第71話 図書館の番人
急に現れた老人を睨みつけ、すぐにでも武器を取り出せるようにしながら、慎重に口を開く。
「どちらさま?」
「そう警戒する必要は無い。君たちがその本を読んだからといって、どうこうするつもりは儂には無いのじゃ」
「この本がどういうものなのか知ってるの?」
「あぁ、知っているとも。なにせ儂が書いたものじゃからの」
敵意がないことがわかり、ようやく老人の容姿に意識がいった。真っ白な白髪に、床まで届きそうな髭。深いシワが刻まれた顔は、その経験の深さが滲み出ている。そのなかにある緑の目は、理知的で全てを見通すような光が宿っているが、同時に少年のような純粋さが伺える。
目を引くところは多々あれど、一番印象的なのは、その尖った耳だ。
「エルフ……?」
セリアがぽつりと呟いた。尖った耳はエルフの特徴だ。エルフは魔族同様に寿命が長く、数百年生きるが、その間老いないというわけではない。人族に比べれば非常に緩やかではあるが、しっかりとその姿も老成されていく。
とはいえその変化は本当に緩やかだ。人族の十倍ほどだと言われている。すなわち、この見た目も年寄りのこの老人の実年齢は、百歳や二百歳ではきかないということだ。
そうなると老人の、この本を自分が書いた、という言葉にも信憑性が出てくる。魔族と人族のこれまでを実際に見てきたのかもしれない。
「あぁ、そうだとも。そしてこの大図書館の館長でもあるのぉ」
大方予想はついていた。普通には来れない場所であるここにいて、ここにある本についても知っている。となると、この老人がこの場所を作り本を隠した館長であるのは容易に想像ができる。
「館長さんなら、ここの本を読んだ僕達を放っておくことは出来ないんじゃ?」
「確かに、ここの本は世にあってはならぬ物ばかりじゃ。それらの存在を知られたならば相応の対処をするべきなのじゃろうが……その相手が神の寵愛を受けた者とあってはそうはいかん」
「神の寵愛? どういうこと?」
『なるほどな。そういうことか』
困惑する僕とは違い、ソルは館長の言うことが理解出来たようだ。神の寵愛というのは聞いたことがあるが、それがどう関係するのかわからない。
「君にはこの本が読めたのじゃろう? エルフ語で書かれた本が。高潔なエルフが自分たちの言語を教えるとは考えにくいし、エルフ語の書物は世に出回ることはない。そうなると、残るは神の寵愛だけじゃ。君は知識神様の寵愛を受けたのじゃろう?」
「確かに、初めて見る文字なのに何故か読めたけど……」
「それが知識神の寵愛じゃ。あまり知られてはおらんがの」
神の寵愛、というのは神が気に入った個人にさずけた力のことを指す。神が個人を気に入るなど、滅多にないことなので、その実態はあまり知られていない。
僕なんて、おとぎ話だと思っていたくらいだ。
「全ての言語の理解。知識の神が与える力としてはふさわしく、素晴らしい力じゃろう? かくいう儂もその寵愛を受けている身じゃ。じゃから、知識神様には感謝しておる。その知識神様に気に入られている君を害することなどできんよ」
「気に入られるようなことした覚えはないけど……」
「ふむ、それは妙じゃのぅ。儂の場合は数百年ほど知識収集に打ち込んでいると突然授かったのじゃが……。他の者も相応の理由があって寵愛を授かったと言っておった」
館長が、腰まで伸びている真っ白な髭を右手で撫でながら不思議そうに言う。すると、顎に手を当て考え込むように俯き、動かなくなってしまった。
何かあるのかと思い、数分待ってみるが動く気配は無い。僕は耐えかねておずおずと口を開く。
「か、館長さん?」
「おぉ、すまん。しばし思考の海に浸っておった。長く生きすぎたせいか、時間の感覚が狂ってしまってな。興味深いことがあると長時間考える悪癖が付いてしまったのじゃよ。まぁ、君が寵愛を受けた理由については後々ゆっくり考えるとして――」
館長は気恥しそうに頬をかいた。だが、すぐにその目から穏やかな光は消え、強い意思がともる。その身に刻んだ膨大な経験のなせる技なのか、その場を呑み込んでしまうような圧力があった。
「ここの本のことは誰にも話さないでほしいのじゃ。知られればここの本は焼かれてしまうじゃろう。知識が失われるのはとても悲しい事じゃ。許されざる罪じゃ。そのような事が起きないことを願う」
お願いの
前世で族長や父さんといった強者の空気に慣れ親しんでいなければ呑まれていただろう。
「……大丈夫だよ。そんなことをする意味もないし、何よりこの本は失われてはいけないものだ」
僕は《魔族と人族の歴史》を見た。人族が無かったことにして、忘却しようとした過去の過ちがこの本にある。そしてそれはいくら知りたくなくても、知らなければならないことだ。
「いい返事じゃ。君たちのような者が増えることを祈るばかりじゃよ」
館長が厳しい顔を崩し、穏やかな笑みを浮かべた。さっきまでの緊迫した雰囲気は霧散し、ただの好々爺にしか見えなくなる。
大図書館内に、荘厳な鐘の音が鳴り響く。大きな音だが、大図書館の静謐な雰囲気を損なず、この場にあった音だった。
「残念じゃが、閉館の時間のようじゃな。また来るといい。知識神様が認めた君と、その連れならばここの本を読む資格があるじゃろう」
さっきの鐘が閉館の知らせだったのだろう。周りの人々もいそいそと帰り支度を始めている。
僕達も帰ろうと、階段が繋がらないこの浮島から飛び降りる準備をする。そこに静止の声がかかった。
「待つのじゃ。そんなことをする必要は無い」
館長は僕達を呼び止めると、両手を前に伸ばした。その動きをきっかけに、周りの浮島が――正確には階段が動き始め、意志を持って動いているかのように次々と他の浮島と連結していく。
数秒後、僕達の前には地上に繋がる一本の道ができていた。この浮島には階段がかからないはずなのに……。
「どうじゃ。これで飛び降りる必要は無いじゃろ?」
館長は茶目っ気たっぷりのウインクと共にそう言った。
『へぇ、やるじゃねぇか』
「ん、すごい……!」
ソルとセリアの素直な賞賛を浴び、館長は満足気だ。
館長がしたことは簡単に見えるかもしれないが、非常に高度な技術を必要とする。
階段が動くのは、前もって魔法陣を刻み、魔道具と化していたからだ。だが、それだとあくまで刻んだ魔法陣通りの動きしかせず、自由に操ることは出来ない。だから、館長はその魔法陣を遠隔で書き換えたのだ。
遠隔で書き換える、と簡単に言ったがそれは非常に困難なことだ。手元で魔法陣を作るのにも魔法学園の生徒達が四苦八苦していたことを考えれば、容易に想像が出来るだろう。
例えるなら、普通の箸でも掴むことが難しい豆を、長さ十メートルの箸で掴むようなものだ。
それだけ苦労することを、僕達を驚かせる為だけにしたのだ。さっきのウインクと相まって、館長の性格がよく理解できる。
僕達は、そんな少し変わった館長に別れを告げ、夕焼けの光を浴びながら宿へと帰った。
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