第五章 6
面倒なことになったな、と思う。
石井の言った、僕と和泉がデートしているらしいという所を――つまりは先日、僕と彼女がスーパーでネギやら卵やらを籠に突っ込んでいるという所を、学校帰りの同級生何人かが目撃していたらしい。当たり前、といえば当たり前なのだが。そもそも、この数ヶ月間で一人も目撃者がいなかったというのが奇跡に近いのだ。
それから僕は、この中学に入学して三年目にしてこの学校のすべての注目を集めることになる。
普段滅多に話しかけられないようなクラスメイトからも声を掛けられて、廊下を歩けば名前も知らない女の子たちが僕の方を見てきゃーきゃーと黄色い声をあげていた。僕はうんざりする。全く、みんな暇すぎる。
「そんな、気にすることないよ」
図書室の、冷たい机の上に突っ伏してぼんやりとする僕に、和泉紗枝はこう言った。
「みんな、こういう話好きなんだから。ほっておけば、すぐに落ち着くよ。」
僕は頬を机の上にひっつけたまま、上目使いで彼女を見る。和泉紗枝は相変わらずの涼しい顔で、ぺらぺらとお菓子の本を捲っていた。和泉は、ぐったりとする僕の様子をちらりと見てから、さらりと長い髪の毛を揺らしてこういった。
「なに? セイジってば気にしてるの?」
彼女の言葉に僕は顔を上げ、頬杖をつく。
「気にしてるわけじゃないけど……慣れてないだけ。こういうの」
僕の言葉に彼女は首を傾けてくすくすと笑った。
慣れてないだけ。
これはその時の僕の本当の気持であり、それと同様にこの騒動もすぐに鎮火を見せるだろうと思っていた。森江の事件に比べたらずっと地味だしこういう話題はそこら辺に溢れすぎている。そろそろ受験も始まる時期だし、こんな噂、あっという間にどこかへ消えてなくなってしまうだろう。そう思っていた。
でも僕はそれからすぐに、この、完璧で完全な優等生が大きな間違いと犯していたということを気が付く。気が付かされることになる。和泉紗枝の友人で、無二の親友である河内麻利の手によって。
その日僕は、進路のことで先生に呼ばれて職員室を訪れる。
「藤崎君、斎東高校受けるんだよねー」「はい、そうです」「今のところ、全然問題ないと思うんだけどねぇー。でも、一つ気になることがあってねー」「はぁ」「この前の試験、ちょっと成績下がってたの気がついた?」「……いいえ」「大丈夫なのは大丈夫なんだけどねー。もしもっていう可能性も無きにしも非ずだから。気を付けてねー」「はぁ」などという会話を数分で切り上げて、成績表と睨めっこをしてから僕は、職員室を後にする。そうか、やっぱりちょっとまずいのか。などと思いながら。やはり、あの天才少女に付き合いすぎたんだ。天才と凡人は違うから、凡人である僕が天才と同じようなことばかりしていてはしょうがないんだな。などと思いながら廊下を歩くその途中で、僕は河内麻利に声をかけられる。
「藤崎君」
最初呼ばれたときは、一体何かと思った。大量の資料を抱えた河内麻利がよたよたとした危ない足取りで狭い廊下を歩いていたのだから。顔の見えないそのセーラー服に僕は一瞬ぎょっとして、ふらふらと歩いていた河内麻利が自分の足につまずいてそのまま抱えていたノートやらコピー資料やらを廊下中にばらまいたことでため息をつく。一体何をしてるんだ。
廊下中に散らばったノートやらコピーやらをかき集め、それをまた河内麻利の短い腕の上に乗せる。
「ありがとう」
どうも、と僕は言う。
河内麻利の背は低い。和泉紗枝よりさらに低くて、手足も短い。それでも化粧をしているようで、明らかに人の手によりくるんとカールの施された睫毛の奥から覗くようにして見上げてくる。可愛い、と言えば可愛い顔なのか。これは。
そのまま帰ろうとするのだが、河内麻利は「藤崎君」ともう一度僕の名を繰り返し、それからこうも言った。
「藤崎君て、本当に紗枝と付き合ってるの?」
僕はまたうんざりする。それはもう、何度も何度でも聞かれて言い返した答えだ。思わず寄せてしまった皺を隠すこともしようとせず、「付き合ってないよ」と首を振る。河内麻利は大量の資料を抱えたまま首を傾げ、不思議そうな表情を作りこう言った。
「でも、仲いいよね。二人とも」
悪くはないよ、と僕は言う。その言葉に河内麻利は口元だけでにやっと笑い、それから「わたし、知ってるんだよ」と会話を続けた。
彼女の意味深なその言葉に、僕は眉を顰めたまま「何を」と問う。
小柄な河内麻利は周囲の様子を伺うようにきょろりと首を動かして、それから誰もいないことを確認し、そのまん丸い瞳の奥に好奇心にもよく似た奇妙な色を湛えながら呟くようにこう言った。
「紗枝が、自分のお父さん殺しちゃったこと」
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