第06話 誇りを胸に

 なお彼は高校生つまり未成年であるため、あらかじめ自宅で保護者の判子も押してある。そんな得体の知れぬ物に誰が押すか、と父親が渋りに渋って、説得には相当な苦労を要したのだが。


 とにかくそんなこんなも苦労は昔、これにて契約は締結。

 作品に関する権利の譲渡は確約された。

 なお、定夫たちへ支払われる契約金は五十万円。



「妥当なのか、少ないのか」


 契約処理をすべて終えて、星プロのビルを後にしながら、八王子が呟いた疑問である。


「多くはない、と思う。でも、ふっかけるってことをしたくなかったんだよなあ」


 と、定夫は遠い視線で、故郷武蔵野よりほんのちょっぴり微妙に汚れているであろう青空を見上げた。


 かっこつけでいったのではなく、本心だ。

 でないと、「ほのか」という作品、その存在が汚れてしまう気がして。

 自分たちの血と汗、涙が、すべて台無しになってしまう気がして。


「ま、そうだよね。ワクワクしたかったから、作品を作ったんだもんね」

「ワクワクどころじゃないです! あたしは途中からの参加ですけど、自分たちの作ったものがテレビアニメになるんだから、こんな素敵なことはないですよ。普通の高校生には、そうそう出来ない体験です」


 敦子は、ふふっと満足げに笑った。


「ある意味、五十万は悪くないでござるよ。自主制作アニメをブルーレイ販売しようものなら、流通経路の確保に相当な投資が必要になり、運がよくても儲けは些細、下手をすれば大損でござるからな。ネットに投稿というだけならば、コストはサーバーレンタル代だけであるため、有料アクセスにすれば幾らかの儲けは出るかも知れないが、視聴者がぐっと減ること間違いない」

「観てもらえなきゃ、なんのために作ったのか分からないからな。テレビアニメならば、観たい人はみんなが観ることが出来る。ということは、テレビアニメ化でみんなが観てくれる上に、こっちからお金を払うどころか逆に五十万円も貰えるんだから、トゲリンのいう通り悪くない話ということだよな」

「そうだね」


 八王子が頷く。


「で、お金をどう分配するかなんだが。アニさくとUSBマイクで四十万円近くかかっているから、これを必要経費ってことでそこから払って、残りの十万を四分割ってことでいいと思うんだが。少し余るけど、それは祝テレビ化の打ち上げに使うってことで」

「うん。いいんじゃない、それで」


 快諾する八王子とトゲリンであるが、


「いえいえいえっ、いただけませんっ! どうか三人で分けて下さい。あたし、なんにもしてないですからっ! 参加させて貰えただけで充分に満足なんです!」


 と猛烈に拒絶しまくるのは敦子殿である。両手と首とをぶんぶん振って足元バタバタさせて、まるで滑稽なダンスを踊っているかのようであるが。


「なんにもしてないことないだろ。そもそも敦子殿の声がなかったら、ここまでの作品にはならなかったんだから。おれたちに声のトレーニングだってしてくれたし、エンディングだって歌ってくれた」


 敦子に対して、なんだかかっこつけた台詞をぺらぺら吐いている定夫。

 ほんの数ヶ月前まで、じょ女子イイィヒィなどと泥まみれで砂場を這っていたのが嘘のようである。


「でも……」


 と、なおも渋る敦子に八王子が、


「生涯の代表作、って自分でいっていたじゃんか。その代表作で、プロアマ関係なく声優人生初の報酬をゲット、ってことでなんの問題もないんじゃない?」


 その言葉に少し考え込む敦子であったが、やがて、申し訳なさそうに微笑んで、


「そう考えると、いただかなきゃならないのかなって気持ちになってきました」

「よし。じゃあ報酬分配の件はこれで解決だね。……でもさあ、よくよく考えると、権利を譲渡するのではなくて、放棄しないままで印税の話とかに持っていってもよかったのかもね」

「いやいや、これでよかったんだよ」


 我々の生んだ作品を、プロがしっかりとしたものに作り直して世に送り出してくれるのだ。

 ならばそれを信じて、我々は放送される日を楽しみに待とうではないか。

 種を蒔いた、という誇りを胸に。


 定夫は再び、東京の汚れた青空を見上げたのだった。

 澄んだ瞳で。

 鼻からは、ちょっと濃い目の鼻水が垂れていたが。




 ちょっと遠回りして帰ろうか、という八王子の提案に、中央総武線で山手線の輪っかをぶっちぎって秋葉原へ直行。


 それぞれ好きなグッズを買い、そのまま徒歩でぶらぶら雑談しながら神保町へ。

 そこで本を買い、雑居ビル二階の古本屋奥にある有名な欧風カレー店へ寄り、テレビアニメ化について希望期待を熱く楽しく語り合い、それから帰路に着いたのであった。

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