせなさい。そうすればきっと上手く風を操れるよ」

「風を操れても楽しくないよ……」

「楽しい、楽しくないの問題じゃない。風の国の民としての義務なんだよこれは」


 厳しいけれど、根気よく面倒を見てくれるお婆ちゃん。

 よく口癖のように言っていた。


「人に優しくしなさい。けれどそれは人の為じゃなく、自分の為に」

「……どうして?」

「気持ちよく生きる為だね。自分のことを好きになる為って言い換えてもいいよ」

「…………」

「自分のことが嫌いになっちまうと、辛いもんさ。ただ生きているだけで心が疲れてくる」

「お婆ちゃんは、自分のことが嫌いだったの?」

「お爺さんと出会う前まではね」

「教訓とか生きる為の知恵とかじゃなくて、ただ惚気られただけだった……」

「シャルも覚えておきな。誰かを本気で好きになると、自然と意識も変わってくるもんさ。意地悪な人を好きになってくれる相手なんて、そういないんだからね」


 なんだか小さい男の子みたいな考えだった。

 好きな人につい意地悪しちゃう、みたいな。


「それに人に優しくしてると、巡りめぐって返ってくるもんだ。だからって恩返しを期待しちゃダメだけどね。あくまで自分の為に、誰かを助けるんだよ」

「はーい……」


 言っていることが間違いだとは思わなかったけど、損をする生き方だとも思った。

 それじゃ自分を犠牲にしているだけなんじゃ? どうせ恩返しとかないだろうし。


 いつもの説教に似た忠告を聞いていたくなかったから、私は割り振られた仕事に出る。


「お婆ちゃん、山に行って薬草摘んで来るね」

「気を付けるんだよ。どこに危険が潜んでるのか分からないんだからね」

「分かってる。生まれた時からずっと行ってるんだよ。目を瞑ってたって歩けるよ」


 家を出て、山に入って、薬草を摘みながら私はいつも愚痴みたいな考えにふける。


 毎日の事とはいえ面倒だ。

 薬草はスープの材料になるんだから、取ってこなくちゃダメなんだけど。何日か分を一気に取って来ちゃダメなのかなぁ……。


「はあ、たまには違うものも食べたいなぁ」


 行商人の人がたまに来てくれるまで、毎日同じ食事。もう飽きちゃった。

 飽きたといえば、精霊様へのお祈りも、精霊術の練習だってそうなんだけど。


 つまらないなぁ、きっと、ずっとこうして生きていくんだ……。

 いっそのこと、村を出てみようかな。


 色んな国を回って、色んな景色を見て、素敵な恋をして、結婚をして、こことは違う土地で生活する。

 ……なんて、いつも考えるだけで終わる。


 空想にふけって、自分を慰めるのだ。


 それが出来たら苦労はない。私は結局、村を出て行かない。

 出て行く勇気がないからだ。お金もないし、家族と離れて暮らしていける自信もない。


 精霊術だって満足に使えないのに、独りで生きていけるわけがない。


 お婆ちゃんやお母さんみたいに、この村に生まれて、この村のお墓に入るんだろう。

 明日も何もない日常が来ると分かっていても、それでも何か起こるんじゃないかと期待しながら、そのまま日常を生きていく。


 華やかな生活を夢を見ているのに、どこかで退屈な日常に納得している自分がいた。

 そんな自分が、少しだけ嫌いだった。


「よし、今日はこれくらいでいいかな……」


 薬草もある程度摘み終わり、もう帰ろうと家に向かって歩き出したとき、それが目に入った。


「え……なに、あれ。けむり……?」


 村が赤く染まっていた。煙がもくもくと昇り、ほとんど全部の家が火に包まれている。

 あまりにも突然の出来事で、それ以上は何も考えることが出来なかった。


 ――村に盗賊が来たみたいだね。じっと見ていて、いいのかい?


 頭が真っ白になってたけれど、はっと気が付く。


「も、戻らないと!」


 そう言葉に出してみるも、私の体は前に進んでくれなかった。

 足がすくんで動けなかった。何が起こっているのか分からず、頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 盗賊が、村を襲っている。


 あれは火事じゃない。誰かが家屋に火を放ったんだ。

 実際に見たわけではないのに、何故かそれが分かった。


「え、盗賊……? それじゃあ、私は……」


 早く村に行かないと、という思いは確かにある。


 だって本当に盗賊が来たんだとしたら、家族が危ない……。


 だけど精霊術を満足に使えない私が行って、出来ることなんてあるのだろうか?

 村の大人達も敵わない相手と対峙したら、未熟な私は一瞬で殺されてしまうんじゃないか。


 被害に遭った自分を想像し、震えた。


 私には戦う力が無いと、自分が一番分かっている。

 恐くて、恐くて堪らなかった。


 どうして突然、こんなことに。


「わ、私が、変化を望んでしまったから……!」

『いや、それは違うと思うけどね。君はただ運が悪かっただけさ』

「ああ、神様……ごめんなさい、今日からちゃんと言いつけを守って、良い子になるから……」

『泣くなよ。まだ君は運のいい方さ。なあ、なんだったら助けてやろうか?』


 私の呟きに、言葉を返す誰かがいた――


「え、ど、どこ!?」

『ここだよ。君の目の前にいる』

「見えないよ! 誰も居ない、どこなの!?」

『ここだってば。ほら、ちゃんと前にいるよ』


 目の前には――山のどこにでも生えている樹が、あるだけだった。


 頭の中に、鈴の音のような声が響く。


「……あ、貴方は?」

『僕かい? 僕はドライアド、この世界に“植物”をもたらした存在と言えば伝わるかな』

「え……? それって、樹の精霊様……」


 どうして神様が話しかけてきてくれたのか、もう訳が分からなかった。


「私は、私はシャルロットです……」

『あぁ、これはご丁寧にどうも。まあ今はそこはいいじゃない。それよりいいのかい? ――あの村は、君の住んでいる場所じゃないのかな』


 そうだ、早く村に行かなければ。


『でも君は契約の力を使いこなせていない。風による移動術も出来ない。風の刃を飛ばして攻撃も出来ない』

「な、なんで、それを知って……」

『ふふ、君のことはずっと見ていたよ。出来ることも、出来ないことも分かってる』

「……でもっ、でも村に行かないと!!」

『いや、言い方が正しくなかったかもしれないね。たとえ出来たとしても、するかどうかは別問題か』

「…………っ」


 樹精霊ドライアドは見透かしていた。

 私がいま足が竦んで、村へ向かえていない状況を。その理由を。


 精霊術の有無の問題じゃない。


 私は村を襲った盗賊が恐くて、前へ進めていないのだ。


『だから言ったんだ。困ってるんだったら助けてやろうかってさ――まあ、タダじゃないけれど』


 ごくりと喉を鳴らして、私はその言葉に縋った。

 神様ならば、この状況を何とかしてくれると。


 家族を助けてくれるのだと。


「私に出来ることなら何でもします! お願いします、助けてください!」

『言ったね。いま何でもすると、そう言ったね?』


 嬉しそうにそう言って、樹精霊ドライアドは“だけど僕が直接介入するのは主義に反するな”と、付け加えた。


『シャルロット。僕と契約するかい? そうすれば君は無敵の力を手に出来る』

「そんなことが、可能なんですか?」

『ああ、テンペストの奴から乗り換えればいい。簡単だよ、面倒な手続きなんて必要ない』

「で、でもここは風精霊テンペスト様の国で……、勝手にそんなことをしたら、ドライアド様だってマズいんじゃ」

『ハハ、もしかして僕の心配をしてくれてるのかい? この期に及んで、ずいぶんと余裕があるんだね。今まさに家族が酷い目に遭ってるかもしれないのにさ』


 そうだ。いま盗賊は、その凶暴さを家族に向けているのかもしれない。


『世界の境界を定めたのは人間だ、そんなの僕たちは気にしてないよ。風がどこにでも吹くように、樹だって世界のどこにでもあるもんさ。まあ、契約した人間を奪い取られたら、少しは勘に触るかもしれないが、別に一人くらい構いやしない』


 忙しない状況に頭がぼんやりして、もう難しい判断が出来なくなっていた。

 神様の言葉を、確認するように繰り返すしかない。


『力をあげよう。その代わり、君は僕のものになるんだ――』

「ど、どういうこと、ですか? 毎日お祈りするだけじゃダメなんですか?」

『ダメだ、これは契約する交換条件だよ、シャルロット。一目見た時から君を気に入っている。君が好きだ。君は僕と結婚するんだ』


 ……けっこん?

 私が、神様のお嫁さんに……?


「そ、そんな恐れ多い! ダメです、それに私は人間です、精霊である貴方様とは釣り合わない……」

『僕はそんな事気にしない、そう言ってもかい?』


 こくこくと、目の前には樹しかないのに、言葉も出さずに拒絶した。

 だって、私はまだ12歳だ。そりゃいつかは結婚するんだろうと思ってたけど、突然そんなこと決められない。


 覚悟なんか、決まらなかった。


『……ふうん、まぁシャルロットがそこに拘るんなら仕方ないけどさ。それなら条件に加えようかな。種族が違うから、釣り合わないからダメなんだろう。だったら君も精霊になれ』

「私が、精霊に……? どういう意味なのか、分かりません」

『これから樹の精霊術を使う度に、精霊に近付いていく。そんな契約にしよう』


 ――ほら、早くしないと、家族の命が助からないかもしれないよ。

 そう囁きかけられて、頭が沸騰したように熱くなり、一瞬で覚悟が決まった。


 神様のお嫁さんにでも何にでも、なってやろうと。


「契約、します。私を娶ってください。だから早く力を、樹精霊の力をください!!」

『ふふ、嬉しい返事だね。それじゃあ、約束通り君に力をあげよう――樹の精霊術の力を十全に使いこなすといい。人間を相手に、神の力を振るうといい』


 とても強大で、雄大すぎる力が私の中に入ってくる――


『とは言っても、最初はやり方が分からないだろうからね。手伝ってあげるよ』


 頭に響く声に従い、私はその精霊術を、村に向けて放ったのだ。


『村の方に手をかざしてごらん――それで、君の願いは叶う』

「こ、こう、でしょうか……」


 地面から大きな樹の根っこが生えてきて、まるで触手のように動き回る。

 すぐに村を襲っていた盗賊を捕まえた。

 植物をまるで手足のように操ることができ、今ならどんな相手にだって勝てると思った。


「すごい……、すごいです! ドライアド様っ」

『気に入ってもらえて良かったよ。これで盗賊たちは拘束できたはずだ。さあ、早く村の様子を見に行こう』

「はい!」


 そして、私は全てを失った。


 村のみんなはもう、誰一人生きてはいなかった。

 助かった人はいなかった。家族もまた、無残に殺されていた。


 私はその日、独りになった。


 拘束していた盗賊たちは、気が付いたら樹に絞め殺されていた――これは、私がやったのだろうか。


『……残念だったね。心中察するよ』

「…………いえ、私が悪いんです。うだうだと迷って、すぐに決断しなかったから」

『君は悪くないよ。誰だって悩み、判断が遅れるものさ。悪いのは全部、野蛮な盗賊達だろう』


 樹精霊ドライアドは、これで全てが終わったのだと告げてくる。


『シャルロット。僕の可愛いお嫁さん。それでも契約は、契約だ――まずは僕の依り代が居る場所に来てもらおうかな』


 もうここに君の家族は居ない、誰も居ない村に未練はないだろう?

 そう平坦な声色で、私に故郷を捨てる旅路を勧めて来る。


 切り替えが早すぎる。話が早すぎると――そう感じてしまったのだ。


「ねえ、ドライアド様」

『なんだい?』

「ずっと私のことを見てたって、言ってましたよね」

『言ったね。それがどうかしたのかい』


 樹精霊ドライアドはこの場に居ない。

 樹を通して、遠くの物を見聞きしているはずなのだ。


 だったら、村の側に生えている樹から、もっと早く、火の手が上がる前に声をかけることが出来たんじゃないのかな。

 だって樹は、世界のどこにでも生えているんだから。


 それに声をかけるのは、私じゃなくても、村の誰かにでも知らせてくれれば、それで済む話だったんじゃないのかな。


 私を気に入っていると、神様は言ってくれた。でも、


 ――貴方が私に声をかけてきたのは、村のみんなが、私の家族がもう亡くなった後だったんじゃないですか?


「…………」

『どうしたんだい? 何か訊きたいことがあるなら、答えるよ』

「いえ、何でもありません。私はどこへ向かえばいいんですか?」

『ああ、まずは南の地域である土の国ノウムを目指してもらおうかな。そこから海岸線に行くと、僕の姿が見えるはずさ』


 私は訊かなかった。真実を問い質す勇気がなく、声に出して訊けなかったのだ。


 頭の中で会話しているのに、考えている事は読まれていると分かっていたのに。


 奇跡の御技を授けてくれた、手助けしてもらった相手を軽蔑したくなかった。

 神様を信じたかった。

 ただ少し運が悪かっただけで、純粋な優しさから私を助けてくれたのだと思いたかった。


 生まれ育った村、ずっと一緒に居るはずだった家族、何も変化のない平穏な日々。全てを失った私には、心が崩れない為に縋りつく対象が必要だった――


 誰かに側に居て欲しかった。

 温かな声色で話しかけて欲しかった。

 私のことが好きだと、そう言ってくれた相手を、もう失いたくなかったのだ。


 樹精霊ドライアドへの信仰心で、なんとか自分を保った。


 ……私はとても臆病で、弱い女だ。

 差し伸べてきた手を簡単に掴み、その事がこれからどういう事態を招くのか考えてもいなかった。


 ――願い事は叶った。だけど私は全てを失い、この状況を幸せとは口が裂けても言えなかった。


 それが私だけじゃなく、まだ見ぬ誰かの元にも降りかかる出来事になるとは露知らず。

 家族を失った悲しみから、私の心は冷め切ったように動かなくなった。


 笑うことが少なくなった。


 私は南の果てにある世界樹『ユグドラシル』に向けて歩きだす。

 樹精霊ドライアドが女の子だと知ったのは、島に着いた後だった。


 そして3年後、私はイオリ・ユークライアと出会う。

 私の笑顔が見たいと、私に精霊術を使わせたくないと、そう言って笑う優しい貴方に。


 貴方と出会うことで、私の心はまた鼓動を始めたのだ。


 差し当たっての目標は、自分を好きになることです。

 誰かを、好きになることです。

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