#3 ガールズ、ガールズ、ガールズ

 フィグエロア・ストリートのショッピングモール屋上に、ワインカラーのシトロエンDSが駐車されている。


 そのすぐ傍のフェンスに寄りかかる形で、二人の女がいた。


「あれ、もう終わっちゃった?」


 あっけらかんとした口調で、金髪の女が言った。薄いキャミソールとホットパンツという出で立ちで、そのボディラインは極めて豊満である。片手にはチリドッグを持っていて、口元に僅かに赤いソースが付着している。


「んー。どうもそうらしいっスね」


 隣で双眼鏡を構えて、眼下のダウンタウンの様子を見ているのは、やや浅黒い肌とソバージュが特徴の女。構えた先には、蹂躙されたストリートと、そのただ中に横たわる巨大な怪物が見える。


「でも、様子変っスよ。あいつ、動かないです」


「どれどれ、双眼鏡貸して」


 報道ヘリのプロペラ音とサイレン音が響いているが、それは頭上高く浮かぶ『浮島』に阻害され、夜空一面に、というわけにはいかない。


「あら、ほんとだ。ディプスの野郎、『不死身』って言ってなかった? この程度で終わるはずないんだけど」


「妙っスよね。まさかハッタリ……?」


「それがあり得るのもあいつなのよね。クソムカつくわ」


「とりあえず室長達を迎えに行きましょう、グロリアさん」


「そうね」


 二人は身を翻して、車に乗り込んだ。



『……やはり手強いですね、第八機関。でも、そうじゃなくっちゃ――』


『そうでなくっちゃ、君を出迎えるには不足だものな……』


『そうでしょう、シャーロット・アーチャー……君の願いは、ようやく叶う』



 ――彼女たち二人の懸念は、当然他の者にも共有されていた。


 チヨはカタナを構えたまま警戒を続け、ミランダも銃口を化け物に向けたままである。

 だが、ハルクは動かない。予想されうるのは、これから先再びこいつが稼働する、ということ。

 しかし、この怪物は現在ディプスの管理下に置かれている。ということは、動かないということが何かを意味している可能性もある。


 彼女たちの横を消防車や報道関係の車両が通り過ぎていき、周囲に戻ってきたざわめきの種類も、「逃げろ」のたぐいではなく、「これからどうするんだ」になっている。


 その中で、フェイとシャーリーは向かい合っていた。


「正義の味方……って」


「今見せた通りさ。街の危機のたびに『出勤』して、そいつを食い止める」


「そう、ですか……」


 フェイには、シャーリーが何かを言い出そうとしているように見えた。しかし、その続きを促すこともしない。彼女が言うべきことは限られていた。


「君はどうやらディナーの最中だったらしいが、散々な結果に終わったな。テッドの店は今、ポール・バニヤンも苦笑いする有様だよ」


 つい数分前までシャーリーが居た店は、見るも無残な状態に成り果てていた。その店の前で、ハットの男が消防車に乗っている男に当たり散らしている。


「畜生、この間建て替えたばかりなんだぞ! バーボンもワインも全部おシャカだ!! ……見せもんじゃねぇぞてめぇらッ!!」


 フェイはその様子を見て肩をすくめると、再びシャーリーに顔を向き合わせる。


「とりあえず君の命は助かった。今夜はその事実を枕にしっかりと休むべきだ。すぐここを離れ給えよ」


「でも、ボクは――」


 その時。

 地面が、揺れた。


 地の底から這い上がるようなうめき声が聞こえると、周囲一帯に広がった。足元がおぼつかなくなり、グラグラと音がする……背中に冷たいものが奔る。


 ……後方を、振り返る。


 怪物が、再び動き出していた。その頭をゆっくりともたげて、周囲によだれのような液体をふりかける。身体の至る所がほつれ、砕けていたが、まだ全体のシルエットが崩れたわけではないらしかった。


 唸ると、彼の顔面周辺に血管のようなものが浮き出た。満身創痍には違いないらしい。


「あいつ、まだ動けて――」


「チヨ、ミランダ。やれるか」


「当たり前だ」

「多分ね。多分、だけど……」


 しかし。


 戦闘が、再び勃発することはなかった。怪物の背後の空間が『裂けて』、そこから血のように紅い空間が見えた。


「空が、割れて――」


 咆哮に戸惑いが浮かんだ直後、彼はその空間の中に吸い込まれた。背中が引っ張られ、周辺の瓦礫や残骸も一緒に吸引される。大地が揺れて、ビリビリと肌を揺さぶった。


「……なんじゃ、こりゃ」

「どういうこと……??」


「――ディプスだ」


 フェイがぽつりと零す。


「えっ……?」


「こんなことが出来るのは、あの魔人しか居ない」


 彼女自身も立っているので精一杯なようだった。そこから先少しでも脚を踏み出せば、途端に亀裂に吸い込まれてしまうようだった。


 それから彼はもう一度吼えたが、何の意味もなさなかった。彼はその紅い亀裂の中に吸い込まれた。最後まで足を踏みしめていたせいで大幅に道路が削れたが、そのすべては最終的に呑み込まれてしまった。


 彼は腕を亀裂の端にかけて抵抗したが、無駄だった。彼の指の先がちらりと見えたのを最後に、全身が呑み込まれた。


 ……それから徐々に轟音が消えていき、紅い空間は消えた。亀裂は黒い筋となって、やがてなんにも見えなくなった。


 ――唐突に起きた出来事は、何の脈絡もない静寂だけをそこに置いて、完全に消え失せた。


「消えた……あいつが」


 シャーリーは呆然と呟く。


「……ディプスめ、何を考えている」


 ……周囲に喧騒が戻ってくる。

 チヨとミランダがフェイのもとに歩いてくる。


「フェイ。これはどういうことだ。『戦いは保留』ということなのか?」


「……意味が、わからないわ。自分から仕掛けたんじゃないの……?」


「まぁ――待て。奴ごとディプスの次元に移動したのなら、調査部員ストーカーも手の出しようがない」


 フェイはそう言って、コートのポケットから新しいタバコを取り出した。

 アークロイヤルのアップルミント。口に咥えて点火する。


「次、奴が何かを仕掛けてきた時に……対処するしかあるまいさ」


 彼女がそう言うと、チヨもミランダも、憮然とした様子で佇む他なかった。


 ……夜の街は眠らない。至る所で何かが起きている。今回のこともそのうちの一つにすぎない。ストリート中に人通りが戻りつつあったが、それはこれまでと何ら性質の変化がないものだった。


 それからしばらくして、車のハイビームが彼女たちを照らした。

 フェイはそれを確認すると、暗闇の中から何かを持ってきて、シャーリーに渡した。

 それは、はじめに持っていたキャリーバッグだった。


「君のものだろう。無事でよかったよ」


「あ、ありがとうございます……」


 フェイは微笑を浮かべて、身を翻す。


「さぁ、君は自分の場所に帰ることだ」


 その言葉はシャーリーを俯きから解放した。

 ……が、その時既に彼女たちは、赤い車の方へ歩いていた。


 シャーリーは躊躇った。焦燥に満ちた顔で彼女たちを見てから、周囲を見た。それからもう一度下を眺めて、ごくりと唾を飲んだ。手は地面の上にあって、砂利を幾らかぎゅっと掴むと、内側が鈍く痛んだ。


 彼女はもう一度、顔を上げた。

 それから、言った。


「――あのっ!!」


 フェイが、遅れて他の者達が振り返った。


「お願いが、」


 シャーリーは立ち上がる。

 揺れる瞳で、正面を辛うじて見る。


「あるんですっ!」


 フェイは少しの間黙っていたが、その後、数歩前に進んだ。


「おい、フェイ!」


 チヨが鋭く言ったが、フェイは止まらなかった。

 シャーリーの正面に立つと、彼女に続きを促した。


「なに、聞くだけならタダだろう――お願いとは?」


 正面に立つ少女は、頬に汗を滲ませた後、空気を吸い込んで、一息にまくし立てた。


「ボクはハイヤーグラウンドから来ました。アンダーグラウンドに居るはずの友達を、探すためです」


「ほう」


「だけど、ボクはここのことを何にも知らないから……まるで何にも分からないままなんです。今だって、こんなことが起きた中で、逃げることだってろくに出来なかった……自分に出来ることは本当に少ない気がして」


 彼女は自分の発言に迷っているようだった。

 そこには何か、自責のようなものが滲んでいる。だが彼女は止まらなかった。


「勝手なこと言ってるのは分かってます、こんなことが起きたばかりなのに、関係ないこと言って……でも、諦められないんです」


 拳を、握って。


「十年前に離れ離れになってからずっと、その子のことだけを考えてきました。それであなた達が戦ってるのを見て、私決めました。もう手段は選んでられない、だから」


 シャーリーは言った。


「だから、ごめんなさい! お願いです、ボクの友達を探すのを、手伝ってくださいませんかっ!!」


 フェイは聞いていた。その後方の者達にも無論、その言葉は届いていた。


「お金ならあります……なんでもやります、だから――」


「ちょっと待った」


 返答。


 フェイだった。シャーリーは顔を上げた。


「確認なんだが。今、『なんでもやります』と言ったのかな」


 顔が近づく。


「はい、言いました……けど」


「なるほど」


 彼女はそれから背を向けて、チヨとミランダを見た。

 三人は集まった。

 

 小さな囁きとともに、密談が行われる。


「『なんでも』と言ったぞ、あの子は」

「ほんとにそう言ったの? じゃあ……」

「是非もなかろう」

「良し。決まりだな。こちらも手段を選んではいられん」

「でも、最初は……」

「分かっている。あくまで『対価』だ。それ以上はこちらも要求しない」

「……行くぞ」


 三人は解散して、フェイがシャーリーに近づいた。


「よし。君の願いを聞き入れよう」


「ほんとですか!? ありがとうございま――」


 感謝を述べるシャーリーを遮って、フェイが言った。


「雑用だ」


「……え?」


「うちには雑用が足りない。一番新しい奴は3日で逃げてしまった。もし君に助けが必要なら……我が事務所の雑務をこなしてくれないか。日数は……願い事の状況次第で決めよう」


 シャーリーは、今言われたことを頭の中で反芻した。

 彼女はしばらく躊躇った。

 考えていたのだ、頭に浮かべていたのだ――今日一日の流れを。


 街で起きる、あまりにもたくさんの事故。事件。悲鳴、爆発――暴れる者達。そこかしこで銃撃が聞こえる。そんな街。


 想像は足をすくませる。だが、シャーリーはそれを振り切った。じわりと汗が滲んだが、構わなかった。言ってしまうには……勢いが何よりも重要だった。


「……やります。雑用でも、なんでも。エスタに会うことが出来るなら、なんだって」


「ふむ」


 フェイは後ろを振り返って、サムズアップを掲げた。チヨが無表情で頷いて、ミランダは既に車に向かっていた。


「きついぞ。良いのか」


「うっ……」


 シャーリーはまた躊躇した。だが、そこで首を振って一息に言った。


「だ、大丈夫です。やりますっ!」


「いい返事だ。気に入った」


 フェイはふっと笑って、シャーリーに小さな紙片を渡した。

 そこには……走り書きで、住所が書かれていた。


「そこで落ち合おう。君の願いを叶えるのに適切な人員を送るから。良いかな?」


「はい、よろしくお願いします……」


「――いい返事だ。君の名前は?」


「シャーロットです。シャーロット・アーチャー」


「そうか。わたしフェイは第八機関室長のフェイ・リー。……明日、会えることを楽しみにしているよ」


 シャーリーは再び返事をして、紙をポケットにしまい込む。


「室長~」


 車から声が聞こえた。フェイが歩いて行って、その中に乗り込んだ。


「チヨ、お前バイクはどうした」

「戦闘の際乗り捨てて、そのまま」

「馬鹿、今すぐ取りに行ってそれで帰れ。放置してたらネジの一本まで分解されるぞ」

「……御意」


 間もなくドアが閉まって、赤いシトロエンDSはその場に轍を作りながら、発進していった。


 シャーリーはしばらくその軌跡と赤いランプを見つめた後、はっとして最初に居た店の敷地に戻った。破壊されたカウンターの上に、コーラの分のお題を置く。


 周辺にはわらわらと警察関係者が集まってきており、じきにここ一帯は彼らにくまなく走査されるであろうことが明白だった。背後で声が聞こえた。


「――また奴の仕業だな」

「でも、思ったより被害が少ないな……」

「これも連中のおかげってわけか。俺達の仕事を取りやがって……」

「だが、いいことだよ。家内も喜ぶ」


 シャーリーは目を瞑る……そしてポツリと零す。


「ボクはここに居る……居るんだ。だから……――」


 ここで起きたこと。大勢の人間が巻き込まれた。その中で自分が助かったということ。だが、何かを成し遂げたわけではない。自分は見ていることしか出来なかった。


 ……その意味を、彼女は考えて、そして行動に移すことを決めたのだ。


 それからシャーリーは、背中を向けて歩き始めた。


 サウス・グランド・アベニューの騒がしい一夜が終わろうとしていた。怪物が去ったその場所は既に、猥雑と汚れに満ちた人々の宵に覆われ、埋め尽くされていた。


 ――世界の危機は、あっという間に、ただの日常の中に埋没していくのだった。



『……』


 ディプスは、一人の少女を視界に捉えていた。


 彼女は落ち着きをなくしていて、緊張の中にあったが、同時に一つの固い決意に満ちていた。


『ああ――ようやくこの時がやってきた』


 彼の傍にはハルクが居て、その身体を縛り付けられた状態でもがいている。


『まぁ落ち着きなさいよ。君の出番は用意してある……もっと面白くなってからね』


 ――その口が、愉悦に歪んだ。


『僕の”文才”も捨てたものじゃないですね。さぁ、明日が第二幕だ……』


 彼は少女を見た。


 その衣服のポケットに収められている、一本の短剣を視た。

 それが彼に驚きと、畏怖と――ひとつの歓喜を与えていた。


『歓迎しますよ、シャーロット・アーチャー。僕の……大事な、愛娘』



『T・Sエリオット曰く――4月とは最も残酷な月。それは全てが芽生え始める事から来る、言葉にならない不安から来た箴言なのかもしれません。ということで今回は1956年のスタンダード・ナンバーから始めましょう――』


 次の日の朝、シャーリーはダウンタウンの『グランド・パーク』で二人の女と落ち合った。


 かつては光と緑に溢れた緑地公園であったこの場所は、2018年現在は少々趣を異にしている。

 

 公園の中心部に巨大な剣の切っ先が突き刺さり、その鈍く重い鉄の周囲を取り囲むようにして軌道エレベーターがまとわりつき、上層部――つまりハイ

ヤーグラウンドまで伸びているのだ。


 その真下に位置するこの場所に光が全面的に差し込むことはない。雲の向う側にある浮島から、常にぼんやりと陰のベールが降っていた。


 ――彼女たちも、第八機関に所属しているメンバーだった。


 豊かな金髪を持った方は、自身を「グロリア・カサヴェテス」。

 もう一人、眼鏡の女性は「キンバリー・ジンダル」という名だった。


「あの、今日は……ボクのために。ありがとうございます!」


 気合いが空回って少し声が裏返ってしまい、頬が朱に染まる。


「いやいやそんな。やることをやるだけっスから……」


 キンバリーが、フォローを入れる。


「……」


 グロリアは黙っていた。ぱっちりとした彼女の目が、シャーリーを見ていた。整った顔立ち。少しどきりとする。


「な、なんでしょう――」


 ……彼女の手が伸びて、肩を掴んだ。


「ひゃっ!?」


 その目が――シャーリーを、見つめる。どこか呆然とした様子で……逃さない。


「ぼ、ボク何かしちゃいましたか!? なにかまずいこととか……」


「いやぁそんなことはないと思うっスよ……ちょっとグロリアさん。何してンすか――」


「……やだ」


 グロリアの声は震えていた。

 そして、言った。


「キム、どうしよう。この子超好み。ねぇあなた、パンツ何色?」



「へ??」



 当然。

 思考が僅かの間フリーズして、何を言われたのかが分からなくなった。



 その瞬間――シャーリーの、怒涛の2日間が幕を開けた。

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