第4話 出立

 夢を見た。


 大学で数回出会った奴らと笑いあっている俺や、家族と共に一つのテーブルを囲んで一緒にご飯を食べながら笑顔を見せる俺の姿――を、見ている俺が居る。


「……最悪の目覚めだな」


 有り得ない夢を見るのは現実逃避の表れかもしれないが、現状は子供の頃に想い描いていた現実とは程遠い。


 体を起こしてベッドのほうに視線を向ければ、そこはもぬけの殻だった。窓から差し込む日の光からすでに朝を迎えているのはわかる、横を見れば昨夜に脱衣所で脱いでからどこかに行っていた俺の服が血の痕も無く綺麗に畳まれて置かれていた。


「あ~……さすがに穴は開いたままか」


 別に直してもらおうとも思っていなかったが期待が無かったかと言えば嘘になる。


 着替えは持っていないが――そういえば、こちらの世界に来てからバタバタしていて荷物の確認をしていなかった。ロットーのいない今のうちに確かめておくか。


 そもそも最近では滅多に開けることが無かったから何が入ってたのかすら覚えていないのだが……まずは未だに一文字も理解できない本と、小型の懐中電灯は暗闇でも本を読むため、高カロリー栄養食は本を読んでいて食事を忘れたときに食べるためで、同じような理由でチョコも入っている。あとは工具セットにソーイングセット? おそらく災害が起きた時のために入れておいた物だろう。それと今時大学生の必需品である携帯はバッグの一番下にあった。いや、まぁ着信もメッセージもゼロ件だから手元に無くても困りはしないけど。にも拘らずソーラー充電器を持っているのは懐中電灯が切れた時のための予備に使うためだろうな。


「……当然、県外か。時間の表示もバグってて使い物にならない」


 通話できない携帯など持っていても意味が無いと思うが、この先に何があるかわからない以上は持っておくに越したことは無い。とりあえずソーイングセットがあったのは有り難い。千切れたのではなくスッパリと裂けたおかげで縫う手間は掛からない。


「何故だか――小・中の家庭科は良い成績なんだよな」


 本の知識とは別に、手先だけで熟すことも出来るのだと知ったのはその時だ。


 ――よし、完成。表からは縫い痕もわかり辛いし良い出来栄えだ。一先ず着替えて外の様子を窺いに行くか。


 この家を出ていくにも最後くらいは挨拶しないと、と思うのだが家の中には誰もいない。外に出て空を見上げれば、太陽が一つだけだった。月は二つなのに太陽は一つ? まぁ、異世界だし、それくらいのほうが面白い。


「――ロットー、気持ちは変わらない?」


「うん。変わらない。そもそも、言い出したのはママでしょ?」


 話し声が聞こえて家の陰から畑のほうを覗き込むと、巨大な木桶に手を入れるロットーと両親が深刻そうな顔をしてそこに居た。


「パパはロットーのしたいようにすればいいと思う。だが、覚悟が無いのなら止めておきなさい。一度そちら側に足を踏み入れれば、戻ってくることは難しいんだぞ?」


「だから、わかってるよ。そういうことを全部――全部考えた上で、アタイは栞と一緒に行くって決めたんだ」


 おっと。家族会議的なものだとは思っていたが、まさかそういう流れで俺の名前が出てくるとは。どうにもイマイチ話が掴めないが、完全に出ていくタイミングを失った。


「……寂しくなるわね」


「ああ。だが、一人娘の旅立ちだ。笑って見送ってやろう」


「何を言ってんだい。いずれ、必ず戻ってくるに決まってるだろう。だから、うちの畑を頼んだよ」


「…………はっ」


 良い話だ。家族思いの娘と、子供思いの両親か。……なるほど。確かに良い話だが、ようやく『感情の欠如』ってやつがわかった。どうにも心に響かない。これならまだ本の物語のほうが幾分か感動する。つまり、良い話に共感できない、ってところか? そんな奴はザラにいると思うが……今はどうでもいいな。とりあえず、さっさと姿を見せてこの状況を――


「っ――……」


 気が付けば、目の前に三メールとはあろうかという巨体な猪が居て息を呑んだ。ザッザッと後ろ足で足踏みをしながらも、その視線の先は俺では無くロットーたちのほうに向いていた。


 ほう、良い度胸だ。目の前にいる俺を無視して行こうってか? そんな侮辱的なことをさせて堪るか。


「行かせねぇ――よ!」


 走り出した猪の前に跳び出すと、突き出た牙が脇を掠めてその巨体に吹き飛ばされた。


「栞っ!?」


 倒れ込んだ先にはちょうどロットーが居て心配そうに顔を覗き込まれた。ああ、既視感だな。ぶつかったときの衝撃と音、それにジンジンと内側から広がっていく熱のような痛みから察するに、おそらく骨が折れた。人生初の骨折である。


「ロットー、ここはパパとママに任せて栞くんに付いていて上げなさい」


「え、パパ!? ふざけたこと言わないで。どうせ勝てっこないんだから下がってて」


「いいえ、ロットー。パパもママも下がらない。だって、もうあなたは居なくなるんだから。こういうことには二人で対処してみせないと」


 俺とロットーの前に立ったパパさんとママさんの体つきが女性から筋骨隆々の男性へと変化していた。仕切り直すように鼻息を荒くしながら脚を踏み込んだ巨大な猪に向かって両親が構えた次の瞬間、猪が姿を消した――のではなく、突然地面に空いた穴に落ちていった。


「……落とし穴?」


 と、思ったのだが振り向いた両親の視線を追っていくと、俺の後ろに居るロットーが地面に両手を着いて呆れたように溜め息を吐いていた。


「はぁ~、パパもママも無茶しない! 魔物を寄せ付けないための肥やしは用意してあるし、作物を荒しにくる猪には出来の良いイモをいくつか上げれば帰っていく。アタイのやっていたことは全部まとめて書いておくから、それを二人で熟せば今と変わらない生活を続けられる。だから――心配させることしないでよ」


 ロットーの言葉を聞いた両親は体を男から女に変えながら歩み寄ってきた。家族の間に倒れ込んでいる俺は確実に邪魔な存在だが、骨が折れていて動けないんだ。ごめん。


「……済まなかった」


「ごめんね、ロットー」


 俺が邪魔なのは別として『異能力』を持っているのと、持っていないのとでは随分と立場が違うらしい。親子だからこそ上下関係では無いもので繋がっていて、どれだけキツい言葉でも信頼関係のようなものが見えるが――そう考えると、全員が『異能力』を持っているヒューマーと他の種族との間に確執があるのも頷ける。


「…………」


 ああ、わかってるよ。何も言わずとも視線が訴えかけてくる。お前の居る場所はロットーの膝の上では無い、と。俺も好き好んで膝枕をされているわけでは無いんだが。


「お邪魔だな。じゃあ、とりあえず俺は放置して家族で話して来いよ」


「大丈夫なのかい?」


「心配ご無用、かは微妙なところだが、そんなことより今は話し合って来い。俺と一緒に行くんだろ? ロットー」


「聞いていたのか」


「聞こえてきたんだよ。わざとじゃない」


「そっか。……じゃあ、話してくる。栞、守ってくれようとして、ありがとうね」


「……ああ、いや、別になんてことはねぇ」


 実際は、ただ無視されたことが気に食わなくて飛び出しただけだしな。


 倒れたまま家の中へと戻っていく三人を見送っていると、体の異変に気が付いた、


「よい――しょ、っと」


 勢い任せに体を起こしてみれば痛みを感じなかった。いや、微妙に痛い? だが、動けないほどの痛みでは無くなっていた。理由は不明だが、旅立つ前に痛みを抱えずに済んで助かった。


「それにしても……この穴もロットーの力なのか」


『異能力・腐食』か。触れてさえいれば離れていても腐らせることが出来るとは。肥料を作るだけでなく、地面の下に埋まっていた木の根や土、微生物を腐らせて空洞を作り、そこに猪を落とした、と。こういう使い方も出来るんだな。本の知識を呼び起こして生きてきた俺には、まだまだ学ぶことも多いのだろう。


 今更ながら異世界の知識とは興味深い。この世界の本も読んでみたいところだが、この家には本が一冊も置いていなかった。まぁ、俺に『異能力』があるかどうかを鑑定したあとにでも図書館を探してみよう。


「……ん? ああ……財布か」


 カーゴパンツの後ろポケットに手を伸ばせば入れっぱなしになっていた財布があった。洗濯からは無事に逃れたらしいが、そもそも金、入ってたっけ?


 ……三千と、二十七円。


 これでどうしろと? そもそも、この異世界で元の世界の金が使えるのかどうかも疑問だ。俺にはまだ知らないことと、知らなければならないことが多い。


 広大な畑を眺めながらチョコを口に含んだ。異世界に来て食べるチョコの味は格別! ってわけでもないが、糖分のおかげで頭が良く働く。


 呼び起こしたライトノベルの知識を総動員すると……やはり、目的は必要だろう。巻き込まれ体質の主人公も多いが、そもそもが主人公体質とはかけ離れている俺には当て嵌まらない。つまり、自分から為すべきことを決めて進んでいく必要がある。俺に『異能力』があるかどうかによっても変わるし、仮に『異能力』があったとして、その力の種類によっても変わってくるが、大方ギルドに所属して魔物退治をして生きていくってところだろう。


 太陽を見上げつつ――日は出ているが暑くないことを思えば季節は春くらいかと考えていたら、家のほうから足音が聞こえてきた。


「栞、お待たせ」


 振り返えるとそこには膝上まであるロングブーツに、大きな斜め掛けのバッグを後ろ側に回したロットーが立っていた。動き易いように長い紅髪も高めのポニーテールでまとめている。


「服装だけで随分とイメージが変わるな」


「そうかい? まぁ、街に行ったら新しい服や防具を買わないといけないけど、旅支度ならこんなもんだろう」


「そういう意味で言ったわけじゃないんだが……挨拶は済んだのか?」


「アタイはね。あとは栞だけだ」


「……俺?」


 ロットーがしゃくったほうに視線を向けると、パパさんとママさんが並んでこちらを見ていた。まぁ、一人娘と行動を共にする男には一言くらい言っておきたいか。パパさんの持っている細い棒状のものが気掛かりだが。


「栞さん、ロットーを頼みます」


「ええ、どこまで一緒かはわかりませんが。頼まれます」


「これを持っていってください。イモで作った保存食です」


「それは有り難い。ここのイモは美味しいですから」


 受け取った包みをバッグの中に入れていると、徐に近付いてきたママさんが腕を伸ばしてハグしてきた。


「栞さん、あなたは世界を変える者かもしれない。三人の賢者に気を付けて」


 それだけ言うと、何事も無かったかのように離れていった。


「……?」


 どうやら疑問符に答えてくれるつもりは無いらしい。


 そう思っていると今度はパパさんが近付いてきて、持っていた物を差し出してきた。


「大した物ではないが、剣針という道具だ。本来は捕らえた獲物に痛みを与えず止めを刺す道具だが、武器にもなる。ちなみに針の部分は付け替えられるから好きに使ってくれ」


 受け取って先窄みになっている棒の太い部分を掴んで反対側を引けば、乳白色の針が姿を現した。刃があるわけでは無いからフェンシングに近いのかもしれないが、柔らかさは無いし、例えるならヤマアラシの針のようだ。……戦えるかは別にしても杖にもなるし、断るのも失礼か。


「剣針、ですか。では、有り難く頂戴します」


 要は、道中どこまで一緒かわからないロットーのことを、この剣針を使ってなんとしてでも守れってことだろう。そもそも『異能力』を持っているロットーに俺の助けなんて必要ないと思うが、こちらの世界に来て初めて出会った者なんだ。出来る限りのことはするさ。


「パパ、ママ、じゃあもう行くね。そろそろ出ないと明るいうちに村に辿り着けないから」


 手を挙げたロットーに対して、同じように手を挙げる両親を見て、やはり親子なんだなと感じる。たぶん――俺には無いものだ。


 先を行くロットーを追って、途中で振り返り両親に向かって頭を下げた。去り際にお涙頂戴的な挨拶は不要らしい。淡泊というよりは、娘が出ていくことを知っていたような感じだ。


「ん――栞、何してるんだい? 早く行くよ!」


「ああ、今行く。これから向かうのは昨日言っていた、なんとか王国街ってところでいいのか?」


「アイルダーウィン王国街ね。もちろんそこに向かうけど、まずはその手前にある村を目指す」


 先程の会話によれば今日中には着く予定の村か。……やっぱり地図か何かが欲しいな。


「そのアイルダーウィン王国街の場所もそうだが、村とか、ロットーの家とか、この世界のどこら辺なんだ?」


「ああ、そっか。魔窟の森はこの世界の南の端。だから、必然的にうちがあるのは世界でもっとも南ってことになって、少なくとも村も王国街もうちよりは北かな」


「……北か」


「そう、北」


 つまりは方位もある、と。どうせ、そこそこの長旅になるんだ。その道すがらにでも色々と話を聞ければいいさ。


 ロットーの横を歩きながら手に持った剣針をベルトにでも挿そうかと思ったが止めた。なんか絵面的にキツイかな、と思って。

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