ORACLE-s

じょう

第1話 託宣の騎士

 荘厳な託宣の間の中央の祭壇では、聖王シェムが跪き神言の水盆の帰りを静かに待っている。祭壇の下では幾人かの従者が頭を垂れ、儀式の緊張感に身を震わせていた。

 神の御使の末裔たる聖王ではあるが、神と直接対面する事は許されてはいない。水盆を神の御前に運ぶのは選ばれた奴隷少年の役目だ。


 託宣の間の奥の御簾がかき開けられる。水盆を頭上に掲げながら奴隷の少年が姿を現した。

 この少年は聖国内の奴隷の中から、天使の資格が有るとして選ばれた名誉ある奴隷だ。大抵は10歳に満たない奴隷が選ばれ、此度の少年は9歳である。

 少年は儀式の空気に当てられ頬が上気していた。


 少年は水盆を祭壇に置くと聖王の御手を取った。本来ならば奴隷の少年が聖王の体に触れる事すら許されざる不遜な行為であるが、彼は既に神の御前に捧げられたため、聖王に触れることが出来るのだ。

 少年に手を取られ聖王が立ち上がる。聖王は水盆に目を向けない。儀式はまだ途中だからだ。


 奴隷の少年は熱に浮かされたような眼差しで聖王を見つめた。少年の目には聖国民の心に深く刻まれた聖王家に対する畏敬の念がこもっていた。

 聖王が少年に頭を垂れる。少年は幸せの中目を閉じ、聖王は優しく少年を祭壇に横たえ、傍にあった剣を取ると少年の首を刎ねた。

 少年は奴隷から天使になった。


 聖王は天使の齎した水盆を手に取り中を覗き込んだ。盆の中の水は天使の血が混じり紅く色づいている。

「託宣は下った!」

 聖王は祭壇の上で立ち上がり階下の従者に宣言した。託宣は国民に直接伝えられる。

 従者はしかし、青ざめた聖王の顔からどの様な恐ろしい託宣が下ったのかと騒めくのだった。


 ――――――――――――


 聖王庁から託宣が下ったという知らせが出たのは昨夜遅くの事だ。国民は聖王の御前に集うため皆、禊に勤しんでいる。しかし託宣の広場に集う資格の無い奴隷達以外にも、禊の準備をせず聖国騎士団の鍛錬場で素振りを青年が一人いた。

「1008……1009……」

 上半身裸で剣を振るう背に汗が滲む。


 聖騎士団付きの奴隷達が不思議そうに鍛錬場を覗き込む。青年は気にせず素振りを続けていた。

「君、ちょっと通してくれないか?」

 奴隷は振り返る。驚き慌てて土下座をしようとする奴隷を制して仕事に戻らせ、新たに黒髪の青年が鍛錬場に入っていった。


「聖王の託宣を無視しようとする不敬ものがいるのはここかな、ブラッド?」

 艶めく黒髪を靡かせ部屋に入って来た青年の声に、ブラッドと呼ばれた男は振り向いた。

「エノク、まるで俺が託宣なんて聴く気が無いみたいじゃないか」

 目の覚める様な真っ赤な髪から汗を振り払い、ブラッドは笑った。


「実際そうだろう?」

 黒髪の青年エノクもまた笑い返す。

「そういうお前だって、王子の癖に聖王庁の行事に参加しなくていいのか?」

 ブラッドは汗を拭きながら問い返す。

「そう、僕は急いでいるんだ、余り手を煩わせないでくれ」

 口では言いながらエノクは鍛錬場にあった椅子にどっかりと座り込んだ。


「こんな日も鍛錬かい?どうせすぐ降託の儀が始まるのに」

 汗を拭くブラッドを見詰めながらエノクが問いかける。

「何言ってるんだ、お前との約束だろう?」

 ブラッドは禊用のローブを羽織りながら答える。

「ああ、そうだブラッド。僕と君の約束だ。僕は聖王になってこの国を変える、君は……」


「騎士団長になってそれを支える」

 帯を締めながらブラッドが応えた。

「この国は間違っている、父上もそうだ。託宣などと言う"気の迷い"に従い国の行く末や人命まで決めてしまうだなんて。奴隷達だってそうだ、王があり民がある、彼らはその守られるべき民に入っていない。同じ人間の筈なのに」


「何度も聞いたぜ」

「何度でも言うさ。この国で暮らしていれば、そんな当たり前の事なんか存在していないかの様に錯覚してしまう」

 エノクは顔の前で手を強く握りしめた。

「鎖国したこの国は、実体のない"神"なんて物に縛られた歪な国なんだ」

「だから、俺とお前で変えるんだろ?」


 2人は笑い合いながら拳を突き合わせた。彼らの友情のしるしだ。エノクは何かを言おうと目線を上げて、目を見開いた。

「ん?なんだエノク……ぐわっ!」

 鋭い首筋への一突き、ブラッドは悲鳴を上げ床に倒れこんだ。その背に模擬槍の柄が突き立てられる。

「無礼者!ブラッド!王子の御前だぞ!」


「だ……団長……!」

 かろうじて首を上に向けたブラッドは、自分を押さえつける聖騎士団長アンジールを仰ぎ見た。

「アンジール!いつも言っているだろう!ブラッドは良いんだ」

 エノクが声を荒らげる。

「なりません王子、これは騎士団長として騎士の綱紀を正しているのです」


「アンジール、せめて離してやってくれ」

 エノクの頼みに、アンジールは模擬槍の拘束を解いた。

「いてて……団長、何もいきなり突いてくることは無いだろ!」

「ブラッド、ここで何をしている」

 アンジールはなおも厳しい目でブラッドを睨みつける。

「何って……今日の稽古だよ」


「ブラッド、お前が王子に対等な友人としてお慈悲を向けられているならば、それは名誉である。しかし、お前は騎士団の鍛錬場で騎士として稽古していた。つまりお前は今騎士団員として王子の御前に居るのだ。私は聖騎士団長としてそのような不遜者を許すことはできん」

 一切の口を挟ませぬ気迫だ。


「わ……分かったよ団長」

「理解したなら禊に行け。降託の儀に遅れる者などよもや聖騎士団にはおるまいな」

 アンジールに強く窘められブラッドは禊に向かう。

「じゃあエノク、後でな!」

 退室しながらブラッドが手を振る。

「ブラッド!」

 アンジールの怒鳴り声からブラッドはそそくさと逃げ去った。


「アンジール、他ならぬ僕が良いと言っているんだ。もう少し手柔にやってやれないのか?」

 エノクが苦笑いしつつ問う。

「そうは参りません。他の騎士に示しもつきません故。僭越ながら、王子も後自覚くださいませ」

 アンジールは硬い表情を崩す事はない。

「ふぅ、分かったよ」

 エノクは首を竦めた。


「さあ王子、貴方にも降託の儀の準備があるはずでは?」

「む、そうだな」

 エノクはその言葉で自分も降託の儀の準備がある事を思い出したようだった。

「分かったよアンジール、ブラッドをあまり叱らないでやってくれよ」

 エノクも鍛錬場を離れる。


 1人鍛錬場に残ったアンジールは、ようやく厳しい表情を解いた。

「ブラッド……分かっているのか?私は本当にお前には期待しているのだ。王子を支えて行けるのは、お前しかいない。」

 模擬槍を壁に戻し、アンジールは独りごちた。

「王子を護る事が出来なかった私とは違う、お前なら出来るのだから」


 ――――――――――――


 既に託宣の広場には聖都一万の民が集っていた。人々はざわざわと落ち着かない様子で降託の時を待っていた。

「出遅れたな……まあ仕方ないか」

 ブラッドは群衆の外れの方で王の座を眺めた。聖騎士団の王城担当者達が物静かに警備を行っている。

「まったく、今日は非番でよかったぜ。」


 人々がどよめいた。聖王シェムが王城より現れた為だ。後ろには儀式装束に身を包んだエノクと、騎士鎧姿のアンジールもいた。群衆は次々と膝をつき祈りを捧げた。ブラッドもそれに倣うように膝をつく。

(((さて、城の様子がいつもと違ったが今回はどんな神の御言葉を聞いたっていうんだ?)))


「我が愛する聖都の民よ!その愛しき顔を私に見せよ!」

 聖王の言葉に群衆が顔を上げて行く。前列にいた婦人が小さく悲鳴を上げた。聖王の顔は酷くやつれ、青ざめていたからだ。

「民よ!他に並ぶもの無き、偉大なる父からの言葉を聞くが良い!」

 聖王の目には、一種の悲愴ささえ浮かんでいた。


(((なんだってんだ、あんな聖王の顔なんか見た事がないぞ)))

 遠くからなのではっきりと見えるわけではないが、エノクやアンジールも多少なり動揺した様子であった。託宣を受けた聖王は神言を正しく伝える為、一晩託宣の間に籠ることとされる。恐らく2人とも先刻初めて聖王の顔を見たはずだ。


「遥か北方の蛮国を滅ぼした大いなる災いが、今この聖国の大地に降りようとしている!これは我らの父からの試練である!」

 群衆の騒めきが一層大きくなる。

「大いなる災いって……確か去年の降託の儀で聖王が仰られた」「ええ、主を畏れぬ蛮国に下った神罰のはず」「そんな……何故聖国に」


 怯え畏れる群衆とは対照的に、ブラッドは既に託宣から興味を失い始めていた。

(((災いって……そもそも託宣だけの話だろ。この十年、鎖国している聖国から出た人間なんて居ないんだ。北の国が滅びたのを確認した人間はいない。相変わらず全員聖王の言葉を鵜呑みにしているだけじゃないか)))


「聖都の民よ!畏れるなかれ!神に愛されしこの聖都に災いが降りることは決してない!」

 聖王が民を落ち着かせる為声を張り上げた。

「我らの父が試練を与えたのは西の村ソドス!3日後ソドスに大いなる災いが降り立つ!我が父は聖騎士団をもってこれに打ち勝てと仰られた!」


 聖騎士団の言葉が聞こえた瞬間、ブラッドは深いため息を吐いた。この手の託宣はままある。凶兆を祓うべしと騎士団を動員し大山鳴動鼠一匹、神に祈りが通じ災いは去ったと聖王が宣言する。

 アンジールや他の騎士達はそれを深く信じていたが、ブラッドとエノクは無駄な行為だと思っていた。

「聖騎士団の出発は明朝!民よ、我が騎士達に祈りを!」

 聖王が舞台上で両手を合わせ祈りを込めた。群衆も祈りを合わせる。ブラッドは1人静かに託宣の広場を後にした。


 ――――――――――――


「ブラッド、いるかい?」

 騎士団寮のブラッドの部屋の扉が叩かれた。

「エノクか?今開ける」

 ブラッドは蝋燭の灯りを持って扉を開けた。

「やあブラッド……出発の準備中だったか」

「いや、もう終わった」

 ブラッドはエノクに椅子を差し出すとベッドに座る。蝋燭のに照らされるエノクの顔は青白い。


「おい、大丈夫かエノク。顔色が悪いんじゃないか?」

「いや僕は大丈夫。それよりブラッド、君だよ」

 エノクの目はいつになく真剣である。

「どうしたんだエノク」

「明日の君達の任務なんだが……どうにも嫌な気がして」

「おいおいエノク、いつから託宣を信じるようになったんだ?」


「そういう訳じゃない!」

 エノクの声が大きくなる。

「わ、悪い……」

「あ、いや……すまない。兎に角、僕が気になってるのは父上の様子なんだ」

「聖王様の様子?」

 確かに、昼間見た聖王は酷くやつれた様子であった。

「僕は託宣を受けてあんなにもやつれた父を見た事がない。今回は特別なんだ」


「特別ったって……」

「父上は託宣を全て伝えてはいない気がするんだ」

「なんだって?」

 ブラッドは目を丸くする。

「父上に此度の託宣のことを問おうにも、体調が思わしくなく近衛に止められてしまった。だが何かがおかしいのは確かなんだ」

 エノクはどこか確信している様子だ。


「兎に角、今回の託宣は普段とどこか違う。ブラッド、くれぐれも気を付けてくれ」

 エノクは懐から十字架を取り出した。

「なんだよエノク、こんな古いもの取り出して」

 その十字架は2人が一度だけ聖国の外に出た時の、いわば思い出の品だ。

「これを預けておく、必ず返してくれ」


「……ああ、わかった」

 ブラッドは十字架を受け取ると懐に仕舞った。

「ありがとう……すまない、僕も少し変になってるのかもな」

 エノクは立ち上がりながら首を振る。

「大丈夫さエノク、何てことのない、いつもの任務さ」

 ブラッドは扉を開け辺りを見回す。廊下には誰もいない。


「よし、今のうちだ。アンジールに見つかる前に帰りな」

「ああ、くれぐれも気をつけてくれ」

 エノクは蝋燭を持つと廊下へ滑りでた。

「ブラッド、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 エノクはそのまま廊下の闇へ消えていった。1人残されたブラッドは扉を閉めるとベッドに倒れこんだ。


 懐に入れた十字架がかちゃりと音を立てる。ブラッドは十字架を取り出すとしげしげと眺めた。

(((これを拾ったのは何処だったか……)))

 思い出すのは厳しい寒さ。温暖な聖国で暮らしてきたブラッドには想像し得なかった環境。右も左も分からぬ中、エノクと2人で過ごした2週間余りの日々。


 初めて触れる聖国以外の価値観。全てが新鮮で、全てが魅力的で、何より自分の世界の狭さを思い知らされた。ブラッドもエノクも、その時初めて当たり前だった託宣に疑問を持った。

 2週間余りの旅は唐突に終わった。ブラッドが眠りから目覚めると、既に聖国の船の上だった。


 その時ブラッドとエノクの2人を迎えに来たのは聖騎士団だった。その中には当時まだ団長ではなかったアンジールの姿もあった。

 ブラッドは船上でエノクの姿を探したが、2人は別々の船に乗せられていたのだった。聖国に戻ったブラッドだったが、そこに帰る家はなかった。


 王子の身を危険に晒してしまった事への罪の意識に耐えかね、ブラッドの両親は自殺していた。自殺は神の意志に背く大罪である為、墓すら作られなかった。

 ブラッドに新たな家を用意してくれたのはアンジールだった。彼はブラッドにとって第二の父と言える存在だった。


 ブラッドは騎士となる道を選んだ。アンジールの恩に報いることもあるが、一番の理由はもう一度エノクに会いたかったからだ。

 登用試験に合格し、騎士団の門をくぐった時、エノクはそこで待っていた。再会を喜ぶブラッドにエノクは小声で言った。

(((この国は間違っている。2人で変えるんだ)))


「……古いこと思い出しちまったな」

 ブラッドはベッドの上で寝返りをうつ。

(((結局、俺はまだ一介の騎士に過ぎない。あいつの助けになんて、まだまだなれそうにないぜ)))

 ブラッドは身を起こすと戸棚の裁縫道具の箱を開き、紐を見つけた。解けぬようきつく十字架に結びつけ、首から下げた。


 ――――――――――――


 ソドスの村は聖都の西方40里ほどに位置する小さな農村である。交易路からも外れたこの村に外部から訪れる人間は少なく、聖都との連絡員のはずの司祭もあまり村から離れる事はない。

 聖都からの通使を邪険に扱うなどの行動が聖都の教会で問題視され始めているようだ。


 アンジール率いる聖騎士団達がソドスの村に着いたのは昼過ぎの事であった。30人規模の騎士達が前触れなく訪れた事に、ソドスの村長は酷く狼狽していた。

「一体どういった事なのでしょう?」

「村長、我々は聖王の御託宣に導かれやって参りました。暫く村の近くで野営を行う事をお赦し下さい」


 アンジールの差し出した聖王家の印章入りの羊皮紙を読むと、ソドスの村長は諦めにも似た表情を一瞬だけ見せ、すぐに笑顔で許可を出した。

 聖王、ひいては託宣に疑義を挟む事はこの国では決して許されない行為であるからだ。既にブラッドを含む騎士達は野営テントを張り終えていた。


「ときに村長、司祭殿は何処に?」

 アンジールが周囲に司祭のいない事を見て村長に尋ねた。

「ムスペル司祭は……教会におりますじゃ」

 村長は村の中心にある教会に目を向けた。聖王国の生活の中心である筈の教会ではあるが、薄汚れた外壁を見る限り、この村ではあまり重用されていないようだ。


 教会の窓が小さく開き、ハタキを持ったムスペル司祭が顔を覗かせた。アンジールと目が合うと、司祭はバツが悪そうに窓をそっと閉めた。

「村長、明日の朝には礼拝に訪れるので、掃除はそれまでにお願いすると、お伝えください」

 村長の愛想笑いを背に、アンジールはテントまで戻った。


 テントの日陰の下で木箱に腰掛けながら、ブラッドはソドスの村の様子を眺めた。どうにもこの村は聖国には珍しく信心深くない人々が多いようだった。

 かといってブラッドはこの村に親近感が湧いてこない。突然聖騎士団が訪れたこともあってか、余りにも村人の視線が卑屈すぎた。


「どうにもやりにくいな、ブラッド」

 先輩騎士のチャールズがブラッドの隣に腰掛けた。

「そう……ですね」

「いやぁ、正直こんなにも歓迎されないのは初めてだ。大抵は騎士様は尊敬されてるものなんだがなあ」

 チャールズはため息をつく。

「それよりもブラッド、お前王子様から何か聞いてないか?」


「先輩……それ先輩で10人目っすよ」

「……まじか」

 エノクのブラッド贔屓は騎士団では周知の事実であるため、ソドスへの道中ブラッドの元には入れ替わり立ち替わり複数の騎士が今回の任務についてブラッドに尋ねてきた。

「詳しい事は何も……何だかいつもと違うとだけ」


「そうか……」

 チャールズに限らず、今回の任に就く騎士達は皆(平然としているアンジールを除けば)違和感を感じているようだ。

「なあブラッド、災いって何だと思う?」

「何って……いつものちょっとした崖崩れとかじゃないですか?」

「崖崩れで蛮国が滅んでたまるか」

 彼もまた託宣を信じている。


「俺が生まれてこの方、あんな恐ろしげな託宣は聞いた事がない。正直、皆ビビってるのさ」

「……大丈夫ですよ、皆気にしすぎなだけです。村の困り事を解決して、いつもの様に聖都に帰るだけですよ」

「うん……まあ、そうだな。やれやれ後輩に諭されちまった」

 チャールズは立ち上がった。


「よし、そうなりゃ騎士の職務を全うするぞブラッド」

 チャールズは騎士槍を手に取るとブラッドを立ち上がらせた。

「団長!こいつとちょっと村の見回りに出てきます!」

 テント内で事務仕事をしていたアンジールに声をかける。

「了解した、村人の邪魔にならぬ様にな」

「はっ!」


 2人は村の中を散策し始めた。相変わらず村人の視線は冷たい。教会の窓からはムスペル司祭がじっとこちらを伺う様子が見えた。

「司祭様に文句は言いたくないが……」

 チャールズはどうにも司祭の態度が気に入らないようだ。教会の玄関には掃除道具を運んできたのだろうか大きな荷車が放置してある。


「ったく、司祭様は教会を守る事が職務だろうに……埃だらけになるまで放置するとは……同じ神に仕えるものとして恥ずかしいぜ」

 チャールズの文句を聞きながら、ブラッドは何気なく荷車を調べた。見れば随分遠くから運んできたのか、村の外れの方まで轍が続いている。


「あっちには何があるんですかね」

「さあな、倉庫でもあるんじゃないか?」

 2人が轍の跡を追って歩き出したところで教会の玄関が開きムスペル司祭が声をかけてきた。

「あ、ああ!騎士殿!」

 余りの剣幕にブラッドとチャールズは飛び上がってしまう。

「うおっ!し、司祭様、何ですか?」


「ああ、し、失敬。団長殿に教会はいつでも使えると伝えて欲しいのです」

「そうですか、では後でお伝えしましょう」

 再び歩き出す2人に司祭は慌てて付け加えた。

「あー、いや!すぐ伝えてください。団長殿は気にされておりましたから」

「……わかりました、司祭様」

 2人は仕方なくテントに戻った。


 ――――――――――――


 焚き火がパチリと爆ぜる。火の番として起きているブラッドだが、もう1人の番であるチャールズが見回りから中々戻らないので退屈になって来ていた。

「異常は無いかブラッド」

 テント内からアンジールが現れた。

「異常はありません団長」

 ブラッドは欠伸をしながら答える。

「馬鹿者!たるんどるぞ!」


「うわっ!団長、みんな寝てるんですから、こんな所で雷を落とさないでくださいよ」

「だったらそれに見合った職務を行え……チャールズはどうした?」

 アンジールが周囲を見回す。

「先輩なら見回りですよ、ついさっき……」

 ブラッドは星を見上げる。チャールズが見回りに出てから一刻程経っている。


「あれ?」

「どうした」

「いや、ただの見回りにしては……」

 その時、村の奥の方から何かが崩れる音が、続いて複数人が争うような声が聞こえてきた。

「な、なんだ?」

 アンジールの目つきが鷹のように変わる。

「ブラッド、騎士達を起こせ。チャールズに何かあったかもしれん」


 アンジールはそれだけ言うと風のように飛び出していく。

「だ、団長!」

 あっという間にアンジールの姿は夜の闇に消えた。

「ああもう!」

 ブラッドは点呼用の鐘を荒々しく鳴らすとアンジールを追って飛び出した。

「ったく!何処だ!チャールズ先輩!」

 もう村の奥から物音は聞こえない。


 やみくもに村の中を走っていると、教会の前に辿り着いた。

「はぁ、はぁ」

 放置された荷車に手を着き、呼吸を整える。と、ブラッドはそこで昼間の出来事を思い出した。

(((そういえばあの司祭、俺たちが村はずれに行こうとするのを止めたのか……?)))

 ブラッドは一か八か、轍の跡を追って走り出した。


 闇の中を走り続けていると、村はずれの林の奥から明かりが漏れているのが見えた。

「あそこだ!」

 林の中には大きな倉庫があり、その前ではアンジールを取り囲むように村長や村人たちが立っていた。

「団長!先輩は!?」

 アンジールはブラッドを振り返らず村長に向かって話しかけていた。


「村長、私は争いの声を聞いてここに来たのです。聖国の平穏を守る騎士としての義務がある。そこを通してもらいたい」

「な、なりませぬ!騎士殿といえど、村の問題には首を挟ませんですじゃ!」

 村長は顔を青ざめさせている。周囲の村人はアンジールを取り囲むようにじりじりと迫っていた。


「ここには我が団の騎士がいたはずだ!聖騎士団に手を上げるという事がどう言う意味を持つか村長、貴方なら分かるはずだ!もう一度だけ言う!そこを開けなさい!」

 アンジールの一喝に村人たちがたじろぐ。村長は答えあぐね苦悶の表情を浮かべていた。その時、村からムスペル司祭が飛び込んできた。


「村長!何事ですか!」

「司祭様!」

 ムスペル司祭は大仰に手を振りながら嘆きの声を上げた。

「ああ!騎士殿!どうか村長さんをお許しください、彼とて村を想う1人の人間なのです」

 その手に何かを隠し持ち司祭がアンジールににじりよる。ブラッドは気づいた。

「違う、団長!司祭もグルなんだ!」


 ブラッドの声に弾かれたようにムスペル司祭がナイフを取り出しアンジールに襲いかかる。アンジールは眉を顰め、司祭のナイフを持つ手を捻りあげそのまま地に伏せさせナイフを取り上げた。

「がぁぁ!」

 司祭が情けない悲鳴を上げる。

「さあ!村長!そこで何をしている!」

 アンジールの怒声が響く。


 その時、倉庫の内側から再び争う物音がしたかと思うと、後手に縛られたチャールズが飛び出してきた。

「先輩!」

 ブラッドが飛び出し猿轡を外す。

「ぶはっ!団長!密造です!こいつらはここで禁止された酒の密造をしているんです!」

 倉庫の扉からは、割れた樽から溢れた液体が流れ出る。酒だ。


「密造?」

 ブラッドは拘束を解きながら少しずつ村人たちからチャールズを離す。

「み、密造とは聞こえの悪い……」

 村長がしどろもどろになる。

「馬鹿!聖国で酒を造っていいのは定められた者だけだ!聖王の令に背くなんて!」

「か、彼らは自らの楽しみの為に少し律を外しただけです。それを……」


 アンジールに抑えられたままムスペル司祭が叫ぶ。

「司祭!聖王の令は大いなる父の令!聖国の民が規範とするべき絶対の令だ!他ならぬ司祭である貴方が軽々しく踏み外すとは!」

 再び響くアンジールの怒声。

「そ、それが何だというのか!人々のそれぞれの暮らしを縛るだけの神の言葉など……」


 他ならぬ聖職者の口から出た神を否定する言葉。ブラッドにすらそれは衝撃だった。チャールズは驚きのあまり口を開け放ち、そしてアンジールは……。

「がああああ!」

 ムスペル司祭が悲鳴を上げる。アンジールが首を掴み司祭を持ち上げているのだ。

「それは我らの大いなる父を侮辱する言葉か!」


「だ、団長!やり過ぎだ!」

 ブラッドが慌てて割って入る。地面に落ちたムスペル司祭は激しく咳き込んだ。

「村長!この村は罪深き村だ!追って聖王庁より沙汰があるであろう」

 アンジールが怒りを抑えながら言い放った。

「ひ、ひぃぃ」

 村長はその場に崩れ落ちる。周囲の村人は動揺し全く動けない。


「やれやれ、昼間に変だと思ってたら、村ぐるみの密造とはな……これが託宣の災いなのか?」

 チャールズが手をさすりながら呟いた。こんな物が大いなる災いなのか?

(((いや、託宣はたしか、ソドスに試練がもたらされるだったよな……これが試練というならだが……)))


「ふ、ふふ……何が神だ、何が聖王だ!」

 ムスペル司祭が突如笑いながら叫び出す。

「俺は司祭だから分かる!神なんていない!教えや令なんてものは、ただの取り決めに過ぎない!」

 これにはその場の人間全員が呆気にとられた。

「俺は長年神の教えに背いてきたが、天罰の1つ降らない!神はいない!」


 ムスペル司祭の声が闇に響く。そして静寂。

「ふ、ふふふ、言ってやった。いつか言ってやりたかった」

 ムスペル司祭の乾いた笑いだけがその場に響いていた。チャールズがムスペル司祭を立ち上がらせようと近づいたその時、星空が紫の異様な光に包まれた。

 一瞬の出来事であった。闇の雷が地を打った。


 紫の闇雷は密造倉庫を、次いで司祭を貫いた。

「はっ?」

 間近で闇雷を目にしたチャールズの視界が白に染まる。復調した彼の視界に飛び込んできたのは、燃え尽きた自らの右腕だった。

「うわあああ!」

「先輩!」

 密造倉庫が怪しげな紫の炎に包まれる。司祭が居た場所には、焼け焦げた跡しかなかった。


「ひいいい!」

 腰の抜けた村長を置いて村人が散り散りに逃げ出す。村長は崩れ落ちてきた酒樽に押しつぶされ姿が見えなくなった。

「先輩!」

「腕が!俺の腕が!」

 恐慌状態に陥るチャールズ。

「ブラッド!チャールズを連れて逃げろ!」

「逃げろって……!」

 どこへ?何から?


 ブラッドは紫雷に包まれた空を見上げる。アンジールの視線の先にある闇が、形を作り始めていた。

(((いる……感じる……神を畏れぬ……悪しき魂……)))

 闇の中から響いてくる、この世ならざる声。闇が凝り仮面を形作る。

 瞳があるべき場所は、ひたすらに深い闇が広がり吸い込まれるかのようだ。


 闇の中からすらりと伸びた腕が仮面を取る。腕が仮面を闇の表面に張り付ける……否、闇の中の顔に張り付ける。

 闇の中から現れたのは血に塗れた喪服のようなドレスを身につけた仮面の女性。

(((私はこの世に遣わされし、死……)))

 耳の中に直接鳴り響くかのような声。


 氷のように冷たい笑みが仮面の女の唇に浮かぶ。

(((この地に、祝福ある、死を!)))

 仮面の女が両手を空にかざすと、紫の闇雷があちこちに降り注ぎ始める。紫炎に焼かれる木々。ブラッドの脳裏には託宣の言葉がよぎっていた。

「大い……なる災い……!」

 アンジールが仮面の女向けて駆け出した。


 つづく

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